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「GOD EATER ONLINE」が帰ってくる!
ストーリーノベル 第六章
「GOD EATER ONLINE」 STORY NOVEL ~6章-9話~
ヒマラヤ支部に来てから、緊急招集はもう何度も経験してきた。
クベーラの接近、ウロヴォロス討伐、度重なる支部長の交代劇……そうした事件の他にも、大小さまざまな問題が起こり、その度に作戦司令室に走ったことを思い出す。
ただ、クロエが支部長になって以降は、そういう機会もほとんどなくなっていたのだが……
それだけに今回の呼び出しが、只事ではないと分かる。
俺とゴドー、リュウが揃うなり、クロエは前置きもなしに口を開いた。
「巡回討伐中のレイラから、緊急報告が入った」
「所定のエリア内のアラガミが激減しているそうです! 原因は不明!」
彼女の言葉に重ねるように、さらにカリーナが早口にそう告げた。
その視線は、今もモニターへと向けられている。レイラと通信をつないだままなのだろう。
さらに解析まで同時並行で進めているのか、カタカタとキーボードを鳴らし続けている。
「アラガミが争った形跡などの痕跡は見当たらない。周辺エリアのアラガミ数が増加していない以上、移動したという線も薄い」
「はい。……それどころか、むしろ周辺のアラガミも減っている状況です」
クロエとカリーナが状況を淡々と並べていく。
それを聞いて、恐らくこの場に集められた全員が、同じ考えに至っていたはずだ。
脳裏に浮かぶのは、美しい白銀の獣。
「これは……ヤツの仕業では!?」
視線を向けてきたリュウに対し、俺も頷いてみせる。
誰にも姿を見せないままに、アラガミ分布図を書き換えられるような捕喰者を、俺は一体しか知らない。
恐らくはヤツが……ネブカドネザルが周囲のアラガミを、根こそぎ喰って回っているのだ。
そこからの展開は早かった。
「クロエ支部長、俺とセイがレイラに合流、リュウは支部に待機して壁を守る配置でいいか?」
「よろしい。すぐに出てくれ」
「承知した」
クロエと素早く言葉を交わすと、ゴドーはすぐさま踵を返した。
「僕もいつでも動けるようにしておきます。気をつけて!」
「ああ、そっちも任せた」
リュウに短く返しつつ、俺もゴドーの後に続く。
長らく巧妙に姿を隠してきたネブカドネザルが初めてみせた、大規模な行動だ。
単純に考えれば、これはヤツを倒す絶好の機会と言えるだろう。
だが、どうして姿を現したのが、よりにもよって支部全体でクベーラ討伐の準備を進める今なのか……
気になることはいくつかあるが、足を止めている暇はない。
これ以上ヤツがアラガミを喰い、成長するのを見過ごす訳にはいかない。
手に負えなくなる前に……ネブカドネザルは、必ずここで倒す必要がある。
「早かったですね」
現地に着くと、レイラがすぐに出迎えてくれた。
巡回討伐中だと聞いていたが、疲労している様子はほとんど見えない。
むしろ、ついさっき出撃したばかりといった、身なりの整い方をしている。
(それほど、アラガミの数が減っているのか……)
周囲を見渡しても、崩れたビルや瓦礫の山が見えるだけで、アラガミの気配は全く感じない。
もっと遠くを見ようとしたところで、吹き込む砂埃に景色がかき消されてしまう。
「嫌な風が吹いてるな……」
ゴドーの呟きに、レイラが神妙な顔つきで答える。
「ええ……。足跡などの痕跡を消し、物音を飲み込む風です」
異様な静けさに、次第に不安が高まっていく。
そういえば、初めてネブカドネザルと対峙した時も、こんな風に静かだったか。
(……怯えているのか、俺は?)
自分の手を見つめると、それが僅かに震えているのが分かった。
因縁の相手との再会を前に、何を怖気づいているのだろう。
そう考えても、震えは止まらない。
「神機使用者の体調に異常を確認――」
「――いや、もう大丈夫だ!」
彼女の言葉を慌てて遮る。
四の五の言っていられる場面ではない。戦闘終了までアラートが続くような事態は避けたい。
「……何を騒いでいるのか知りませんが、隊長補佐。ネブカドネザルの感知はどうなのです?」
「あ、ああ。それは……」
「感知、実行中です。反応はまだありません」
「反応なしだ」
「そう……」
彼女の言葉を二人に伝えると、レイラは軽く緊張を解いて、小さく息をつく。
一方のゴドーは真剣な表情を崩さない。
「可能な限り感度を上げて、精密に頼む」
「はい」
返事の後、白髪の女性はそのまま口を閉ざした。
俺たちは周囲を警戒しながら、彼女の返答を待つ。
ネブカドネザルの動向が確認できない以上、動き回るのは得策じゃない。
そうして静かになったところで、レイラが小さな声でゴドーに尋ねた。
「……ゴドー。あなたは今回のことをどう見ていますか?」
「ヤツに知能があると考えれば、あえて俺たちに居場所を報せた可能性は高いだろうな」
「わざと居場所を……? ネブカドネザルは、なぜそんなことを?」
「さあな。強くなったから隠れる必要もないと踏んだのか、さっさと喰いつくして別のエリアに行きたかったのか……あるいは、このアラガミ激減は、ネブカドネザルの誘い込みかもしれん」
「わたくしたちを呼び寄せたというの?」
「かもしれん。……だからこそ各自、警戒を密に――」
そうしてゴドーが、短く指示を飛ばそうとした時だった。
突如その場を、ひと際強い風が周囲を吹き抜けた。
砂塵が宙に広がり、間近にいるはずの仲間の姿さえ見えなくなる。
(こんな時に……っ)
強風に煽られた砂埃が、辺り一面に濃霧のように充満した。
「周囲の状況は!?」
俺は傍にいるであろう、白髪の女性に向けて声をかけた。
「アラガミの反応はありません。周囲のゴッドイーターにも異常は見られません」
吹き荒れる風の音のなかでも、彼女の声ははっきりと聞こえた。
言葉通りに捉えるなら、警戒態勢に入る必要はない。突風を耐え忍ぶだけで十分だ。
