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「GOD EATER ONLINE」が帰ってくる!
ストーリーノベル 第八章
「GOD EATER ONLINE」 STORY NOVEL ~8章-3話~
(どうしてこんなことになったのかしら……)
そんなことを考えながら、わたくしは外部居住区の人込みの中を歩いていた。
これまでも彼らに囲まれるようなことは何度かあったが、今回ほど大勢に、遠巻きに見つめられる機会はなかった。
不躾な好奇の視線を四方から浴びせられ、わたくしはつい俯きがちになってしまう。
そんなわたくしの様子を見て取り、わたくしの先をゆく彼女が、可笑しそうにこちらへ振り返った。
「もう少し堂々と歩いたらどうだ? 住民たちが不安に思うぞ」
(誰のせいで……)
挑発的な言葉を受けて、彼女の顔をねめつける。
ヒマラヤ支部支部長――クロエ・グレースはわたくしが睨んだ先で、薄笑いを浮かべていた。
今わたくしは、規則正しく歩を進める彼女の後を、少しの距離を置いて付き従っている。
鉄面皮で知られる支部長による直々の視察は、外部居住区の住民たちを大いに不安がらせていた。
どうしてこんなことになったのか……それを紐解くのはごく簡単。
ことの発端はつい先ほど。いつものように訓練を終えた後、クロエが唐突に『外部居住区を見に行きたい』と言い出したことだった。
当然、わたくしは難色を示した。壁に穴が開いたのはついこの間のことだし、支部長が目の前に現れれば住民たちは不安に思うはずだと。
しかし彼女は意見を曲げず、結局今では、案内役のはずのわたくしより先に立って、外部居住区を見て回っている。
住民たちからの注目を一手に集めながらも、堂々とした立ち振る舞いだ。
(いったい何を考えているのやら……)
「ふっ……彼らの視線が気になるなら、もう少し近くを歩いたらどうだ?」
「遠慮します。あなたと仲がいいなどと、思われたくはありませんので」
「だったらはじめから、付いてこなければよかっただろう?」
「……わたくしだって、できればそうしたかったわ」
仮にもクロエはこの支部の支部長。護衛もなしに外部居住区に向かわせられるはずもない。
それから、これは個人的なことだけど……彼女が外部居住区へ向かった理由が、気がかりだったということもある。
ゴドーたちのように、彼女を疑っているというわけではないけれど、もし、住民たちにひどい仕打ちをするようであれば……
「いつまでも信用がないらしいな」
「どうしてそうなのか、ご自身の胸に手を当てて考えてみてはいかがです?」
「さてな……正直に生きてきたつもりだが」
軽口を叩きながらも、クロエは歩みを緩めず進み続けた。
そうしてそのまま、彼女は目的地にたどり着く。
「なるほど……ここだな」
そう口にした彼女が、何を見ているのか……理解したわたくしは、住民たちと共に息を呑んだ。
(この場所は、この間の戦いで壊された……)
「……つまりあなたは、わざわざ壁を見に来たというのですか?」
「ああ。リュウからの報告で状況は把握しているが、一度は見ておくべきだと思ってな」
「…………」
クロエは慈しむように、指先で壁をなぞってみせる。そうする彼女からは、いつもの険ある様子は見られない。まるで慈悲深い女神がそこに立っているようだった。
だからだろう、それまで遠巻きに彼女を見つめるだけだった住民たちが、恐る恐るといった足取りでクロエに歩み寄ってきた。
「なあ……新しいアラガミが現れたら、また壁を破られるのか……?」
「…………」
弱弱しく言った男に、クロエが静かな目を向ける。
住民たちの不安については、わたくしも何度も彼らから聞き及んでいる。
その都度、わたくしは出来る限りの約束を彼らとしてきたつもりだけれど、いまだに彼らの不安の全てを解消するには至っていない。
では、クロエならどうなのだろう。彼女はどのように答えるのだろうと、わたくしはその表情を窺った。
「形あるものに絶対は無いもの……二度と壁が破られないと、お約束することはできません」
「……!」
するとクロエは、彼らの前ではっきりとそう口にした。
当然、住民たちはその言葉に目を見開くが……誰も彼女に怒りや不満をぶつけはしない。彼女の醸し出すひりつく空気が、口を開くことを憚らせていた。
そうして住民たちが息を呑んだところで、クロエはふっと表情を和らげた。
そのまま住民たちを落ち着かせるように断言する。
「しかし、ご安心ください。そのために我々ゴッドイーターがいます。……脅威は絶対に排除します。お任せください」
「……け、けどよ……」
そうしてクロエが雰囲気を緩めたからだろう、傍で話を聞いていた別の住民が口を開く。
「そうは言うけど、壁の兄ちゃんだって出撃中でいない時もあるし……」
「……リュウは信頼されているのですね。ありがたいことです」
クロエはリュウの名前を口にすると、そのまま小さく頭を下げた。
そんな彼女の振る舞いを見て、辺りの住民たちがざわめき出す。
驚いたのはわたくしも同じだった。
彼女ほどの人であれば、住民たちの気持ちを汲み、彼らの望む姿を自然にみせる芸当もできるのだろうと……そんな風に穿ってみることもできる。
