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「GOD EATER ONLINE」が帰ってくる!
ストーリーノベル 第六章


「GOD EATER ONLINE」 STORY NOVEL ~6章-4話~

 巡回討伐を終えた俺は、支部の広場に戻ってきていた。
 レイラは早々にクロエへ報告に向かった。求められなかったため、ついていくこともしなかった。
 さて……今日の予定は一応これで全て終了した。
 このまま次の任務に備えて休息を取るか、それとも消耗品のストックを増やすため、ドロシーに会いに行くか……
(あまり立ち往生していても、俺は周囲から歓迎されないらしいしな……)
 もうずいぶんと前になるが、俺が広場に一人で居座っていると、『俺が他の隊員たちを威圧している』と報告が上がったことがあった。
 周囲の休息を阻害するのは本意ではないし、少し傷ついたのもまた事実だ。
 再び報告が上げられる前に、広場を後にしたほうがいいだろう。
 そう決めた時、広場に見知った少年が姿を現した。
 その少年――リュウは俺に気がつくと、落ち着いた調子で声をかけてきた。
「お疲れ様です。これからメンテナンスですか?」
「いや……」
 メンテナンスは広場に来る前に済ませてしまっていた。
 俺が手持ち無沙汰だと伝わったのだろう。
 リュウは少し考えるような仕草をしてから、口を開いた。
「これから対アラガミ装甲壁の点検に行くんですが、一緒に来ますか?」
「いいのか?」
「ええ、もちろん。点検と言いつつ、外壁近くのアラガミ討伐も兼ねているので、人数が多い分には有難いですよ」
 リュウの言葉を聞き、俺は内心安堵する。
 時間を潰す方法を考えて過ごすより、誰かのために時間を割くことのほうがずっと有意義だ。
 休息も必要なことだと理解はしているが、やはり空いた時間ができると落ち着かない。
「じゃ、行きましょう」
 そう言い、リュウは颯爽と歩いていく。
 俺は彼の背中を追い、支部の広場を出た。