しかし、本当にそれでいいのだろうか。
腹の奥から湧き上がるような不快感――ゴッドイーターとしての勘が、警鐘を鳴らす。
そんな中……唐突に風は止んだ。
「あれは……!?」
「っ……!!」
その瞬間、俺はあらゆるものがゆっくりと動いているように見えた。
宙に巻きあげられた砂が、鈍く輝きながら地上へと降りてくる。
どんよりとした曇り空は、月の明かりを中心に幾層にも重なった輪を作っている。
廃墟と化した街の奥では、放棄された車のガソリンが引火したのか、バチバチと赤く燃えている。
そして、そうした様々なものより、ずっと近く――
舗装された通路の上。俺たちの目の前に、ヤツはいた。
全長にして、人間二人分程度。体躯から突き出した、三日月のような巨大な刃。
純白の毛並みを携え、そのアラガミ――ネブカドネザルは俺たちの間近に佇んでいた。
「ッ……」
あまりに突然の再来に、驚愕の声すら出なかった。
「真正面に……!」
言いながら、レイラが後ろに下がりつつ神機を構える。
今、俺たちとネブカドネザルの距離は、わずか数メートル。
正直、ヤツの機動力を考えれば回避が間に合う距離ではない。
俺も、ゴドーも、レイラも……ヤツがその気なら、狩られていた。
だが……ネブカドネザルは動かなかった。
低く喉を鳴らし、狙いをしっかりと定めるように、ゆっくりと前傾姿勢を取っていく。
ヤツが奇襲を選択しなかった理由は、おそらく一つだ。
焦る必要がないのだ……俺たち全員を、この場で確実に喰らう自信があるのだろう。
「ネブカドネザルの波動は感知できていません。繰り返します、波動は感知できていません」
俺の隣では彼女が、休む間もなく窮地を訴え続けている。
ゴドーが乾いた唇を、舌でゆっくりと舐めていく。
「こいつは……」
「……マズイな!」
言いながら、俺はネブカドネザルに向かって駆け出した。
「グアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
俺の動きより一拍早く、獣は狂気的な絶叫と共に、弾丸のような勢いでこちらへ突っ込んでくる。
神機を振るうが――間に合わない……!
「ぐっ……!」
神機が弾かれ、俺の正面ががら空きになる。
その腹を貪るように、ネブカドネザルが追い縋る。
「八神さ――」
「セイ……ッ!」
二対の神機が目の前で交差する。
神機を重ねたレイラとゴドーが、力を込めてヤツを抑え込む。
さながら檻に閉じ込められた獣のようだと、感じたのも一瞬――
「なぁッ……!?」
ヤツは一歩も引かないままに、力技でその檻をこじ開けた。
ゴドーとレイラの神機が弾かれ、ヤツは再び俺の目の前に立つ。
「アアアアアアアアアアアアアアッ!」
「……ッ!」
狂ったように繰り出される攻撃の数々を、ギリギリのところで躱していく。
(一太刀……浴びせる余裕もないか……!)
「……ッ!?」
突然、ネブカドネザルが俺を無視する形で跳躍する。
その背後には、神機を銃形態に変えたレイラの姿があった。
(気配だけで神機の変化を感じ取ったのか……!?)
「グルル……ガアアアアアアアアアア!!」
「っ……このっ……!」
ヤツは標的をレイラに変えて動き出す。
それを知ったレイラがショットガンを放つが、ネブカドネザルはそれを最小限の動きで躱していく。
「――ッ」
「こちらだ! ……何っ!?」
レイラが歯を食いしばった時、横合いから近づいたゴドーがチャージスピアを突き出す。
するとネブカドネザルは、はじめから彼を狙っていたかのような動きでゴドーに喰らいついた。
「隊長!」
俺がヤツを追って走り出すと、ネブカドネザルはすぐに踵を返す。
「どうなってるの!? こいつ……無茶苦茶だわ!!」
「ああ、行動に法則性が無い。高度な思考を持っているということか……」
再び距離を置いたネブカドネザルは、値踏みするように俺たちを見る。
それからヤツは、ジグザグに跳ねながら俺たちに向けて走り出した。
(狙いを絞らせない気か……ッ)
その進路を妨害するように、俺が踏み込んだ瞬間……ヤツは正面に跳んだ。
「きゃあっ……!」
ぶつかる程の距離を駆け抜けた後、俺が振り向いたときには、ヤツは遥か遠くまで走り抜けている。その首に、見知った少女をぶら下げながら……
「レイラッ!!」
「……――フゥウッ!」
荒々しく鼻を鳴らして獣は笑う。
一人ひとり捕まえて、別々に料理していくつもりか……
だが――その行動を読んでいたのか、ゴドーの姿もまた、ヤツの背中の上にあった。
ヤツの首を掴んだゴドーが、その脳天にスピアを突き出して――
それに気がついたネブカドネザルが、暴れ馬のように激しく体を揺らし、嘶いた。
咄嗟にゴドーは、レイラを肩に抱えてその背中から飛び降りる。
「っ……かはっ!」
「じっとしていろ……!」
かなり強力な一撃を浴びせられたのだろう、レイラは身悶えし、激しく咳き込む。
そこにヤツが突っ込んでくるのと、ゴドーが神機を構えるのが同時――
次の瞬間、目にも止まらない激しい攻防が展開される。
チャージスピアの影がいくつも重なり、ネブカドネザルを追い立てる。
ゴドーの攻撃はことごとく躱される。だが、ある瞬間にネブカドネザルはバランスを崩した。
「ここで……っ!」
「グアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア……!!」
鼓膜が破れるほどの叫びに、ゴドーの動きが一手遅れる。
瞬間、彼の心臓に向けて巨大な太刀がまっすぐな軌道を描いて滑り込み。
「……させるかッ!!」
「アビスファクター・レディ――……『エリアルキャリバー』」
彼女が滑らかに口にしたのと同時、神機の中で何かが変質する。
「これで……ッ!」
どうするべきか、考える前に体が動く。
俺は地面を蹴って宙にその身を移すと、そのまま神機で目の前の空間をまっすぐに斬った。
一度、二度……素早く空中で弧を描けば、衝撃は風を切って空気中を伝播する。
(――……届けッ!!)