だけれど、目の前の彼女からわたくしが受けた印象は少し違う。
彼女は自然と住民たちに歩み寄り、本心から彼らを慈しんでいるように思えた。
「この支部にはリュウに匹敵する力を持つ『切り札』が常駐しています。彼が不在でも、安心していただいてよいかと」
「おい、切り札だってよ……」
「あの兄ちゃんくらい強いのか……どんなんだろうな?」
クロエの言葉を聞き、住民たちは小声で口々に噂し合った。
(リュウに匹敵する、ね……)
その言葉を聞き、わたくしは少し複雑な心境だった。
ゴドーにクロエ、それから八神さん……ヒマラヤ支部には、リュウより確実に強いゴッドイーターが少なくとも三人はいる。
けれど、リュウをよく知る住民たちの間では、その誰よりも彼が頼りに思えるのだろう。
そのことはどこか可笑しくもあったし、なんとなく悔しいことにも思えた。
わたくしとリュウでは役割が違うのだし、仕方のないことではあるのだけれど……わたくしだって、彼らとの約束のために頑張ってきたというのに。
そんな風に少し拗ねていると、不意にクロエが注意をわたくしに向けた。
「それよりも皆さん、日々アラガミと戦い続けているレイラたちをよく見ていただきたい」
「……!」
彼女の言葉を受け、周囲の目がわたくしに集中する。
あまりのタイミングに、内心を見透かされたような気がして、わたくしはクロエと住民たちの間で目を泳がせた。
クロエは構わず言葉を続ける。
「彼女たちも幾度も困難に立ち向かい、その度に……こうして皆さんの前に戻ってきている。戦い、生きて戻ってくるたびに、強くなっていく。……その確かな成長を、まずは信じていただけるとよいのですが」
クロエは住民たちの理解を得ようとするように、はっきりとした声色で語りかける。
それを聞いた住民たちは、口々にわたくしのことを呟きはじめた。
「おぉ……確かに、その姉ちゃんと約束したもんな」
「……ああ、絶対に戻ってくるって言ってくれて」
「……~~っ」
なんだか急に照れくさくなり、わたくしは住民たちから視線を外した。
するとわたくしの視界の端で、クロエが悪戯っぽく笑っているのに気がついた。
「……いったい、なんのつもりなのですか」
わたくしは腹を立てながら、住民たちの輪の中から強引にクロエを連れ出していく。
「オドオドしたり、赤面したりしているからだ。……ゴッドイーターへの求心力は保たねばならん。そういうことは、王族のほうが分かるのではないか?」
「ぐっ……」
確かに彼女の言う通り、わたくしが彼らの前で情けない姿を見せていたのは事実だけど……それもこれも、全部クロエのせいじゃない。
そう思いつつも、口に出しても勝てない気がする。
彼女への文句を飲み込んだわたくしは、そのまま胡乱げな目を彼女に向けた。
「……それにしても、意外でしたわ。クロエ支部長がそんな風に居住者と話すなんて」
「そうか?」
「ええ。わたくしはもっと、なんというか……あなたは淡白な交流をするのかと思っていました」
わたくしがそう言うと、クロエはどこか楽しげにこちらを見た。
「君は、私が機械か何かだとでも思っているようだな」
「そこまでは言いませんけれど……」
クロエは、わたくしの顔をちらりと見てから、そのまま住民たちに目を向けた。
「……以前、話したことがあったな? 私がゴッドイーターになった頃のロシア支部は、本当にひどかったと」
「え、ええ……」
わたくしが頷くのを待ってから、クロエは言葉を続ける。
「ロシアの大地は広く、支部一つで守れる命の数はあまりにも少なかった。……それにロシアは、軍部がゴッドイーターの有用性をなかなか認めなかった。そのために、アラガミに対抗する設備と人員の確保が遅れてな……」
「……っ」
「守れたものの数と、見殺しにしてきた数を比べると……無力感に苛まれる。失った戦友、後輩の数もな……」
重苦しくそう言ってから、クロエは何かを思い出すように空を見上げた。
「クロエ……」
彼女の声色はぞっとするほど冷たいもので、同時に淀みなく澄んでいた。
「それでも……いや、だからこそ、私は人を救うことをやめない」
割り切っている、と簡単に言ってしまっていいのかは分からない。
それでも確かに、彼女の瞳の中に迷いの色はなく、その目は未来へ向けられている。
「やめる訳にはいかない」
そう言って、クロエはわたくしの顔をじっと見つめてくる。
決然とした意志をたたえた、強い目だった。
「あなたは……そのために戦っているのですか?」
「ここに来て早々、同じ話をしたんだがな。何のために来たと問われて、人を救うためだと答えた。この言葉に、嘘偽りなどない……本心だ」
「…………」
「大型サテライト拠点ができればロシアの人々も助かる。いや全人類を救う第一歩になる」
「全人類を、救う……」
「ああ、そうだ」
言いながら、クロエは暫く居住区の街並みを眺めていた。
そして、わたくしに言い含めるようにゆっくりと言葉を紡ぐ
「私に王家の血は流れていない。だが……目に焼き付けてきた血の一滴一滴、その全てに宿る無念を背負う私には……遥か遠き夢を追う理由がある」
「クロエ……あなたという人は……」
静かに、しかし輝きに満ちた目が、再びこちらへ向けられる。
そうして、クロエは小さな笑みを浮かべてみせた。
