CONTENTS
「GOD EATER ONLINE」が帰ってくる!
ストーリーノベル 第七章
「GOD EATER ONLINE」 STORY NOVEL ~7章-8話~
待ち合わせ時間のきっちり五分前、広場にてリュウと合流する。
今日は彼の仕事を手伝うことになっていた。
「……隊長補佐? なんだか少し、疲れてませんか?」
「いや、そんなことはない……大丈夫だ」
リュウに尋ねられた俺は、心配されないようにそう答えた。
しかし目ざといリュウの前では、そんな誤魔化しは通用しないようだ。
「隠したって分かりますよ。体力お化けの隊長補佐のそんな顔、初めて見た気がしますし」
(体力お化け……)
今はそんな評価をされているのか。
まあ、この神機を使うようになってから、ずいぶん疲れにくくなったしな……
「いったい、何があったら隊長補佐がそんなに疲れることになるんです? 大型種を一人で相手にしてきました? それとも、クロエ支部長と模擬戦闘でもしてきたとか……?」
「……いや、リマリアと会話をな」
「リマリアさんと……?」
首をひねるリュウに対し、俺はかいつまんで事情を話す。
「へぇ……リマリアさんが、思考の訓練をしているんですか」
「思考を継続することで、能力の発達を促進しています」
リュウの呟きに反応し、リマリアがすぐさま回答する。
その言葉をそのまま伝えると、リュウは思いきり眉をひそめてみせる。
「では、ゴドー隊長は、それでネブカドネザルへの対抗策をひねり出そうと……?」
「……リュウは無駄だと思うか?」
リマリアの潜在能力の高さや、ネブカドネザルとの類似性を考えれば、彼女の能力に期待を寄せるのも、それほどおかしな話でもないと思うが……
「無駄ではないでしょうけど、それだけでいいのかとは思いますね」
リュウはあくまで懐疑的な姿勢を崩さない。
目に見えないものは信じない、というのが彼の基本スタンスだ。
リマリアの存在も疑う彼が、それに頼った作戦行動を歓迎しないのは当然だろう。
そんな風に考えていると、リュウがこちらから視線を逸らした。
「で、思考の訓練って、どんなことを考えているんです……?」
その言葉は、間違いなくリマリアに向けられたものだった。
まだぎこちない態度ではあったが、リュウも彼女の存在を受け入れはじめているのか ……
そうして俺は驚かされていたが、当のリマリアは落ち着いたもので、彼の問いにも淡々と答える。
思考の訓練として、リマリアが今何を考えているのか――
「自分とはなんなのかを……考えていました」
「それは……答えは出そうなんですか?」
リュウに尋ねられたリマリアは、ゆっくりと首を左右に振った。
「永遠に答えの出ない問いです。思考を鍛えるには、答えが分からないものがよいのだとか」
「自分とは、か……」
リュウは神妙な顔で俺の通訳を聞く。リマリアは彼を見ながら、言葉を続けた。
「私は神機そのものではありません……神機使いでもなく、実体もなく、されど姿と声はあり、成長、進化する――私はどこから来て、どこへ行くのでしょう? 神機の使い手が死んだら、神機が破壊されたらどうなるのでしょう?」
「なるほど……隊長補佐が疲れていた理由が分かった気がします」
彼女の言葉を聞いてから、リュウは苦笑を浮かべつつ俺を見る。
リマリアは自らの思考力を高めるために、答えのない謎、命題に敢えて挑み続けている。
そうした果てしない議題に立ち向かい、討論し続けることは、想像以上に精神的な疲労を生むらしい。……俺に哲学は向いていないようだ。
「……僕も、似たようなものなのかもしれないな」
「ん……何のことだ?」
「いえ、自分が何なのか……答えに行き詰ってるのは僕も同じだと思いましてね」
リュウは自嘲するように答えてみせた。
「支部の壁を守りながら実家も守り、事態の好転を願っているが、状況に流されているだけのような気もする」
「そんなことは……」
俺が口を挟もうとするのを、リュウが視線で遮った。
それから彼は、申し訳なさそうな表情を浮かべた後、そのまま視線を空に向ける。
「少しは成長できているつもりだけど……死ねばそこで終わり。何も残りはしない」
「……」
「いや、後悔だけが残る か。何もできなかったという後悔が……」