願うと同時、斬撃の軌跡は光を帯びた。
薄紅の光が空を渡り、離れた位置にいるヤツの首元を一気に斬り裂く。
「ガアア……ッ!?」
今度の雄叫びには、明らかに苦しみの色が混じっていた。
(やったか……!?)
だが、ゴドーへの攻撃を止めたのが精一杯だった。
二度目の斬撃を素早く避けると、ネブカドネザルは俺たちから大きく距離を取った。
そして――咆哮。
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!」
「っ……なんだ!?」
先ほどまでとはどこかが違う、歪な音色。
威嚇ではない、威圧でもない……俺たちに向けられたものですらない。
ネブカドネザルは、天へと向けて叫んでいた。
その行動が持つ意味はすぐには分からなかった。
だが、その異音がマズいものだというのはよく分かる。
「ネブカドネザル、波動を放ちました」
「何……?」
彼女がそう告げたのと、同時だった。通信機からカリーナの慌てた声が飛び込んでくる。
『聞こえますか! 戦闘エリアに多数のアラガミが接近中!!』
「……ッ!?」
「どういうことよ……!」
理解する時間も得られないままに、信じられない報告は続く。
『反応はシユウが三体、チェルノボグが一体、ウロヴォロスが二体! 小型種も多数!!』
「待って……ウロヴォロスが二体ですって!? 一体、何が起きているのよ!!」
ヒステリックに叫んだレイラの隣で、俺は急ぎ思考する。
ヤツの異様な叫び、彼女が感知したという波動、そして唐突に集まってくるアラガミの群れ――
そうした断片的な情報から浮かび上がる、一つの可能性……
(まさか、ヤツがアラガミを呼んだのか……!?)
それも同族を呼んだとか、周囲のアラガミの注意を引く例とは規模感が違う。
この地域全体……あるいはさらに遠くまで届くほどの強烈な力で、ヤツはアラガミを呼んだのだ。
最悪の可能性に、俺は背筋を凍らせる。
『ゴドー隊長! 即時撤退だ!』
次に通信機から聞こえてきたのは、カリーナの声ではなく、クロエのものだった。
かなり切羽詰まっているのか、その口調は荒々しい。
彼女もこの状況は、想定外という訳か……
「くっ……もう少し粘って、ヤツを探りたいところだったが……」
そうして躊躇したのも一瞬……
「撤退する! 各員、カリーナの指示に従え!」
素早く気持ちを切り替えると、ゴドーは声を張り上げた。
「……っ」
指示を聞いたレイラが、迷いを見せながらもヤツに背中を向ける。
その足元はどこかおぼつかない。……とてもこれ以上、戦えるような状況ではなさそうだ。
「殿(しんがり)は俺と君だ。いいな?」
「……はい」
「グルルル……」
後退しつつ、ヤツに向けて神機を構える。
「ガアアアアアアアアアアアアア!」
「くっ……!」
ゴドーと二人で、交互にネブカドネザルの相手をしつつ退路を行く。
牽制を交えながら、俺たちはとにかくヤツの足を止めることに従事した。
そうして僅かでもヤツが隙を見せれば、死に物狂いで距離を取った。
「ハァ……ハァ……」
周囲からアラガミが集まってくる気配を感じる。正面を小型種が塞ぐこともあったし、中型、大型の気配を感じるたびに進路を変えた。
遥か遠くから、地面を揺らす音が聞こえる。二体のウロヴォロスの足音は不規則に重なり合い、その距離感を曖昧にするが……少なくとも、こちらに近づいているのは確かだ。
「ガアアアアア……ッ!」
「――ッ!」
いずれにせよ、目下の脅威はネブカドネザルだ。
ヤツは一定の距離を置きながら、どこまでも俺たちに追い縋ってきたが――
やがてある地点……俺たちが川に足を踏み入れたところで、唐突に追撃の手を止めた。
「はぁ……はぁ……」
「……――」
ふいに立ち止まり、俺たちをじっと見つめた後、ヤツはゆっくりと背中を向けて下がっていく。
「どうにか凌ぎ切ったか……」
「……水を嫌ったとも思えません。深追いはしない、ということでしょうか」
「そうだな、追撃の歩も鈍かった。ああ見えてヤツも消耗していたのか……別の理由があって見逃してくれたのかは分からんな」
ゴドーはそう言って、深刻そうなため息を吐いた。
「……とりあえず、川を出るのはある程度下ってからだ。臭いを辿って、後から追跡されては敵わんからな」
「……追跡、ですか」
「ああ。おかしいか?」
ゴドーは飄々と答えるが、無意味な会話だ。
俺がヤツの立場ならば、わざわざ追跡しようとは考えない。
獲物たちが帰る場所など、はじめから分かり切っているからだ。
ヒマラヤ支部――ヤツがその存在に、気づいていないはずはないだろう。
(ヤツが俺たちを見逃したのは……その気になればいつでも喰えると踏んだからか……)
深い敗北感と、底知れない恐怖。
それを部下に感じ取らせないように、ゴドーはあえて取り繕っているのだろう。
彼が無理する姿は見たくなかった。
自然に会話は途絶え、俺たちは無言で川の中を進み続けた。
そんな中、遠くから激しい遠吠えが響いてくる。
……ネブカドネザルだ。
咆哮は何度も木霊し、ヤツが間近まで忍び寄ってきているように、俺たちに錯覚させ続けた。
支部に戻ると、すぐに作戦司令室へと呼ばれた。
シャワーを浴びる暇もなかった。ゴドーと二人、泥だらけの格好で部屋をノックする。
「よく戻ってくれた」
部屋に入るなり、そう言ってクロエが出迎えてくれる。
「隊長たちの活躍のおかげで、被害は最小限で済んだ」
「まあ、それぐらいしか収穫はないな」
労いの言葉をかけるクロエに対し、ゴドーは皮肉っぽく返す。
「それで、状況はどうなっている?」