「君に似ているのではないか? 負けん気が強く、向こう見ずで、人の死を恐れる……じゃじゃ馬だ」
「――っ。わたくしはじゃじゃ馬ではありません!」
突然からかわれ、腹を立てたものの、クロエ・グレースは取り合わない。
「そういうことにしておこう」
クロエはわたくしの反応を楽しむようにそう言うと、そのまま住民たちの前へと進み出る。
住民たちの前に立つと、彼女は力強い口調で彼らに呼びかけた。
「改めて、住民諸君に宣言する! 私はこのヒマラヤ支部を、地上一の楽園にしてみせる!!」
その声は、自信と威厳に満ちていた。
「地上一の楽園だって……?」
「おおお……マジかよ」
「そんなこと、本当にできるのか?」
「でも、実現したらすげえよな……」
彼女の言葉を聞き、住民たちは顔を見合わせ、口々に言葉を交わしている。
クロエの発言をそのまま信じる人はいなくても、彼女の決意を茶化したり、軽んじる人はいなかった。
そしてそんななかできっと、ただ一人――その言葉が実現すると、本気で信じている人がいる。
(クロエ……グレース……)
辺りからは、期待を含んだ声が途切れることなく聞こえてくる。
喧騒のなか、わたくしは住民の前に悠然と佇む彼女を、じっと見つめ続けていた。
「また……分からなくなってきました」
巡回討伐の最中……アラガミの姿を探していると、ふいにレイラがそう呟いた。
レイラはこちらを見ていない。……どうやら俺に向けられた言葉ではなかったようだが、彼女が浮かない表情をしているのもまた確かだ。
「悩みでもあるのか?」
俺がそうして尋ねてみると、レイラは慌てて気を張ってみせる。
「……悩んでいる顔に見えましたか?」
「ああ。そう見えた」
「そ、そうですか……」
俺が譲らないと、レイラはどこかバツが悪そうにする。
話したくないかもしれないが、彼女の能力は機嫌によって左右されるというデータもある。安全のためにも、不確定要素は摘んでおきたいところだ。
「……分からなくなってきたのは、クロエ・グレースという人のことです」
ため息交じりに、レイラは白状してみせる。
「クロエ支部長……?」
「ええ、そうです。わたくしはもしかすると、ずっとあの人を誤解していたのかもしれません」
「誤解……? どんな風に?」
そうして尋ねると、レイラは俺の目をじっと見つめた。
それから一度目を逸らし、戸惑いながら口にする。
「もしかするとあの人って、とてつもなく不器用な人なのでは……?」
「クロエ支部長が、不器用……?」
冗談を言っているのかと思ったが、レイラの表情は真剣だ。
「…………」
正直俺は、今日までクロエのことを、そんな風に見たことは一度もなかった。
俺の中のクロエの印象は、冷静沈着で仕事熱心で、並外れた能力を持つ優れた人物だ。不器用という言葉からは程遠い。
だが一方で……この間のゴドーとの共同戦線などは、かなり無茶をするものだと驚かされた。
確かに器用な人間であれば、あんな風に自分の身を危険に晒しはしないだろう。
「……そうかもしれないな」
「やっぱり、八神さんもそう思いますよね」
そうして考えてみれば、思い当たることはいくつもある。
自他ともに対して厳しすぎるというか……部下の成長のため、あえて悪役を演じてみたり、関わりの薄い部下の名前までフルネームで調べて覚えていたり……
「なんでしょう……頭はいいのだけど、生き方が不器用というのかしら? でも……」
そう言って、レイラは深く頭を悩ませていたが、結局答えは見つからなかったらしい。
「……やっぱり、わたくしにはよく分かりません。彼女は一体、何をしようとしているのか……」
頭を振りながらそう言うと、レイラは空をじっと見上げた。
「……」
結局、クロエの目的については依然謎が残ったままだ。
どうして彼女は、誰もが見捨てたヒマラヤ支部にわざわざやってきたのだろうか。それをここまで懸命に、立て直そうとし続けるのは何故なのか。
いまだに俺は、納得のいく答えを得ていない。彼女の心の内側は、ずっと謎めいたままだ。
『その話なら、私も興味がありますけど……とにかく、作戦開始の時間です!』
通信機から響いてきたカリーナの声が、俺の意識を一気に現実へと引き戻す。
「……この件は、また後で考えることにしましょうか」
「ああ、そうだな」
俺にはリマリアを成長させるため、少しでも多くの戦場に足を運び、アラガミを捕喰していく必要がある。……ネブカドネザルに、勝つために。
今は、それ以外のことを考える必要はない。
俺が戦場に意識を集中させると、リマリアが姿を現した。
「行きましょう」
「……ああ」
『始めてください!』
「了解……!」
カリーナの合図に頷くと同時、俺はレイラと共に駆け出した。
アラガミ討伐を終えて、ヒマラヤ支部へと帰ってきた後。
俺はレイラに付き添う形で、ドロシーのショップを訪れていた。
道すがら、そしてドロシーの店でレイラが物色する間も、話題に上がるのはやはり彼女のことだ。
「ほーん、クロエがそんなことをねえ?」
レイラから、クロエが外部居住区で語った話を聞かされたドロシーは、どこか気のない様子でそう呟いた。
彼女がそうするのもよく分かる。
大型サテライト拠点を完成させ、ヒマラヤ支部を地上一の楽園にする……クロエが語ったという内容は、あまりに現実感に乏しいものだ。
