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「GOD EATER ONLINE」が帰ってくる!
ストーリーノベル 第七章


「GOD EATER ONLINE」 STORY NOVEL ~7章-4話~
 待ち続けていた日は、突然やってきた。
「クベーラ討伐作戦がまとまった。私とゴドー隊長の共同案だ」
 作戦司令室に集められた俺たち第一部隊を前に、クロエはそう切り出す。
 いつもと変わらない堂々とした口ぶり。そこに不安や焦りを微塵も感じさせないのは、流石と言えるだろう。
 しかし、彼女が皆まで語らずとも、この場にいる全員が理解していた。
 これから起きる戦いは……ヒマラヤ支部の全ての生命をかけた戦いなのだと。
 クベーラとの最後の戦いだ。ヒマラヤ支部の全勢力をかけてぶつかる、たった一度きりの機会だ。
 失敗すれば、再び作戦を展開する余力は支部に残らないだろう。
 それでもネブカドネザルの成長……クベーラが喰われるリスクを考えれば、これ以上戦いを先延ばしにはできない。
 戦って勝利する。他に道は残されていない。
 だからこそ――この場にいる誰もが全神経を集中させて、クロエの言葉に耳を傾ける。
「ポイントは二つ」
 厳かな雰囲気に包まれた司令室。モニターの傍に立ったクロエが右手の人差し指と中指を順に立てた。
「ネブカドネザルをクベーラから遠ざけることと、クベーラをアラガミバレットで倒し切ることだ」
「…………」
 誰も異論は口にしない。それでも、場の空気が重たくなったように感じた。
 クベーラとの戦闘に集中するために、ヤツとネブカドネザルは分断しておく必要がある。
 そして戦闘中にクベーラに対し捕喰を行い、アラガミバレットを生成し戦い続けること。
 どちらも当然やるべきことだし、同時に極めて難易度の高い課題でもある。
「隊長補佐、リュウ、レイラはクベーラ戦の主力を担当してもらう。巨体からアラガミバレットを奪い、叩き込んでやれ」
 クロエの言葉に、俺たち三人は揃って頷いた。
「その際、ダメージを与えやすい部位をよく探すんだ。規格外のアラガミでも結合崩壊を狙えるポイントはあるはずだ」
「分かりました」
「ゴドーはネブカドネザルを?」
「俺の第一世代型神機はアラガミバレットを撃てないからな。ネブカド君のお相手を務めるさ」
 疑問の声をあげたレイラに対し、ゴドーが肩をすくめて答えた。
 普段はあまり意識しないことだが、神機の形態を自在に切り替えられるようになったのは、第二世代型神機からだ。
 チャージスピアで挑む訳にもいかないだろうが、ゴドー抜きでクベーラを相手にしなければならないというのは、少し不安な展開だ。
 ゴドーもゴドーで、あのネブカドネザルを抑えておかなければならないのだから、厳しい戦いが予想される。
 それでもゴドーの表情には、どこか余裕があった。
「……何か妙案が?」
「それなりの策がなければ、クロエ支部長が作戦実行を許可しないだろう?」
 尋ねれば、ゴドーはニヤリと笑ってみせる。
(それもそうだな……)
 部下に心配されるほど柔な人じゃない。
 神機のことだってそうだ。
 型落ちの第一世代型神機で今日まで生き残っている時点で、彼の能力は疑いようもない。文字通り、俺とはくぐってきた修羅場の数が違うだろう。
 人のことより、自分のことだ。
 俺は気持ちを改めて、クロエからの説明に意識を集中させる。
「まず、クベーラの所在地だが、東の山岳部、溶岩地帯だ。ネブカドネザルは山岳部に潜伏し、迎撃してくるとみていい」
 クロエの説明に合わせて、画面に溶岩地帯のレーダーが表示される。