そこまで口にしたところで、リュウは言葉を切る。
覚悟と迷い、それら一つ一つが複雑に絡み合っているのだろう。
「人間も、死ねば何も残らない……後悔だけが、残る ……」
「……いや。他にも残るものはあるさ」
リマリアとリュウが俺のほうを見た。
俺は彼らほど、自分について真剣に考えたことはなかったが……それでもはっきりと言える。
散っていった仲間や、弟妹たち。それにマリアが何も残さなかったとは思わない。
「……そうですね」
俺の言葉を聞いて、リュウはわずかに表情を緩め、穏やかに笑う。
「いったい何が残っているのでしょうか。それは形のあるものでしょうか。それとも……」
……しまった。またリマリアの興味を刺激してしまったらしい。
「そ、それはだな……」
「さあ、今日は僕の仕事を手伝ってくれるんでしたよね、隊長補佐」
「あ、ああ。リマリア、そういうことだから……」
「はい。切り替えます」
彼女の返事を聞いた俺は、ついほっとしてため息を漏らしてしまう。
するとそんな俺を見ていたリュウが、くすりと笑った。
……どうやら、助け舟を出してくれたらしい。俺は彼に感謝しながら、その後に続いて歩き出す。
せっかく時間を稼いでもらったんだ。
今のうちにどうリマリアに説明すべきか、しっかりプラン立てておくことにしよう。
居住区に辿り着くなり、周囲の住人たちもこちらに気づいたようだった。
彼らがリュウを目の敵にしていることはよく知っている。もう顔なじみに近い痩せ男が俺たちに近づいてくるのを見て、俺はわずかに身構えるが……
「よう、壁の兄ちゃん!」
「……ん?」
親しげに挨拶してきた相手を見て、俺は思わず呆気にとられる。
「またいつもの点検か?」
「そうですよ。チェックは朝、対応は昼、それが一番効率がいい」
リュウもリュウで、痩せ男の対応に違和感も見せず淡々と答えている。
彼の点検業務に付き合うのは久しぶりだったが、それにしても以前とは様子が違っている。
俺が戸惑っている間にも、さらに住人たちが集まってきて、リュウに声をかけていく。
「壁の兄ちゃん、手伝えることはないか?」
「今は壁の状態がいいので、手を借りたい時は言いますよ」
「そうか。俺たちにも手伝えることがあったら言ってくれよ!」
「ええ、その時はよろしくお願いします」
「…………」
状況の変化についていけずにいると、背後から服の裾を引っ張られた。
振り返れば、いつか見た少女がこちらを見ていた。
「あの、どうかしたの……?」
「……いや。知らない間に、ずいぶん馴染んだんだなと思ってな」
リュウを示しつつそう言うと、少女は俯きがちに頷いた。
「約束……守ってくれたから」
「約束?」
「うん。本当に、毎日来てくれて……」
そこまで少女が口にしたところ、その頭の上に軽く手のひらが乗せられる。
「それが僕の仕事だ。休んだら仕事にならないだろ?」
リュウがそう言って頭を撫でると、少女はますます俯いてしまう。その表情は見えないが、嫌がっているような様子ではない。
驚くべき光景だった。
外部居住区の住民との対立は、ゴッドイーターたちにとって宿命とも呼べるものだ。
環境の違い、待遇の違い、能力の違い……そうした様々な要因が絡まり合って、ゴッドイーターたちはしばしば住民たちから憎まれる。
その度合いには違いはあれど、どの支部でも住民たちとゴッドイーターは多少なりともいがみ合っている……そういうものだと考えていた。
しかし、目の前にある光景はどうだろう。
ゴドーやクロエの見えない尽力や、彼らの前で決意を口にしたレイラのこと、ヒマラヤ支部全体が存亡の危機に晒され続けていることなど、様々な要因もあっただろうが……
「関係が変わりましたね」
「……ああ。リュウはすごいな」
リマリアに語りかけられた俺は、深く頷いて同意する。
「日々の積み重ねが、目の前の状況を作り出したんだろう」
「毎日の定期点検に、夜間でもアラガミが接近すれば緊急出動を続けていたという報告があります。それを当たり前にした成果なのですね」
「それに有言実行だ。彼は自分が口にした大言を、曲げなかった」
