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「GOD EATER ONLINE」が帰ってくる!
ストーリーノベル 第七章
「GOD EATER ONLINE」 STORY NOVEL ~7章-5話~
「ここですね、クベーラの寝床は……」
切り立った山の山頂付近。万年雪に覆われた氷の山の中に、そこはあった。
ヤツの通り道なのだろう。巨大な、しかし入り組んだトンネルの奥には、来た道とはまったく別の世界が広がっている。
天井が夜空と変わらない程の位置に見える、大空洞。
かつては何らかの施設だったのか、背の高い建造物もいくつか見えるが……そこがもはや、人の居住区として機能しないことは明らかだ。
息をするのも苦しくなる程の燃えるような熱気……
溶岩が固まってできたのであろう、黒色のひび割れた地面。
周囲には、熱の発生源であろう赤黒く揺らめく溶岩が溜まっている。
白銀の世界の奥地にあったのは、まさしく地獄と呼ぶべき場所だった。
そんな溶岩地帯の最奥……
一際開けたその場所に、そいつはいた。
光沢があり斑のない、黒曜石のようなその皮膚は、溶岩に照らされ今は赤々と輝いて見える。艶やかであり、そして禍々しくもあるその巨体――
クベーラは悠然として、そこに横たわっていた。
「……相変わらずの大きさだな」
「ええ。ウロヴォロスが可愛く思えてきますよ」
俺の呟きにリュウが冗談交じりに答えた。
その声がわずかに震えていたとして、それを笑える者など誰もいない。
ここが地獄なら、ヤツはそれを支配する悪魔そのものだ。
その圧倒的な存在感……威容を見れば、人など到底及ばない存在に思える。
それでも、俺たちは今度こそヤツを倒して喰わなければならない。
心臓が強く脈打つ。
熱気だけが理由ではない汗が、手のひらに滲んでくるのが分かった。
「確認をします」
レイラは俺たちの顔を見ながら、興奮と緊張の合い混じった声を漏らす。
「近接および通常の射撃による攻撃はほぼ効果なし。……捕喰でアラガミバレットを奪い、これで攻撃する……いいですね?」
「弱点部位を探し、狙うことも大事だ」
「ええ……わたくしたちに与えられた時間は長くありません。恐れず攻めて、攻め抜きましょう!」
二人の言葉にしっかりと頷く。
いかにゴッドイーターと言えど、この熱気の中で長時間戦闘を行うことは現実的ではないし、何よりネブカドネザルのことがある。
クベーラとまともに戦える時間は、ネブカドネザルが戻ってくるまでの間だけだ。
ヤツがこの場に現れるまでにクベーラを倒せなければ……俺たちに勝機はない。
その時は恐らく、ネブカドネザルがクベーラを喰うことになるだろう。
「……これより、クベーラの討伐を開始する」
息を吐き出し、仲間たちの目を順に見る。
俺たちがこの戦いで為すべきこと――そんなものは、ただ一つだ。
「必ず勝利して――生きて戻るぞ!」
「当然です!」
「やってやりましょう!」
レイラとリュウがそれぞれ声高らかに言う。
俺は頷き、そのまま彼女に目を向ける。
「……生きて、戻る……」
俺の視線を受けた彼女は、先の言葉を反芻し……
「了解しました」
やがて小さく頷いた。
それを見届けてから、俺はまっすぐにヤツを見据える。
もはや躊躇はない。
生き残るために、やるべきことをやるだけだ。
「行くぞ……――攻撃開始!!」
こうして俺たちとクベーラとの、最後の戦いが幕を開けた。
とにかく時間が惜しい状況であり、奇襲や待ち伏せが通じるような相手でもない。
だから俺たちの選択したのは、もっとも単純な作戦だった。
すなわち――正面からの突撃だ。
「うぉぉぉおおおおおおおおおおおお!!」
雄叫びを上げながら近づけば、クベーラが俺に目を向ける。
それからゆっくりと身体を持ち上げ、四肢を使って歩きはじめた。
以前と同じ……狙いは俺だ。
リュウやレイラには目もくれず、ヤツはまっすぐ俺に近づいてくる。
一歩、また一歩……進むたびに地鳴りがして、ドロドロの溶岩が周囲に飛び散る。
「……ここだ、散開ッ!」
合図をすると、リュウとレイラがそれぞれ左右に向けて走り出す。
俺は変わらず、ヤツの正面だ。
クベーラは大きく口を開き、こちらを牽制するように咆哮する。
下顎はぱっくりと真ん中で開き、ギザギザに尖った牙を残さず外気に晒す。
ヤツが叫んだ衝撃だけで、身体が吹き飛びそうになる。
その口のデカさも叫び声も、一つ一つが規格外だ。
(それでも……っ!)
もう三度目だ。今さらそんなことで驚いてはいられない。
ビリビリと痺れる足を、前に前にと突き動かし、そのまま一気に肉薄する。
俺より巨大なヤツの口が、目と鼻の距離でパックリと開く。
「――ッ!」
開いた下顎を足掛かりに、クベーラの口内を蹴って宙に跳ぶ。
そのまま俺は、鈍い紅色のヤツの目玉を狙って斬りつける。
「このっ……!」
「ガアアアアアアアアアッ!!」
手応えは――なし。
神機はほとんど弾かれるようにして跳ね上がり、それを持つ俺もバランスを崩す。
(ここも駄目か……ッ)
通常攻撃が効かないことは知っていたが……急所さえこれとは。
しかし、悠長に打ちのめされている暇はない。
ヤツの鼻先に立った俺は、そのまま何度もクベーラの顔を斬りつける。さしものヤツも、それは煩わしく感じたのだろう。
乱暴に首を振るわれ、俺はそこから転落する。
「くっ……!」
そうして背中から地面に落ちていく俺の真上に向けて、ヤツの持ち上げた前脚が近づいてくる。
熱を帯び、赤々と燃えてその輪郭を不確かなものにした巨大な脚が、眼前に迫る。
「回避を――」
「いや、前だ――ッ!」
彼女の警告を遮って叫ぶ。
その巨体から想像するよりも、クベーラの動きはずっと早いのだ。
だから俺は、直感と予測によってそれより早く動く必要がある。
「……ッ!」
地面スレスレで身体を翻し、ヤツの腹の下へ飛び込む。
同時に背後から衝撃が奔った。
赤く燃えるヤツの前足が、俺が直前まで立っていた場所に突き刺さる。
同時に周囲でいくつもの火柱が吹き上がった。
「一度距離を取ることを推奨します」
「……ああ、了解だっ」
彼女に応えつつ、ヤツの腹の下を一気にくぐる。
後ろ足の間、尻尾の付け根まで駆け抜けた俺は、そのままクベーラから距離を取った。
俺を見失ったクベーラが、不快そうに静かな唸り声を上げ、身体の向きを変えていく。
たったそれだけの動作のために、周囲では小さな地震が起きる。
眼前には山と錯覚するほどの巨体。
俺たちは今、途轍もない存在と戦っている――そのことを否が応でも認識させられる。
「はぁ、はぁ……!」
「……八神さん!」
「隊長補佐、無事でしたか……!」
付近の岩陰に戻ると、レイラとリュウの姿もあった。
「二人とも、アラガミバレットは入手したか!?」
「ええ!」
「もちろんです……!」
声を張り上げると、リュウとレイラから返事が戻ってくる。
リュウは右足、レイラは左足、俺はヤツの頭から……それぞれ捕喰を済ませていた。
「よし……」
これで準備は整った。
一方的に蹂躙されてやるのは、ここまでだ。
「……行くぞ。ヤツにこれまでの借りを返す!」
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
リュウとレイラが叫んだのと、クベーラが再び咆哮したのが同時。
ヤツを中心に周囲の温度が跳ね上がり、地面から無数の火柱があがる。
俺たちが立っていた岩陰が、そこにあった大きな岩ごと蒸発する。
「――……ッ!」
しかしその時点で、俺たちの姿はその遥か前方、クベーラの間近まで迫っている。
そこから目の前に立ち塞がるクベーラに向けて、アラガミバレットを発射していく。