 そこに映っている反応はたった一つ。しかし、画面一帯を覆いつくすほど巨大な反応だ。
「……ゴドー隊長の予想通り、ネブカドネザルがクベーラを守っているとしたら、ヘリは危険ですね」
 相変わらずレーダーには映っていないが、ネブカドネザルがいないとも思えない。
「ああ。そのため山岳部の手前でヘリを降り、徒歩で進むことになる」
 リュウの言葉に頷いたクロエが、移動手段について言及する。
 定期航空輸送便がクベーラに落とされたことも記憶に新しい。奇襲や遠距離からの狙撃を避けるためにも、細心の注意を払うつもりなのだろう。
「陸路でもネブカドネザルとの遭遇を回避できるとは限りませんが?」
 レイラの指摘も無視できないものだ。
 ネブカドネザルが、クベーラを倒しに向かう俺たちをみすみす見逃すとは思えない。
「回避はしない。クベーラより先にネブカドネザルへご挨拶だ……必須でな」
「ええ!?」
 ゴドーの回答を聞いたレイラが、驚きの声を上げる。
「最悪の展開は、クベーラとネブカドネザルを同時に相手にすることだ。ネブカドネザルを確実に足止めしてからクベーラを叩く」
「狙いは分かりますが……難しいのでは?」
 クロエからの説明を聞いても、レイラは素直に頷けないようだった。
 それも当然かもしれない。レイラが気にしているのは作戦指示の内容ではなく、その難易度の高さだ。
「難しいのは俺がネブカドネザルを止める部分だけだ。ヤツは俺たちを攻撃してくるだろうし、止めてしまえば分断は成立する」
「……失礼ですが、ゴドー隊長ひとりでネブカドネザルを食い止められるんですか?」
 レイラに続いて、リュウも懸念を口にする。
 相次いで上がる部下からの不安の声に対し、ゴドーは緊張感のない声で答える。
「ま、無理だな」
「ゴドー!!」
 レイラが声を荒げ、作戦司令室の机を叩く。
「安心しろ。先ほども言ったが策は用意してある。一対一でどうにかするのは無理だが、やりようはあるさ」
 それに……と呟き、ゴドーはレイラを試すように見る。
「しくじったとしても、最悪俺がやられるだけだ。安いもんだろ?」
「安くなんかありません!」
 熱くなるレイラを見ても、ゴドーはわずかに肩をすくめるだけだ。
 彼では相手にならないと言うように、レイラがクロエへと向き直る。
「クロエ支部長、本当にいいのですか!?」
「私とゴドー隊長の共同案だと言ったはずだ。勝算は充分と判断している」
 クロエの表情からは、何も読み取れない。
 ゴドーの勝機はどのくらいあるのか……策の内容は不明だが、良くて五分程度だろう。
 それでもクロエとゴドーの決定は覆らない以上、他に有効な手段はなさそうだ。
「ですが……っ!」
「……レイラ。僕たちはクベーラ戦の心配をした方がいい。ダメージの与え方が判明したとはいえ、楽な戦いじゃないぞ」
「それは……」
 リュウにたしなめられて、レイラが言葉に詰まる。
 彼女だって、状況が理解できない訳ではない。それでもゴドーが心配なのだろう。
「ああ。という訳でまずは自分の心配からだ。いいな?」
「はい……」
 ゴドーの口ぶりは少しだけ優しかった。
 その言葉を受けて、レイラが力なく頷く。
 そうして場が静まるのを待ってから、クロエが張りのある声で指示を飛ばす。
「各員、準備整い次第、カリーナの指示に従い出撃してくれ!」
「……はい!」
 俺たちは頷き、作戦司令室を後にするのだった。



『ヘリでの移動はここまでです。第一部隊、出発してください!』
 目的地である山岳部の手前……開けた平地にヘリが降り立つと同時、通信機からカリーナの言葉が聞こえてくる。