正直に言って、はじめてリュウが彼らの前で宣言をしていた時には、俺も彼のことを疑っていた。しかしリュウは、その言葉の全てを曲げず、今日まで彼らに寄り添い続けてきた。
「やると言ったことをやる、それが信頼につながるのですね。……黙ってやっても伝わらないと」
「……ああ、そうだな」
口下手の俺には手痛い一言だ。
レイラを見ていても感じることだが……俺はもっと、彼らを見習うべきなのだろう。
その一貫した姿勢や信念の強さが、俺には時々眩しく感じることがある。
リュウと住民たちとの会話が一通り済んだところで、俺たちはようやく壁の向こうまで抜けられた。
住民たちに囲まれて苦労するのは毎度のことではあるのだが……以前とはずいぶん意味合いが変わったものだ。
そんなことを考えていると、リュウが立ち止まり背後を振り返った。
「どうかしたのか?」
「いえ……すみません。大したことじゃないんです」
リュウはそう言って笑いながら、正面に向き直る。
「ただ……この人たちのために頑張ろうと思えるのは、いいものですね」
そう言ったリュウの声色は優しく、柔らかなものだ。
「人事代謝あり、往来古今を為す……人は移ろいゆき、それが歴史となる」
「……」
「自分はその一部に過ぎないのだとしても。少しでも時の流れに振り落とされないように、時代の先に何かを残していけるように」
独白したリュウの視線は、遠い地平線の果てへと向けられている。
彼はそれ以上何も口にしなかったが、その切れ長の瞳からは、強い想い、決意が感じられた。
そんなリュウを見ていたリマリアが、口を開く。
「それがリュウの、自分とは何かへの答えなのですか?」
俺の通訳を聞いたリュウは照れくさそうに頷いた。
「そのつもりですが……真面目に考えて言葉にすると、不格好なものですね」
「不格好、ですか」
リマリアがリュウの言葉を反芻する。
するとリュウは、これ以上の追及を避けたいのか、軽く咳払いをしてみせた。
アラガミはすでに、俺たちの前まで迫ってきていた。相手は最近数が増えてきた堕天種か……
「討伐任務、始めますよ!」
やや早口にそう言うと、リュウは神機を前に構えた。
「……!」
特に問題もなく、アラガミの討伐を終えた俺たちは、そのままヒマラヤ支部への帰路につく。
そうして行きと同じく外部居住区を通ったところで、俺たちの前に住民たちが立ちふさがった。
どうやら彼らは俺たち……正確にはリュウの帰りを待っていたようだが……行き路とはどこか様子が違う。
皆一様に、真剣な表情でリュウを見ていた。
「どうしました?」
今回のことはリュウも想定外らしい。
怪訝そうに尋ねた彼に対し、住民たちは一度互いに顔を見合わせてから、口を開いた。
「壁の兄ちゃん、あんたのことは信用してる。……だから本当のことを教えてほしい」
「本当のこと……ですか?」
「そうだ。この壁は、本当に大丈夫なのか? アラガミは二度と入ってこないのか?」
「頼む。本当のことを言ってくれ」
「それは……」
「俺たち、不安なんだ……不安なんだよ、壁の兄ちゃん」
「…………」
そう言った彼らの表情には、彼らが口にした通り、純粋な不安の色が濃く出ていた。
これまで住民たちは、支部に対する不信感や不満を訴えてくることがほとんどだったが……まさかこれほど明け透けに、その心根を打ち明けてくるとは。
それだけリュウを、本気で信用しているということなのだろう。
住民たちの訴えは続く。
彼らは口々に不安を打ち明け、縋りつくようにリュウを見ていた。
リュウはそんな彼らを見渡した後、ゆっくりと瞼を閉じた。
「……分かりました。では、こんな話はいかがですか?」
「……?」
リュウの言葉を聞き、ざわついていた住民たちが静かになっていく。リュウはそれを最後まで待たず、語りはじめた。
「僕の故郷、中国支部の話です。……中国支部は人口が多すぎて、この壁の内側に全員を収容できません。つまり、皆さんと同じ普通の人が、大勢壁の外に住んでいるんです」
「……!」
リュウの言葉に、住民たちは顔を見合わせる。
驚いたのは俺も同じだ。
壁の外に人が暮らしているなど……常識からはなかなか考えにくい状況だ。
「どうやって暮らしているんだ!? 水や食料は!?」
「中国支部にはアラガミがいないのか!?」