「大型サテライト拠点の計画を、遥か遠き夢だと彼女は言いました」
「夢、ねえ……そりゃ、確かに実現すればすごいと思うけどさ」
レイラの話を聞いたドロシーは、そのまま俺に視線を寄越す。
「隊長補佐はどう思うんだい?」
「俺ですか?」
言われて少し考え込むが……
それで答えが変わる訳でもない。
「……正直に言って、怪しいなと」
「だよな」
俺の感想を聞き、ドロシーは一つ大きく頷いてみせた。
クロエの手腕や能力については、疑いようもない。また、彼女が単なる偽善者や詐欺師の類だとも思えない。
共に戦う時、彼女のことを頼もしく思うし、感謝や尊敬の念もある。
だが、諸手を挙げて彼女を信じることには、やはり抵抗感がある。それが何故なのか、上手く説明はできないが……
と、そこでカウンターの上に、どさっとアイテムが並べられた。
それらを突きつけるようにして、レイラが言う。
「わたくしは、クロエを信じてみたいのです」
「ああん? なんだって?」
「ですから、クロエを信じてみたいと」
レイラは譲らずに繰り返すと、ドロシーの前に、さらに商品の山を積み上げる。
大量購入が基本の大手顧客として知られるレイラだが、それにしたって凄まじい購入量だ。
彼女の瞳に、迷いの色は映らない。全額クロエにベットするとでも言いたげだ。
受けて立ったドロシーは、レイラの考えが理解できないというように肩をすくめた。
「いやいや……我が道を行く姫様がどうしたってんだい!? あのな、このご時世にそーんな夢物語をまっすぐ描くヤツなんか……」
「ドロシーの夢は世界のどこかに安全な場所ができたら、弟と妹を連れて移住する、でしたね?」
「お、おう……」
諭すようなドロシーの言葉を、レイラが遮る。
虚を突かれたのかドロシーがひるむと、レイラはさらに畳みかけた。
「その安全な場所とやらは、誰が作るのです?」
「誰がって……」
「その誰かが、クロエやわたくしではないと?」
「いや、そうは言わんけどさ……」
ドロシーは参ったという様子で頭を掻いた。
「けど、目の色を変えて走るには、まだゴールが遠過ぎやしないかね」
クロエが掲げる理想はあまりに現実離れしたものだ。
商売人のドロシーからすれば、現実から乖離した理想のために、振り回されるのは御免なのだろう。
一方のレイラは、クロエの理想を聞き、進むべき道を見つけられたような思いなのかもしれない。
どちらの考えも理解できるが、とはいえこのままでは平行線だ。
「……とりあえず、先に会計を済ませてもらえないか?」
「え? ……ああ、そりゃ悪かったね。ちょっと待ってな!」
近くにあった錠剤を手に取りドロシーに言うと、彼女も意図を汲んでか、慌ててレイラが並べた商品をさばきはじめる。
これでその場は収まるかと思ったが、レイラはまだ納得できていないらしい。
「リマリア、あなたの意見を聞かせてくれますか?」
忙しそうなドロシーの代わりに、今度は俺たちに話を振ってくる。
リマリアに目を向けると、彼女は淡々と答えた。
「人類とアラガミの進化は未知数です。一年後どうなっているかも、予測できません」
「つまり?」
訝しげに見つめるレイラに向けて、リマリアが言う。
「どちらでもよいのでは」
「わりと投げやりだな……」
「いいえ、やってよしと解釈すべきでしょう」
「えー……」
リマリアの発言を好意的に解釈してみせるレイラに、ドロシーは納得がいかなさそうにする。
「じゃ、あんたはどう考える?」
そのままドロシーから話を振られ、レイラやリマリアの視線もこちらを向く。
見解を求められた俺は、どう答えるべきか思案する。
「未来がどうなっていくのか、か……」
誰がそれを作るのか。そこにどうアプローチしていくべきなのか。
……何とも答えにくい問題だが、しいて言うなら、そうだな……
「……とにかく俺は、悔いの残らないよう、行動すべきだと思う」
俺には大局的に物事を見る力などないし、クロエの理想に従うべきかも分からない。
だから俺にやれるのは、今この瞬間を後悔せずに生きることだけだと思う。
「さすが隊長補佐です。あなたならそう答えると思っていました」
俺の回答を聞いたレイラが、嬉しそうに目を細めてみせる。
理想のために今を生きるのと、今を懸命に生きることは少し違うと思うのだが……まあいいか。
「なるほど……うまく逃げたね」
どちらの味方につくことも選ばなかった俺に、ドロシーが呆れ混じりの視線を向けてくる。
……まあ、たしかに喧嘩に巻き込まれるのを避けるような意図もあったものの、先ほどの言葉は俺の本心でもある。
この瞬間を後悔なく生きる。そのために俺は、できる限りのことをしていこう。
そう考えて手の中の錠剤を見てみると、胃薬だった。
「…………」
何事も、場当たり的な対処では限界があるのかもしれない。
そんなことを考えながら隣を見ると、リマリアが傍で俺たちのやり取りをじっと眺めていた。
無表情ながら、何かを興味深げに観察するようでもある。
そこでリマリアが、ポツリと呟く。
「見解が割れるものですね。これが思考の違い……」
俺に言ったのかと思ったが、どうもそういう訳でもなさそうだ。リマリアは視線も移さず、ただ目の前のやり取りに意識を集中させている。
人々の意見や感情のぶつかり合い。それは普段から何気なく交わされる、他愛ない……取るに足らない、雑多な日常の一幕であったかもしれない。