「……喰らっておけッ!!」
クベーラのオラクル攻撃を模した一撃――炎を纏う弾丸は、狙い通りクベーラの顔面に吸い込まれるように着弾した。
「ガアアアッ!?」
それを受けて、初めてクベーラに動揺が見えた。
これまでの咆哮とは明らかに別種の……痛みを伴う叫び声。
「効いた……効いたんだ!!」
衝撃を受けたのはヤツだけではない。
災厄と呼べる脅威にようやく一矢報いた……俺たちの間で、喜びと安堵が伝播する。
「あのクベーラを、倒せるの……?」
「ああ、このまま再度攻撃を――!?」
二人に答えようとしたところで、俺の背中がぞくりと跳ねた。
、俺が銃口を向けた先、クベーラの紅い瞳はまっすぐに俺たちを捉えていた。
その瞳に映る敵意は……ここまでとは明らかに別種のものだ。
これまでのクベーラは、煩わしい羽虫を相手取るように俺たちと向き合っていたが……
今のヤツの眼に浮かぶのは、明確な敵意。
圧倒的な殺意の眼光に射竦められ、俺はその場に釘付けになる。
「――来ます。回避を……!」
「――ッ!」
ギリギリのところで、彼女の言葉が背中を押す。
次の瞬間、クベーラの巨体は宙にあった。
「……っ」
四肢が大地に触れた瞬間、周囲の地面が割れて溶岩が吹き上がった。
「きゃあっ……!」
レイラの叫びに反応する余裕すらなかった。
俺の間近に立ったクベーラが、口を限界まで開いて突撃して来る。
「……ッ!」
俺は後ろに下がりながら、その内側にアラガミバレットを撃ち続ける。
それを何度も繰り返し――ようやくヤツが足を止める。
「避けて――ッ!」
「グオオオオオオオオオオオ!」
ヤツが止まった理由は、俺の攻撃に怯んだからではなかった。
天を仰ぐように首を持ち上げたヤツの口から、炎が放たれる。
「ぐ……ぁああッ!」
回避が遅れ、皮膚が焼かれる。
「ンのぉ……ッ!」
痛みに叫んだ瞬間――クベーラが吐く炎の向きが僅かに逸れる。
見ればレイラのブーストハンマーが、ヤツの喉元に向けて突き上げていた。
だが、クベーラにそれを痛がる様子はない。
俺への攻撃を邪魔されたことに怒るようにして――クベーラはレイラに思いきり首を叩きつけた。
「あッ……!」
「レイラッ!!」
短い悲鳴の声をあげ、レイラの身体が吹き飛んだ。
それを見た俺は、宙を舞う彼女に向けて走る。
その俺の背中を、クベーラの炎が狙い撃つ。
「……ッ!」
「八神さん――ッ!!」
クベーラの攻撃が中断される。
ヤツの死角に立ったリュウが、アラガミバレットを放ったのだ。
おかげでなんとか、地面に叩きつけられる前にレイラの身体までたどり着く。
「グッ……!!」
なんとかレイラの身体を掴み、そのままバランスが取れずに二人して地面を転がる。
「八神……さ……ッ!」
「俺は大丈夫だ……ッ! 一旦離れて回復を――!」
「…………」
喋ることもままならないのだろう。レイラは微かに頷くと、項垂れながら下がっていく。
彼女のことも心配だが……あのクベーラをリュウ一人に任せておく訳にもいかない。
「く――……ッ!」
焼けるような痛みを全身に感じながら、俺はもう一度ヤツに向かって駆け出した。
ヤツの注意をレイラに向ける訳にはいかない。回り込みながら再びアラガミバレットを放っていく。
「……!」
だが……今度の攻撃に対しては、ヤツは身じろぎもしなかった。
(どういうことだ……?)
「八神さん! 無事でしたか……!」
戦いの最中、別々に戦っていたリュウと偶然合流する。
「……ああ。二人のおかげでな。だが……」
「……いくらアラガミバレットといえど、胴体には効果がないようですね」
俺たちは言葉を交わしつつ、冷静にクベーラの姿を観察していく。
「なるほどな……となると今のところ効果があるのは、ヤツの頭だけという訳か」
しかし、火炎攻撃を考えれば、クベーラの正面に立って戦い続けるというのも現実的ではない。
「……別の弱点も見つけられるといいが」
できれば可能な限り危険が少なく、そして有効的な個所に攻撃を集中させたい。
「それなら、一つ試してみたい個所があります……」
クベーラの弱点を探すかのように各所に弾丸をばら撒きながらリュウが言う。
「確かなのか?」
「自信はあります。ですが狙い辛い個所なので、あなたにはクベーラを引き付けておいてほしいんです」
「……分かった。こちらは任せておけ」
俺が頷くのと同時、通信機から消え入る程の声が聞こえてきた。
『……では、わたくしも八神さんと一緒に陽動をかけます……』
「何を言ってるんだ!? レイラは動けるような状況じゃ……」
『……黙りなさい』
リュウの言葉を、レイラはぴしゃりと制止する。
『今、この場で戦わなければ、わたくしは命より大切なものを失うことになるの……あなたにだって分かるでしょう……?』
「それは……」
リュウは一瞬、躊躇したようだったが……
「……僕だって、あの子との約束をこの場で反故にするつもりはない」
自分に言い聞かせるようにしてそう呟く。
「分かった。八神さん、レイラ。二人とも僕の指示通り動いてください」
『……了解です。リュウ、しくじったら承知しませんよ』
「こちらの台詞だ。……頼んだぞ」
言い終わると、リュウは一人クベーラの前から下がっていく。
「……レイラ、クベーラの正面に出るぞ!」
『了解です!』
俺とレイラは呼応し合うと、クベーラの前に立った。
「八神さん……!」
「……リュウが行動を起こすまで、二人で切り抜けるぞ!」
「ええ!」
互いに満身創痍という風体ではあるが、気持ちが切れている訳ではない。
俺とレイラは、二人で左右に展開しつつ、ヤツの頭部に銃撃を続ける。
「グルルゥ……!」
俺たちを見据え、唸り声を上げたクベーラの口内が深紅に輝き出す。
輝きが徐々に増していき、隙間から溢れる光量が一際強まったところで、クベーラは大きく口を開いた。
狙われたのは――案の定、レイラではなく俺のほうだ。
どうも、この神機はヤツらの目を引くらしい。――今回はそれが幸いした。
(分かっていれば……ッ!)
ヤツがこちらに向いたと同時、その口内に目掛けて弾を撃ち込んでいく。
「ォォ……!?」
大きさは言わずもがな、強さ、硬さ、反射速度……何もかもが人間と比較にならない能力を持つクベーラだが、戦闘経験だけはその限りではない。
反射ではなく、予測。攻撃を予知して先を行く『対の先』だ。
ヤツには想像もつかないだろう……俺たちが今日まで、どれだけのアラガミを相手にしてきたか。
そこに俺たちの勝機がある。
「レイラ!」
「――ッ!」
俺の意図を悟ったレイラが、ヤツの顔面に向けて散弾をばら撒いていく。オレもその後に続いた。
集中攻撃を受けたクベーラは思わず口を閉じる。その口内で輝きは最高潮に達し、そして――
「その火球は、自分で喰らいなさい……ッ!」
「グ……オオオオオオオオ!?」
轟音と共に、ヤツの口内で閃光が生じる。
ヤツにアラガミバレットが効く理由……それはあらゆるものに耐性を持つクベーラが、唯一自らの存在に対する耐性だけは持たないからだ。
ならば同じことだ。ヤツ自身の攻撃もまた――
「ガ……アアアアアア――――――――ッ!?」
『……クベーラの結合崩壊を確認しました!』
思ったとおり、絶大な効果を発揮した。
「やった……!」
レイラが喜びを滲ませた声を漏らす。
「いや、まだだ……!」
「グルル……!」
怒りを帯びた眼差しがこちらに向けられたかと思うと、
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ―――――――――――――――――――……ッ!!」
クベーラが獰猛な雄叫びを上げると同時、ヤツの身体の上方に、炎のような文様が浮かび上がった。
(なんだ、あれは――!?)