「……報告します。ネブカドネザルは、あの場に集結したアラガミを全部捕喰した模様」
カリーナが疲れ切った声でそう告げる。
今回の件で疲弊しているのは、戦闘員だけではなさそうだ。
「全部……か」
「中型種の体躯で……信じがたい捕喰能力だな」
いっそ呆れるような口ぶりで、クロエが言う。ゴドーもすぐに頷いた。
「とにかくこれで、ヤツが急激に進化した理由が判明したな。姿を見せず、何をしていたのかも」
「では……どこかに隠れて、アラガミを呼びよせて捕喰を……?」
ヤツが望めば、望むだけの食事が目の前に運ばれてくる……痕跡が見つからなかった訳だ。
「あんなアラガミがいるのだな……」
誰も彼もが、突き放すような口ぶりで言葉を並べていく。
現実感がないのか。それを感じたくないのか。……恐らくはその両方だろう。
「進化の速度も凄まじい。俺がヤツに遭遇したのはほんの少し前だが、前回とはまるで別のアラガミだった」
ゴドーはそこまで言ってから、考え込むように顎に手を当てた。
「いや、アラガミと戦っている感覚ではなかったな……」
「……では、どんな?」
その場にいる全員の視線が、ゴドーに集まる。
ゴドーはそこで一つ、ため息を吐く。
「そうだな……まるで人間と戦っているようだった」
「人間だと……?」
「まさか、偏食因子の過剰投与、あるいは欠乏によりオラクル細胞に侵食されて、アラガミ化したゴッドイーターとか……!?」
すぐさまカリーナが、様々な想像を膨らませる。
それに対しゴドーは、何一つ言葉を返さなかった。
「…………」
ただ、じっと考え込むようにして俯いている。
その可能性も低くない、ということか。
「だが、アラガミ化してしまえば理性や知性は残らないはずだ。それにゴッドイーターがアラガミ化したら、普通の神機では倒せん」
神機使いがアラガミ化した場合、人間の細胞を捕喰したオラクル細胞は多種多様に変異する。加えて神機のオラクル細胞が暴走状態になることで、神機による攻撃に対し、強力な耐性を持つことになる。
……ようするに、アラガミ化したゴッドイーターには、通常の神機による攻撃がほとんど通じない。
唯一の例外として、アラガミ化したゴッドイーターの使用していた神機だけが、効果的な攻撃を加えることができる。
「ふむ……我々の神機による攻撃は、ヤツにダメージを与えることができていた。……となると、単純ではないのかもしれんな」
クロエの意見を取り入れて、ゴドーはさらに思考を深めていこうとする。
そこでクロエが手を叩き、ゴドーの注意を引き戻した。
「いずれにせよ、早急に対策が必要だ」
彼女の言う通りだ。
あれだけの力を見せ、さらに刻一刻と成長を続けるネブカドネザルに対し、このまま無手でいる訳にはいかない。
だが、効果的な対抗手段などあるのだろうか……
そうして俺が考えを巡らせようとした時だった。
「策ならすでに考えてある。……必勝の策ではなく、打てる中での最善手だがな」
顔を上げたゴドーは、あっさりとそう口にする。
「それは……?」
カリーナがごくりと生唾を飲んで、ゴドーを見つめる。
そこでゴドーは、静かに俺へと目を向けた。
「セイの神機にクベーラを捕喰させる。可能な限りの進化を促進し、ネブカドネザルを越える」
「…………!」
俺の神機で、クベーラを捕喰する。
たしかにそれが成功すれば、ネブカドネザルに対抗……いや、ヤツを越えることも可能だろう。
だがそれは……ネブカドネザルを討伐するのと同じか、それ以上に難易度の高いミッションだ。
ゴドーから対策を聞いたクロエは、一度椅子にもたれかかると、そのまま天井を仰いでゆっくりと息を吐きだした。
「……それぐらいは最低限やらねばならないな。ヒマラヤ支部の総力をあげて、達成せねばならない」
自分に言い聞かせるようにして呟くと、クロエは再び姿勢を正した。
そのままこちらを射貫くような視線を、俺へと向ける。
「隊長補佐、『やれるな?』などとは問わん……やれ」
冷たく、どこまでも真剣な声色で、クロエは言った。
「……はい」
はじめから、他に選択肢はない。この支部にいる全員がそうだ。
ネブカドネザルやクベーラがどれだけ強大な脅威であったとしても……生き残るためには、それに立ち向かい越えるしかない。
「…………」
正直、まったく迷わなかった訳ではない。
ゴドーやクロエは、俺にヒマラヤ支部の全ての命を背負わせようとしていたが、その期待に応えられるほどの強さを、俺は持ち合わせていない。
たとえクベーラを倒せたとしても、もし俺が、あっさりネブカドネザルに負けてしまったら……
そういう弱腰な気持ちを抑え、クロエの問いにはっきりと答えられたのは、彼女の存在があったからだ。
今も隣に控える彼女が、クロエの問いかけに「はい」としっかり答えてくれたから……
俺も迷わず、彼女と同じ答えを出せた。
「…………」
俺一人では、おそらくネブカドネザルには敵わない。
だが、彼女と二人なら……
(二人……か)
いつの間にか、俺は彼女を一人の人間として扱うようになっていた。
それがおかしなことだとも思わない。
ただ、頼もしいと感じるだけだ。
ヒマラヤ支部に来てから、緊急招集はもう何度も経験してきた。
クベーラの接近、ウロヴォロス討伐、度重なる支部長の交代劇……そうした事件の他にも、大小さまざまな問題が起こり、その度に作戦司令室に走ったことを思い出す。
ただ、クロエが支部長になって以降は、そういう機会もほとんどなくなっていたのだが……
それだけに今回の呼び出しが、只事ではないと分かる。
俺とゴドー、リュウが揃うなり、クロエは前置きもなしに口を開いた。
