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「GOD EATER ONLINE」が帰ってくる!
ストーリーノベル 第六章
「GOD EATER ONLINE」 STORY NOVEL ~6章-3話~
カリーナがタブレット端末から視線を外し、こちらに向ける。
「……以上が今回の任務です。何か質問はありますか?」
「いえ、特にありません」
俺の隣に立ったレイラが、まなざしを受けつつ簡潔に返す。
それから小さく息を吸い込み、凛とした声を作戦司令室に響かせた。
「では巡回討伐、出ます! 準備はいいですね?」
「ああ、いつでも大丈夫だ」
気迫が込められた瞳に対し、俺は軽い頷きで応える。
今日のレイラはやけに張り切っているように見える。
真っすぐに正された姿勢や、気の強そうな表情はいつもと変わらないものの、彼女の纏う雰囲気がどこか違っていた。
「気合が入っていますね、レイラ!」
カリーナも俺と同じことを思ったのか、頼もしそうに目を細める。
「仕事中に気を抜いても疲れるだけですから。緊張を解くのは、バスルームとベッドの上だけです」
「そうね、仕事中は仕事モード! 私だってそうです!」
カリーナは深く頷いてみせる。しかし、今回は新手のアラガミ――サリエルの討伐を行う訳だが、根本的には普段と同じ巡回討伐に過ぎない。
彼女が気合を入れる理由はそれではないはずだ。
となると考えられるのは、やはりレイラと密に繋がりのある彼女のことだろう。
「クロエ支部長の影響か?」
俺がクロエの名前を口にすると、レイラはいい気がしないのか、顔をしかめてみせた。
「ゴドーさんみたいないつも平常心、っていうのもいいですけど、気迫で周りをリードするのも……私はこっちが好きですよ」
すかさずカリーナが、にこやかに言ってフォローする。
「そうですね……オン、オフを切り替えすぎると余計に疲れると、クロエ支部長も言っていましたし、少なくとも、あれこれ考え過ぎるよりはわたくしに合っているようです」
レイラは複雑そうな表情でそう答えた。
クロエに言われて気合を入れているということだが……彼女が人の意見を、それもあれほど敵愾心を向けていたクロエの意見を素直に聞き入れたとは、にわかに信じがたいものがある。
「では、お先に」
レイラ自身も、その辺りはあまり触れられたくないのだろう。彼女はそう言って足早に部屋を出ていく。
しかしその背中には、迷いから解き放たれたような力強さが垣間見えた。
扉が閉まりレイラの姿が見えなくなると、カリーナがふふ、と微笑みをこぼした。
「以前の不安そうなレイラさんが嘘みたいですね」
「ええ……」
『この巡回討伐任務、わたくしがダメそうなら何とかしてください』
少し前にレイラの巡回討伐に同行した時、彼女は俺にそう言った。
レイラが俺に弱みを見せるなど珍しいと驚いたものだが、恐らくあれが最初で最後の体験になるだろう。
気合の入れ過ぎが負荷を高める可能性もあるが、しかし今の彼女を見る限り……
「バイタルの数値、いずれも安定しています。レイラの状態は良好、戦果にも表れています」
俺の考えを先読みするようにして、『神機さん』こと白髪の女性が答えた。
その言葉をカリーナにも伝えると、ぱっと彼女も顔を輝かせた。
「やはり気持ちが出ますよね! レイラは特にそういうタイプだと思います」
「特に、とはどういうことでしょう?」
「気持ちがストレートに表れるってことです。怒っている時は態度が荒々しくなりますし、調子がいい時は振る舞いも積極的になります。どんな時も顔に出ないゴドーさんや、八神さんとは真逆のタイプですね」
俺の通訳を挟みつつ、カリーナはにっこり笑いながら彼女に答える。
(俺は顔に出ないタイプ……なのか)
自分の頬に手を当ててみるが、確かに変化は見られない。
感情豊かだと思ったことはないが、人から指摘されたこともほとんどなかった。
カリーナのことだ。貶しているつもりは全くないのだろうが、ゴドーと同列にされるといささか不安になる。
なんというか、特殊な人間だと思われている気がするからだ。
そんな俺の思いも知らず、カリーナは続けて語る。
「まあ、そういう自分の気持ちに素直なところがレイラの良いところなんですが……反面、調子が悪い時は、思いっきり落ち込んでしまいますからね」
「……そうですね」
打ちのめされる姿とそこから立ち上がる姿、そのどちらもレイラらしいと思えるものだ。
そこでカリーナは一度間を取り、俺を見据えて柔らかな微笑みを見せた。
「セイさん、レイラさんを上手にサポートしてあげてくださいね!」
「了解です」
カリーナは感情の出やすいレイラを、俺なら上手くコントロールできると考えているのだろう。
期待され過ぎている気もするが、任されたからにはカリーナの言葉に応えたい。
カリーナが大きく頷くのを確認してから、俺はレイラの元へ向かおうと、作戦司令室を出る。
その時――ふと、耳に女性の声が届く。
「気持ち……こころ、ですか……」
声の主はカリーナではなく、傍に立つ純白の髪を持つその人だ。
彼女は一言呟くと、そのまま沈黙してしまった。
「…………」
以前にも、彼女が『こころ』について考えている素振りを見せたことがあったか。
レイラの行動は、どうも彼女に刺激を与えることが多いようだ。