 平屋がぎっしり並ぶ細い道を、俺たちは辿っていく。
 土壁でできた平屋は、壁や屋根に鉄板や木の板がかぶせられている。
 あり合わせで補強したような家々の前には、暗い目をした痩せこけた男女が歩いていた。
 自意識過剰でなければ、彼らの誰もが俺たちに敵意を向けているように思える。
「どうかしましたか?」
「いや……」
「なるほど。八神さんは忙しいですから、支部の中央施設から外に出ることはあまりないですよね」
 リュウのほうは慣れているのか、睨むような視線を受けつつも平然とした様子で言葉を紡ぐ。
「ここは外部居住区、一般の住民が住んでいる場所です。対アラガミ装甲壁で囲まれた、安全に暮らせる――」
「何が安全に暮らせるだ!」
 リュウの言葉を遮るようにして、怒鳴り声が響いた。
 続いて彼の頭に向けて、石のつぶてが飛んでくる。
「…………」
 眼前で石をキャッチしたリュウが、黙ってその石を地面に転がす。
 その石が転がっていった先に、その男はいた。
 痩せた男は顔面を蒼白にして、俺たちのほうを睨みつけている。
「何が……何が安全だよ……」
 男は怒りに震える拳を握り締め、その手を大きく振りかざした。
 その手の背後には、修復中の巨大な壁が見えている。
「壁に穴を開けられて、アラガミに荒らされたのを忘れたか!」
「そうだ! ここをどこだと思っているんだ!!」
 痩せ男の金切り声に寄せられるようにして、周囲の住民たちが声をあげる。
 彼らは俺たちの服装や神機を憎むように見つめつつ、俺たちを囲んで輪を作る。
 住民が相手では、逃げることも抵抗することも難しそうだ。
 それでもリュウは、平静を保ち続けていた。
「……第六ブロック、当然知っていますよ。クベーラが接近したあの時、アラガミが侵入してきた区画だ」
 当然のように答えるリュウに嫌悪を覚えたのか、痩せた男は大きく踏み出る。
「こんな壁、役に立ってねえじゃねえか! あの時どれだけの家が壊され、何人死んだか知ってるのか!」
 生活水準の格差もあって、どの支部でも外部居住区の人間はゴッドイーターを憎む傾向がある。
 しかし今回、彼らが俺たちに敵意を向けた理由は、そのことだけではなさそうだ。
「統計上、この支部ができて以来、最大の被害が出たことは把握していますよ」
「何が最大の被害だ!! 人の命をただの数字みたいに言うんじゃない!!」
 痩せた男は骨のような腕を伸ばし、リュウに掴みかかる。
 俺が男を止めるため動こうとすると、リュウは軽く手を上げてこちらを制止した。
「……」
「テメェはテメェで、何を悠長に眺めてやがんだっ!」
「……ッ! セイさん!」
 正面から俺の頭蓋を狙い、拳ほどの大きさの石塊が投げつけられる。
「……ッ」
 頭に強い衝撃が走った後、そいつはすぐに、俺の足元にストンと落ちた。
「今、見てて避けなかったよな……?」
「まさか……避けられなかっただけだろ……?」
 頭が割れたのか、ゆっくりと頭から血が流れてくる。
 傷口はズキズキと痛んだが、俺は表情を変えずその場に立ち続けた。
 住民たちに目を向けると、彼らが一歩後退る。
「あいつ……頭がおかしいんじゃねえのか?」
 息を呑んでこちらを見ていた痩せ男の手に、リュウが手のひらを重ねた。
「ひっ……な、なんだよ」
「先ほどの話の続きですが……被害が出たのはあなたたちだけじゃない。戦死したゴッドイーターの数も過去最大です」
「っ!!」
 男は慌てて、リュウを掴んでいた手を放す。
 動揺を見せる男に対し、リュウは淡々と言葉を重ねる。
「被害を抑えるために払った犠牲もあまりに大きい。だからこそ、この対アラガミ装甲壁が破られることのないよう、最大限の強化と維持を、僕が担当しているんです」
 壁の強化一つにも、アラガミの素材が大量に必要となっている。
 その素材を手に入れるために、リュウは数えきれないほど戦闘活動を行っていた。
 だが、彼が命がけで壁を守っていることを、人々は知らない。他でもないその巨大な壁が、彼らとリュウの間を遮っている。
「若造一人で何ができる!!」
 無理解から、住民たちはなおもリュウを激しく糾弾する。
 だが、リュウは苛立ちや戸惑いを見せない。
 むしろ正々堂々とした様子で、彼らをまっすぐに見て自身の胸に手を当てる。
「僕が担当するからには、壁の状態はベスト、完璧だ。以前とは違う」
「完璧、だと……?」
 声を荒げた住民は、不審そうに眉を顰める。
 そこでリュウは、一度彼らから視線を外し、居住区を囲むようにそり立つ高い壁を見渡した。
「侵入を許すような破損箇所は全部補修済み、あらゆるアラガミに対処できるよう、壁の状態は常に最新だ」
 左右それぞれ壁を見渡してから、リュウは再び住民たちをまっすぐに見据えた。
 それから不敵な笑みを浮かべ、自信に満ち溢れた声で言う。
「この対アラガミ装甲壁を突破できるアラガミはいない。リュウ・フェンファン、この僕が保証する」
「…………!」
 力強い言葉に、住民たちは皆、毒気を抜かれた様子だった。
 先ほどまで声を荒げていた住民や、掴みかかった男も茫然と立ちすくんでいる。
 リュウの全てが受け入れられた訳ではないだろう。今も彼らは、怒る理由を探すようにして目を泳がせている。
 だが、リュウの言葉は、彼らが考える『居住区は安全ではない』という考えに、何らかの影響を与えたはずだ。
 住民たちが何も言わなくなったのを見ると、リュウは再び歩き出した。 
「支部周辺の警戒と、外壁部のチェックがあるので、失礼します」
 俺もリュウの後に続き進み出す。
 呆気に取られた住民たちは、俺たちから退くように道を開いていった。
 