『クベーラがいる東山岳部、溶岩地帯は山頂近くです!』
 俺は彼女の言葉を聞きながら、眼前の切り立った岩壁を見据えた。
「ここからですね。かなり急な斜面ですよ」
「さすがのゴッドイーターでもピクニックとはいかんな。間違いなく登山だ」
 いつもながらのゴドーの皮肉にも、今回ばかりは頷きたくなる。
 整備もされておらず、人が登ることなど考慮されていない雪山を、装備もなしに進んでいくというのはなかなか辟易する。
「急ぎましょう。山中で一泊なんて嫌ですから!」
 そう言って、レイラは先導するように山に入っていく。俺たちもすぐに後を追った。
「あまり急ぎ過ぎるなよ。無駄に体力を消耗することになる」
「言われなくても分かってるわ!」
「分かっているなら大声を出すな。歩幅を小さくして一定のペースで進むんだ」
「分かっています!」
「いいや、分かっていないな!」
 俺の先を行くレイラとリュウが口論を始める。
 二人とも神経が高ぶっているところもあるのだろうが……決戦の前とも思えない、緊張感に欠けたやり取りだ。
 いや……言い合いながらも息切れもなく、スピードを緩めず進んでいける辺りは、流石と言えるか。窮地を前に平常心でいられることも、悪いことではない。
 そうして彼らの良いところを探していると、ゴドーが俺に声をかけてきた。
「感知はできないかもしれないが、念のためネブカドネザルの波動は探っておいてくれ」
「はい」
 白髪の彼女が現れ、すぐさまゴドーに返事を返す。
 俺がそのことを伝えると、ゴドーは小さく頷いた。
「ネブカドネザルが現れたら、まともに戦うと見せかけて、俺が合図したらクベーラへ向かってくれ」
「了解です」
「頼むぞ」
「……」
「どうかしたか?」
 
「……本当に大丈夫ですか?」
 つい、ゴドーに対してそんなことを尋ねてしまう。
 ゴドーの実力の高さは知っているし、策もあると言っていた。俺などが、余計な口を挟むべきではないとは思うが……
「俺の心配をするほど余裕があるのか……その調子でクベーラを頼むぞ」
「……はい」
 ゴドーは感心するような口ぶりで皮肉を言った。
 俺は自分の迂闊な発言を恥じながら、一方では全く別のことを考えていた。
 有り得ないことだとは思うが……
 ――もし、ゴドーがネブカドネザルとの相打ちを考えているようであれば。
(その時は、俺が……)
「……まったく。どうも信用がないというか、君たちは俺を誤解しがちだな」
 ゴドーはそう言って、薄く笑う。
「俺は無駄なことはしないさ。そういう性分だ」



「ゴドー隊長、登山行程の七割を越えました」
 一帯のレーダーを確認したリュウが顔を上げ、ゴドーに報告する。
 険しい雪山ではあったが、作戦行程は順調そのものだった。
 アラガミとの接敵なしにここまで来れたのはありがたいが……そのことがかえって不気味でもある。
 この一帯のアラガミも、ヤツやクベーラが喰いつくしてしまったのだろうか。
 ふぅ……と気持ちを切り替えるように一息を吐いて、辺りを見渡す。
 辺りは切り立った崖に囲まれており、前も後ろも険しい斜面が続いている。そんななかにある山の谷間。わずかに開けた土地がここだ。
 もう数時間はまともな地面を踏めていなかった。休息を取る場所としてはありがたい。
「まだ、出てこないのね……」
 ネブカドネザルを警戒しながらの登山だった。
 レイラの声に疲労感が滲むのもよく分かる。
「いや……ここだ」
 そう考えていると、不意にゴドーが足を止めた。
「え?」
「神機を構えろ! 来るぞ!」
 ゴドーが神機を構え、声を張り上げたのと同時――
『アラガミ反応多数! そちらに接近中です!』