彼女が俺に尋ねて来そうな気配を感じて、俺は慌てて歩き出す。
心とは何なのか……そう尋ねられたところで、俺にはきっと答えられないからだ。
討伐区域に到着するなり、不機嫌そうに眉を寄せたレイラの姿が目に入る。
「先に行くとは言いましたが、ずいぶんと合流に時間がかかりましたわね」
廃墟の割れた窓ガラスを背に、レイラは腕を組む。
「カリーナと話していたら、彼女が現れてな」
「『彼女』……いわゆる『神機さん』ですか?」
俺が頷くと、レイラは複雑そうな表情を浮かべてみせた。
「……それで、彼女とはどんな話を?」
「レイラのことを話していた。状態が良好だと」
「……わたくしの状態が良い?」
「ああ、確かにそう言っていた」
「いつでも好調なあなたに言われたくありません。正直、羨ましいです」
睨みつけるようにしてレイラが言う。それからレイラは砂埃を被った地面に目を向け、そして、空を見た。
「ですが、自分なりに分かってきました。わたくし自身の保ち方、とでもいうのでしょうか」
「…………」
どこか清々しい表情を見せるレイラから、俺は黙って視線を外した。
毎日のように厳しい訓練を積み重ね、その先で得たものは当事者にしか分からない。
部外者の俺があえて測るようなものでもないだろう。
レイラは続けて語る。
「以前、クロエ支部長が言っていました。『心の高まりを忘れるな』と。……その言葉が、ヒントになりました。無理に落ち着こう、考えようとするより、そのほうが頭がすっきりして、周りもよく見えます」
「そうか」
素っ気なく返すと、レイラは気にした様子もなく指を組み、空に透かして背伸びをした。
「今はまだ、分かりはじめたばかり……いずれもっと、自分のことをよく理解できる気がします」
その横顔からは、彼女のはっきりとした意志が窺えた。
そうしていると、耳元にカリーナの声が届く。
『所定のエリアにアラガミ反応を確認! 討伐を開始してください!』
「了解」
レイラはカリーナに応えた後、一度大きく息を吐き出した。
「それでは、行きますよ!」
「ああ……!」
彼女の気迫に押されるようにして、俺たちは駆け出した。
日は落ちかけているが、見晴らしは悪くない。巡回討伐には絶好の天候だ。
目を凝らすまでもなく、廃ビルの隙間から小型のアラガミが這い出てくるのがよく見える。
「……出てきたようですね」
隣にいるレイラがぽつりと呟く。
彼女が見据える先は、廃ビルの隙間ではない。
そのもっと奥……彼女は空を見上げていた。
夕陽の中で、巨大な蝶が浮遊している。
(いや、あれは蝶ではない……)
人間のような四肢を持ちながら、両腕が蝶の羽のように開いている。
「ホォオオオオ……」
妖しい声を響かせながら、橙色に輝く日差しを背負い、巨大な影は降りてくる。
優美な羽と人の相貌を持つアラガミ――サリエルは、静かに俺たちを見つめていた。
「はぁあああっ!!」
鋭い声で叫んだレイラが、ブーストハンマーを叩きつける。
サリエルの腰を打つと鈍い音が響き渡ったが、それで動じた様子もない。
戦いがはじまってからずっとこの調子だ。どんな攻撃を受けたところで、サリエルは躱しもせずに悠然とその場に佇んでいる。
ひらひらとドレスのような翅を揺らしながら、こちらを誘うように宙を舞う。
「……」
挑発的なアラガミに、遅々として好転しない状況。それにしびれを切らすかと思ったが、レイラは思いのほか冷静だ。
「馬鹿にして……」
いや、集中していると言うべきか。
熱くなり、全身に力を込めながらも、レイラは次に何をするべきか、完璧に理解していた。
(クロエ支部長は、先に身体へ覚えさせたという訳か……)
レイラたちの鍛錬は、多い日には一日に複数回の頻度で行われていると聞く。それだけやれば、レイラがいかに心で抵抗しようと、身体のほうが順応していく。
結果、反骨精神を持ったまま、技術の伴うレイラが完成する……
「ふっ……」
レイラの攻撃をサリエルは黙って受ける。一度、二度、三度目の攻撃で、不意にサリエルは攻撃を躱した。そのまま攻撃を仕掛けてくるが、レイラのほうも油断はない。
躱されたブーストハンマーを勢いそのままに、もう半回転。サリエルが宙を舞ったのと同じように、レイラは地を踏み、タイミングよくハンマーをぶつける。
「ホオオオオオォォ……!」
「やった……!」
確かな手応えを感じてか、レイラが顔を上げて短く叫んだ。
それと同時、サリエルはレイラに視線を向け、蝶の羽のような腕を大きく広げる。
「……レイラ!!」
俺の声に、レイラはびくりと肩を震わせ、アラガミから一歩引こうとする。
だが、レイラが退くより速く、サリエルは周囲に淡い紫色の霧を放った。
「ぐっ……」
直に霧に触れたレイラが、苦しげな表情を浮かべた。咄嗟に口元を押さえ、膝をつく。
そのまま前に出た俺と入れ替わるようにして後ろに下がる。
背中越しにレイラが咳き込んでいるのが分かる。致命的なダメージは回避したようだが……
(毒霧か……)
どうやら、あのアラガミはじわじわと攻めるような戦い方が得意らしい。
霧のような攻撃は、徐々に身体を蝕む毒――いわゆるヴェノム攻撃だろう。
(接近戦は不利だな……)
俺は神機をアサルト型に変形させ、アラガミに狙いを定める。
サリエルはなおもレイラを狙おうと、ゆっくりと浮遊しながら近づいていく。
(弱点は頭……足……、いや腹部か?)