「巡回討伐中のレイラから、緊急報告が入った」
「所定のエリア内のアラガミが激減しているそうです! 原因は不明!」
彼女の言葉に重ねるように、さらにカリーナが早口にそう告げた。
その視線は、今もモニターへと向けられている。レイラと通信をつないだままなのだろう。
さらに解析まで同時並行で進めているのか、カタカタとキーボードを鳴らし続けている。
「アラガミが争った形跡などの痕跡は見当たらない。周辺エリアのアラガミ数が増加していない以上、移動したという線も薄い」
「はい。……それどころか、むしろ周辺のアラガミも減っている状況です」
クロエとカリーナが状況を淡々と並べていく。
それを聞いて、恐らくこの場に集められた全員が、同じ考えに至っていたはずだ。
脳裏に浮かぶのは、美しい白銀の獣。
「これは……ヤツの仕業では!?」
視線を向けてきたリュウに対し、俺も頷いてみせる。
誰にも姿を見せないままに、アラガミ分布図を書き換えられるような捕喰者を、俺は一体しか知らない。
恐らくはヤツが……ネブカドネザルが周囲のアラガミを、根こそぎ喰って回っているのだ。
そこからの展開は早かった。
「クロエ支部長、俺とセイがレイラに合流、リュウは支部に待機して壁を守る配置でいいか?」
「よろしい。すぐに出てくれ」
「承知した」
クロエと素早く言葉を交わすと、ゴドーはすぐさま踵を返した。
「僕もいつでも動けるようにしておきます。気をつけて!」
「ああ、そっちも任せた」
リュウに短く返しつつ、俺もゴドーの後に続く。
長らく巧妙に姿を隠してきたネブカドネザルが初めてみせた、大規模な行動だ。
単純に考えれば、これはヤツを倒す絶好の機会と言えるだろう。
だが、どうして姿を現したのが、よりにもよって支部全体でクベーラ討伐の準備を進める今なのか……
気になることはいくつかあるが、足を止めている暇はない。
これ以上ヤツがアラガミを喰い、成長するのを見過ごす訳にはいかない。
手に負えなくなる前に……ネブカドネザルは、必ずここで倒す必要がある。
「早かったですね」
現地に着くと、レイラがすぐに出迎えてくれた。
巡回討伐中だと聞いていたが、疲労している様子はほとんど見えない。
むしろ、ついさっき出撃したばかりといった、身なりの整い方をしている。
(それほど、アラガミの数が減っているのか……)
周囲を見渡しても、崩れたビルや瓦礫の山が見えるだけで、アラガミの気配は全く感じない。
もっと遠くを見ようとしたところで、吹き込む砂埃に景色がかき消されてしまう。
「嫌な風が吹いてるな……」
ゴドーの呟きに、レイラが神妙な顔つきで答える。
「ええ……。足跡などの痕跡を消し、物音を飲み込む風です」
異様な静けさに、次第に不安が高まっていく。
そういえば、初めてネブカドネザルと対峙した時も、こんな風に静かだったか。
(……怯えているのか、俺は?)
自分の手を見つめると、それが僅かに震えているのが分かった。
因縁の相手との再会を前に、何を怖気づいているのだろう。
そう考えても、震えは止まらない。
「神機使用者の体調に異常を確認――」
「――いや、もう大丈夫だ!」
彼女の言葉を慌てて遮る。
四の五の言っていられる場面ではない。戦闘終了までアラートが続くような事態は避けたい。
「……何を騒いでいるのか知りませんが、隊長補佐。ネブカドネザルの感知はどうなのです?」
「あ、ああ。それは……」
「感知、実行中です。反応はまだありません」
「反応なしだ」
「そう……」
彼女の言葉を二人に伝えると、レイラは軽く緊張を解いて、小さく息をつく。
一方のゴドーは真剣な表情を崩さない。
「可能な限り感度を上げて、精密に頼む」
「はい」
返事の後、白髪の女性はそのまま口を閉ざした。
俺たちは周囲を警戒しながら、彼女の返答を待つ。
ネブカドネザルの動向が確認できない以上、動き回るのは得策じゃない。
そうして静かになったところで、レイラが小さな声でゴドーに尋ねた。
「……ゴドー。あなたは今回のことをどう見ていますか?」
「ヤツに知能があると考えれば、あえて俺たちに居場所を報せた可能性は高いだろうな」
「わざと居場所を……? ネブカドネザルは、なぜそんなことを?」
「さあな。強くなったから隠れる必要もないと踏んだのか、さっさと喰いつくして別のエリアに行きたかったのか……あるいは、このアラガミ激減は、ネブカドネザルの誘い込みかもしれん」
「わたくしたちを呼び寄せたというの?」
「かもしれん。……だからこそ各自、警戒を密に――」
そうしてゴドーが、短く指示を飛ばそうとした時だった。
突如その場を、ひと際強い風が周囲を吹き抜けた。
砂塵が宙に広がり、間近にいるはずの仲間の姿さえ見えなくなる。
(こんな時に……っ)
強風に煽られた砂埃が、辺り一面に濃霧のように充満した。
「周囲の状況は!?」
俺は傍にいるであろう、白髪の女性に向けて声をかけた。
「アラガミの反応はありません。周囲のゴッドイーターにも異常は見られません」
吹き荒れる風の音のなかでも、彼女の声ははっきりと聞こえた。
言葉通りに捉えるなら、警戒態勢に入る必要はない。突風を耐え忍ぶだけで十分だ。
しかし、本当にそれでいいのだろうか。
腹の奥から湧き上がるような不快感――ゴッドイーターとしての勘が、警鐘を鳴らす。
そんな中……唐突に風は止んだ。
「あれは……!?」
「っ……!!」
その瞬間、俺はあらゆるものがゆっくりと動いているように見えた。
宙に巻きあげられた砂が、鈍く輝きながら地上へと降りてくる。