しかし、こんなやり取りも、リマリアにとってはしっかりと学習になるようだった。
(どうしてこんなことになったのかしら……)
そんなことを考えながら、わたくしは外部居住区の人込みの中を歩いていた。
これまでも彼らに囲まれるようなことは何度かあったが、今回ほど大勢に、遠巻きに見つめられる機会はなかった。
不躾な好奇の視線を四方から浴びせられ、わたくしはつい俯きがちになってしまう。
そんなわたくしの様子を見て取り、わたくしの先をゆく彼女が、可笑しそうにこちらへ振り返った。
「もう少し堂々と歩いたらどうだ? 住民たちが不安に思うぞ」
(誰のせいで……)
挑発的な言葉を受けて、彼女の顔をねめつける。
ヒマラヤ支部支部長――クロエ・グレースはわたくしが睨んだ先で、薄笑いを浮かべていた。
今わたくしは、規則正しく歩を進める彼女の後を、少しの距離を置いて付き従っている。
鉄面皮で知られる支部長による直々の視察は、外部居住区の住民たちを大いに不安がらせていた。
どうしてこんなことになったのか……それを紐解くのはごく簡単。
ことの発端はつい先ほど。いつものように訓練を終えた後、クロエが唐突に『外部居住区を見に行きたい』と言い出したことだった。
当然、わたくしは難色を示した。壁に穴が開いたのはついこの間のことだし、支部長が目の前に現れれば住民たちは不安に思うはずだと。
しかし彼女は意見を曲げず、結局今では、案内役のはずのわたくしより先に立って、外部居住区を見て回っている。
住民たちからの注目を一手に集めながらも、堂々とした立ち振る舞いだ。
(いったい何を考えているのやら……)
「ふっ……彼らの視線が気になるなら、もう少し近くを歩いたらどうだ?」
「遠慮します。あなたと仲がいいなどと、思われたくはありませんので」
「だったらはじめから、付いてこなければよかっただろう?」
「……わたくしだって、できればそうしたかったわ」
仮にもクロエはこの支部の支部長。護衛もなしに外部居住区に向かわせられるはずもない。
それから、これは個人的なことだけど……彼女が外部居住区へ向かった理由が、気がかりだったということもある。
ゴドーたちのように、彼女を疑っているというわけではないけれど、もし、住民たちにひどい仕打ちをするようであれば……
「いつまでも信用がないらしいな」
「どうしてそうなのか、ご自身の胸に手を当てて考えてみてはいかがです?」
「さてな……正直に生きてきたつもりだが」
軽口を叩きながらも、クロエは歩みを緩めず進み続けた。
そうしてそのまま、彼女は目的地にたどり着く。
「なるほど……ここだな」
そう口にした彼女が、何を見ているのか……理解したわたくしは、住民たちと共に息を呑んだ。
(この場所は、この間の戦いで壊された……)
「……つまりあなたは、わざわざ壁を見に来たというのですか?」
「ああ。リュウからの報告で状況は把握しているが、一度は見ておくべきだと思ってな」
「…………」
クロエは慈しむように、指先で壁をなぞってみせる。そうする彼女からは、いつもの険ある様子は見られない。まるで慈悲深い女神がそこに立っているようだった。
だからだろう、それまで遠巻きに彼女を見つめるだけだった住民たちが、恐る恐るといった足取りでクロエに歩み寄ってきた。
「なあ……新しいアラガミが現れたら、また壁を破られるのか……?」
「…………」
弱弱しく言った男に、クロエが静かな目を向ける。
住民たちの不安については、わたくしも何度も彼らから聞き及んでいる。
その都度、わたくしは出来る限りの約束を彼らとしてきたつもりだけれど、いまだに彼らの不安の全てを解消するには至っていない。
では、クロエならどうなのだろう。彼女はどのように答えるのだろうと、わたくしはその表情を窺った。
「形あるものに絶対は無いもの……二度と壁が破られないと、お約束することはできません」
「……!」
するとクロエは、彼らの前ではっきりとそう口にした。
当然、住民たちはその言葉に目を見開くが……誰も彼女に怒りや不満をぶつけはしない。彼女の醸し出すひりつく空気が、口を開くことを憚らせていた。
そうして住民たちが息を呑んだところで、クロエはふっと表情を和らげた。
そのまま住民たちを落ち着かせるように断言する。
「しかし、ご安心ください。そのために我々ゴッドイーターがいます。……脅威は絶対に排除します。お任せください」
「……け、けどよ……」
そうしてクロエが雰囲気を緩めたからだろう、傍で話を聞いていた別の住民が口を開く。
「そうは言うけど、壁の兄ちゃんだって出撃中でいない時もあるし……」
「……リュウは信頼されているのですね。ありがたいことです」
クロエはリュウの名前を口にすると、そのまま小さく頭を下げた。
そんな彼女の振る舞いを見て、辺りの住民たちがざわめき出す。
驚いたのはわたくしも同じだった。
彼女ほどの人であれば、住民たちの気持ちを汲み、彼らの望む姿を自然にみせる芸当もできるのだろうと……そんな風に穿ってみることもできる。
だけれど、目の前の彼女からわたくしが受けた印象は少し違う。
彼女は自然と住民たちに歩み寄り、本心から彼らを慈しんでいるように思えた。