 通信機から緊迫感のある声が響く。
「――……っ!」
「ネブカドネザルが呼んだのか!?」
「なぜ気付いたのゴドー!?」
 慌てて戦闘態勢を取りながら、俺たちはゴドーのほうを見る。
「ヤツが仕掛けてくるならどんな場か、ずっと考えていた」
 この場でただ一人、冷静に構えたゴドーが、ゆっくりと語る。
 その言葉に重なって、ひた、ひた、という小さな物音がこちらに近づいてくる。
「山羊なら絶壁でも好むだろうが、ヤツは思考が『人間』だ。ましてや能力に自信があるなら、なるべく平らな地形を選ぶさ」
 そうゴドーが語り終えた時には、ヤツは俺たちの目の前に悠然と立っていた。
 力みのない自然体で……ネブカドネザルは隙だらけの表情で俺たちを見て――
 次の瞬間に俺の眼前まで迫る。
「――……っ!」
 ヤツの刃と俺の神機――二つの剣が重なり、火花が散る。
「ネブカドネザルの波動、感知できていません」
「……感知、できなかったそうだ!」
 ネブカドネザルの相手をしながら、彼女からの言葉を仲間に伝える。
「土壇場で頼りになるのは勘と経験か……!」
「完全な奇襲を回避できただけでも、よしとすべきよ!」
 そう言って三方から斬りかかれば、ネブカドネザルはあっさりそれを躱して距離を取る。ヤツが背後に背負う木々の奥から、次々とアラガミが姿を現しはじめたのがその時だ。
 中型種……それも堕天種だ。ヤツの他も、一体一体が侮れる相手ではない。
『迎撃、開始してください!!』
「了解!」
 カリーナの通信に答え、襲い掛かってくるアラガミを往なしていく。
 そうしながら、俺たちはゴドーからの合図を待つ。
 俺たちはネブカドネザルと戦っている振りをして、合図とともにクベーラの元へと向かう手筈だ。
 しかし……本当にいいのか?
 これだけの数のアラガミとネブカドネザルを、一人で対処するのは不可能に思える。
(ネブカドネザルは……っ!)
 アラガミの頭に神機を叩きつけながら、俺は目線でネブカドネザルを探す。
 しかし、レイラやリュウの姿は見えたが、肝心のゴドーたちは見当たらない。
 やはりどう考えても、敵が多すぎるな……
「まずは数を減らす! 援護を頼む!」
 叫びながらアビスドライブを起動。オラクルのエネルギーを神機に凝縮し、そのまま離れたところにいるシユウに向けて振り下ろす。
 凝縮されたエネルギーは刃のような鋭さを持って宙を斬り裂く。その閃光がシユウの翼手を貫けば――同時に俺の神機がヤツの胴体を袈裟斬りにする。
「グオオオオ……!?」
 叫ぶシユウの胴体を蹴りつけ、地面に転がす。
 こいつはもう起き上がらないだろう……そう判断した俺は、神機の形態を変えながら再び周囲に目を向ける。
 ゴドーは……ネブカドネザルはどこだ?
「隊長補佐、突っ走りすぎです!」
 リュウの声が耳に届くより先に、こちらに向けたバレットの発射音が耳に届く。
 リュウが撃ったのは俺の頭上……理解した俺はその場で受け身を取るように地面を転がり、弾丸を放ちまくる。
 そこにいたのがネブカドネザルだ……先ほどまで俺の頭があった位置を、ヤツが素早く通り抜ける。
 足音を立てないように、死角から跳躍してきたという訳だ……
「助かった、リュウ――!」
 言いながら、リュウの後方、足元に向けてバレットを撃つ。
 そこに向かおうとしてた白い獣が二の足を踏む。
「まったく……一瞬で借りを返すんだから、大したものですよ」
 ネブカドネザルは、そのままアラガミたちの背後に姿を隠した。
 気にはなるものの、俺たちの役割を考えれば、深追いすべきではないだろう。
「やあああああああ!!」
 気合の込められた声の方向に視線を送ると、レイラのハンマーがヤクシャの頭を吹っ飛ばしたところだ。