「まったく……何で避けなかったんですか」
 住民たちから離れ、壁の外へ出た後。
 先ほど受けた傷の手当てを軽くしていると、リュウがそうして尋ねてきた。
「見た目ほど大した傷じゃない」
 頭や顔というのは、多少の傷でも出血量が多いものだ。
「そういう問題じゃないでしょう。あなたに避けられなかったとは思えません」
「リュウも殴られそうなのを躱さなかっただろう。それを真似たんだ」
 実際、俺があの場でリュウを庇って抵抗していたら、騒動はもっと大きなものになったはずだ。
 こう言っては何だが、リュウの冷静さに助けられる日が来るとは思わなかった。
「僕は石を躱してますし、殴られたら防御姿勢くらいは取りますよ。……まあ、おかげでその後のハッタリは効かせやすかったですが」
「ハッタリ……か」
「……僕が住民の皆さんに嘘をついたのが、腑に落ちないですか?」
「ああ」
 アラガミは『あらゆるものを捕喰して、常に進化し続ける生き物』と呼べる。
 そんなヤツらに対抗し、いくら各アラガミの偏食傾向を研究して対アラガミ装甲壁を作ったところで、進化し続ける大量のアラガミすべてに対して有効な壁を作ることはできない。
 絶対に破られない壁を作ることは事実上、不可能なのだ。
 新人時代に座学で習った内容だ。俺でも覚えているのだから、リュウが知らないはずもない。
「リュウは壁を保全するために努力している。本当のことを打ち明けてもよかったんじゃないか」
「そうでしょうか……確かに、壁が絶対に破られないなんてことはありません。ですが彼らがほしいのは真実ではなく、安心と納得です」
 リュウは小さく溜息をつき、言葉を続ける。
「たとえそれが嘘であっても、強いリーダー、強い言葉を望んでいるものなんです」
「だとしても……」
「それで彼らが一晩でも多く安心して眠れるなら、いいじゃないですか」
 そう言うと、リュウは再び歩みはじめた。
 真実は、必ずしも人を幸せにしない。俺自身、それはよく分かっているつもりだった。
 だが……
「今の言葉は、リュウの考えか?」
「ただの一般論ですよ。ですが、歴史的裏付けのある言葉です」
「そうか……」
 これ以上は何を言っても無駄だろう。それに、リュウの言葉が正しい側面もある。
 それでも心配になるのは、リュウの言葉に明確な裏付けがないからだろうか。
 機転を利かせた行動だったとは思うが、同時に複雑な思考を放棄し、住民にも「考えさせない」安易な選択肢だったようにも感じる。
 目を背けようが誰かが覆い隠そうが、物事の本質は変わらない。
 壁一枚を隔てた先に凶悪な捕喰者がいる事実は、誰にも変えられはしないのだ。
(『完璧』が嘘だと知ったら、住民は今以上に苦しむことになるだろうな……)
 そう考えていると、リュウが口を開く。
「では、少しでも支部の平穏が保たれるように、やりましょうか」
 リュウの視線の先には、外壁に群がるアラガミの姿がある。
 確かに、先のことで不安を感じていても仕方がない。
 一つ一つ、目の前の問題に対処していく他に道はないのだ。


 リュウは神機を下ろし、小さく息をついた。
「討伐完了」
 動かなくなったアラガミを前に、俺も神機の構えを解く。
「どうします? 近場ですし、歩いて支部まで帰りますか?」
「ああ……」
 徒歩で帰るとすれば、また居住区の前を通ることになる。
 そして、また、住民たちの顔を見ることになるのだろう。
 俺はどこか憂鬱になる気持ちを抑え、姿勢を正した。


 支部の通用口を通り、外部居住区に入った時のことだった。
「あれは……?」
 先に居住区に足を踏み入れたリュウが、小さく驚きの声を漏らした。
「案外、早い帰りだったな」
 通用口の前には、さきほどの住民たちが並んで俺たちを待っていた。
「あんたらゴッドイーターが壁を守ってるのは分かった。だがな、あのでかい建物の中でいい暮らしをしているんだろう?」
 そう口にしたのは、先ほどリュウに掴みかかっていた痩せ男だ。
 男は敵意をむき出しにして俺とリュウを順に睨みつける。
「……何の話です?」
 リュウが慎重に尋ねると、住民の一人が俺たちを指さしながら声を荒げた。
「テメェらには、俺たちのギリギリで生きてる苦しさを知らないだろ!? 飢えて死ぬかどうか! いつ崩れるかわからん家で暮らすってことが……!」
 暗い枯れかけた声で男は叫ぶ。その肌は乾き、ひび割れたようになっており、こちらを睨む目は深く落ち窪んでいる。
 その瞳は怒りに震え、どこか焦点が合っていないようでもあった。
 なんと返すべきか俺が言い淀んでいると、隣から呆れるようなため息が聞こえる。
「……このパターンか」
 住民たちには聞こえない程の小さな声でつぶやくと、リュウは悠然とした足取りで、住民たちの前に進み出た。
「……では、どうすれば納得すると?」
「何!?」
「あなたの家は第何ブロックにある? そこで同じ生活を僕もしますよ」
「な、何を言ってやがるんだ、てめえは!」
「僕は野宿だって平気です。ただ、一度支部のメディカルへ戻らせてもらいますよ」
 リュウは落ち着いた口調で言葉を続ける。
 優しく言い含めるような、冷たい声。
「ゴッドイーターは偏食因子を定期的に投与しないと、アラガミになってしまうのでね」
「アラガミに……!?」
 その言葉を聞いた途端、住民たちの怒りがそのまま恐怖に置き換わった。
「それと、神機もどこかに置かせてもらうけど、絶対に触らないように。……僕以外の人間が触ると、喰われますから」
「その、でかい武器に触ると……?」
「ええ、一瞬で捕喰されて、跡形もなく」
 「……――ッ!」
 その言葉に、ざわっ……とその場の空気が音を立てて変わる。
 誰かの悲鳴や驚き、囁き合いが入り混じり、不穏な空気が場を支配する。
 リュウはそんな彼らの様子を、冷たい瞳で見つめていた。
 ただの脅し文句ではない。今回リュウが口にしたのは、全て事実。
 一見、普通の人間に見える神機使いたちが、明確に彼らと一線を画している部分だ。
 だからゴッドイーターは特別であり、時に人外の化け物と同一視される。
 リュウはまた一歩、住民たちの元に歩み寄る。
「あなたの家は第何ブロックですか? あとで必ず行きますから」
「ひっ……」
 リュウの表情は笑顔だったが、痩せ男は彼を遠ざけるように後ずさる。
「……く、来るなっ!! 冗談じゃない!!」
 そう叫んだ男の足は、かすかに震えていた。
 しかしリュウはなおも足を進めた。その相貌に、暗い笑顔を湛えたまま……
「リュウ……!」
 さすがにやり過ぎだ。
 俺が勢いよく彼の肩を掴むと、それと同時に男は俺たちに背を向け、走り出した。
 幾人かがその後に続き、俺たちを囲む輪は形を崩す。
 それでも、遠巻きに俺たちを見る人々の敵意が完全に消えた訳ではない。
 こちらを見つめる少女の手を、他の住民が強引に引っ張り離れていく。
 その目に映るのは憎しみと恐怖の色だ。
 そうしてその場から誰もいなくなるまで、リュウは静かな瞳を宙に向けていた。