「この支部にはリュウに匹敵する力を持つ『切り札』が常駐しています。彼が不在でも、安心していただいてよいかと」
「おい、切り札だってよ……」
「あの兄ちゃんくらい強いのか……どんなんだろうな?」
クロエの言葉を聞き、住民たちは小声で口々に噂し合った。
(リュウに匹敵する、ね……)
その言葉を聞き、わたくしは少し複雑な心境だった。
ゴドーにクロエ、それから八神さん……ヒマラヤ支部には、リュウより確実に強いゴッドイーターが少なくとも三人はいる。
けれど、リュウをよく知る住民たちの間では、その誰よりも彼が頼りに思えるのだろう。
そのことはどこか可笑しくもあったし、なんとなく悔しいことにも思えた。
わたくしとリュウでは役割が違うのだし、仕方のないことではあるのだけれど……わたくしだって、彼らとの約束のために頑張ってきたというのに。
そんな風に少し拗ねていると、不意にクロエが注意をわたくしに向けた。
「それよりも皆さん、日々アラガミと戦い続けているレイラたちをよく見ていただきたい」
「……!」
彼女の言葉を受け、周囲の目がわたくしに集中する。
あまりのタイミングに、内心を見透かされたような気がして、わたくしはクロエと住民たちの間で目を泳がせた。
クロエは構わず言葉を続ける。
「彼女たちも幾度も困難に立ち向かい、その度に……こうして皆さんの前に戻ってきている。戦い、生きて戻ってくるたびに、強くなっていく。……その確かな成長を、まずは信じていただけるとよいのですが」
クロエは住民たちの理解を得ようとするように、はっきりとした声色で語りかける。
それを聞いた住民たちは、口々にわたくしのことを呟きはじめた。
「おぉ……確かに、その姉ちゃんと約束したもんな」
「……ああ、絶対に戻ってくるって言ってくれて」
「……~~っ」
なんだか急に照れくさくなり、わたくしは住民たちから視線を外した。
するとわたくしの視界の端で、クロエが悪戯っぽく笑っているのに気がついた。
「……いったい、なんのつもりなのですか」
わたくしは腹を立てながら、住民たちの輪の中から強引にクロエを連れ出していく。
「オドオドしたり、赤面したりしているからだ。……ゴッドイーターへの求心力は保たねばならん。そういうことは、王族のほうが分かるのではないか?」
「ぐっ……」
確かに彼女の言う通り、わたくしが彼らの前で情けない姿を見せていたのは事実だけど……それもこれも、全部クロエのせいじゃない。
そう思いつつも、口に出しても勝てない気がする。
彼女への文句を飲み込んだわたくしは、そのまま胡乱げな目を彼女に向けた。
「……それにしても、意外でしたわ。クロエ支部長がそんな風に居住者と話すなんて」
「そうか?」
「ええ。わたくしはもっと、なんというか……あなたは淡白な交流をするのかと思っていました」
わたくしがそう言うと、クロエはどこか楽しげにこちらを見た。
「君は、私が機械か何かだとでも思っているようだな」
「そこまでは言いませんけれど……」
クロエは、わたくしの顔をちらりと見てから、そのまま住民たちに目を向けた。
「……以前、話したことがあったな? 私がゴッドイーターになった頃のロシア支部は、本当にひどかったと」
「え、ええ……」
わたくしが頷くのを待ってから、クロエは言葉を続ける。
「ロシアの大地は広く、支部一つで守れる命の数はあまりにも少なかった。……それにロシアは、軍部がゴッドイーターの有用性をなかなか認めなかった。そのために、アラガミに対抗する設備と人員の確保が遅れてな……」
「……っ」
「守れたものの数と、見殺しにしてきた数を比べると……無力感に苛まれる。失った戦友、後輩の数もな……」
重苦しくそう言ってから、クロエは何かを思い出すように空を見上げた。
「クロエ……」
彼女の声色はぞっとするほど冷たいもので、同時に淀みなく澄んでいた。
「それでも……いや、だからこそ、私は人を救うことをやめない」
割り切っている、と簡単に言ってしまっていいのかは分からない。
それでも確かに、彼女の瞳の中に迷いの色はなく、その目は未来へ向けられている。
「やめる訳にはいかない」
そう言って、クロエはわたくしの顔をじっと見つめてくる。
決然とした意志をたたえた、強い目だった。
「あなたは……そのために戦っているのですか?」
「ここに来て早々、同じ話をしたんだがな。何のために来たと問われて、人を救うためだと答えた。この言葉に、嘘偽りなどない……本心だ」
「…………」
「大型サテライト拠点ができればロシアの人々も助かる。いや全人類を救う第一歩になる」
「全人類を、救う……」
「ああ、そうだ」
言いながら、クロエは暫く居住区の街並みを眺めていた。
そして、わたくしに言い含めるようにゆっくりと言葉を紡ぐ
「私に王家の血は流れていない。だが……目に焼き付けてきた血の一滴一滴、その全てに宿る無念を背負う私には……遥か遠き夢を追う理由がある」
「クロエ……あなたという人は……」
静かに、しかし輝きに満ちた目が、再びこちらへ向けられる。
そうして、クロエは小さな笑みを浮かべてみせた。
「君に似ているのではないか? 負けん気が強く、向こう見ずで、人の死を恐れる……じゃじゃ馬だ」
「――っ。わたくしはじゃじゃ馬ではありません!」