 一歩……背後に下がったヤクシャが踏ん張りを利かせた一撃をレイラに返す。
「リュウ!」
「分かっていますよ!」
 そうしてレイラの援護に向かおうとするが……
「はぁあ……!」
 レイラが仕掛けたのはカウンターだ。ヤクシャが振りかざす巨大な三本爪の隙間に、自らの首を差し出して……代わりにヤツの頭部に一撃を喰らわせる。
 肝を冷やすような戦い方だ……レイラが後ろに下がると、彼女の首から血が滴る。時を同じくして、ヤクシャの巨体がゆっくりと倒れていく。
「はぁ……はぁ……何か……?」
「……いいや、何も」
 どうやら手伝うまでもなかったようだ。
 リュウの戦闘技術もより磨かれてきた感があるが……俺たちの中で一番顕著に成長しているのは、まず間違いなくレイラだろう。
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッ!」
 アラガミたちの背後から再びあの異音が響いてくる。
(ネブカドネザル……まだアラガミを呼ぶつもりなのか)
 ようやく数が減ってきたところだというのに、このままでは埒が明かないか。
「よし、もういいぞ! 行け!!」
 そんな状況下で、ゴドーは迷わず指示を飛ばした。
「残りは――」
「俺が何とかする」
 ゴドーがニヤリと笑う。……それを見たレイラとリュウも覚悟を決める。
「はい!」
「クベーラに向かいます!」
 そう言って二人は一目散に走り出す。その背中を追い、白い獣が走るのが見えた。

「「――……ッ!」」

 俺とゴドー、二人の一撃がネブカドネザルをこの場に留めた。
「グオオオオ!!」
「…………ッ」
 猛り狂う悪意の獣が、俺とゴドーを睨みつける。
「君も早く行け!!」
 ほとんど叱咤に近い勢いで、ゴドーが言った。
 彼らしくもない、余裕やゆとりの一切感じない、張りつめた声……
 いや、一切無駄を感じさせない洗練された立ち振る舞いだ。
 もしかすると、この姿こそが本当のゴドーなのかもしれない。
(…………)
 正直、俺は迷っていた。
 彼ほど強く頼もしい人間であっても、死ぬときは死ぬ。
 ゴッドイーターはそういうものだし、今戦っているのはそういう相手だ。
 俺は別に、任務を遂行することを目的に戦っている訳ではない。
 仲間の……ゴドーの命を守ることに比べれば、どんなものも無価値に思える。
 だが――
「ガアアアアアア!!」
 近づいてくるアラガミを斬り、さらに銃撃で周囲のアラガミを撃っていく。
 ヤツらの注意が俺に向き、襲い掛かってきたところで戦線を離脱する。
「無茶なことを……」
 ゴドーがぼやくように言うのが、風に乗って微かに聞こえた。
 せめて僅かな時間でも、ゴドーがネブカドネザルと一対一で戦える状況を作ること……これが俺にできる精一杯だ。
 こちらに追い縋るアラガミたちを斬りつけながら、俺は叫ぶ。
「ゴドー隊長、また後で!」
 返事はない。ただ、アラガミたちの隙間から、彼が手を挙げたのだけが僅かに見えた。
 ネブカドネザルの咆哮を背に、俺もリュウとレイラに続き、山頂に向けて走り出した。



「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
 セイたちの背中を睨みながら、ネブカドネザルが咆哮を上げる。
 そうしてヤツが一歩足を動かせば、俺も分かりやすくそちらに足の爪先を向けてみせる。
「どうする、ネブカド君?」
 騒々しい部下たちがアラガミまで引き取っていってくれたおかげで、辺りはひどく静かだ。風も凪いだその地では、俺の声がはっきりとよく響く。