『クベーラの活性化を確認! 気をつけてください!』
カリーナが叫ぶように言ったと同時、クベーラの尻尾が素早く揺れた 。
その先端の針が地面に突き刺さると、 足元から異様な熱が伝わってくる。
また火柱が来る――そう判断して飛び退くが……
それは火柱などと軽々しく呼べるものではなかった。
ヤツの足元から噴き出した炎の渦は、ヤツを中心にその強大な身体全てを包み込んで燃え広がった。その光景は、火山の噴火そのものだ。
あまりに強すぎる輝きによって、眼前の光景全てがホワイトアウトする。その光を避け背後を向けば、ヤツから昇る灼熱の炎によって天井がガラガラと崩れ始めている。
(こいつは……ッ!)
思考をまとめる時間すら惜しい。一瞬でも遅れれば、骨まで溶けてしまいそうだ。
そうして走っていたところで……
「レイラを――っ」
彼女の声を聞き振り向けば、レイラが膝をついているのが分かった。
……無理もない。彼女は先ほども大きなダメージを受けたばかりだ。
「……――ッ!!」
「――『アビスファクター・レディ』」
「『ソニックキャリバー』……!!」
その場で方向転換した俺は、近づく炎の壁に向けて幾度となく衝撃波を放っていく。
だが……
衝撃は光の中に呑み込まれ、虚しく消えるばかりだ。
(ッ……無理――なのか……ッ!)
「八神さん……! わたくしはいいから、早く――ッ!」
眼前まで迫る炎と光の奔流が、俺たちの言葉をかき消していく。
「っ……!!」
「え……?」
「仲間を見捨てるぐらいなら、死ぬほうがマシだと言っているッ!!」
がむしゃらになって叫びつつ、俺は目の前まで迫った炎の壁を真っ二つに叩き斬った。
「……――!?」
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
引き裂かれた壁の向こうで、クベーラが苦しみの声をあげるのが見えた。
『やっぱり……背中なんだ……!』
「……! リュウか……!」
『はい……っ! クベーラの弱点は、背中に背負った鉱石です……!』
高台に立ったリュウが、続けざまにバレットを撃っていく。
畳みかけるようにいくつも放たれる赤い炎が、クベーラの背中に輝く黄色い結晶に衝突すると――
「グオオオオオオオオ!!」
再びクベーラが悶絶するような声をあげる。
「そうか……助かった、リュウ」
俺たちの目の前で炎の壁が消えたのは、リュウの一撃があったからか。
……確かにヤツの背中は、地上からでは狙うことができない。他の追随を許さない巨体を持つヤツだからこそ、その雄大な背に堂々と弱点を晒している。
優れた観察眼を持つリュウだからこそ、その可能性に至ったのだろう。
そしてレイラの奮闘がクベーラの視野を狭め、リュウに狙撃する機会を作った。
……いつからこのチームは、ここまで機能するようになったんだろうな。
考えながら、俺はレイラの肩を支えつつ目立たない場所に移動する。
天井は今も崩れ続けている……どこも安全圏とは言い難い。クベーラにも余力はないように見えるが、被害は明らかに俺たちのほうが甚大だ。
……これはもう、決断を下す必要があるか。
「リュウ。助かりついでに頼みがある」
『ええ。どんなことですかっ……!?』
「レイラを連れて、ここから脱出してくれ」
『!? 何言ってるんですか、クベーラはもう、あと少しで倒せるんですよ!』
「だからこそ、あとは俺一人で充分だ。……いずれにせよ、ヤツの捕喰は俺の任務だしな。二人を付き合わせる必要はない」
『そんな……認められません! 八神さん一人を置いていくなんて、そんなの僕は――!』
そう言ってリュウが叫ぶと同時、クベーラの視線が彼に向く。そして――
「オオオオオオオオオオオッ!!」
俺やリュウが声を出す間もなく、クベーラが口から吐いた炎が、リュウが立っていた高台を焼き尽くした。
「――っ、リュウ! 無事か……っ!?」
『……ええ。だけど、あと少しだって言うのに――』
一瞬隙間が空いてから、リュウの声が聞こえてくる。
『……無念ですが、指示に従います』
「……何があった?」
悔しさの滲んだ声を聞いて、ゆっくりと尋ねる。
『……っ。少し、避けそこなっただけですよ。レイラを外に置いてきたら、すぐに戻ります……』
「…………そうか」
答えながら、俺は眼前から近づいてくるリュウの姿を見据えた。
焼け爛れた片足を引きずりながらも、懸命にこちらへ向かってきている。
「本当は……あなただって逃げるべきなんだ。ヤツは本当に底が見えない……文字通りの化け物です」
「……ああ」
答えながら、俺は視線をクベーラに向ける。
「……それでも、行くんですよね」
「ああ」
視界の隅で、リュウが項垂れるのが分かった。
「八神さん……わたくし、確かに言いましたよね……?」
「……」
壁を背に、座り込んだままレイラが俺を見上げる。
「あなたがたがわたくしより先に死ぬことは、有り得ないと……」
レイラの宣誓は覚えている。あの日、居住区の人々の前でレイラは確かにそう言った。
彼らがアラガミに襲われたとき、レイラが必ず前に立って、先に死ぬと。
「……わたくしより先に死ぬことなど、許しませんから……っ!」
レイラはそう言って、ギラギラと燃える瞳で俺を見た。
……あの言葉には、俺も含まれていた訳か。いかにも彼女らしい話だ。
「……行ってくる」
多くは答えず、二人の元を離れる。
自分がどんな顔をしているか、二人に知られたくなかった。
まったく……こんな場面だというのにどうかしている。
胸の奥が熱くなる。視界がどこまでも開けていく。
視線の先にはヤツがいる。
その巨体を炎に包みながら、紅色の眼で俺を見ている。
俺は神機を構えてヤツを睨み――笑みを噛み殺して走り出した。
「……僕たちにできるのはここまでだ。離脱しよう」
そう言って僕が肩を持とうとすると、彼女はその手を素早く弾いた。
「……自分で歩けます」
「ああ、そうかい……」
……僕だって、重たい荷物を背負わずに済むなら有り難い。彼女に貸しを作れないのは残念だが……
「……彼、勝てると思います?」
「さあね……だけど多分、あの人は……」
背後からは激しい戦闘が繰り広げられているのが伝わってくる。
銃声の音と獣の咆哮。熱気と閃光……いろいろだ。
だけどその攻撃の余波が、こちらに届くことはない。
あの人が、僕らを遠ざけるようにして戦っているのだろう。……いつものように。
「多分、あの人は……一人で戦ったほうが強い」
いつもそうだ。八神セイには、戦闘中に周りを見過ぎる癖がある。
僕から言わせれば、気の遣い過ぎだ。
自分から損な役回りを買って出て、おかげで窮地に追い込まれ……そうして一人で戦い出すと、あっさり逆転したりするのだから嫌になる。
八神さんが一番強くなれるのは、誰も傍にいない時。
だからこそ、僕らは一刻も早くここを離れる必要がある。
それが今、あの人のためにできる唯一のことだ。
「……」
……まったく、自分の力不足が嫌になる。
もっと僕に力があれば、あの人を一人にしなくて済んだんだ。
レイラからの最後の言葉に、八神さんは答えなかった。
もしかすると彼は、すでにその覚悟を――
「あなた、本当に分かっていないのね?」
「……なんだと?」
小馬鹿にするようなレイラの言葉に、苛立ちながら聞き返す。
するとレイラは脂汗を流しながら、優しい笑みを浮かべていた。
「……八神さんは一人じゃないわ」
レイラは確信をもって言い切った。
「彼がここで死ぬなんて……誰が許してもマリアが許すはずありません」
「……『神機さん』、か」
八神セイにだけ見えるという、マリアさんそっくりの白髪の女性。