そうして狙いをつけていると、サリエルは横滑りするように宙を移動した。
「……!」
意図したものか、偶然なのか。サリエルはレイラの正面に身体を滑り込ませた。
射線上にレイラの姿が入る。
これではサリエルに避けられたとき、レイラを撃ってしまう可能性がある。
「構いません……!」
サリエルの巨体の後ろから、レイラの言葉が聞こえる。
その瞬間、俺はアサルトをまっすぐにヤツへと向けていた。
一撃ではない。弱点を探るため、数度にわたって銃弾を撃つ。
逸れた銃弾の一つが、レイラの付近を通る。サリエルは毒霧を周囲にまき散らす。
「……っ!」
「撃ちなさいッ!」
それでもレイラは、引かずにその場に立ち続けた。
あまつさえ、こちらに意識を向けたサリエルに自ら接近し、注意を集めようとさえする。
その目の中に、迷いはない。
俺は躊躇したくなる気持ちを振り切り、サリエルの胴体目掛けて一気に銃弾を放ちはじめた。
脚部、腹部、スカート、頭部……一つ一つポイントを絞り、レイラに当たらないよう正確に撃っていく。
そしてあるポイントを貫いたところで、サリエルは一瞬だけその巨躯を震わせた。
弱点はここか。
狙いを絞った俺は、距離を保ちつつ銃弾を放ち続ける。
サリエルの注意は完全に俺へ向けられていたが、レイラが近づくことを許さない。
右に舞えば右に、左に踊れば左に。レイラは直線的な動きでサリエルの先を行き、ヤツをその場に釘付けにする。
レイラの動きは読みやすい。だからこそ、彼女に当てることも避けられそうだ。
俺は射撃の精度を高めるため、ヤツに一歩近づいた。
数発、十数発……何十発と銃弾を撃ち続けるうちに、宙を舞うサリエルの動きがぎこちなくなっていく。
「ホォオオオオ……」
やがて。
大きく体を震わせたサリエルは、苦しげな声とともに地に堕ちる。
そこでずっと待ち構えていた彼女のもとへ、吸い込まれるようにサリエルの肢体が落ちた。
「ここよぉ……ッ!」
巨体が大地に沈み込むほどに、強烈な一撃が振り下ろされた。
レイラがブーストハンマーを持ち上げれば、サリエルはすでに身じろぎさえもしていなかった。
「はぁ、はぁ……。終わったようですね」
「ああ、そうみたいだな」
俺がそう言うと、レイラは脱力するように神機を下す。
そして、額から流れる汗を腕で拭った。彼女の額に、鮮やかな血の色がわずかに付着する。
「くぅっ、かなりやられました……」
そう言ってレイラは悔しそうに俯く。彼女の身体には、出来たばかりの傷がいくつも残っている。
あれだけサリエルに接近したまま、戦闘を継続していたのだ。生傷が増えるのも道理だろう。
だが、レイラが悔やんでいたのはそういった部分ではなかった。
「新手にはもっとガード意識を高く持つべきだと、分かってはいるのですが……!」
「……そもそもブーストハンマーだと、ガードは難しいんじゃないか?」
俺の言葉に対し、レイラは噛みつくように声を荒げた。
「それを言い訳にはできません! だからこそガード意識、なのです」
レイラの凛とした声は、辺りによく響いた。
自らの戦闘スタイルへの迷いなど、もはや微塵もないようだ。
ただひたすらに、今のスタイルを磨いていくことだけを考えている。
そこで、荒い息を吐いていた彼女が、大きく息を吐き、俺のほうを見据えた。
「……あなたのサポート、ありがたかったです。共に出撃するときは、また頼らせてもらいますから」
気の強そうな瞳を向ける彼女に、俺は小さな頷きで応えた。
「ああ、全力で手助けしよう」
彼女がどこまでも高みを目指すなら、俺も隊員として全力でサポートするまでだ。
それが俺の任務でもあるし、彼女を応援したいという気持ちも本心だった。
レイラは俺の返事に満足したのか、小さく微笑みを浮かべた。
だが、その笑みも一瞬で消え失せ、レイラはいつもの固い表情で耳元の通信機に手を当てた。
「カリーナ、聞いていますよね? 戻ったらすぐに戦闘データを見られるようにお願いします」
レイラがそう言うと、通信機からドタバタと慌ただしい音が聞こえてきた。
『わ、バレてる!? じゅ、準備しておきまーす!』
「まったく……。バレてるも何も、モニタリングはオペレーターの仕事でしょうに」
レイラは呆れたように大きな溜息をついた。
「帰還後、いつも戦闘データを確認しているのか?」
「ええ。反省なくして、次の戦闘に活かせません。特に、今回はかなり苦戦を強いられましたから」
俺の言葉に、レイラは深く頷いてみせる。
戦闘前までかなりの好調ぶりを見せていたが、やはりムラが目立つか。
(このムラがなくなれば、支部長もレイラを認めるんだろうがな……)
いや、クロエの場合、また新たな課題を設けるだけかもしれないが。
「好調の理由が各数値の安定で、今回の戦果の低下は不安定が原因。因果関係は明確です」
そうして考えを巡らせていると、白髪の女性が現れる。
静かな廃墟に佇む彼女は、夕陽を背負って立ちながらも、不思議とその足元に影を持たない。
彼女はどこまでも無機質に、レイラの状態を淡々と語る。
「ですが、数値の安定をもたらしたもの、不安定にしたものが何なのか……。正解となるものが私の情報群にはありません」
そこまで言うと、白い髪の女性はそのまま口を噤んだ。
「…………」
その先だ。
恐らく彼女が求めている『心』や『気持ち』についての答えは、その先にだけあるものだ。
だが、彼女はそこには届かない。
(知らないことは分からない止まりなのか……)
様々な情報を持ちながらも、人間のように知らないことを推測して語ることはない。
そこが彼女と、人間の差なのだろう。
とはいえ俺だって、『心』や『気持ち』の正体が何なのか、明確な答えは持ち合わせていない。
だとすれば……彼女を人間とほとんど変わらない存在だと見てもいいのだろうか。
それともむしろ、俺のほうが彼女に――彼女のような『心』を持たない存在に近いのか。
そうかもしれない。
俺は思考を放棄して、彼女のことを深く知ることを避けている。それでは思考能力を持たないのと同じだ。
カリーナは出撃前、俺にレイラのサポートを頼んだが……常に思考し、苦しみながらも前に進んでいくレイラのほうが、俺よりずっと人間らしく、優れている。
(俺たちはもっと、レイラに学ぶべきなのかもな……)
白い髪の少女を見ながら、そんなことを考える。
気づけばレイラが、怪訝そうな表情で俺を見ていた。
「何をボーッとしているのです? そろそろ支部に戻りましょう」
「ああ、そうだな……」
「巡回討伐、ご苦労だった」
支部長室の深い椅子に腰かけながら、クロエ支部長がわたくしを見つめる。
巡回討伐を終えた後は、支部長室にやってきてクロエから戦闘の評価を聞く。
決まりごとではないけれど、彼女から何度も呼び出されているうちに、そうするのが当たり前になってきていた。
八神さんが同行することもあるけれど、基本的にはわたくし一人。