「いえ、アラガミはいますし、壁の外には電気も水も食料も、何も配給されません」
「……!」
リュウはそれまでと変わらない穏やかな口調で、淡々と中国支部の現状を伝えていく。
彼らが望んだとおりの……嘘のない言葉だ。
生きるため、パンの一欠片を巡って争いが起こり、そうしてそれを勝ち取った人間がアラガミに喰われることもある。
赤子も若者も老人も、そこではある意味で平等だ。誰もが生き残るチャンスと、命を奪われるリスクを常に抱えている。
リュウが語ったその悲惨な暮らしぶりに、住人たちの中には恐怖で後退り する者もいた。
「……それでも、中国支部の外に住む人々は、まだ生きています。どんな手段を使ってでも、生き延びようとしている」
「…………」
「治安は悪く、殺伐としていて人間同士の争いも絶えませんが、徹底的に抗おうと……戦おうとしています」
そうして語るリュウの口からは、何の熱も感じない。
だからこそ重たかった。
先ほどまでざわついていた住人たちも、今は気圧され、誰も口を開かない。
「難しいことではありません……立ち向かい、弱い心に打ち勝つ 。不安な日々を変えていく力は、そこにあるんじゃないでしょうか」
リュウはそう言って言葉を締めた。
人間の恐ろしさを目の当たりにし続けてきたリュウだからこそ、そこにある力の強さにも確信が持てるのだろう。
「立ち向かう、か……。ハンマーの嬢ちゃんもヒマがあるなら鍛えろ、なんて言ってたな」
「レイラが? ……らしいこと言うな」
リュウが小さく笑みをこぼす。
「それ、僕も賛成ですよ……! やっておけばよかったって後悔よりも、やっても無駄だったって後悔のほうがまだいいですから。ちょうど僕らもそういう話をしていたところですよ。ね?」
そう言ってリュウが姿勢を逸らし、こちらに目配せしてくる。
「ね?」
俺が頷き、その動きを真似てリマリアにも話を振ると……
「ね?」
リマリアもその通り真似て、俺に目配せを返してきた。
彼女も少しずつではあるが、会話の呼吸、自然な反応というのが掴めてきたようだ。
これも日々、思考訓練で様々なことを考えている成果だろうか。
「……何をやってるんですか」
「……」
ため息交じりにリュウから指摘され、今さら少し気恥ずかしくなってくる。
……リマリアとのちょっとした遊び程度の感覚だったが、傍目には俺しか見えていないということを失念していた。
最近、彼女が隣にいることに慣れてきたせいで、その辺りの注意がやや鈍ってきているようだ。
「やらずに後悔するより、やって後悔しろ……か」
「いざって時のために、俺たちには何ができるんだろうな?」
俺のことはともかく……リュウの言葉は、確かに住民たちの心に響いているようだった。
口々に相談を交わす彼らの姿を、リュウはどこか嬉しそうに見つめている。
「あ、あの……」
そんな時、人波の隙間から顔を出した少女が、そのままリュウの前まで歩み出てきた。
「ん? どうかしたかい?」
そう言って柔和な笑みを向けたリュウに対して、少女は上目遣いで尋ねる。
「私にも、何かできることがある……?」
「君にできることか、そうだね……」
リュウは真面目な表情をして、少女の問いかけに向き合った。
「ちゃんと食事をとること、勉強をすること、体力をつけること」
リュウが一言発するごとに、少女は真剣な様子で「うん、うん」と頷いていった。リュウの言葉を一字一句逃すまいという意気込みが垣間見える。
「他には……?」
「他か……今言ったようなことが、簡単そうに見えて実は大変だったりするんだけどね」
リュウはそうして言葉を濁すが、少女は全く引こうとしない。
「……そうだな、あとは……」
「あとは?」
身を乗り出した少女に対し、リュウは悩んでみせた後……ちらりと俺を見てから小声で言う。
「大好きな人に巡り合うこと。……これは運だけどね」
そう言ってリュウは穏やかに笑い、少女の頭を優しく撫でた。
年の離れた兄妹に向けるような、天使のような慈愛に満ちた笑顔。
「ん、がんばる」
「……さぁ、隊長補佐。みんなの元へ戻りましょうか」
「あ、ああ」
さわやかに言って、リュウはそのまま支部への帰路に戻った。
そんな彼の後ろ姿を、少女がじっと見つめ続けている。
(……?)