僕としては、目に見えないものを信じることには抵抗があるものの……
それがあの人の支えになるのなら、今だけは信じてやってもいい。
崩れる天井を避けながら進み続けると、やがて正面から透き通るような光が届きはじめる。
洞窟の入口に立った僕は、一度だけ後ろを振り返った。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
ヤツの叫びに呼応するように、俺も腹の底から叫びを上げる。
そのままバレットを撃ちながら、ヤツの足元まで近づいて斬りつける。
感触は最悪……相変わらず斬撃での手応えはまるでないが――
「どうだ、これだけ喰えば……そろそろ!」
「いいえ、クベーラの活動を確実に止めるには不十分です」
「……っ、まだ喰い足りないか――!」
彼女の言葉を聞いた俺は、再びクベーラとの距離を詰める。
落下する岩石をよけながら、吹き出すマグマの隙間を掻い潜ってクベーラに近づく。
「グオオオオオオッ!!」
ヤツが首を伸ばし、俺を喰らうために牙を剥く。
それを躱しつつ、確実にその図体に一撃を加えていく。何度も、何度も、何度も。
「まだか!?」
「まだです」
「……っ! これでもか!!」
「不十分です」
「あとどれくらいだ……!?」
「不明です」
「ネブカドネザルはいつ来る……!!」
「不明です」
「リュウとレイラは……!?」
「溶岩地帯からの離脱を確認」
「そうか……」
二人の顔が脳裏に浮かぶ。
「……――そうかッ!!」
「はい」
彼女と短く言葉を交わしながら、クベーラの攻撃を躱し続ける。
噴き出した汗を置き去りにして、走り続ける。どこまでもヤツは追い続けてくる。息を吐く暇もない。だが、苦しくはない。
身体が軋み、痛むのを感じる。しかし腕は伸びる。足は動く。これまでにないほどしなやかに……身体の動きが、頭で考える先を行く。
「…………ッ!!」
高揚感があった。
浮ついた気持ちは危険だ。そうして戒めようと思っても、歯止めが効かない。
いろいろと考えるべきことはあるはずだったが、そこに思考は至らない。
ただ、目の前の戦いに集中している。
一面に広がる溶岩の光源も、降り注ぐ岩石の音も気にならない。
俺の目に映るのは、クベーラの巨大な身体だけ。耳に届くのは彼女の声だけだ。
クベーラを斬る。他愛のないことを聞く。彼女から返事がある。またそれを繰り返す。
焦りや不安……恐怖はどこに行ったのだろう。
仲間のこと、傷の痛み、使命感なんてものも些細に思える。
崩れていく狭い世界の中で……
俺はただ――不思議な高揚感だけを感じていた。
「アラガミバレット、十分です」
「――……!」
不意に彼女がそう言った。
「確かなのか……!?」
俺はクベーラからの攻撃を避けつつ彼女に尋ねる。
彼女の上から落石が降り注ぐ。その岩の中からするりと身体を表した彼女が、ゆっくりと歩きながら口にする。
「これだけあれば……あなたの腕なら確実に」
「よし……っ!」
あとはもう、ヤツにとどめをくれてやるだけだ。
俺が距離を取ったことで、クベーラも何かを察知したのだろう。
必死に距離を詰め、突っ込んでくる。
その動きが、ひどく緩慢なものに見えた。
「――――ッ!」
こちらに差し出されたヤツの首を踏み台にして、その背中へと一気に向かう。
そうして鈍く輝く黄金色の結晶へ向け……全てを叩き込む。
すぐに身体が大きく揺れて、ヤツの背中から振り落とされる。クベーラもなりふり構っていない。俺を止めるために身体ごと岩壁にぶつけてきた。
宙に跳んだ俺は、しかし攻撃をやめるつもりはない。落ちてくる岩石を足場にして、ヤツを撃ちながらその背中を目指す。
「決めるぞ……ッ!!」
「はい――っ」
クベーラが凶暴に吠え、その足元から炎が昇りはじめる。このままでは、ヤツの真上に立った俺は、当然その炎に包まれて――
「大丈夫です」
「……っ!」
「このまま押し込めば、勝てます」
「――――ッ!!」
熱風を浴びて髪が揺れる。身体が溶けていくような感覚。全身の血が沸騰している……これが比喩なのかは定かではない。
俺の足元でクベーラが炎を放つ。身体の全てが燃えていく……その中で俺は、ひたすらにバレットを放ち続けた。
そうするうちに、目の前の光景が真っ白に弾けていき――
「…………――っ」
『クベーラ、完全に沈黙しました!!』
「…………」
カリーナの声を聞き、薄れかけていた意識を取り戻す。
そうして自身の足元を見れば、あのクベーラがそこで沈黙している。
それがどういうことなのか、すぐには理解できなかった。
だが……
『やった……』
『あの超弩級を……』
通信機から漏れたリュウとレイラの声を聞き、次第にその実感が湧いてくる。
「……クベーラに……勝ったのか……」
信じられない気持ちで自分の手のひらを見つめ、それを堅く握りしめた。
通信機越しに、二人が声をあげたのも聞こえる。
隣には彼女の姿もある。
(そうか、本当に……)
『残念ですが余韻に浸る余裕はありませんよ!』
呆ける俺の正気を取り戻させるように、カリーナが緊張感のある声色で言った。
『ネブカドネザルがそちらへ向かう可能性があります。ヘリを急行させますから、撤収準備を!』
『……そうですね』
『隊長補佐、クベーラの捕喰を』
「ああ……」
ここまでの強行軍で、俺たちは既に満身創痍だ。
ネブカドネザルと遭遇するようなことがあれば、全滅は避けられないだろう。
それまでに……全てを終わらせる必要がある。
「クベーラを捕喰してもよろしいでしょうか?」
彼女からも催促があって、俺はわずかに頬を歪める。肌にひりつく痛みがはしるが、今はそれすらも心地よく感じた。
「もちろんだ。腹いっぱい喰ってくれ」
俺はそう言って、再び神機をクベーラに向けた。
「あ……」
そうして短い捕喰の時間の後――彼女が小さく声を漏らした。
「……大丈夫か?」
今までの捕喰とは、少し違った反応だった。
心配になり、彼女のほうを向く。
「問題はありません。ですが……」
そう言って彼女は俺のほうを見て、それからさっと目を伏せた。
「……今までとは、何かが違います」
「何が違うんだ?」
「……不明です」
彼女は大きく首を振って答える。
「ですが……」
「どうした?」
その目の中に不安を感じ取り、俺は彼女に近づく。するとそれを見た彼女が、後退るように一歩下がった。
そうした自分に驚くようにして、もう一度彼女が俺を見て口を開く。
「クベーラを捕喰した神機は、私は、何を得た……?」
彼女の無機質な瞳が俺を捉える。
「違いは何……? いつ、どの瞬間から……? なぜ? ここは……?」
俺のことなど目に入らない様子で、彼女は頭を抱えながら、いくつも言葉を重ねていく。
そうして自問しながら……そうする自分に戸惑い、混乱しているかのようだ。
瞳の中に揺れるものを見て、俺は彼女の変化の意味を知る。
その一瞬、俺には目の前に立つ彼女が、確かに一人の人間に――少女に見えた。
「私は、誰……?」
『ヘリ、到着します!』
『八神さん、急いで合流を……!』
いずれにせよ、ここで考えていても答えは出ないか。
そう考えた俺は、混乱する彼女の顔を間近から覗き込んだ。
「……っ」
「話はあとだ。今はこの場を切り抜けるぞ」
「……は、はい」
「よし……この空洞を抜けるまで、サポートを頼む」
「分かりました……!」
彼女が頷くのと同時、地響きがして天井から岩石が落ちてくる。
(ここもギリギリだったな……)
思いつつ、俺はリュウたちに合流するために退路を急いだ。
道中も道が塞がっていたり足元が崩れたりといろいろあったが……今は全てが些細な問題に思えた。