気が重くないと言えば嘘になるけど、ポルトロンとの茶番に比べれば、ずっとマシだと思う。
それに……わたくしとしては、クロエからの評価をあまり人には聞かせたくないというのもある。
特に彼には……戦闘中だけでも散々なのに、戦闘後にも情けない姿を見せるなんて、わたくしの自尊心が許さない。
「戦闘データは見た。次の課題として、ヒットアンドウェイに磨きをかけるべきだな」
短い沈黙の後、クロエはそう言って口を開いた。
すぐさま対抗するように、わたくしも聞き返す。
「それだとダメージ効率が落ちるのでは?」
ヒットアンドアウェイ……つまり攻撃の後に毎回逃げろということ。
戦いの基本は先手必勝。攻撃の手を休めずに手数を増やし、一気に殲滅したほうが効率的な場面は多いはず。
そんなわたくしの考えを見通していたかのように、クロエはすぐさま次の言葉を選んだ。
「ヒットアンドウェイというのは、初手の仕掛けるタイミングと、次手の判断だ。そのまま叩けるか、退くべきか……動きながら判断するんだ」
「……それは、やっているつもりですが」
「攻撃を仕掛ける動作中に、アラガミがどう動くか、予測できているか? 予測精度を高めれば、ダメージ効率は上がる」
反論を許さない冷たい言葉に、思わず言葉が詰まりそうになる。
「戦い慣れたアラガミ相手なら、予測もできますが……」
今日の相手……サリエルとの交戦は初めてだったから、行動の予測ができなかった。
かろうじてそう返してはみたが、それが言い訳でしかないことは、わたくし自身にも分かった。
けれどクロエは、呆れも苛立ちもしない。当然という表情で語るだけ。
「初めて見るアラガミでも同じだ。ここで反撃が来るな、と動作や体勢、殺気で判断できる」
「……本当ですか? 初見で、それにアラガミの殺気なんて……」
アラガミの行動原理は捕喰に尽きるはず。
そこに感情がないのは勿論のこと、殺気を放つなど聞いたこともない。
「攻撃する意思、といえば分かるな?」
「……目が合ったときに向ける、視線などがそうでしょうか?」
そういえば、今回の巡回討伐で戦ったサリエルがそうだった。
ヴェノム攻撃を放つ前、人間の相貌を持ったあのアラガミは、確かにわたくしを見ていた。
まるでわたくしを警戒し、排除の意志を向けるかのように……
「必ずしも、視線が知らせてくれるとは限らない。よく観察することだ……今のレイラなら見極められる」
当然の論調でそう言うクロエに、わたくしは息苦しくなりため息を吐く。
「相変わらず、期待の高さは際限がないですね」
今のわたくしに褒められるべき要素は何もない。それなのに、クロエはわたくしを見放さない。
こちらとしては迷惑な話……いいえ。
正直に言えば、願ってもいない話。
「ナンバーワンになると言ったからには、ゴドー隊長がやっていることぐらいはできなくてはな?」
「い、今すぐなるとは言ってません!」
クロエ支部長の言葉に、思わず顔が熱くなる。
「無論だ。しかし期待はさせてもらうぞ」
「……っ」
もしかして、からかわれたのかしら?
それとも本気で言っているのか、クロエの本心は掴み切れない。
とにかく彼女は、そこで小さく微笑みを見せて、椅子の背もたれに背中を預けた。
そのままわたくしの返事を待つ。
「……善処いたします」
仕方なしにそう答える。
彼女の思い通りに動かされてる気がして、なんとなく気に入らない。
けれど、わたくしの言葉は間違いなく本心。本気も本気。
わたくしは必ず、ヒマラヤ支部のトップに立つ。
どれだけ時間がかったとしても、いずれ八神さんやゴドー隊長を越えてみせる。
理想が高いと笑われるかもしれないけれど……覚悟は十分しているつもり。
そしてようやく、その足掛かりを掴めそうなところに来ている――そう思う。
理想を追い求め、ヒマラヤ支部を放棄した男は今、遠い地で生きていた。
俺はJJから渡されたその写真を見て、思わず溜息をつく。
「そうか、ポルトロン氏は中国支部にな……」
「なぁ、ゴドー。中国支部に行ったのには、理由があると思うか?」
JJは整備室の椅子に腰かけながら、軽い口ぶりで尋ねてくる。
「保護してくれるコネがあるかといえば、無いだろう。彼はフェンリル本部からの出向だったからな」
「だが、オレの調べによると、彼は中国支部で身柄を拘束されていない。何者かの協力により、フェンリルの手を逃れているのは確かだ」
白い髭をいじりながらJJは語る。
JJの話が嘘だとしても、ポルトロンの写真の様子を窺う限り、彼が拘束されている風には見えない。身なりも最後に会った時と同様、きちんと整えられている。
難民を受け入れがたい今の世情で、これほどの好待遇を受けるなど、フェンリルと同等、いやそれ以上のコネを持っていない限り有り得ない。
俺はJJに写真を返すついでに、質問を投げかけた。
「中国支部に、フェンリルに対抗できる有力者はどれだけいる?」
「片手じゃ足りんくらいはいるが、ポルトロンに利用価値なんてあるか?」
JJは呆れたような表情を作り、オーバーに肩をすくめた。
「無い。少なくとも、我々が知っているポルトロンにはな」
彼はフェンリル本部からの出向で、僻地であるヒマラヤ支部に来た。
普通はそういうのを左遷と呼ぶ。幹部としての価値も、それほど高くないだろう。
「だからこそ、別の理由があると考えるべきだな」
俺の言葉に、JJは大きく息を吐いた。
「別の理由ねえ? 何者なんだよ、あのおっさんは……」
「もう少し仲良くなっておけば、何か分かったかもしれんな」
保身しか能がない男だと思っていたが、思わぬところで顔を覗かせてきた。
現在、ヒマラヤ支部はクロエ支部長の手によって、中国とロシアの協力要請を進めている最中だ。この男の存在が、何か良からぬことに繋がらないといいのだが……
考えを巡らせていると、JJがふと言葉をこぼす。
「そういや、やたらとレイラに媚びてたよな? レイラはどこぞの王家の血筋だかなんだかで……」
「あれか……。レイラ自身も茶番劇だと言っていたが、調べられるか?」
それこそ遊び、小数点以下の確率でも生き残る確率を高めるためのおままごとだと考えていたが、それは彼を見た目通りの無能と捉えた場合の考え方だ。
俺の言葉に、JJは小さく笑みを浮かべる。
「ああ、ロシアを後回しにすればな」
「それでいい、やってくれ」
方々に気になることは転がっているが、今はポルトロンの情報収集が先決だ。
腐っても支部長まで上り詰めた男だ。放置しておいて、一度しっぺ返しを食らわされた経験もある。
味方にしておけば役に立たず、監視しなければ何をしでかすか分からない。……面倒だな。
とはいえ俺個人の動きやすさだけを考えれば、クロエ支部長よりはずっとマシだった。
一通りの話を終え、整備室を出ようとした時、背後からJJに声をかけられる。
「やれやれ、まったく……いい『趣味』してやがるぜ」
呆れたような言葉だが、JJの声はどこか愉快そうだ。
俺の趣味を黙認し、様々な根回しを行う彼もまた、趣味を楽しんでいるとしか思えない。
