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「GOD EATER ONLINE」が帰ってくる!
ストーリーノベル 第五章


「GOD EATER ONLINE」 STORY NOVEL ~5章-4話~

 「……」
 無言で歩みを続けるレイラの後を、俺は粛々と歩いていた。
 今日の俺の任務は、レイラのサポートを担当することだ。彼女にも事前に、そう伝わっているはずなのだが……
「……」
「…………」
 先ほど挨拶を交わして以降、レイラは俺など目にも入らないというような態度でこちらを無視し続けている。
 そうされる理由はいくつか想像がつく。
 一つは、苦手な巡回討伐任務を頑なに命じてくるクロエ支部長への苛立ち。
 もう一つは、レイラのフォローをせず、クロエ支部長に従った俺への苛立ち。
 それから、最大の理由は恐らく……
「おはよう、レイラ。渋い顔してどうしたさ」
 そこで、広場でリュウと商談をしていたらしいドロシーが、レイラに明るく声をかける。
 しかし、レイラは応じるそぶりも見せず、ドロシーの前を通り過ぎてしまう。
「おろろ、まるで一昔前に戻ったような無言スルーだねえ?」
 おどけるようなドロシーの言葉を受けて、レイラが一瞬立ち止まり、きっと鋭い視線を向けた。
 しかし、それだけだ。
 レイラは相手にするのも馬鹿らしいというように、冷たく過ぎ去っていってしまう。
 そんな姿を見ていると、確かに出会ったばかりの頃の彼女を思い出す。視線は鋭く、そして張りつめていた。
 そのままレイラは、さっさとヘリに向かっていく。俺も後を追おうか悩んだが、ドロシーを放置するのも憚られた。
「……すみません。少し気が立っているようで」
「大丈夫大丈夫、別に怒ったりなんかしないさ。あの子との付き合いも長いからね」
 ドロシーは気風よく笑ってみせてから、レイラの後姿を見送る。
「ま、心配じゃないって言ったら嘘になるけどね……」
「仕方ないんじゃないですか」
 そう口にしたのはリュウだ。
 彼はドロシーの店の商品を手に取り、物色しながら素っ気なく言う。
「仕方ない……って、どういうことさ?」
「インファイトを極めると決めたものの、まだ中型種以上が相手だと毎回かなりやられて戻ってくる……つまり、実力不足です」
 臆面もなく、リュウはきっぱりと口にした。
「回復錠の消費量も増えるし、支部長が組んだ巡回討伐スケジュールはハードです。被ダメージが多いレイラには、休息時間が不十分でしょう」
「……なるほどね。だから、だんだんへばってくるって訳かい」
「そういうことです」
 リュウが頷くと、ドロシーは何か思案するそぶりを見せる。
 しかし、そうした考えは早々に放棄したらしい。
「けど……心配したり労ったりしたら、反発するんだろうな」
「ええ。自分が弱い、辛そうだとみられることが、余計にストレスを感じるタイプですよ。レイラは」
 リュウの言う通りだろう。自立心が強く、プライドが高い彼女のことだ。
 人に気遣われては、余計に自分が許せなくなるだろう。
 俺の見立ても同じだった。レイラはきっと……誰よりも自分自身に腹を立てている。
「……」
 それにしても、リュウの分析は正確だった。
 そこまで分かっていたうえで、普段レイラを煽っていたとなると辟易するが……
 レイラが去っていった通路を見ながら、ドロシーが深くため息を吐いた。
「だからまた、だんまり姫に戻っちまったのか。弱みを見せないために……もう見えちまってるけどさ」
「ふむ、順調だな」
 その声は、俯いたドロシーの背後から届いた。
 低く、小さな呟きだったにも関わらず、誰もが振り向いてしまうような、存在感のある凛とした声。
 声の主はクロエだった。
 ある種の厳かさを携えながら、クロエは俺たちのほうへ歩み寄ってくる。