クベーラとの戦いと、今も迫り来るネブカドネザル……そして、彼女が見せた変化。
仲間たちと合流した後も、考えるのはそんなことばかりだった。
「ここですね、クベーラの寝床は……」
切り立った山の山頂付近。万年雪に覆われた氷の山の中に、そこはあった。
ヤツの通り道なのだろう。巨大な、しかし入り組んだトンネルの奥には、来た道とはまったく別の世界が広がっている。
天井が夜空と変わらない程の位置に見える、大空洞。
かつては何らかの施設だったのか、背の高い建造物もいくつか見えるが……そこがもはや、人の居住区として機能しないことは明らかだ。
息をするのも苦しくなる程の燃えるような熱気……
溶岩が固まってできたのであろう、黒色のひび割れた地面。
周囲には、熱の発生源であろう赤黒く揺らめく溶岩が溜まっている。
白銀の世界の奥地にあったのは、まさしく地獄と呼ぶべき場所だった。
そんな溶岩地帯の最奥……
一際開けたその場所に、そいつはいた。
光沢があり斑のない、黒曜石のようなその皮膚は、溶岩に照らされ今は赤々と輝いて見える。艶やかであり、そして禍々しくもあるその巨体――
クベーラは悠然として、そこに横たわっていた。
「……相変わらずの大きさだな」
「ええ。ウロヴォロスが可愛く思えてきますよ」
俺の呟きにリュウが冗談交じりに答えた。
その声がわずかに震えていたとして、それを笑える者など誰もいない。
ここが地獄なら、ヤツはそれを支配する悪魔そのものだ。
その圧倒的な存在感……威容を見れば、人など到底及ばない存在に思える。
それでも、俺たちは今度こそヤツを倒して喰わなければならない。
心臓が強く脈打つ。
熱気だけが理由ではない汗が、手のひらに滲んでくるのが分かった。
「確認をします」
レイラは俺たちの顔を見ながら、興奮と緊張の合い混じった声を漏らす。
「近接および通常の射撃による攻撃はほぼ効果なし。……捕喰でアラガミバレットを奪い、これで攻撃する……いいですね?」
「弱点部位を探し、狙うことも大事だ」
「ええ……わたくしたちに与えられた時間は長くありません。恐れず攻めて、攻め抜きましょう!」
二人の言葉にしっかりと頷く。
いかにゴッドイーターと言えど、この熱気の中で長時間戦闘を行うことは現実的ではないし、何よりネブカドネザルのことがある。
クベーラとまともに戦える時間は、ネブカドネザルが戻ってくるまでの間だけだ。
ヤツがこの場に現れるまでにクベーラを倒せなければ……俺たちに勝機はない。
その時は恐らく、ネブカドネザルがクベーラを喰うことになるだろう。
「……これより、クベーラの討伐を開始する」
息を吐き出し、仲間たちの目を順に見る。
俺たちがこの戦いで為すべきこと――そんなものは、ただ一つだ。
「必ず勝利して――生きて戻るぞ!」
「当然です!」
「やってやりましょう!」
レイラとリュウがそれぞれ声高らかに言う。
俺は頷き、そのまま彼女に目を向ける。
「……生きて、戻る……」
俺の視線を受けた彼女は、先の言葉を反芻し……
「了解しました」
やがて小さく頷いた。
それを見届けてから、俺はまっすぐにヤツを見据える。
もはや躊躇はない。
生き残るために、やるべきことをやるだけだ。
「行くぞ……――攻撃開始!!」
こうして俺たちとクベーラとの、最後の戦いが幕を開けた。
とにかく時間が惜しい状況であり、奇襲や待ち伏せが通じるような相手でもない。
だから俺たちの選択したのは、もっとも単純な作戦だった。
すなわち――正面からの突撃だ。
「うぉぉぉおおおおおおおおおおおお!!」
雄叫びを上げながら近づけば、クベーラが俺に目を向ける。
それからゆっくりと身体を持ち上げ、四肢を使って歩きはじめた。
以前と同じ……狙いは俺だ。
リュウやレイラには目もくれず、ヤツはまっすぐ俺に近づいてくる。
一歩、また一歩……進むたびに地鳴りがして、ドロドロの溶岩が周囲に飛び散る。
「……ここだ、散開ッ!」
合図をすると、リュウとレイラがそれぞれ左右に向けて走り出す。
俺は変わらず、ヤツの正面だ。
クベーラは大きく口を開き、こちらを牽制するように咆哮する。
下顎はぱっくりと真ん中で開き、ギザギザに尖った牙を残さず外気に晒す。
ヤツが叫んだ衝撃だけで、身体が吹き飛びそうになる。
その口のデカさも叫び声も、一つ一つが規格外だ。
(それでも……っ!)
もう三度目だ。今さらそんなことで驚いてはいられない。
ビリビリと痺れる足を、前に前にと突き動かし、そのまま一気に肉薄する。
俺より巨大なヤツの口が、目と鼻の距離でパックリと開く。
「――ッ!」
開いた下顎を足掛かりに、クベーラの口内を蹴って宙に跳ぶ。
そのまま俺は、鈍い紅色のヤツの目玉を狙って斬りつける。
「このっ……!」
「ガアアアアアアアアアッ!!」
手応えは――なし。
神機はほとんど弾かれるようにして跳ね上がり、それを持つ俺もバランスを崩す。
(ここも駄目か……ッ)
通常攻撃が効かないことは知っていたが……急所さえこれとは。
しかし、悠長に打ちのめされている暇はない。
ヤツの鼻先に立った俺は、そのまま何度もクベーラの顔を斬りつける。さしものヤツも、それは煩わしく感じたのだろう。
乱暴に首を振るわれ、俺はそこから転落する。
「くっ……!」
そうして背中から地面に落ちていく俺の真上に向けて、ヤツの持ち上げた前脚が近づいてくる。
熱を帯び、赤々と燃えてその輪郭を不確かなものにした巨大な脚が、眼前に迫る。
「回避を――」
「いや、前だ――ッ!」
彼女の警告を遮って叫ぶ。
その巨体から想像するよりも、クベーラの動きはずっと早いのだ。
だから俺は、直感と予測によってそれより早く動く必要がある。
「……ッ!」
地面スレスレで身体を翻し、ヤツの腹の下へ飛び込む。
同時に背後から衝撃が奔った。
赤く燃えるヤツの前足が、俺が直前まで立っていた場所に突き刺さる。
同時に周囲でいくつもの火柱が吹き上がった。
「一度距離を取ることを推奨します」
「……ああ、了解だっ」
彼女に応えつつ、ヤツの腹の下を一気にくぐる。
後ろ足の間、尻尾の付け根まで駆け抜けた俺は、そのままクベーラから距離を取った。
俺を見失ったクベーラが、不快そうに静かな唸り声を上げ、身体の向きを変えていく。
たったそれだけの動作のために、周囲では小さな地震が起きる。
眼前には山と錯覚するほどの巨体。
俺たちは今、途轍もない存在と戦っている――そのことを否が応でも認識させられる。
「はぁ、はぁ……!」
「……八神さん!」
「隊長補佐、無事でしたか……!」
付近の岩陰に戻ると、レイラとリュウの姿もあった。
「二人とも、アラガミバレットは入手したか!?」
「ええ!」
「もちろんです……!」
声を張り上げると、リュウとレイラから返事が戻ってくる。
リュウは右足、レイラは左足、俺はヤツの頭から……それぞれ捕喰を済ませていた。
「よし……」
これで準備は整った。
一方的に蹂躙されてやるのは、ここまでだ。
「……行くぞ。ヤツにこれまでの借りを返す!」
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
リュウとレイラが叫んだのと、クベーラが再び咆哮したのが同時。
ヤツを中心に周囲の温度が跳ね上がり、地面から無数の火柱があがる。
俺たちが立っていた岩陰が、そこにあった大きな岩ごと蒸発する。
「――……ッ!」
しかしその時点で、俺たちの姿はその遥か前方、クベーラの間近まで迫っている。
そこから目の前に立ち塞がるクベーラに向けて、アラガミバレットを発射していく。
「……喰らっておけッ!!」