「いい『趣味』には実益がある。そういうものだろ?」
俺は趣味にリターンを求めないが、勝手に得られる利益は素直に受け取る性分だ。
ポルトロンの件は正直、趣味の過程で得られる副産物に過ぎない。
俺が知りたい本当の情報は、未だ謎に包まれている。
(八神セイと、その神機か……)
その謎を解明するまで、ヒマラヤ支部に再び混乱を招く訳にはいかない。
カリーナがタブレット端末から視線を外し、こちらに向ける。
「……以上が今回の任務です。何か質問はありますか?」
「いえ、特にありません」
俺の隣に立ったレイラが、まなざしを受けつつ簡潔に返す。
それから小さく息を吸い込み、凛とした声を作戦司令室に響かせた。
「では巡回討伐、出ます! 準備はいいですね?」
「ああ、いつでも大丈夫だ」
気迫が込められた瞳に対し、俺は軽い頷きで応える。
今日のレイラはやけに張り切っているように見える。
真っすぐに正された姿勢や、気の強そうな表情はいつもと変わらないものの、彼女の纏う雰囲気がどこか違っていた。
「気合が入っていますね、レイラ!」
カリーナも俺と同じことを思ったのか、頼もしそうに目を細める。
「仕事中に気を抜いても疲れるだけですから。緊張を解くのは、バスルームとベッドの上だけです」
「そうね、仕事中は仕事モード! 私だってそうです!」
カリーナは深く頷いてみせる。しかし、今回は新手のアラガミ――サリエルの討伐を行う訳だが、根本的には普段と同じ巡回討伐に過ぎない。
彼女が気合を入れる理由はそれではないはずだ。
となると考えられるのは、やはりレイラと密に繋がりのある彼女のことだろう。
「クロエ支部長の影響か?」
俺がクロエの名前を口にすると、レイラはいい気がしないのか、顔をしかめてみせた。
「ゴドーさんみたいないつも平常心、っていうのもいいですけど、気迫で周りをリードするのも……私はこっちが好きですよ」
すかさずカリーナが、にこやかに言ってフォローする。
「そうですね……オン、オフを切り替えすぎると余計に疲れると、クロエ支部長も言っていましたし、少なくとも、あれこれ考え過ぎるよりはわたくしに合っているようです」
レイラは複雑そうな表情でそう答えた。
クロエに言われて気合を入れているということだが……彼女が人の意見を、それもあれほど敵愾心を向けていたクロエの意見を素直に聞き入れたとは、にわかに信じがたいものがある。
「では、お先に」
レイラ自身も、その辺りはあまり触れられたくないのだろう。彼女はそう言って足早に部屋を出ていく。
しかしその背中には、迷いから解き放たれたような力強さが垣間見えた。
扉が閉まりレイラの姿が見えなくなると、カリーナがふふ、と微笑みをこぼした。
「以前の不安そうなレイラさんが嘘みたいですね」
「ええ……」
『この巡回討伐任務、わたくしがダメそうなら何とかしてください』
少し前にレイラの巡回討伐に同行した時、彼女は俺にそう言った。
レイラが俺に弱みを見せるなど珍しいと驚いたものだが、恐らくあれが最初で最後の体験になるだろう。
気合の入れ過ぎが負荷を高める可能性もあるが、しかし今の彼女を見る限り……
「バイタルの数値、いずれも安定しています。レイラの状態は良好、戦果にも表れています」
俺の考えを先読みするようにして、『神機さん』こと白髪の女性が答えた。
その言葉をカリーナにも伝えると、ぱっと彼女も顔を輝かせた。
「やはり気持ちが出ますよね! レイラは特にそういうタイプだと思います」
「特に、とはどういうことでしょう?」
「気持ちがストレートに表れるってことです。怒っている時は態度が荒々しくなりますし、調子がいい時は振る舞いも積極的になります。どんな時も顔に出ないゴドーさんや、八神さんとは真逆のタイプですね」
俺の通訳を挟みつつ、カリーナはにっこり笑いながら彼女に答える。
(俺は顔に出ないタイプ……なのか)
自分の頬に手を当ててみるが、確かに変化は見られない。
感情豊かだと思ったことはないが、人から指摘されたこともほとんどなかった。
カリーナのことだ。貶しているつもりは全くないのだろうが、ゴドーと同列にされるといささか不安になる。
なんというか、特殊な人間だと思われている気がするからだ。
そんな俺の思いも知らず、カリーナは続けて語る。
「まあ、そういう自分の気持ちに素直なところがレイラの良いところなんですが……反面、調子が悪い時は、思いっきり落ち込んでしまいますからね」
「……そうですね」
打ちのめされる姿とそこから立ち上がる姿、そのどちらもレイラらしいと思えるものだ。
そこでカリーナは一度間を取り、俺を見据えて柔らかな微笑みを見せた。
「セイさん、レイラさんを上手にサポートしてあげてくださいね!」
「了解です」
カリーナは感情の出やすいレイラを、俺なら上手くコントロールできると考えているのだろう。
期待され過ぎている気もするが、任されたからにはカリーナの言葉に応えたい。
カリーナが大きく頷くのを確認してから、俺はレイラの元へ向かおうと、作戦司令室を出る。
その時――ふと、耳に女性の声が届く。
「気持ち……こころ、ですか……」
声の主はカリーナではなく、傍に立つ純白の髪を持つその人だ。
彼女は一言呟くと、そのまま沈黙してしまった。
「…………」
以前にも、彼女が『こころ』について考えている素振りを見せたことがあったか。
レイラの行動は、どうも彼女に刺激を与えることが多いようだ。
彼女が俺に尋ねて来そうな気配を感じて、俺は慌てて歩き出す。
心とは何なのか……そう尋ねられたところで、俺にはきっと答えられないからだ。
討伐区域に到着するなり、不機嫌そうに眉を寄せたレイラの姿が目に入る。
「先に行くとは言いましたが、ずいぶんと合流に時間がかかりましたわね」
廃墟の割れた窓ガラスを背に、レイラは腕を組む。
「カリーナと話していたら、彼女が現れてな」
「『彼女』……いわゆる『神機さん』ですか?」
俺が頷くと、レイラは複雑そうな表情を浮かべてみせた。
「……それで、彼女とはどんな話を?」
「レイラのことを話していた。状態が良好だと」
「……わたくしの状態が良い?」
「ああ、確かにそう言っていた」
「いつでも好調なあなたに言われたくありません。正直、羨ましいです」
睨みつけるようにしてレイラが言う。それからレイラは砂埃を被った地面に目を向け、そして、空を見た。
「ですが、自分なりに分かってきました。わたくし自身の保ち方、とでもいうのでしょうか」
「…………」
どこか清々しい表情を見せるレイラから、俺は黙って視線を外した。
毎日のように厳しい訓練を積み重ね、その先で得たものは当事者にしか分からない。
部外者の俺があえて測るようなものでもないだろう。
レイラは続けて語る。
「以前、クロエ支部長が言っていました。『心の高まりを忘れるな』と。……その言葉が、ヒントになりました。無理に落ち着こう、考えようとするより、そのほうが頭がすっきりして、周りもよく見えます」