 外部居住区を離れ、支部内の広場まで戻ってきたところで、数歩先に立っていたリュウが俺のほうに向き直った。
「……すみません、いざこざに巻き込んでしまって」
「いや……」
 微笑んだリュウがどこか寂しげに見えて、俺は言葉を濁した。
「……彼らの不満は、分かるんですよ。中国支部ではもっと激しいですからね」
 リュウはそう言って肩をすくめる。
 しかし、それが張子の虎のような、弱さを隠し持つものだということはすぐに分かった。
(人間が怖い……か)
 穿った見方、見下すような態度、取り繕った優しさ、頼もしさ……そうしたリュウの持つ表情のほとんどが、それに起因するのだろう。
 中国で、リュウがどんな経験をしてきたのか、詳しくは知らない。
 しかし彼がそこで人間の恐ろしさを、裏の表情を目の当たりにし、それを遠ざけるようになったことは間違いないだろう。
「群集心理にもいろいろあって、目の色を見ればこれは襲ってくるな、というのは分かります。彼らの目には攻撃的な意識が宿っていませんでした。……ただ、苦しさをどこかにぶつけたがっていたのは間違いありません」
 そういう相手の目を見てきたからなのか、同じ苦しみを知っているためか……
 いずれにせよ、リュウが語った言葉には、確かな真実味があった。
 現実逃避、人間不信……もしかしたら、あの住民たちとリュウは、どこか通じている部分があるのかもしれない。
 だからこそ俺は、彼が自暴自棄になるのが怖かった。
「来るな、って彼らは逃げていきましたけど、僕は行きますよ。あの人の家を探し出して、会いに行きます」
「リュウ、それは……」
「脅しでもハッタリでもなく、やると言ったらやる。本気を見せなくては、誰も納得しませんから」
 俺の言葉を遮るようにして、リュウは言い切った。
「ゴッドイーターは、危険なので管理されている。それを理解させなくては」
 そう呟いたリュウの表情を見て、俺はそれ以上何も言えなくなる。
 それは自らか傷つくことを知りながら、なおも進み続けることしか知らない、救われない者の表情だった。