クベーラのオラクル攻撃を模した一撃――炎を纏う弾丸は、狙い通りクベーラの顔面に吸い込まれるように着弾した。
「ガアアアッ!?」
それを受けて、初めてクベーラに動揺が見えた。
これまでの咆哮とは明らかに別種の……痛みを伴う叫び声。
「効いた……効いたんだ!!」
衝撃を受けたのはヤツだけではない。
災厄と呼べる脅威にようやく一矢報いた……俺たちの間で、喜びと安堵が伝播する。
「あのクベーラを、倒せるの……?」
「ああ、このまま再度攻撃を――!?」
二人に答えようとしたところで、俺の背中がぞくりと跳ねた。
、俺が銃口を向けた先、クベーラの紅い瞳はまっすぐに俺たちを捉えていた。
その瞳に映る敵意は……ここまでとは明らかに別種のものだ。
これまでのクベーラは、煩わしい羽虫を相手取るように俺たちと向き合っていたが……
今のヤツの眼に浮かぶのは、明確な敵意。
圧倒的な殺意の眼光に射竦められ、俺はその場に釘付けになる。
「――来ます。回避を……!」
「――ッ!」
ギリギリのところで、彼女の言葉が背中を押す。
次の瞬間、クベーラの巨体は宙にあった。
「……っ」
四肢が大地に触れた瞬間、周囲の地面が割れて溶岩が吹き上がった。
「きゃあっ……!」
レイラの叫びに反応する余裕すらなかった。
俺の間近に立ったクベーラが、口を限界まで開いて突撃して来る。
「……ッ!」
俺は後ろに下がりながら、その内側にアラガミバレットを撃ち続ける。
それを何度も繰り返し――ようやくヤツが足を止める。
「避けて――ッ!」
「グオオオオオオオオオオオ!」
ヤツが止まった理由は、俺の攻撃に怯んだからではなかった。
天を仰ぐように首を持ち上げたヤツの口から、炎が放たれる。
「ぐ……ぁああッ!」
回避が遅れ、皮膚が焼かれる。
「ンのぉ……ッ!」
痛みに叫んだ瞬間――クベーラが吐く炎の向きが僅かに逸れる。
見ればレイラのブーストハンマーが、ヤツの喉元に向けて突き上げていた。
だが、クベーラにそれを痛がる様子はない。
俺への攻撃を邪魔されたことに怒るようにして――クベーラはレイラに思いきり首を叩きつけた。
「あッ……!」
「レイラッ!!」
短い悲鳴の声をあげ、レイラの身体が吹き飛んだ。
それを見た俺は、宙を舞う彼女に向けて走る。
その俺の背中を、クベーラの炎が狙い撃つ。
「……ッ!」
「八神さん――ッ!!」
クベーラの攻撃が中断される。
ヤツの死角に立ったリュウが、アラガミバレットを放ったのだ。
おかげでなんとか、地面に叩きつけられる前にレイラの身体までたどり着く。
「グッ……!!」
なんとかレイラの身体を掴み、そのままバランスが取れずに二人して地面を転がる。
「八神……さ……ッ!」
「俺は大丈夫だ……ッ! 一旦離れて回復を――!」
「…………」
喋ることもままならないのだろう。レイラは微かに頷くと、項垂れながら下がっていく。
彼女のことも心配だが……あのクベーラをリュウ一人に任せておく訳にもいかない。
「く――……ッ!」
焼けるような痛みを全身に感じながら、俺はもう一度ヤツに向かって駆け出した。
ヤツの注意をレイラに向ける訳にはいかない。回り込みながら再びアラガミバレットを放っていく。
「……!」
だが……今度の攻撃に対しては、ヤツは身じろぎもしなかった。
(どういうことだ……?)
「八神さん! 無事でしたか……!」
戦いの最中、別々に戦っていたリュウと偶然合流する。
「……ああ。二人のおかげでな。だが……」
「……いくらアラガミバレットといえど、胴体には効果がないようですね」
俺たちは言葉を交わしつつ、冷静にクベーラの姿を観察していく。
「なるほどな……となると今のところ効果があるのは、ヤツの頭だけという訳か」
しかし、火炎攻撃を考えれば、クベーラの正面に立って戦い続けるというのも現実的ではない。
「……別の弱点も見つけられるといいが」
できれば可能な限り危険が少なく、そして有効的な個所に攻撃を集中させたい。
「それなら、一つ試してみたい個所があります……」
クベーラの弱点を探すかのように各所に弾丸をばら撒きながらリュウが言う。
「確かなのか?」
「自信はあります。ですが狙い辛い個所なので、あなたにはクベーラを引き付けておいてほしいんです」
「……分かった。こちらは任せておけ」
俺が頷くのと同時、通信機から消え入る程の声が聞こえてきた。
『……では、わたくしも八神さんと一緒に陽動をかけます……』
「何を言ってるんだ!? レイラは動けるような状況じゃ……」
『……黙りなさい』
リュウの言葉を、レイラはぴしゃりと制止する。
『今、この場で戦わなければ、わたくしは命より大切なものを失うことになるの……あなたにだって分かるでしょう……?』
「それは……」
リュウは一瞬、躊躇したようだったが……
「……僕だって、あの子との約束をこの場で反故にするつもりはない」
自分に言い聞かせるようにしてそう呟く。
「分かった。八神さん、レイラ。二人とも僕の指示通り動いてください」
『……了解です。リュウ、しくじったら承知しませんよ』
「こちらの台詞だ。……頼んだぞ」
言い終わると、リュウは一人クベーラの前から下がっていく。
「……レイラ、クベーラの正面に出るぞ!」
『了解です!』
俺とレイラは呼応し合うと、クベーラの前に立った。
「八神さん……!」
「……リュウが行動を起こすまで、二人で切り抜けるぞ!」
「ええ!」
互いに満身創痍という風体ではあるが、気持ちが切れている訳ではない。
俺とレイラは、二人で左右に展開しつつ、ヤツの頭部に銃撃を続ける。
「グルルゥ……!」
俺たちを見据え、唸り声を上げたクベーラの口内が深紅に輝き出す。
輝きが徐々に増していき、隙間から溢れる光量が一際強まったところで、クベーラは大きく口を開いた。
狙われたのは――案の定、レイラではなく俺のほうだ。
どうも、この神機はヤツらの目を引くらしい。――今回はそれが幸いした。
(分かっていれば……ッ!)
ヤツがこちらに向いたと同時、その口内に目掛けて弾を撃ち込んでいく。
「ォォ……!?」
大きさは言わずもがな、強さ、硬さ、反射速度……何もかもが人間と比較にならない能力を持つクベーラだが、戦闘経験だけはその限りではない。
反射ではなく、予測。攻撃を予知して先を行く『対の先』だ。
ヤツには想像もつかないだろう……俺たちが今日まで、どれだけのアラガミを相手にしてきたか。
そこに俺たちの勝機がある。
「レイラ!」
「――ッ!」
俺の意図を悟ったレイラが、ヤツの顔面に向けて散弾をばら撒いていく。オレもその後に続いた。
集中攻撃を受けたクベーラは思わず口を閉じる。その口内で輝きは最高潮に達し、そして――
「その火球は、自分で喰らいなさい……ッ!」
「グ……オオオオオオオオ!?」
轟音と共に、ヤツの口内で閃光が生じる。
ヤツにアラガミバレットが効く理由……それはあらゆるものに耐性を持つクベーラが、唯一自らの存在に対する耐性だけは持たないからだ。
ならば同じことだ。ヤツ自身の攻撃もまた――
「ガ……アアアアアア――――――――ッ!?」
『……クベーラの結合崩壊を確認しました!』
思ったとおり、絶大な効果を発揮した。
「やった……!」
レイラが喜びを滲ませた声を漏らす。
「いや、まだだ……!」
「グルル……!」
怒りを帯びた眼差しがこちらに向けられたかと思うと、
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ―――――――――――――――――――……ッ!!」
クベーラが獰猛な雄叫びを上げると同時、ヤツの身体の上方に、炎のような文様が浮かび上がった。
(なんだ、あれは――!?)