「そうか」
素っ気なく返すと、レイラは気にした様子もなく指を組み、空に透かして背伸びをした。
「今はまだ、分かりはじめたばかり……いずれもっと、自分のことをよく理解できる気がします」
その横顔からは、彼女のはっきりとした意志が窺えた。
そうしていると、耳元にカリーナの声が届く。
『所定のエリアにアラガミ反応を確認! 討伐を開始してください!』
「了解」
レイラはカリーナに応えた後、一度大きく息を吐き出した。
「それでは、行きますよ!」
「ああ……!」
彼女の気迫に押されるようにして、俺たちは駆け出した。
日は落ちかけているが、見晴らしは悪くない。巡回討伐には絶好の天候だ。
目を凝らすまでもなく、廃ビルの隙間から小型のアラガミが這い出てくるのがよく見える。
「……出てきたようですね」
隣にいるレイラがぽつりと呟く。
彼女が見据える先は、廃ビルの隙間ではない。
そのもっと奥……彼女は空を見上げていた。
夕陽の中で、巨大な蝶が浮遊している。
(いや、あれは蝶ではない……)
人間のような四肢を持ちながら、両腕が蝶の羽のように開いている。
「ホォオオオオ……」
妖しい声を響かせながら、橙色に輝く日差しを背負い、巨大な影は降りてくる。
優美な羽と人の相貌を持つアラガミ――サリエルは、静かに俺たちを見つめていた。
「はぁあああっ!!」
鋭い声で叫んだレイラが、ブーストハンマーを叩きつける。
サリエルの腰を打つと鈍い音が響き渡ったが、それで動じた様子もない。
戦いがはじまってからずっとこの調子だ。どんな攻撃を受けたところで、サリエルは躱しもせずに悠然とその場に佇んでいる。
ひらひらとドレスのような翅を揺らしながら、こちらを誘うように宙を舞う。
「……」
挑発的なアラガミに、遅々として好転しない状況。それにしびれを切らすかと思ったが、レイラは思いのほか冷静だ。
「馬鹿にして……」
いや、集中していると言うべきか。
熱くなり、全身に力を込めながらも、レイラは次に何をするべきか、完璧に理解していた。
(クロエ支部長は、先に身体へ覚えさせたという訳か……)
レイラたちの鍛錬は、多い日には一日に複数回の頻度で行われていると聞く。それだけやれば、レイラがいかに心で抵抗しようと、身体のほうが順応していく。
結果、反骨精神を持ったまま、技術の伴うレイラが完成する……
「ふっ……」
レイラの攻撃をサリエルは黙って受ける。一度、二度、三度目の攻撃で、不意にサリエルは攻撃を躱した。そのまま攻撃を仕掛けてくるが、レイラのほうも油断はない。
躱されたブーストハンマーを勢いそのままに、もう半回転。サリエルが宙を舞ったのと同じように、レイラは地を踏み、タイミングよくハンマーをぶつける。
「ホオオオオオォォ……!」
「やった……!」
確かな手応えを感じてか、レイラが顔を上げて短く叫んだ。
それと同時、サリエルはレイラに視線を向け、蝶の羽のような腕を大きく広げる。
「……レイラ!!」
俺の声に、レイラはびくりと肩を震わせ、アラガミから一歩引こうとする。
だが、レイラが退くより速く、サリエルは周囲に淡い紫色の霧を放った。
「ぐっ……」
直に霧に触れたレイラが、苦しげな表情を浮かべた。咄嗟に口元を押さえ、膝をつく。
そのまま前に出た俺と入れ替わるようにして後ろに下がる。
背中越しにレイラが咳き込んでいるのが分かる。致命的なダメージは回避したようだが……
(毒霧か……)
どうやら、あのアラガミはじわじわと攻めるような戦い方が得意らしい。
霧のような攻撃は、徐々に身体を蝕む毒――いわゆるヴェノム攻撃だろう。
(接近戦は不利だな……)
俺は神機をアサルト型に変形させ、アラガミに狙いを定める。
サリエルはなおもレイラを狙おうと、ゆっくりと浮遊しながら近づいていく。
(弱点は頭……足……、いや腹部か?)
そうして狙いをつけていると、サリエルは横滑りするように宙を移動した。
「……!」
意図したものか、偶然なのか。サリエルはレイラの正面に身体を滑り込ませた。
射線上にレイラの姿が入る。
これではサリエルに避けられたとき、レイラを撃ってしまう可能性がある。
「構いません……!」
サリエルの巨体の後ろから、レイラの言葉が聞こえる。
その瞬間、俺はアサルトをまっすぐにヤツへと向けていた。
一撃ではない。弱点を探るため、数度にわたって銃弾を撃つ。
逸れた銃弾の一つが、レイラの付近を通る。サリエルは毒霧を周囲にまき散らす。
「……っ!」
「撃ちなさいッ!」
それでもレイラは、引かずにその場に立ち続けた。
あまつさえ、こちらに意識を向けたサリエルに自ら接近し、注意を集めようとさえする。
その目の中に、迷いはない。
俺は躊躇したくなる気持ちを振り切り、サリエルの胴体目掛けて一気に銃弾を放ちはじめた。
脚部、腹部、スカート、頭部……一つ一つポイントを絞り、レイラに当たらないよう正確に撃っていく。
そしてあるポイントを貫いたところで、サリエルは一瞬だけその巨躯を震わせた。
弱点はここか。
狙いを絞った俺は、距離を保ちつつ銃弾を放ち続ける。
サリエルの注意は完全に俺へ向けられていたが、レイラが近づくことを許さない。
右に舞えば右に、左に踊れば左に。レイラは直線的な動きでサリエルの先を行き、ヤツをその場に釘付けにする。
レイラの動きは読みやすい。だからこそ、彼女に当てることも避けられそうだ。
俺は射撃の精度を高めるため、ヤツに一歩近づいた。
数発、十数発……何十発と銃弾を撃ち続けるうちに、宙を舞うサリエルの動きがぎこちなくなっていく。
「ホォオオオオ……」
やがて。
大きく体を震わせたサリエルは、苦しげな声とともに地に堕ちる。
そこでずっと待ち構えていた彼女のもとへ、吸い込まれるようにサリエルの肢体が落ちた。
「ここよぉ……ッ!」
巨体が大地に沈み込むほどに、強烈な一撃が振り下ろされた。
レイラがブーストハンマーを持ち上げれば、サリエルはすでに身じろぎさえもしていなかった。
「はぁ、はぁ……。終わったようですね」
「ああ、そうみたいだな」
俺がそう言うと、レイラは脱力するように神機を下す。
そして、額から流れる汗を腕で拭った。彼女の額に、鮮やかな血の色がわずかに付着する。
「くぅっ、かなりやられました……」
そう言ってレイラは悔しそうに俯く。彼女の身体には、出来たばかりの傷がいくつも残っている。
あれだけサリエルに接近したまま、戦闘を継続していたのだ。生傷が増えるのも道理だろう。
だが、レイラが悔やんでいたのはそういった部分ではなかった。
「新手にはもっとガード意識を高く持つべきだと、分かってはいるのですが……!」
「……そもそもブーストハンマーだと、ガードは難しいんじゃないか?」
俺の言葉に対し、レイラは噛みつくように声を荒げた。
「それを言い訳にはできません! だからこそガード意識、なのです」