その視線が、やけに熱っぽいことが少し気になった。
リュウはおそらく、俺や第一部隊の面々を指して、巡り合いの重要性を説いたのだと思うが……どうも彼女は、それ以外の気持ちを抱いているように思えてならない。
「どうかしたのですか?」
「……いや、なんでもない」
リマリアに答えた俺は、そのままリュウの後を追う。
先の少女はリュウが見えなくなる瞬間まで、彼のことを見つめ続けていた。
待ち合わせ時間のきっちり五分前、広場にてリュウと合流する。
今日は彼の仕事を手伝うことになっていた。
「……隊長補佐? なんだか少し、疲れてませんか?」
「いや、そんなことはない……大丈夫だ」
リュウに尋ねられた俺は、心配されないようにそう答えた。
しかし目ざといリュウの前では、そんな誤魔化しは通用しないようだ。
「隠したって分かりますよ。体力お化けの隊長補佐のそんな顔、初めて見た気がしますし」
(体力お化け……)
今はそんな評価をされているのか。
まあ、この神機を使うようになってから、ずいぶん疲れにくくなったしな……
「いったい、何があったら隊長補佐がそんなに疲れることになるんです? 大型種を一人で相手にしてきました? それとも、クロエ支部長と模擬戦闘でもしてきたとか……?」
「……いや、リマリアと会話をな」
「リマリアさんと……?」
首をひねるリュウに対し、俺はかいつまんで事情を話す。
「へぇ……リマリアさんが、思考の訓練をしているんですか」
「思考を継続することで、能力の発達を促進しています」
リュウの呟きに反応し、リマリアがすぐさま回答する。
その言葉をそのまま伝えると、リュウは思いきり眉をひそめてみせる。
「では、ゴドー隊長は、それでネブカドネザルへの対抗策をひねり出そうと……?」
「……リュウは無駄だと思うか?」
リマリアの潜在能力の高さや、ネブカドネザルとの類似性を考えれば、彼女の能力に期待を寄せるのも、それほどおかしな話でもないと思うが……
「無駄ではないでしょうけど、それだけでいいのかとは思いますね」
リュウはあくまで懐疑的な姿勢を崩さない。
目に見えないものは信じない、というのが彼の基本スタンスだ。
リマリアの存在も疑う彼が、それに頼った作戦行動を歓迎しないのは当然だろう。
そんな風に考えていると、リュウがこちらから視線を逸らした。
「で、思考の訓練って、どんなことを考えているんです……?」
その言葉は、間違いなくリマリアに向けられたものだった。
まだぎこちない態度ではあったが、リュウも彼女の存在を受け入れはじめているのか ……
そうして俺は驚かされていたが、当のリマリアは落ち着いたもので、彼の問いにも淡々と答える。
思考の訓練として、リマリアが今何を考えているのか――
「自分とはなんなのかを……考えていました」
「それは……答えは出そうなんですか?」
リュウに尋ねられたリマリアは、ゆっくりと首を左右に振った。
「永遠に答えの出ない問いです。思考を鍛えるには、答えが分からないものがよいのだとか」
「自分とは、か……」
リュウは神妙な顔で俺の通訳を聞く。リマリアは彼を見ながら、言葉を続けた。
「私は神機そのものではありません……神機使いでもなく、実体もなく、されど姿と声はあり、成長、進化する――私はどこから来て、どこへ行くのでしょう? 神機の使い手が死んだら、神機が破壊されたらどうなるのでしょう?」
「なるほど……隊長補佐が疲れていた理由が分かった気がします」
彼女の言葉を聞いてから、リュウは苦笑を浮かべつつ俺を見る。
リマリアは自らの思考力を高めるために、答えのない謎、命題に敢えて挑み続けている。
そうした果てしない議題に立ち向かい、討論し続けることは、想像以上に精神的な疲労を生むらしい。……俺に哲学は向いていないようだ。
「……僕も、似たようなものなのかもしれないな」
「ん……何のことだ?」
「いえ、自分が何なのか……答えに行き詰ってるのは僕も同じだと思いましてね」
リュウは自嘲するように答えてみせた。
「支部の壁を守りながら実家も守り、事態の好転を願っているが、状況に流されているだけのような気もする」
「そんなことは……」
俺が口を挟もうとするのを、リュウが視線で遮った。
それから彼は、申し訳なさそうな表情を浮かべた後、そのまま視線を空に向ける。
「少しは成長できているつもりだけど……死ねばそこで終わり。何も残りはしない」