突然からかわれ、腹を立てたものの、クロエ・グレースは取り合わない。
「そういうことにしておこう」
クロエはわたくしの反応を楽しむようにそう言うと、そのまま住民たちの前へと進み出る。
住民たちの前に立つと、彼女は力強い口調で彼らに呼びかけた。
「改めて、住民諸君に宣言する! 私はこのヒマラヤ支部を、地上一の楽園にしてみせる!!」
その声は、自信と威厳に満ちていた。
「地上一の楽園だって……?」
「おおお……マジかよ」
「そんなこと、本当にできるのか?」
「でも、実現したらすげえよな……」
彼女の言葉を聞き、住民たちは顔を見合わせ、口々に言葉を交わしている。
クロエの発言をそのまま信じる人はいなくても、彼女の決意を茶化したり、軽んじる人はいなかった。
そしてそんななかできっと、ただ一人――その言葉が実現すると、本気で信じている人がいる。
(クロエ……グレース……)
辺りからは、期待を含んだ声が途切れることなく聞こえてくる。
喧騒のなか、わたくしは住民の前に悠然と佇む彼女を、じっと見つめ続けていた。
「また……分からなくなってきました」
巡回討伐の最中……アラガミの姿を探していると、ふいにレイラがそう呟いた。
レイラはこちらを見ていない。……どうやら俺に向けられた言葉ではなかったようだが、彼女が浮かない表情をしているのもまた確かだ。
「悩みでもあるのか?」
俺がそうして尋ねてみると、レイラは慌てて気を張ってみせる。
「……悩んでいる顔に見えましたか?」
「ああ。そう見えた」
「そ、そうですか……」
俺が譲らないと、レイラはどこかバツが悪そうにする。
話したくないかもしれないが、彼女の能力は機嫌によって左右されるというデータもある。安全のためにも、不確定要素は摘んでおきたいところだ。
「……分からなくなってきたのは、クロエ・グレースという人のことです」
ため息交じりに、レイラは白状してみせる。
「クロエ支部長……?」
「ええ、そうです。わたくしはもしかすると、ずっとあの人を誤解していたのかもしれません」
「誤解……? どんな風に?」
そうして尋ねると、レイラは俺の目をじっと見つめた。
それから一度目を逸らし、戸惑いながら口にする。
「もしかするとあの人って、とてつもなく不器用な人なのでは……?」
「クロエ支部長が、不器用……?」
冗談を言っているのかと思ったが、レイラの表情は真剣だ。
「…………」
正直俺は、今日までクロエのことを、そんな風に見たことは一度もなかった。
俺の中のクロエの印象は、冷静沈着で仕事熱心で、並外れた能力を持つ優れた人物だ。不器用という言葉からは程遠い。
だが一方で……この間のゴドーとの共同戦線などは、かなり無茶をするものだと驚かされた。
確かに器用な人間であれば、あんな風に自分の身を危険に晒しはしないだろう。
「……そうかもしれないな」
「やっぱり、八神さんもそう思いますよね」
そうして考えてみれば、思い当たることはいくつもある。
自他ともに対して厳しすぎるというか……部下の成長のため、あえて悪役を演じてみたり、関わりの薄い部下の名前までフルネームで調べて覚えていたり……
「なんでしょう……頭はいいのだけど、生き方が不器用というのかしら? でも……」
そう言って、レイラは深く頭を悩ませていたが、結局答えは見つからなかったらしい。
「……やっぱり、わたくしにはよく分かりません。彼女は一体、何をしようとしているのか……」
頭を振りながらそう言うと、レイラは空をじっと見上げた。
「……」
結局、クロエの目的については依然謎が残ったままだ。
どうして彼女は、誰もが見捨てたヒマラヤ支部にわざわざやってきたのだろうか。それをここまで懸命に、立て直そうとし続けるのは何故なのか。
いまだに俺は、納得のいく答えを得ていない。彼女の心の内側は、ずっと謎めいたままだ。
『その話なら、私も興味がありますけど……とにかく、作戦開始の時間です!』
通信機から響いてきたカリーナの声が、俺の意識を一気に現実へと引き戻す。
「……この件は、また後で考えることにしましょうか」
「ああ、そうだな」
俺にはリマリアを成長させるため、少しでも多くの戦場に足を運び、アラガミを捕喰していく必要がある。……ネブカドネザルに、勝つために。
今は、それ以外のことを考える必要はない。
俺が戦場に意識を集中させると、リマリアが姿を現した。
「行きましょう」
「……ああ」
『始めてください!』
「了解……!」
カリーナの合図に頷くと同時、俺はレイラと共に駆け出した。
アラガミ討伐を終えて、ヒマラヤ支部へと帰ってきた後。
俺はレイラに付き添う形で、ドロシーのショップを訪れていた。
道すがら、そしてドロシーの店でレイラが物色する間も、話題に上がるのはやはり彼女のことだ。
「ほーん、クロエがそんなことをねえ?」
レイラから、クロエが外部居住区で語った話を聞かされたドロシーは、どこか気のない様子でそう呟いた。
彼女がそうするのもよく分かる。
大型サテライト拠点を完成させ、ヒマラヤ支部を地上一の楽園にする……クロエが語ったという内容は、あまりに現実感に乏しいものだ。
「大型サテライト拠点の計画を、遥か遠き夢だと彼女は言いました」
「夢、ねえ……そりゃ、確かに実現すればすごいと思うけどさ」