レイラの凛とした声は、辺りによく響いた。
自らの戦闘スタイルへの迷いなど、もはや微塵もないようだ。
ただひたすらに、今のスタイルを磨いていくことだけを考えている。
そこで、荒い息を吐いていた彼女が、大きく息を吐き、俺のほうを見据えた。
「……あなたのサポート、ありがたかったです。共に出撃するときは、また頼らせてもらいますから」
気の強そうな瞳を向ける彼女に、俺は小さな頷きで応えた。
「ああ、全力で手助けしよう」
彼女がどこまでも高みを目指すなら、俺も隊員として全力でサポートするまでだ。
それが俺の任務でもあるし、彼女を応援したいという気持ちも本心だった。
レイラは俺の返事に満足したのか、小さく微笑みを浮かべた。
だが、その笑みも一瞬で消え失せ、レイラはいつもの固い表情で耳元の通信機に手を当てた。
「カリーナ、聞いていますよね? 戻ったらすぐに戦闘データを見られるようにお願いします」
レイラがそう言うと、通信機からドタバタと慌ただしい音が聞こえてきた。
『わ、バレてる!? じゅ、準備しておきまーす!』
「まったく……。バレてるも何も、モニタリングはオペレーターの仕事でしょうに」
レイラは呆れたように大きな溜息をついた。
「帰還後、いつも戦闘データを確認しているのか?」
「ええ。反省なくして、次の戦闘に活かせません。特に、今回はかなり苦戦を強いられましたから」
俺の言葉に、レイラは深く頷いてみせる。
戦闘前までかなりの好調ぶりを見せていたが、やはりムラが目立つか。
(このムラがなくなれば、支部長もレイラを認めるんだろうがな……)
いや、クロエの場合、また新たな課題を設けるだけかもしれないが。
「好調の理由が各数値の安定で、今回の戦果の低下は不安定が原因。因果関係は明確です」
そうして考えを巡らせていると、白髪の女性が現れる。
静かな廃墟に佇む彼女は、夕陽を背負って立ちながらも、不思議とその足元に影を持たない。
彼女はどこまでも無機質に、レイラの状態を淡々と語る。
「ですが、数値の安定をもたらしたもの、不安定にしたものが何なのか……。正解となるものが私の情報群にはありません」
そこまで言うと、白い髪の女性はそのまま口を噤んだ。
「…………」
その先だ。
恐らく彼女が求めている『心』や『気持ち』についての答えは、その先にだけあるものだ。
だが、彼女はそこには届かない。
(知らないことは分からない止まりなのか……)
様々な情報を持ちながらも、人間のように知らないことを推測して語ることはない。
そこが彼女と、人間の差なのだろう。
とはいえ俺だって、『心』や『気持ち』の正体が何なのか、明確な答えは持ち合わせていない。
だとすれば……彼女を人間とほとんど変わらない存在だと見てもいいのだろうか。
それともむしろ、俺のほうが彼女に――彼女のような『心』を持たない存在に近いのか。
そうかもしれない。
俺は思考を放棄して、彼女のことを深く知ることを避けている。それでは思考能力を持たないのと同じだ。
カリーナは出撃前、俺にレイラのサポートを頼んだが……常に思考し、苦しみながらも前に進んでいくレイラのほうが、俺よりずっと人間らしく、優れている。
(俺たちはもっと、レイラに学ぶべきなのかもな……)
白い髪の少女を見ながら、そんなことを考える。
気づけばレイラが、怪訝そうな表情で俺を見ていた。
「何をボーッとしているのです? そろそろ支部に戻りましょう」
「ああ、そうだな……」
「巡回討伐、ご苦労だった」
支部長室の深い椅子に腰かけながら、クロエ支部長がわたくしを見つめる。
巡回討伐を終えた後は、支部長室にやってきてクロエから戦闘の評価を聞く。
決まりごとではないけれど、彼女から何度も呼び出されているうちに、そうするのが当たり前になってきていた。
八神さんが同行することもあるけれど、基本的にはわたくし一人。
気が重くないと言えば嘘になるけど、ポルトロンとの茶番に比べれば、ずっとマシだと思う。
それに……わたくしとしては、クロエからの評価をあまり人には聞かせたくないというのもある。
特に彼には……戦闘中だけでも散々なのに、戦闘後にも情けない姿を見せるなんて、わたくしの自尊心が許さない。
「戦闘データは見た。次の課題として、ヒットアンドウェイに磨きをかけるべきだな」
短い沈黙の後、クロエはそう言って口を開いた。
すぐさま対抗するように、わたくしも聞き返す。
「それだとダメージ効率が落ちるのでは?」
ヒットアンドアウェイ……つまり攻撃の後に毎回逃げろということ。
戦いの基本は先手必勝。攻撃の手を休めずに手数を増やし、一気に殲滅したほうが効率的な場面は多いはず。
そんなわたくしの考えを見通していたかのように、クロエはすぐさま次の言葉を選んだ。
「ヒットアンドウェイというのは、初手の仕掛けるタイミングと、次手の判断だ。そのまま叩けるか、退くべきか……動きながら判断するんだ」
「……それは、やっているつもりですが」
「攻撃を仕掛ける動作中に、アラガミがどう動くか、予測できているか? 予測精度を高めれば、ダメージ効率は上がる」
反論を許さない冷たい言葉に、思わず言葉が詰まりそうになる。
「戦い慣れたアラガミ相手なら、予測もできますが……」
今日の相手……サリエルとの交戦は初めてだったから、行動の予測ができなかった。
かろうじてそう返してはみたが、それが言い訳でしかないことは、わたくし自身にも分かった。
けれどクロエは、呆れも苛立ちもしない。当然という表情で語るだけ。
「初めて見るアラガミでも同じだ。ここで反撃が来るな、と動作や体勢、殺気で判断できる」
「……本当ですか? 初見で、それにアラガミの殺気なんて……」
アラガミの行動原理は捕喰に尽きるはず。
そこに感情がないのは勿論のこと、殺気を放つなど聞いたこともない。
「攻撃する意思、といえば分かるな?」
「……目が合ったときに向ける、視線などがそうでしょうか?」
そういえば、今回の巡回討伐で戦ったサリエルがそうだった。
ヴェノム攻撃を放つ前、人間の相貌を持ったあのアラガミは、確かにわたくしを見ていた。
まるでわたくしを警戒し、排除の意志を向けるかのように……
「必ずしも、視線が知らせてくれるとは限らない。よく観察することだ……今のレイラなら見極められる」
当然の論調でそう言うクロエに、わたくしは息苦しくなりため息を吐く。
「相変わらず、期待の高さは際限がないですね」
今のわたくしに褒められるべき要素は何もない。それなのに、クロエはわたくしを見放さない。
こちらとしては迷惑な話……いいえ。
正直に言えば、願ってもいない話。
「ナンバーワンになると言ったからには、ゴドー隊長がやっていることぐらいはできなくてはな?」
「い、今すぐなるとは言ってません!」
クロエ支部長の言葉に、思わず顔が熱くなる。
「無論だ。しかし期待はさせてもらうぞ」
「……っ」
もしかして、からかわれたのかしら?