『クベーラの活性化を確認! 気をつけてください!』
カリーナが叫ぶように言ったと同時、クベーラの尻尾が素早く揺れた 。
その先端の針が地面に突き刺さると、 足元から異様な熱が伝わってくる。
また火柱が来る――そう判断して飛び退くが……
それは火柱などと軽々しく呼べるものではなかった。
ヤツの足元から噴き出した炎の渦は、ヤツを中心にその強大な身体全てを包み込んで燃え広がった。その光景は、火山の噴火そのものだ。
あまりに強すぎる輝きによって、眼前の光景全てがホワイトアウトする。その光を避け背後を向けば、ヤツから昇る灼熱の炎によって天井がガラガラと崩れ始めている。
(こいつは……ッ!)
思考をまとめる時間すら惜しい。一瞬でも遅れれば、骨まで溶けてしまいそうだ。
そうして走っていたところで……
「レイラを――っ」
彼女の声を聞き振り向けば、レイラが膝をついているのが分かった。
……無理もない。彼女は先ほども大きなダメージを受けたばかりだ。
「……――ッ!!」
「――『アビスファクター・レディ』」
「『ソニックキャリバー』……!!」
その場で方向転換した俺は、近づく炎の壁に向けて幾度となく衝撃波を放っていく。
だが……
衝撃は光の中に呑み込まれ、虚しく消えるばかりだ。
(ッ……無理――なのか……ッ!)
「八神さん……! わたくしはいいから、早く――ッ!」
眼前まで迫る炎と光の奔流が、俺たちの言葉をかき消していく。
「っ……!!」
「え……?」
「仲間を見捨てるぐらいなら、死ぬほうがマシだと言っているッ!!」
がむしゃらになって叫びつつ、俺は目の前まで迫った炎の壁を真っ二つに叩き斬った。
「……――!?」
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
引き裂かれた壁の向こうで、クベーラが苦しみの声をあげるのが見えた。
『やっぱり……背中なんだ……!』
「……! リュウか……!」
『はい……っ! クベーラの弱点は、背中に背負った鉱石です……!』
高台に立ったリュウが、続けざまにバレットを撃っていく。
畳みかけるようにいくつも放たれる赤い炎が、クベーラの背中に輝く黄色い結晶に衝突すると――
「グオオオオオオオオ!!」
再びクベーラが悶絶するような声をあげる。
「そうか……助かった、リュウ」
俺たちの目の前で炎の壁が消えたのは、リュウの一撃があったからか。
……確かにヤツの背中は、地上からでは狙うことができない。他の追随を許さない巨体を持つヤツだからこそ、その雄大な背に堂々と弱点を晒している。
優れた観察眼を持つリュウだからこそ、その可能性に至ったのだろう。
そしてレイラの奮闘がクベーラの視野を狭め、リュウに狙撃する機会を作った。
……いつからこのチームは、ここまで機能するようになったんだろうな。
考えながら、俺はレイラの肩を支えつつ目立たない場所に移動する。
天井は今も崩れ続けている……どこも安全圏とは言い難い。クベーラにも余力はないように見えるが、被害は明らかに俺たちのほうが甚大だ。
……これはもう、決断を下す必要があるか。
「リュウ。助かりついでに頼みがある」
『ええ。どんなことですかっ……!?』
「レイラを連れて、ここから脱出してくれ」
『!? 何言ってるんですか、クベーラはもう、あと少しで倒せるんですよ!』
「だからこそ、あとは俺一人で充分だ。……いずれにせよ、ヤツの捕喰は俺の任務だしな。二人を付き合わせる必要はない」
『そんな……認められません! 八神さん一人を置いていくなんて、そんなの僕は――!』
そう言ってリュウが叫ぶと同時、クベーラの視線が彼に向く。そして――
「オオオオオオオオオオオッ!!」
俺やリュウが声を出す間もなく、クベーラが口から吐いた炎が、リュウが立っていた高台を焼き尽くした。
「――っ、リュウ! 無事か……っ!?」
『……ええ。だけど、あと少しだって言うのに――』
一瞬隙間が空いてから、リュウの声が聞こえてくる。
『……無念ですが、指示に従います』
「……何があった?」
悔しさの滲んだ声を聞いて、ゆっくりと尋ねる。
『……っ。少し、避けそこなっただけですよ。レイラを外に置いてきたら、すぐに戻ります……』
「…………そうか」
答えながら、俺は眼前から近づいてくるリュウの姿を見据えた。
焼け爛れた片足を引きずりながらも、懸命にこちらへ向かってきている。
「本当は……あなただって逃げるべきなんだ。ヤツは本当に底が見えない……文字通りの化け物です」
「……ああ」
答えながら、俺は視線をクベーラに向ける。
「……それでも、行くんですよね」
「ああ」
視界の隅で、リュウが項垂れるのが分かった。
「八神さん……わたくし、確かに言いましたよね……?」
「……」
壁を背に、座り込んだままレイラが俺を見上げる。
「あなたがたがわたくしより先に死ぬことは、有り得ないと……」
レイラの宣誓は覚えている。あの日、居住区の人々の前でレイラは確かにそう言った。
彼らがアラガミに襲われたとき、レイラが必ず前に立って、先に死ぬと。
「……わたくしより先に死ぬことなど、許しませんから……っ!」
レイラはそう言って、ギラギラと燃える瞳で俺を見た。
……あの言葉には、俺も含まれていた訳か。いかにも彼女らしい話だ。
「……行ってくる」
多くは答えず、二人の元を離れる。
自分がどんな顔をしているか、二人に知られたくなかった。
まったく……こんな場面だというのにどうかしている。
胸の奥が熱くなる。視界がどこまでも開けていく。
視線の先にはヤツがいる。
その巨体を炎に包みながら、紅色の眼で俺を見ている。
俺は神機を構えてヤツを睨み――笑みを噛み殺して走り出した。
「……僕たちにできるのはここまでだ。離脱しよう」
そう言って僕が肩を持とうとすると、彼女はその手を素早く弾いた。
「……自分で歩けます」
「ああ、そうかい……」
……僕だって、重たい荷物を背負わずに済むなら有り難い。彼女に貸しを作れないのは残念だが……
「……彼、勝てると思います?」
「さあね……だけど多分、あの人は……」
背後からは激しい戦闘が繰り広げられているのが伝わってくる。
銃声の音と獣の咆哮。熱気と閃光……いろいろだ。
だけどその攻撃の余波が、こちらに届くことはない。
あの人が、僕らを遠ざけるようにして戦っているのだろう。……いつものように。
「多分、あの人は……一人で戦ったほうが強い」
いつもそうだ。八神セイには、戦闘中に周りを見過ぎる癖がある。
僕から言わせれば、気の遣い過ぎだ。
自分から損な役回りを買って出て、おかげで窮地に追い込まれ……そうして一人で戦い出すと、あっさり逆転したりするのだから嫌になる。
八神さんが一番強くなれるのは、誰も傍にいない時。
だからこそ、僕らは一刻も早くここを離れる必要がある。
それが今、あの人のためにできる唯一のことだ。
「……」
……まったく、自分の力不足が嫌になる。
もっと僕に力があれば、あの人を一人にしなくて済んだんだ。
レイラからの最後の言葉に、八神さんは答えなかった。
もしかすると彼は、すでにその覚悟を――
「あなた、本当に分かっていないのね?」
「……なんだと?」
小馬鹿にするようなレイラの言葉に、苛立ちながら聞き返す。
するとレイラは脂汗を流しながら、優しい笑みを浮かべていた。
「……八神さんは一人じゃないわ」
レイラは確信をもって言い切った。
「彼がここで死ぬなんて……誰が許してもマリアが許すはずありません」
「……『神機さん』、か」
八神セイにだけ見えるという、マリアさんそっくりの白髪の女性。
僕としては、目に見えないものを信じることには抵抗があるものの……