 
「ここか……」
 傾きかけた家の前に立った僕は、ゆっくりとそこに近づいていく。
 玄関の前で立ち止まると心持ち姿勢を正し、少しだけ間をおいて扉をノックする。
 すでに日は落ち、四方から伸びた巨大な壁の影が、重なり合って地上を暗い闇に沈めている。
 この時間なら留守はない。おまけに眠るにはまだ早い時間のはずだ。
 目論見通り、しばらくすると扉がゆっくりと開かれる。
 扉の隙間から男が顔を覗かせると、僕はすかさず笑顔で挨拶した。
「どうも、リュウ・フェンファンです」
「うわっ!? なぜ来た!?」
 痩せた男は怯えた様子で、勢いよく扉を閉めようとする。
 しかしそれは適わない。僕が閉まろうとする扉に足を挟んだからだ。
「怖がることはありませんよ。神機は持ってきていませんから」
「来なくていいと言ったぞ!!」
「あなたたちの苦労を知るために来たんです」
「やめろ!! 帰れ!! 冗談じゃない!!」
 どうにかコミュニケーションを図ろうとしてみるが、男のほうは取り付く島もない。
 足を蹴り、無理矢理扉を閉めようと力が込められる。
 ……はっきり言って、大して痛くはなかった。男の力は弱弱しく、ゴッドイーターの身体能力とは差があり過ぎる。
「帰れ……帰れよ、この化け物……!!」
「……っ」
 次の瞬間、扉は乱暴に閉められた。
(……何をしてるんだろう。話をしに来たはずなのに、痛くもない足を庇って退くなんて……)
 閉ざされた扉の奥から、大きな物音が何度も聞こえてくる。
 きっと、僕が入ってこないように、即席のバリケードでも作っているのだろう。
「……どうやら今日は、家の前で野宿になりそうだな」
 誰に言うでもなく、そう呟いた。
 はじめから覚悟していたことだ。彼らがそう易々と、受け入れてくれる訳はない。
 だからこそ示す必要がある。僕の誠意を……彼らの敵ではないということを。
(誠意……誠意、ね……)
 考えながら、一人で吹き出しそうになる。
 僕に誠意? ……そんなものはない。
 どうすれば人の信頼を得られるか。今の僕はそれを考え、必要に応じて実行しているだけだ。
 自分のために、周囲を欺く。……ずっとやってきたことの繰り返しだ。
 壁にもたれかかり、ズルズルとその場にしゃがみ込む。
 この場所は嫌いだ。
 なんとなく故郷のことを……嫌な記憶を思い出してしまう。
 汚れた空気と醜悪な環境が、妙に馴染む。そう感じてしまうから、なおさら嫌だ。
「……っ」
 不意に人の気配がして、睨むようにしてそちらを見る。
 そこにいたのは、小さな女の子だった。少女は委縮して動けなくなったのか、じっとその場に留まっている。
「はぁ……」
 子供をいじめる趣味はないし、子供ではわざわざ説得する価値もない。
 僕は大きくため息を吐くと、少女のほうに背中を向けた。
 こうしてやれば、あとは勝手に去っていくだろう。
 そう考えて、目を閉じる。
 しかし、いつまで経っても少女が去っていく気配がしない。
 それどころか、彼女の小さな足音は、こちらに向かって近づいてくる。
「……何の用?」
 目を細く開き、冷たい声色でそう尋ねると、小さな影がびくりと震えた。
「あ、あの……」
 少女は勇気を振り絞るようにして、僕にまた一歩近づいてくる。
(……なるほど。この辺りの住民は、子供にもゴッドイーターの怖さを教えているって訳か)
 ということは、悪者を追い返すつもりなのか。それともスリか、媚を売って来いと言われたか。
 ……最悪だな。あの支部と同じ臭いがする訳だ。
「悪いけど、あんまりしつこいようなら僕は――」
 子供でも容赦しない。そう言って強引に追い返そうとした時……僕は初めて少女の目を見た。
 その透き通るような瞳に映っていたのは、不貞腐れた表情の僕だった。
「行くとこ、ないの? うちに来る?」
「え……」
 思いもしない言葉に、僕は思わず呆気にとられる。
 女の子は、そんな僕を心配そうに見つめながら、たどたどしくも言葉を続けた。
「私しかいないから、部屋、空いてるの。泊まっていいよ?」
「…………」
 女の子の言葉に戸惑い、迷い、そうしている自分がなんだかひどく馬鹿らしくなる。
「そうなのか……ありがとう。でも、寝床はあるから泊まるのは遠慮しておく」
「いいの? 本当に……?」
 僕はその言葉に、小さく頷いてみせた。
「君の優しさだけ受け取っておくよ。さ、もうお帰り」
「そう……」
優しく拒絶すると、女の子は少しうなだれてこちらに背を向けた。
それから一度だけこちらを振り返って、そのまま寂しげに立ち去っていく。
(あの子……一人なのか)
 もう少し、違った対応がなかったのかと考えてから、何を馬鹿なと思い直す。
 一人ぼっちの子供など、それこそ今の僕には用がない。
 家族がいれば、そこから懐柔していく手もあったかもしれないが……
(僕がこんな風に考えているなんて、あの子は想像もしないだろうな……)
 空を見上げると、満天の星が瞬いている。
 この一帯は明かりが少ないからか、やけに一つ一つが眩しく感じる。
 それを見つめながら、不意に気がつく。
 先ほどまであれほど鼻についていた嫌な空気は、いつの間にか感じ取れなくなっていた。



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