それとも本気で言っているのか、クロエの本心は掴み切れない。
とにかく彼女は、そこで小さく微笑みを見せて、椅子の背もたれに背中を預けた。
そのままわたくしの返事を待つ。
「……善処いたします」
仕方なしにそう答える。
彼女の思い通りに動かされてる気がして、なんとなく気に入らない。
けれど、わたくしの言葉は間違いなく本心。本気も本気。
わたくしは必ず、ヒマラヤ支部のトップに立つ。
どれだけ時間がかったとしても、いずれ八神さんやゴドー隊長を越えてみせる。
理想が高いと笑われるかもしれないけれど……覚悟は十分しているつもり。
そしてようやく、その足掛かりを掴めそうなところに来ている――そう思う。
理想を追い求め、ヒマラヤ支部を放棄した男は今、遠い地で生きていた。
俺はJJから渡されたその写真を見て、思わず溜息をつく。
「そうか、ポルトロン氏は中国支部にな……」
「なぁ、ゴドー。中国支部に行ったのには、理由があると思うか?」
JJは整備室の椅子に腰かけながら、軽い口ぶりで尋ねてくる。
「保護してくれるコネがあるかといえば、無いだろう。彼はフェンリル本部からの出向だったからな」
「だが、オレの調べによると、彼は中国支部で身柄を拘束されていない。何者かの協力により、フェンリルの手を逃れているのは確かだ」
白い髭をいじりながらJJは語る。
JJの話が嘘だとしても、ポルトロンの写真の様子を窺う限り、彼が拘束されている風には見えない。身なりも最後に会った時と同様、きちんと整えられている。
難民を受け入れがたい今の世情で、これほどの好待遇を受けるなど、フェンリルと同等、いやそれ以上のコネを持っていない限り有り得ない。
俺はJJに写真を返すついでに、質問を投げかけた。
「中国支部に、フェンリルに対抗できる有力者はどれだけいる?」
「片手じゃ足りんくらいはいるが、ポルトロンに利用価値なんてあるか?」
JJは呆れたような表情を作り、オーバーに肩をすくめた。
「無い。少なくとも、我々が知っているポルトロンにはな」
彼はフェンリル本部からの出向で、僻地であるヒマラヤ支部に来た。
普通はそういうのを左遷と呼ぶ。幹部としての価値も、それほど高くないだろう。
「だからこそ、別の理由があると考えるべきだな」
俺の言葉に、JJは大きく息を吐いた。
「別の理由ねえ? 何者なんだよ、あのおっさんは……」
「もう少し仲良くなっておけば、何か分かったかもしれんな」
保身しか能がない男だと思っていたが、思わぬところで顔を覗かせてきた。
現在、ヒマラヤ支部はクロエ支部長の手によって、中国とロシアの協力要請を進めている最中だ。この男の存在が、何か良からぬことに繋がらないといいのだが……
考えを巡らせていると、JJがふと言葉をこぼす。
「そういや、やたらとレイラに媚びてたよな? レイラはどこぞの王家の血筋だかなんだかで……」
「あれか……。レイラ自身も茶番劇だと言っていたが、調べられるか?」
それこそ遊び、小数点以下の確率でも生き残る確率を高めるためのおままごとだと考えていたが、それは彼を見た目通りの無能と捉えた場合の考え方だ。
俺の言葉に、JJは小さく笑みを浮かべる。
「ああ、ロシアを後回しにすればな」
「それでいい、やってくれ」
方々に気になることは転がっているが、今はポルトロンの情報収集が先決だ。
腐っても支部長まで上り詰めた男だ。放置しておいて、一度しっぺ返しを食らわされた経験もある。
味方にしておけば役に立たず、監視しなければ何をしでかすか分からない。……面倒だな。
とはいえ俺個人の動きやすさだけを考えれば、クロエ支部長よりはずっとマシだった。
一通りの話を終え、整備室を出ようとした時、背後からJJに声をかけられる。
「やれやれ、まったく……いい『趣味』してやがるぜ」
呆れたような言葉だが、JJの声はどこか愉快そうだ。
俺の趣味を黙認し、様々な根回しを行う彼もまた、趣味を楽しんでいるとしか思えない。
「いい『趣味』には実益がある。そういうものだろ?」
俺は趣味にリターンを求めないが、勝手に得られる利益は素直に受け取る性分だ。
ポルトロンの件は正直、趣味の過程で得られる副産物に過ぎない。
俺が知りたい本当の情報は、未だ謎に包まれている。
(八神セイと、その神機か……)
その謎を解明するまで、ヒマラヤ支部に再び混乱を招く訳にはいかない。