「……」
「いや、後悔だけが残る か。何もできなかったという後悔が……」
そこまで口にしたところで、リュウは言葉を切る。
覚悟と迷い、それら一つ一つが複雑に絡み合っているのだろう。
「人間も、死ねば何も残らない……後悔だけが、残る ……」
「……いや。他にも残るものはあるさ」
リマリアとリュウが俺のほうを見た。
俺は彼らほど、自分について真剣に考えたことはなかったが……それでもはっきりと言える。
散っていった仲間や、弟妹たち。それにマリアが何も残さなかったとは思わない。
「……そうですね」
俺の言葉を聞いて、リュウはわずかに表情を緩め、穏やかに笑う。
「いったい何が残っているのでしょうか。それは形のあるものでしょうか。それとも……」
……しまった。またリマリアの興味を刺激してしまったらしい。
「そ、それはだな……」
「さあ、今日は僕の仕事を手伝ってくれるんでしたよね、隊長補佐」
「あ、ああ。リマリア、そういうことだから……」
「はい。切り替えます」
彼女の返事を聞いた俺は、ついほっとしてため息を漏らしてしまう。
するとそんな俺を見ていたリュウが、くすりと笑った。
……どうやら、助け舟を出してくれたらしい。俺は彼に感謝しながら、その後に続いて歩き出す。
せっかく時間を稼いでもらったんだ。
今のうちにどうリマリアに説明すべきか、しっかりプラン立てておくことにしよう。
居住区に辿り着くなり、周囲の住人たちもこちらに気づいたようだった。
彼らがリュウを目の敵にしていることはよく知っている。もう顔なじみに近い痩せ男が俺たちに近づいてくるのを見て、俺はわずかに身構えるが……
「よう、壁の兄ちゃん!」
「……ん?」
親しげに挨拶してきた相手を見て、俺は思わず呆気にとられる。
「またいつもの点検か?」
「そうですよ。チェックは朝、対応は昼、それが一番効率がいい」
リュウもリュウで、痩せ男の対応に違和感も見せず淡々と答えている。
彼の点検業務に付き合うのは久しぶりだったが、それにしても以前とは様子が違っている。
俺が戸惑っている間にも、さらに住人たちが集まってきて、リュウに声をかけていく。
「壁の兄ちゃん、手伝えることはないか?」
「今は壁の状態がいいので、手を借りたい時は言いますよ」
「そうか。俺たちにも手伝えることがあったら言ってくれよ!」
「ええ、その時はよろしくお願いします」
「…………」
状況の変化についていけずにいると、背後から服の裾を引っ張られた。
振り返れば、いつか見た少女がこちらを見ていた。
「あの、どうかしたの……?」
「……いや。知らない間に、ずいぶん馴染んだんだなと思ってな」
リュウを示しつつそう言うと、少女は俯きがちに頷いた。
「約束……守ってくれたから」
「約束?」
「うん。本当に、毎日来てくれて……」
そこまで少女が口にしたところ、その頭の上に軽く手のひらが乗せられる。
「それが僕の仕事だ。休んだら仕事にならないだろ?」
リュウがそう言って頭を撫でると、少女はますます俯いてしまう。その表情は見えないが、嫌がっているような様子ではない。
驚くべき光景だった。
外部居住区の住民との対立は、ゴッドイーターたちにとって宿命とも呼べるものだ。
環境の違い、待遇の違い、能力の違い……そうした様々な要因が絡まり合って、ゴッドイーターたちはしばしば住民たちから憎まれる。
その度合いには違いはあれど、どの支部でも住民たちとゴッドイーターは多少なりともいがみ合っている……そういうものだと考えていた。
しかし、目の前にある光景はどうだろう。
ゴドーやクロエの見えない尽力や、彼らの前で決意を口にしたレイラのこと、ヒマラヤ支部全体が存亡の危機に晒され続けていることなど、様々な要因もあっただろうが……
「関係が変わりましたね」
「……ああ。リュウはすごいな」
リマリアに語りかけられた俺は、深く頷いて同意する。
「日々の積み重ねが、目の前の状況を作り出したんだろう」
「毎日の定期点検に、夜間でもアラガミが接近すれば緊急出動を続けていたという報告があります。それを当たり前にした成果なのですね」
「それに有言実行だ。彼は自分が口にした大言を、曲げなかった」
正直に言って、はじめてリュウが彼らの前で宣言をしていた時には、俺も彼のことを疑っていた。しかしリュウは、その言葉の全てを曲げず、今日まで彼らに寄り添い続けてきた。