どんよりとした曇り空は、月の明かりを中心に幾層にも重なった輪を作っている。
廃墟と化した街の奥では、放棄された車のガソリンが引火したのか、バチバチと赤く燃えている。
そして、そうした様々なものより、ずっと近く――
舗装された通路の上。俺たちの目の前に、ヤツはいた。
全長にして、人間二人分程度。体躯から突き出した、三日月のような巨大な刃。
純白の毛並みを携え、そのアラガミ――ネブカドネザルは俺たちの間近に佇んでいた。
「ッ……」
あまりに突然の再来に、驚愕の声すら出なかった。
「真正面に……!」
言いながら、レイラが後ろに下がりつつ神機を構える。
今、俺たちとネブカドネザルの距離は、わずか数メートル。
正直、ヤツの機動力を考えれば回避が間に合う距離ではない。
俺も、ゴドーも、レイラも……ヤツがその気なら、狩られていた。
だが……ネブカドネザルは動かなかった。
低く喉を鳴らし、狙いをしっかりと定めるように、ゆっくりと前傾姿勢を取っていく。
ヤツが奇襲を選択しなかった理由は、おそらく一つだ。
焦る必要がないのだ……俺たち全員を、この場で確実に喰らう自信があるのだろう。
「ネブカドネザルの波動は感知できていません。繰り返します、波動は感知できていません」
俺の隣では彼女が、休む間もなく窮地を訴え続けている。
ゴドーが乾いた唇を、舌でゆっくりと舐めていく。
「こいつは……」
「……マズイな!」
言いながら、俺はネブカドネザルに向かって駆け出した。
「グアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
俺の動きより一拍早く、獣は狂気的な絶叫と共に、弾丸のような勢いでこちらへ突っ込んでくる。
神機を振るうが――間に合わない……!
「ぐっ……!」
神機が弾かれ、俺の正面ががら空きになる。
その腹を貪るように、ネブカドネザルが追い縋る。
「八神さ――」
「セイ……ッ!」
二対の神機が目の前で交差する。
神機を重ねたレイラとゴドーが、力を込めてヤツを抑え込む。
さながら檻に閉じ込められた獣のようだと、感じたのも一瞬――
「なぁッ……!?」
ヤツは一歩も引かないままに、力技でその檻をこじ開けた。
ゴドーとレイラの神機が弾かれ、ヤツは再び俺の目の前に立つ。
「アアアアアアアアアアアアアアッ!」
「……ッ!」
狂ったように繰り出される攻撃の数々を、ギリギリのところで躱していく。
(一太刀……浴びせる余裕もないか……!)
「……ッ!?」
突然、ネブカドネザルが俺を無視する形で跳躍する。
その背後には、神機を銃形態に変えたレイラの姿があった。
(気配だけで神機の変化を感じ取ったのか……!?)
「グルル……ガアアアアアアアアアア!!」
「っ……このっ……!」
ヤツは標的をレイラに変えて動き出す。
それを知ったレイラがショットガンを放つが、ネブカドネザルはそれを最小限の動きで躱していく。
「――ッ」
「こちらだ! ……何っ!?」
レイラが歯を食いしばった時、横合いから近づいたゴドーがチャージスピアを突き出す。
するとネブカドネザルは、はじめから彼を狙っていたかのような動きでゴドーに喰らいついた。
「隊長!」
俺がヤツを追って走り出すと、ネブカドネザルはすぐに踵を返す。
「どうなってるの!? こいつ……無茶苦茶だわ!!」
「ああ、行動に法則性が無い。高度な思考を持っているということか……」
再び距離を置いたネブカドネザルは、値踏みするように俺たちを見る。
それからヤツは、ジグザグに跳ねながら俺たちに向けて走り出した。
(狙いを絞らせない気か……ッ)
その進路を妨害するように、俺が踏み込んだ瞬間……ヤツは正面に跳んだ。
「きゃあっ……!」
ぶつかる程の距離を駆け抜けた後、俺が振り向いたときには、ヤツは遥か遠くまで走り抜けている。その首に、見知った少女をぶら下げながら……
「レイラッ!!」
「……――フゥウッ!」
荒々しく鼻を鳴らして獣は笑う。
一人ひとり捕まえて、別々に料理していくつもりか……
だが――その行動を読んでいたのか、ゴドーの姿もまた、ヤツの背中の上にあった。
ヤツの首を掴んだゴドーが、その脳天にスピアを突き出して――
それに気がついたネブカドネザルが、暴れ馬のように激しく体を揺らし、嘶いた。
咄嗟にゴドーは、レイラを肩に抱えてその背中から飛び降りる。
「っ……かはっ!」
「じっとしていろ……!」
かなり強力な一撃を浴びせられたのだろう、レイラは身悶えし、激しく咳き込む。
そこにヤツが突っ込んでくるのと、ゴドーが神機を構えるのが同時――
次の瞬間、目にも止まらない激しい攻防が展開される。
チャージスピアの影がいくつも重なり、ネブカドネザルを追い立てる。
ゴドーの攻撃はことごとく躱される。だが、ある瞬間にネブカドネザルはバランスを崩した。
「ここで……っ!」
「グアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア……!!」
鼓膜が破れるほどの叫びに、ゴドーの動きが一手遅れる。
瞬間、彼の心臓に向けて巨大な太刀がまっすぐな軌道を描いて滑り込み。
「……させるかッ!!」
「アビスファクター・レディ――……『エリアルキャリバー』」
彼女が滑らかに口にしたのと同時、神機の中で何かが変質する。
「これで……ッ!」
どうするべきか、考える前に体が動く。
俺は地面を蹴って宙にその身を移すと、そのまま神機で目の前の空間をまっすぐに斬った。
一度、二度……素早く空中で弧を描けば、衝撃は風を切って空気中を伝播する。
(――……届けッ!!)