「彼らを追うか? それとも……」
 言いながら、手に持つ神機……その先端をネブカドネザルへと向け、
「俺を仕留めてからにするか?」
 挑発するかのようにそう言った。
「…………」
 言葉の意味が分かったとも思えない。だが、ネブカドネザルは前脚の向きをこちらに向けて、身を低く屈めた。
「ほう、俺を警戒してくれるのか」
 俺の言葉に答える者はいない。
 獣はジッと、こちらの意図を探るような視線で俺のことを見つめてくる。
 どこか遠くからバタバタと、風に煽られた旗が揺れるような音が聞こえた。
「いや違うな……俺ごときは数秒で片付けて後を追えばいいという判断か」
「…………」
 気のせいか、辺りの温度が変わってきている。
 俺の背後からヤツに向けて、ゆるゆると風が吹きはじめる。
 それが不意に、ビュウ……と強くなり、無造作に伸びた長い髪が、風に煽られてヤツのほうへと流れていった。
 ヒマラヤ山脈の山間に吹き込む雪の入り混じる激しい突風……それを正面から受けながらも、ネブカドネザルは微動もせずに俺から目線を逸らさない。
「本当に賢いんだな」
 どれだけ待てど、油断も隙もまるで見せない。呆れるほどの警戒心だ。
 そんなヤツを正面に置いたまま、俺は挑発するように笑い、肩の力を抜いてみせた。
「お陰で助かる」
「グオオオオ……ッ!!」
「おおっ……!!」
 背後から突風が吹き、山脈が高らかに鳴いた。
 そして俺の身体は、ヤツへと向かう。
 突風に煽られたわけでも、俺が進もうとしている訳でもない。
 ヤツの咆哮から、俺の身体は不可視の力が襲い掛かってきていた。
 体が自らの意思とは関係なく、ネブカドネザルに引き寄せられていく。
 隠していたのか、新たに身に付けたのか……これまでの戦いでは見たことのない、新たな力――
 だが、不測の事態が起こることは、予測していた。
「……っ!!」
 そちらから接近を許してくれるとは好都合だ。
 甲高い爆発音と共に、辺り一面に眩い閃光が迸る。
「グオオオオオオォォォ!?」
 スタングレネードが効果的というのは、セイから報告を受けていた。
 どの程度効くかは未知数だったが……自分の力で引き寄せたのだから文句も言うまい。目の前で炸裂すれば、さしものネブカドネザルといえど、動きも止まる。

「今だクロエ!!」
『よくやった!!』
 通信機に向けて叫ぶと同時、山の陰から支部のヘリが姿を現す。
 そこに乗っているのは我らが支部長――クロエ・グレースその人だ。
 バタバタという例の音は、すぐに大きくなっていき……クロエが操縦するヘリは、まっすぐネブカドネザルに向けて突っ込んでいく。
 俺がネブカドネザルの前で語っていた言葉は、全て通信機越しのクロエに向けていたものだ。
 こちらの状況を把握していた彼女だからこそ、これほど迅速に行動できる。
『避けろよゴドー君!!』
 一瞬の躊躇もなく、クロエはヘリからそれをバラまいていく。
 あのヘリに何が乗っていたのか……共同で作戦を立てた俺が知らない訳もない。
 爆薬だ。
 それも積載量の限界か、それ以上にまで積み込んでおいたありったけの火薬が、険しい斜面に向けて投下されていき……
 一帯を轟音が包み込む。
(さて、ここからはお互い賭けになるな……)
 爆風で雪が地面から吹き上がる中を、俺は勢いづけて走っていく。
 熱気が背中を焼き、ただでさえ薄い山中の空気が霧散する。
 そうしたことにいちいち気を遣っている暇はない。
 ――俺たちの狙い通りに事が進んでいるならば、背後では山が崩れているはずだ。
 ネブカドネザルは雪崩の中に飲まれたのか?
 俺はどうなる? 彼らは、どうなった?