「やると言ったことをやる、それが信頼につながるのですね。……黙ってやっても伝わらないと」
「……ああ、そうだな」
口下手の俺には手痛い一言だ。
レイラを見ていても感じることだが……俺はもっと、彼らを見習うべきなのだろう。
その一貫した姿勢や信念の強さが、俺には時々眩しく感じることがある。
リュウと住民たちとの会話が一通り済んだところで、俺たちはようやく壁の向こうまで抜けられた。
住民たちに囲まれて苦労するのは毎度のことではあるのだが……以前とはずいぶん意味合いが変わったものだ。
そんなことを考えていると、リュウが立ち止まり背後を振り返った。
「どうかしたのか?」
「いえ……すみません。大したことじゃないんです」
リュウはそう言って笑いながら、正面に向き直る。
「ただ……この人たちのために頑張ろうと思えるのは、いいものですね」
そう言ったリュウの声色は優しく、柔らかなものだ。
「人事代謝あり、往来古今を為す……人は移ろいゆき、それが歴史となる」
「……」
「自分はその一部に過ぎないのだとしても。少しでも時の流れに振り落とされないように、時代の先に何かを残していけるように」
独白したリュウの視線は、遠い地平線の果てへと向けられている。
彼はそれ以上何も口にしなかったが、その切れ長の瞳からは、強い想い、決意が感じられた。
そんなリュウを見ていたリマリアが、口を開く。
「それがリュウの、自分とは何かへの答えなのですか?」
俺の通訳を聞いたリュウは照れくさそうに頷いた。
「そのつもりですが……真面目に考えて言葉にすると、不格好なものですね」
「不格好、ですか」
リマリアがリュウの言葉を反芻する。
するとリュウは、これ以上の追及を避けたいのか、軽く咳払いをしてみせた。
アラガミはすでに、俺たちの前まで迫ってきていた。相手は最近数が増えてきた堕天種か……
「討伐任務、始めますよ!」
やや早口にそう言うと、リュウは神機を前に構えた。
「……!」
特に問題もなく、アラガミの討伐を終えた俺たちは、そのままヒマラヤ支部への帰路につく。
そうして行きと同じく外部居住区を通ったところで、俺たちの前に住民たちが立ちふさがった。
どうやら彼らは俺たち……正確にはリュウの帰りを待っていたようだが……行き路とはどこか様子が違う。
皆一様に、真剣な表情でリュウを見ていた。
「どうしました?」
今回のことはリュウも想定外らしい。
怪訝そうに尋ねた彼に対し、住民たちは一度互いに顔を見合わせてから、口を開いた。
「壁の兄ちゃん、あんたのことは信用してる。……だから本当のことを教えてほしい」
「本当のこと……ですか?」
「そうだ。この壁は、本当に大丈夫なのか? アラガミは二度と入ってこないのか?」
「頼む。本当のことを言ってくれ」
「それは……」
「俺たち、不安なんだ……不安なんだよ、壁の兄ちゃん」
「…………」
そう言った彼らの表情には、彼らが口にした通り、純粋な不安の色が濃く出ていた。
これまで住民たちは、支部に対する不信感や不満を訴えてくることがほとんどだったが……まさかこれほど明け透けに、その心根を打ち明けてくるとは。
それだけリュウを、本気で信用しているということなのだろう。
住民たちの訴えは続く。
彼らは口々に不安を打ち明け、縋りつくようにリュウを見ていた。
リュウはそんな彼らを見渡した後、ゆっくりと瞼を閉じた。
「……分かりました。では、こんな話はいかがですか?」
「……?」
リュウの言葉を聞き、ざわついていた住民たちが静かになっていく。リュウはそれを最後まで待たず、語りはじめた。
「僕の故郷、中国支部の話です。……中国支部は人口が多すぎて、この壁の内側に全員を収容できません。つまり、皆さんと同じ普通の人が、大勢壁の外に住んでいるんです」
「……!」
リュウの言葉に、住民たちは顔を見合わせる。
驚いたのは俺も同じだ。
壁の外に人が暮らしているなど……常識からはなかなか考えにくい状況だ。
「どうやって暮らしているんだ!? 水や食料は!?」
「中国支部にはアラガミがいないのか!?」
「いえ、アラガミはいますし、壁の外には電気も水も食料も、何も配給されません」
「……!」
リュウはそれまでと変わらない穏やかな口調で、淡々と中国支部の現状を伝えていく。
彼らが望んだとおりの……嘘のない言葉だ。