レイラの話を聞いたドロシーは、そのまま俺に視線を寄越す。
「隊長補佐はどう思うんだい?」
「俺ですか?」
言われて少し考え込むが……
それで答えが変わる訳でもない。
「……正直に言って、怪しいなと」
「だよな」
俺の感想を聞き、ドロシーは一つ大きく頷いてみせた。
クロエの手腕や能力については、疑いようもない。また、彼女が単なる偽善者や詐欺師の類だとも思えない。
共に戦う時、彼女のことを頼もしく思うし、感謝や尊敬の念もある。
だが、諸手を挙げて彼女を信じることには、やはり抵抗感がある。それが何故なのか、上手く説明はできないが……
と、そこでカウンターの上に、どさっとアイテムが並べられた。
それらを突きつけるようにして、レイラが言う。
「わたくしは、クロエを信じてみたいのです」
「ああん? なんだって?」
「ですから、クロエを信じてみたいと」
レイラは譲らずに繰り返すと、ドロシーの前に、さらに商品の山を積み上げる。
大量購入が基本の大手顧客として知られるレイラだが、それにしたって凄まじい購入量だ。
彼女の瞳に、迷いの色は映らない。全額クロエにベットするとでも言いたげだ。
受けて立ったドロシーは、レイラの考えが理解できないというように肩をすくめた。
「いやいや……我が道を行く姫様がどうしたってんだい!? あのな、このご時世にそーんな夢物語をまっすぐ描くヤツなんか……」
「ドロシーの夢は世界のどこかに安全な場所ができたら、弟と妹を連れて移住する、でしたね?」
「お、おう……」
諭すようなドロシーの言葉を、レイラが遮る。
虚を突かれたのかドロシーがひるむと、レイラはさらに畳みかけた。
「その安全な場所とやらは、誰が作るのです?」
「誰がって……」
「その誰かが、クロエやわたくしではないと?」
「いや、そうは言わんけどさ……」
ドロシーは参ったという様子で頭を掻いた。
「けど、目の色を変えて走るには、まだゴールが遠過ぎやしないかね」
クロエが掲げる理想はあまりに現実離れしたものだ。
商売人のドロシーからすれば、現実から乖離した理想のために、振り回されるのは御免なのだろう。
一方のレイラは、クロエの理想を聞き、進むべき道を見つけられたような思いなのかもしれない。
どちらの考えも理解できるが、とはいえこのままでは平行線だ。
「……とりあえず、先に会計を済ませてもらえないか?」
「え? ……ああ、そりゃ悪かったね。ちょっと待ってな!」
近くにあった錠剤を手に取りドロシーに言うと、彼女も意図を汲んでか、慌ててレイラが並べた商品をさばきはじめる。
これでその場は収まるかと思ったが、レイラはまだ納得できていないらしい。
「リマリア、あなたの意見を聞かせてくれますか?」
忙しそうなドロシーの代わりに、今度は俺たちに話を振ってくる。
リマリアに目を向けると、彼女は淡々と答えた。
「人類とアラガミの進化は未知数です。一年後どうなっているかも、予測できません」
「つまり?」
訝しげに見つめるレイラに向けて、リマリアが言う。
「どちらでもよいのでは」
「わりと投げやりだな……」
「いいえ、やってよしと解釈すべきでしょう」
「えー……」
リマリアの発言を好意的に解釈してみせるレイラに、ドロシーは納得がいかなさそうにする。
「じゃ、あんたはどう考える?」
そのままドロシーから話を振られ、レイラやリマリアの視線もこちらを向く。
見解を求められた俺は、どう答えるべきか思案する。
「未来がどうなっていくのか、か……」
誰がそれを作るのか。そこにどうアプローチしていくべきなのか。
……何とも答えにくい問題だが、しいて言うなら、そうだな……
「……とにかく俺は、悔いの残らないよう、行動すべきだと思う」
俺には大局的に物事を見る力などないし、クロエの理想に従うべきかも分からない。
だから俺にやれるのは、今この瞬間を後悔せずに生きることだけだと思う。
「さすが隊長補佐です。あなたならそう答えると思っていました」
俺の回答を聞いたレイラが、嬉しそうに目を細めてみせる。
理想のために今を生きるのと、今を懸命に生きることは少し違うと思うのだが……まあいいか。
「なるほど……うまく逃げたね」
どちらの味方につくことも選ばなかった俺に、ドロシーが呆れ混じりの視線を向けてくる。
……まあ、たしかに喧嘩に巻き込まれるのを避けるような意図もあったものの、先ほどの言葉は俺の本心でもある。
この瞬間を後悔なく生きる。そのために俺は、できる限りのことをしていこう。
そう考えて手の中の錠剤を見てみると、胃薬だった。
「…………」
何事も、場当たり的な対処では限界があるのかもしれない。
そんなことを考えながら隣を見ると、リマリアが傍で俺たちのやり取りをじっと眺めていた。
無表情ながら、何かを興味深げに観察するようでもある。
そこでリマリアが、ポツリと呟く。
「見解が割れるものですね。これが思考の違い……」
俺に言ったのかと思ったが、どうもそういう訳でもなさそうだ。リマリアは視線も移さず、ただ目の前のやり取りに意識を集中させている。
人々の意見や感情のぶつかり合い。それは普段から何気なく交わされる、他愛ない……取るに足らない、雑多な日常の一幕であったかもしれない。
しかし、こんなやり取りも、リマリアにとってはしっかりと学習になるようだった。