それがあの人の支えになるのなら、今だけは信じてやってもいい。
崩れる天井を避けながら進み続けると、やがて正面から透き通るような光が届きはじめる。
洞窟の入口に立った僕は、一度だけ後ろを振り返った。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
ヤツの叫びに呼応するように、俺も腹の底から叫びを上げる。
そのままバレットを撃ちながら、ヤツの足元まで近づいて斬りつける。
感触は最悪……相変わらず斬撃での手応えはまるでないが――
「どうだ、これだけ喰えば……そろそろ!」
「いいえ、クベーラの活動を確実に止めるには不十分です」
「……っ、まだ喰い足りないか――!」
彼女の言葉を聞いた俺は、再びクベーラとの距離を詰める。
落下する岩石をよけながら、吹き出すマグマの隙間を掻い潜ってクベーラに近づく。
「グオオオオオオッ!!」
ヤツが首を伸ばし、俺を喰らうために牙を剥く。
それを躱しつつ、確実にその図体に一撃を加えていく。何度も、何度も、何度も。
「まだか!?」
「まだです」
「……っ! これでもか!!」
「不十分です」
「あとどれくらいだ……!?」
「不明です」
「ネブカドネザルはいつ来る……!!」
「不明です」
「リュウとレイラは……!?」
「溶岩地帯からの離脱を確認」
「そうか……」
二人の顔が脳裏に浮かぶ。
「……――そうかッ!!」
「はい」
彼女と短く言葉を交わしながら、クベーラの攻撃を躱し続ける。
噴き出した汗を置き去りにして、走り続ける。どこまでもヤツは追い続けてくる。息を吐く暇もない。だが、苦しくはない。
身体が軋み、痛むのを感じる。しかし腕は伸びる。足は動く。これまでにないほどしなやかに……身体の動きが、頭で考える先を行く。
「…………ッ!!」
高揚感があった。
浮ついた気持ちは危険だ。そうして戒めようと思っても、歯止めが効かない。
いろいろと考えるべきことはあるはずだったが、そこに思考は至らない。
ただ、目の前の戦いに集中している。
一面に広がる溶岩の光源も、降り注ぐ岩石の音も気にならない。
俺の目に映るのは、クベーラの巨大な身体だけ。耳に届くのは彼女の声だけだ。
クベーラを斬る。他愛のないことを聞く。彼女から返事がある。またそれを繰り返す。
焦りや不安……恐怖はどこに行ったのだろう。
仲間のこと、傷の痛み、使命感なんてものも些細に思える。
崩れていく狭い世界の中で……
俺はただ――不思議な高揚感だけを感じていた。
「アラガミバレット、十分です」
「――……!」
不意に彼女がそう言った。
「確かなのか……!?」
俺はクベーラからの攻撃を避けつつ彼女に尋ねる。
彼女の上から落石が降り注ぐ。その岩の中からするりと身体を表した彼女が、ゆっくりと歩きながら口にする。
「これだけあれば……あなたの腕なら確実に」
「よし……っ!」
あとはもう、ヤツにとどめをくれてやるだけだ。
俺が距離を取ったことで、クベーラも何かを察知したのだろう。
必死に距離を詰め、突っ込んでくる。
その動きが、ひどく緩慢なものに見えた。
「――――ッ!」
こちらに差し出されたヤツの首を踏み台にして、その背中へと一気に向かう。
そうして鈍く輝く黄金色の結晶へ向け……全てを叩き込む。
すぐに身体が大きく揺れて、ヤツの背中から振り落とされる。クベーラもなりふり構っていない。俺を止めるために身体ごと岩壁にぶつけてきた。
宙に跳んだ俺は、しかし攻撃をやめるつもりはない。落ちてくる岩石を足場にして、ヤツを撃ちながらその背中を目指す。
「決めるぞ……ッ!!」
「はい――っ」
クベーラが凶暴に吠え、その足元から炎が昇りはじめる。このままでは、ヤツの真上に立った俺は、当然その炎に包まれて――
「大丈夫です」
「……っ!」
「このまま押し込めば、勝てます」
「――――ッ!!」
熱風を浴びて髪が揺れる。身体が溶けていくような感覚。全身の血が沸騰している……これが比喩なのかは定かではない。
俺の足元でクベーラが炎を放つ。身体の全てが燃えていく……その中で俺は、ひたすらにバレットを放ち続けた。
そうするうちに、目の前の光景が真っ白に弾けていき――
「…………――っ」
『クベーラ、完全に沈黙しました!!』
「…………」
カリーナの声を聞き、薄れかけていた意識を取り戻す。
そうして自身の足元を見れば、あのクベーラがそこで沈黙している。
それがどういうことなのか、すぐには理解できなかった。
だが……
『やった……』
『あの超弩級を……』
通信機から漏れたリュウとレイラの声を聞き、次第にその実感が湧いてくる。
「……クベーラに……勝ったのか……」
信じられない気持ちで自分の手のひらを見つめ、それを堅く握りしめた。
通信機越しに、二人が声をあげたのも聞こえる。
隣には彼女の姿もある。
(そうか、本当に……)
『残念ですが余韻に浸る余裕はありませんよ!』
呆ける俺の正気を取り戻させるように、カリーナが緊張感のある声色で言った。
『ネブカドネザルがそちらへ向かう可能性があります。ヘリを急行させますから、撤収準備を!』
『……そうですね』
『隊長補佐、クベーラの捕喰を』
「ああ……」
ここまでの強行軍で、俺たちは既に満身創痍だ。
ネブカドネザルと遭遇するようなことがあれば、全滅は避けられないだろう。
それまでに……全てを終わらせる必要がある。
「クベーラを捕喰してもよろしいでしょうか?」
彼女からも催促があって、俺はわずかに頬を歪める。肌にひりつく痛みがはしるが、今はそれすらも心地よく感じた。
「もちろんだ。腹いっぱい喰ってくれ」
俺はそう言って、再び神機をクベーラに向けた。
「あ……」
そうして短い捕喰の時間の後――彼女が小さく声を漏らした。
「……大丈夫か?」
今までの捕喰とは、少し違った反応だった。
心配になり、彼女のほうを向く。
「問題はありません。ですが……」
そう言って彼女は俺のほうを見て、それからさっと目を伏せた。
「……今までとは、何かが違います」
「何が違うんだ?」
「……不明です」
彼女は大きく首を振って答える。
「ですが……」
「どうした?」
その目の中に不安を感じ取り、俺は彼女に近づく。するとそれを見た彼女が、後退るように一歩下がった。
そうした自分に驚くようにして、もう一度彼女が俺を見て口を開く。
「クベーラを捕喰した神機は、私は、何を得た……?」
彼女の無機質な瞳が俺を捉える。
「違いは何……? いつ、どの瞬間から……? なぜ? ここは……?」
俺のことなど目に入らない様子で、彼女は頭を抱えながら、いくつも言葉を重ねていく。
そうして自問しながら……そうする自分に戸惑い、混乱しているかのようだ。
瞳の中に揺れるものを見て、俺は彼女の変化の意味を知る。
その一瞬、俺には目の前に立つ彼女が、確かに一人の人間に――少女に見えた。
「私は、誰……?」
『ヘリ、到着します!』
『八神さん、急いで合流を……!』
いずれにせよ、ここで考えていても答えは出ないか。
そう考えた俺は、混乱する彼女の顔を間近から覗き込んだ。
「……っ」
「話はあとだ。今はこの場を切り抜けるぞ」
「……は、はい」
「よし……この空洞を抜けるまで、サポートを頼む」
「分かりました……!」
彼女が頷くのと同時、地響きがして天井から岩石が落ちてくる。
(ここもギリギリだったな……)
思いつつ、俺はリュウたちに合流するために退路を急いだ。
道中も道が塞がっていたり足元が崩れたりといろいろあったが……今は全てが些細な問題に思えた。
クベーラとの戦いと、今も迫り来るネブカドネザル……そして、彼女が見せた変化。
仲間たちと合流した後も、考えるのはそんなことばかりだった。