生きるため、パンの一欠片を巡って争いが起こり、そうしてそれを勝ち取った人間がアラガミに喰われることもある。
赤子も若者も老人も、そこではある意味で平等だ。誰もが生き残るチャンスと、命を奪われるリスクを常に抱えている。
リュウが語ったその悲惨な暮らしぶりに、住人たちの中には恐怖で後退り する者もいた。
「……それでも、中国支部の外に住む人々は、まだ生きています。どんな手段を使ってでも、生き延びようとしている」
「…………」
「治安は悪く、殺伐としていて人間同士の争いも絶えませんが、徹底的に抗おうと……戦おうとしています」
そうして語るリュウの口からは、何の熱も感じない。
だからこそ重たかった。
先ほどまでざわついていた住人たちも、今は気圧され、誰も口を開かない。
「難しいことではありません……立ち向かい、弱い心に打ち勝つ 。不安な日々を変えていく力は、そこにあるんじゃないでしょうか」
リュウはそう言って言葉を締めた。
人間の恐ろしさを目の当たりにし続けてきたリュウだからこそ、そこにある力の強さにも確信が持てるのだろう。
「立ち向かう、か……。ハンマーの嬢ちゃんもヒマがあるなら鍛えろ、なんて言ってたな」
「レイラが? ……らしいこと言うな」
リュウが小さく笑みをこぼす。
「それ、僕も賛成ですよ……! やっておけばよかったって後悔よりも、やっても無駄だったって後悔のほうがまだいいですから。ちょうど僕らもそういう話をしていたところですよ。ね?」
そう言ってリュウが姿勢を逸らし、こちらに目配せしてくる。
「ね?」
俺が頷き、その動きを真似てリマリアにも話を振ると……
「ね?」
リマリアもその通り真似て、俺に目配せを返してきた。
彼女も少しずつではあるが、会話の呼吸、自然な反応というのが掴めてきたようだ。
これも日々、思考訓練で様々なことを考えている成果だろうか。
「……何をやってるんですか」
「……」
ため息交じりにリュウから指摘され、今さら少し気恥ずかしくなってくる。
……リマリアとのちょっとした遊び程度の感覚だったが、傍目には俺しか見えていないということを失念していた。
最近、彼女が隣にいることに慣れてきたせいで、その辺りの注意がやや鈍ってきているようだ。
「やらずに後悔するより、やって後悔しろ……か」
「いざって時のために、俺たちには何ができるんだろうな?」
俺のことはともかく……リュウの言葉は、確かに住民たちの心に響いているようだった。
口々に相談を交わす彼らの姿を、リュウはどこか嬉しそうに見つめている。
「あ、あの……」
そんな時、人波の隙間から顔を出した少女が、そのままリュウの前まで歩み出てきた。
「ん? どうかしたかい?」
そう言って柔和な笑みを向けたリュウに対して、少女は上目遣いで尋ねる。
「私にも、何かできることがある……?」
「君にできることか、そうだね……」
リュウは真面目な表情をして、少女の問いかけに向き合った。
「ちゃんと食事をとること、勉強をすること、体力をつけること」
リュウが一言発するごとに、少女は真剣な様子で「うん、うん」と頷いていった。リュウの言葉を一字一句逃すまいという意気込みが垣間見える。
「他には……?」
「他か……今言ったようなことが、簡単そうに見えて実は大変だったりするんだけどね」
リュウはそうして言葉を濁すが、少女は全く引こうとしない。
「……そうだな、あとは……」
「あとは?」
身を乗り出した少女に対し、リュウは悩んでみせた後……ちらりと俺を見てから小声で言う。
「大好きな人に巡り合うこと。……これは運だけどね」
そう言ってリュウは穏やかに笑い、少女の頭を優しく撫でた。
年の離れた兄妹に向けるような、天使のような慈愛に満ちた笑顔。
「ん、がんばる」
「……さぁ、隊長補佐。みんなの元へ戻りましょうか」
「あ、ああ」
さわやかに言って、リュウはそのまま支部への帰路に戻った。
そんな彼の後ろ姿を、少女がじっと見つめ続けている。
(……?)
その視線が、やけに熱っぽいことが少し気になった。
リュウはおそらく、俺や第一部隊の面々を指して、巡り合いの重要性を説いたのだと思うが……どうも彼女は、それ以外の気持ちを抱いているように思えてならない。
「どうかしたのですか?」
「……いや、なんでもない」
リマリアに答えた俺は、そのままリュウの後を追う。
先の少女はリュウが見えなくなる瞬間まで、彼のことを見つめ続けていた。