(欲目が出たな……)
 笑みがこぼれる。
 生憎と、無駄なことはしない性分だ。
 無駄な足掻きをする気もないが……無駄死はもっと御免被る。

 クロエが間に合ってくれたらしい。
正面に見えた縄梯子に手を伸ばし、それを掴み取る。
 ヘリはすぐさま上昇した。俺は激しい風に煽られながらも、手繰り寄せるように梯子を上っていく。
 真正面から轟音が響く。
「……この規模の雪崩を止めることはできんだろう。悪いな、ネブカド君」
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
 同時、俺の真後ろからネブカドネザルの叫びが聞こえた。
 すぐに背中から胸元に向けて、激しい痛みが突き抜けた。

「っ……」
 生暖かい鉄の味が喉元から込み上げてきて、思わずむせる。
 赤く濡れた巨大な刃が、俺の左肩辺りから生えているように見える。
 明らかに心臓を狙った一撃だったが……わずかに逸れてくれている。
 とはいえ、それで状況が好転する訳でもない。
(……ここまでか)
 腕にほとんど力が入らないし、ヤツの巨体を背負ったまま登っていける程の体力も残っていない。何より背後の白い獣が、俺を見逃してくれるはずもなかった。
「ガアアアアアアアア!!」
 ネブカドネザルはなおも精力衰えず、俺にしがみつき全てを貪ろうと躍動する……
 その首元を刈り取るように、真上からサイズが振り下ろされた。
「ッ……!?」
 それを察知し、即座に避けたのは流石といえるだろうが……結果ネブカドネザルは、背中から雪崩の中へと沈んでいく。
 山崩れの勢いは凄まじいものになっていた。一度飲まれてしまえば、ヤツも麓まで一直線に滑り落ちていくだけだろう。
「……――! ぐっ……」
 ――その姿を目で追いかけていると、痛みを伴う突風が俺の身体を突き飛ばしていった。
 衝撃を浴びたのは俺だけではないらしく、ヘリがバランスを崩して大きく揺れている。
 それでも地上に落ちる気配がないところを見るに、クロエはヘリの操縦まで一流らしい。
(……それにしても、『引き寄せ』の次は、『弾き飛ばし』か)
 この期に及んで、まだ隠し玉を用意していた訳だ。
 あの化け物の底知れなさには改めてゾッとするが……その能力を確認できたのは僥倖だ。
「無事か、ゴドー君?」
 痛みを堪えつつなんとかヘリの中まで辿り着くと、クロエが軽い口調で出迎えた。
「操縦桿を手放すとは……無茶をする」
「君が余計な客人を招くからだ。縄梯子を切ったほうが、余程手早く済んだんだがな?」
 言いながら、クロエは落ちた高度を取り戻し、機体を安定させていく。
「……とにかく時間は稼いだ。あとはクベーラだな……!」
 クロエの隣に腰かけながら、乱暴に口にした。
 そうしながら、この場でできそうな応急処置だけ済ませていく。
「そういえば、なかなかいい実況だったぞ」
 ヘリの窓から、ちらりと崩れていった斜面を見ていると、クロエがそんなことを言ってくる。
 そう言ってもらえるとありがたい。
 ネブカドネザルに気取られないよう一人で話し続けるのは、神経を使うやら情けないやら……思い返すとなかなか笑える状況だった。
「……支部長殿は、ヘリの扱いもお上手ですな」
「ヘリの扱い『も』、とはどういう意味だ?」
「いろいろお上手かと」
 言いながら、俺は彼女の足元に転がる巨大なサイズに目を向ける。
「君もだろう?」
 クロエは取り合わず、正面を向いたままそう答えた。
「否定はできませんな」
 正面にヒマラヤ支部が見えてくる。
 俺は笑みを浮かべながら、今しがた離れたばかりの山の方角へと視線を向けた。



『ゴドー隊長より伝言です。……あとは任せた、と!』
「……!」
 山頂を目指し進んでいく中、通信機越しにカリーナの嬉しそうな声が聞こえてきた。
 俺たちは互いに顔を見合わせ、その通信の意味を推し量る。
 考えるまでもない……ゴドーは無事に、ネブカドネザルに対処したのだ。
「やってくれたか!」
「こちらも期待に応えねばなりませんね! 八神さん!!」
「ああ……!」
 正直、背後から轟音が響いてきた時には失敗したかと思ったが……流石の一言か。
 いずれにせよ、これで後顧の憂いは断たれた。ゴドーが作ってくれたこのチャンス……絶対に逃す訳にはいかない。
「このままクベーラに向けて、最大速度で前進するぞ!」
「「はい!」」
 限界まで速度を上げ、急ぎクベーラの寝床を目指す。
 絶対にクベーラを倒す……そう、心で再び決意を固めながら。


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