願うと同時、斬撃の軌跡は光を帯びた。
薄紅の光が空を渡り、離れた位置にいるヤツの首元を一気に斬り裂く。
「ガアア……ッ!?」
今度の雄叫びには、明らかに苦しみの色が混じっていた。
(やったか……!?)
だが、ゴドーへの攻撃を止めたのが精一杯だった。
二度目の斬撃を素早く避けると、ネブカドネザルは俺たちから大きく距離を取った。
そして――咆哮。
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!」
「っ……なんだ!?」
先ほどまでとはどこかが違う、歪な音色。
威嚇ではない、威圧でもない……俺たちに向けられたものですらない。
ネブカドネザルは、天へと向けて叫んでいた。
その行動が持つ意味はすぐには分からなかった。
だが、その異音がマズいものだというのはよく分かる。
「ネブカドネザル、波動を放ちました」
「何……?」
彼女がそう告げたのと、同時だった。通信機からカリーナの慌てた声が飛び込んでくる。
『聞こえますか! 戦闘エリアに多数のアラガミが接近中!!』
「……ッ!?」
「どういうことよ……!」
理解する時間も得られないままに、信じられない報告は続く。
『反応はシユウが三体、チェルノボグが一体、ウロヴォロスが二体! 小型種も多数!!』
「待って……ウロヴォロスが二体ですって!? 一体、何が起きているのよ!!」
ヒステリックに叫んだレイラの隣で、俺は急ぎ思考する。
ヤツの異様な叫び、彼女が感知したという波動、そして唐突に集まってくるアラガミの群れ――
そうした断片的な情報から浮かび上がる、一つの可能性……
(まさか、ヤツがアラガミを呼んだのか……!?)
それも同族を呼んだとか、周囲のアラガミの注意を引く例とは規模感が違う。
この地域全体……あるいはさらに遠くまで届くほどの強烈な力で、ヤツはアラガミを呼んだのだ。
最悪の可能性に、俺は背筋を凍らせる。
『ゴドー隊長! 即時撤退だ!』
次に通信機から聞こえてきたのは、カリーナの声ではなく、クロエのものだった。
かなり切羽詰まっているのか、その口調は荒々しい。
彼女もこの状況は、想定外という訳か……
「くっ……もう少し粘って、ヤツを探りたいところだったが……」
そうして躊躇したのも一瞬……
「撤退する! 各員、カリーナの指示に従え!」
素早く気持ちを切り替えると、ゴドーは声を張り上げた。
「……っ」
指示を聞いたレイラが、迷いを見せながらもヤツに背中を向ける。
その足元はどこかおぼつかない。……とてもこれ以上、戦えるような状況ではなさそうだ。
「殿(しんがり)は俺と君だ。いいな?」
「……はい」
「グルルル……」
後退しつつ、ヤツに向けて神機を構える。
「ガアアアアアアアアアアアアア!」
「くっ……!」
ゴドーと二人で、交互にネブカドネザルの相手をしつつ退路を行く。
牽制を交えながら、俺たちはとにかくヤツの足を止めることに従事した。
そうして僅かでもヤツが隙を見せれば、死に物狂いで距離を取った。
「ハァ……ハァ……」
周囲からアラガミが集まってくる気配を感じる。正面を小型種が塞ぐこともあったし、中型、大型の気配を感じるたびに進路を変えた。
遥か遠くから、地面を揺らす音が聞こえる。二体のウロヴォロスの足音は不規則に重なり合い、その距離感を曖昧にするが……少なくとも、こちらに近づいているのは確かだ。
「ガアアアアア……ッ!」
「――ッ!」
いずれにせよ、目下の脅威はネブカドネザルだ。
ヤツは一定の距離を置きながら、どこまでも俺たちに追い縋ってきたが――
やがてある地点……俺たちが川に足を踏み入れたところで、唐突に追撃の手を止めた。
「はぁ……はぁ……」
「……――」
ふいに立ち止まり、俺たちをじっと見つめた後、ヤツはゆっくりと背中を向けて下がっていく。
「どうにか凌ぎ切ったか……」
「……水を嫌ったとも思えません。深追いはしない、ということでしょうか」
「そうだな、追撃の歩も鈍かった。ああ見えてヤツも消耗していたのか……別の理由があって見逃してくれたのかは分からんな」
ゴドーはそう言って、深刻そうなため息を吐いた。
「……とりあえず、川を出るのはある程度下ってからだ。臭いを辿って、後から追跡されては敵わんからな」
「……追跡、ですか」
「ああ。おかしいか?」
ゴドーは飄々と答えるが、無意味な会話だ。
俺がヤツの立場ならば、わざわざ追跡しようとは考えない。
獲物たちが帰る場所など、はじめから分かり切っているからだ。
ヒマラヤ支部――ヤツがその存在に、気づいていないはずはないだろう。
(ヤツが俺たちを見逃したのは……その気になればいつでも喰えると踏んだからか……)
深い敗北感と、底知れない恐怖。
それを部下に感じ取らせないように、ゴドーはあえて取り繕っているのだろう。
彼が無理する姿は見たくなかった。
自然に会話は途絶え、俺たちは無言で川の中を進み続けた。
そんな中、遠くから激しい遠吠えが響いてくる。
……ネブカドネザルだ。
咆哮は何度も木霊し、ヤツが間近まで忍び寄ってきているように、俺たちに錯覚させ続けた。
支部に戻ると、すぐに作戦司令室へと呼ばれた。
シャワーを浴びる暇もなかった。ゴドーと二人、泥だらけの格好で部屋をノックする。
「よく戻ってくれた」
部屋に入るなり、そう言ってクロエが出迎えてくれる。
「隊長たちの活躍のおかげで、被害は最小限で済んだ」
「まあ、それぐらいしか収穫はないな」
労いの言葉をかけるクロエに対し、ゴドーは皮肉っぽく返す。
「それで、状況はどうなっている?」
「……報告します。ネブカドネザルは、あの場に集結したアラガミを全部捕喰した模様」
カリーナが疲れ切った声でそう告げる。
今回の件で疲弊しているのは、戦闘員だけではなさそうだ。
「全部……か」
「中型種の体躯で……信じがたい捕喰能力だな」
いっそ呆れるような口ぶりで、クロエが言う。ゴドーもすぐに頷いた。
「とにかくこれで、ヤツが急激に進化した理由が判明したな。姿を見せず、何をしていたのかも」
「では……どこかに隠れて、アラガミを呼びよせて捕喰を……?」
ヤツが望めば、望むだけの食事が目の前に運ばれてくる……痕跡が見つからなかった訳だ。
「あんなアラガミがいるのだな……」
誰も彼もが、突き放すような口ぶりで言葉を並べていく。
現実感がないのか。それを感じたくないのか。……恐らくはその両方だろう。
「進化の速度も凄まじい。俺がヤツに遭遇したのはほんの少し前だが、前回とはまるで別のアラガミだった」
ゴドーはそこまで言ってから、考え込むように顎に手を当てた。
「いや、アラガミと戦っている感覚ではなかったな……」
「……では、どんな?」
その場にいる全員の視線が、ゴドーに集まる。
ゴドーはそこで一つ、ため息を吐く。
「そうだな……まるで人間と戦っているようだった」
「人間だと……?」
「まさか、偏食因子の過剰投与、あるいは欠乏によりオラクル細胞に侵食されて、アラガミ化したゴッドイーターとか……!?」
すぐさまカリーナが、様々な想像を膨らませる。
それに対しゴドーは、何一つ言葉を返さなかった。
「…………」
ただ、じっと考え込むようにして俯いている。
その可能性も低くない、ということか。
「だが、アラガミ化してしまえば理性や知性は残らないはずだ。それにゴッドイーターがアラガミ化したら、普通の神機では倒せん」
神機使いがアラガミ化した場合、人間の細胞を捕喰したオラクル細胞は多種多様に変異する。加えて神機のオラクル細胞が暴走状態になることで、神機による攻撃に対し、強力な耐性を持つことになる。
……ようするに、アラガミ化したゴッドイーターには、通常の神機による攻撃がほとんど通じない。
唯一の例外として、アラガミ化したゴッドイーターの使用していた神機だけが、効果的な攻撃を加えることができる。
「ふむ……我々の神機による攻撃は、ヤツにダメージを与えることができていた。……となると、単純ではないのかもしれんな」
クロエの意見を取り入れて、ゴドーはさらに思考を深めていこうとする。
そこでクロエが手を叩き、ゴドーの注意を引き戻した。
「いずれにせよ、早急に対策が必要だ」
彼女の言う通りだ。
あれだけの力を見せ、さらに刻一刻と成長を続けるネブカドネザルに対し、このまま無手でいる訳にはいかない。
だが、効果的な対抗手段などあるのだろうか……
そうして俺が考えを巡らせようとした時だった。
「策ならすでに考えてある。……必勝の策ではなく、打てる中での最善手だがな」
顔を上げたゴドーは、あっさりとそう口にする。
「それは……?」
カリーナがごくりと生唾を飲んで、ゴドーを見つめる。
そこでゴドーは、静かに俺へと目を向けた。
「セイの神機にクベーラを捕喰させる。可能な限りの進化を促進し、ネブカドネザルを越える」
「…………!」
俺の神機で、クベーラを捕喰する。
たしかにそれが成功すれば、ネブカドネザルに対抗……いや、ヤツを越えることも可能だろう。
だがそれは……ネブカドネザルを討伐するのと同じか、それ以上に難易度の高いミッションだ。
ゴドーから対策を聞いたクロエは、一度椅子にもたれかかると、そのまま天井を仰いでゆっくりと息を吐きだした。
「……それぐらいは最低限やらねばならないな。ヒマラヤ支部の総力をあげて、達成せねばならない」
自分に言い聞かせるようにして呟くと、クロエは再び姿勢を正した。
そのままこちらを射貫くような視線を、俺へと向ける。
「隊長補佐、『やれるな?』などとは問わん……やれ」
冷たく、どこまでも真剣な声色で、クロエは言った。
「……はい」
はじめから、他に選択肢はない。この支部にいる全員がそうだ。
ネブカドネザルやクベーラがどれだけ強大な脅威であったとしても……生き残るためには、それに立ち向かい越えるしかない。
「…………」
正直、まったく迷わなかった訳ではない。
ゴドーやクロエは、俺にヒマラヤ支部の全ての命を背負わせようとしていたが、その期待に応えられるほどの強さを、俺は持ち合わせていない。
たとえクベーラを倒せたとしても、もし俺が、あっさりネブカドネザルに負けてしまったら……
そういう弱腰な気持ちを抑え、クロエの問いにはっきりと答えられたのは、彼女の存在があったからだ。
今も隣に控える彼女が、クロエの問いかけに「はい」としっかり答えてくれたから……
俺も迷わず、彼女と同じ答えを出せた。
「…………」
俺一人では、おそらくネブカドネザルには敵わない。
だが、彼女と二人なら……
(二人……か)
いつの間にか、俺は彼女を一人の人間として扱うようになっていた。
それがおかしなことだとも思わない。
ただ、頼もしいと感じるだけだ。