 そんな彼女に向けて、ドロシーは反発するような姿勢をとった。
「ん? クロエの支部長さん、その順調ってのはレイラのことかい?」
「そうだ」
「ふぅん、それってどういう意味だい?」
 その口ぶりは穏やかだが、言葉の端々は攻撃的だ。
 レイラを心配するドロシーからすれば、苦しむレイラを見て『順調』と言ったクロエが許せないのだろう。
 そうした感情を正面から受けつつも、クロエは全く表情を変えない。
「ドロレス・バルリエントス。君は自分の弟妹を溺愛しているそうだが、甘やかすだけでは弱い子に育つぞ?」
 ドロシーに弟妹がいることは、初めて会った時に聞いたことがある。
 だが、クロエが口にする『弟妹』には、別のニュアンスも含まれているだろう。
「そいつはどうもご丁寧に。だが、きつくすれば強くなる訳でもないよな?」
 余裕のある表情で、互いに応酬を繰り返す。
 が、分が悪いのは感情的に噛みついたドロシーのほうだろう。
「その通りだ。しかし、壁は自分で乗り越えなければ意味がない」
「む……」
 クロエの言葉に、ドロシーが言葉を詰まらせる。
「レイラは若く、つい甘やかしたくもなるが、大事なのは楽をさせることではなく、失敗を恐れず挑める状況に置いてやることだ」
「そりゃ、そうかもしれないけどさ! ゴッドイーターの失敗ってのは、取り返しがつかなくなることだって……!」
「そのために隊長補佐がいる」
 ドロシーの言葉を遮るようにして、クロエは俺に静かな視線を向けた。
 確かに、俺に与えられた任務はレイラのフォローだ。クロエも無策でレイラに無理を強いている訳ではない。だが……
「……あまり、多くを期待されても困りますが」
 俺の持つ周囲を支える力など微々たるものだ。クロエが力を加え続ければ、当然瓦解する。
 そう考える俺に対し、クロエは目を閉じ嘆息してみせた。
「自分が見えていないことが、君の欠点の一つだな」
「……」
「君自身が考えている以上に、君は頼り甲斐がある。気負わなくてもレイラを支えられるはずだ。……ドロレスも、隊長補佐なら信頼して任せられるだろう?」
 クロエに同意を求められたドロシーは、ちょっと迷った様子を見せたが、俺の面子も気にしてくれたのだろう。
「……ああ、セイなら安心さ!」
 そう言って力強く頷いて見せた。
 ……相変わらずの手腕だ。
 クロエは俺をダシに使うことで反発していたドロシーを味方につけ、そのうえで俺の否定の言葉を封じてみせた。
「……分かりました」
「よろしい」
 他に選択肢のなかった俺が頷くと、クロエは満足そうに笑ってみせた。
 そもそも、クロエがいう頼り甲斐とやらがあろうとなかろうと、レイラのフォローを怠るつもりはなかった。どれだけできるかは分からないが、できることは何でもやるつもりだ。
 だが、あまり彼女にやり込められ続けるのも気に入らない。
「一つよろしいでしょうか」
「もちろん構わんさ。どんなことだ?」
「新支部長は、ずいぶんと『甘い人柄』だと見受けられます。放任主義が行き過ぎて、部下からかえって反感を買わないようご注意を」
「ほう……君には私が甘く見えるのか?」
「……現場を訪れない上司の目を盗むことは容易です。少なくとも、コミュニケーションをとる必要のない相手のことを、俺は厳しく感じたことはありません」
 当然これは、ドロシーを甘いと言ったクロエに対する意趣返しだ。
 レイラを甘やかすべきではないというクロエの考え方も分かる。しかしその感情は、現場を訪れない限りレイラに伝わることはない。
 そして俺が経験してきた限り……目的や意図を理解できないまま任務をこなし続けることは、想像以上に大きな精神的負担となる。
 そうしたことは、現場から離れ指示をしているだけでは、なかなか気がつきにくいものだろう。
「ふむ……そう言えば君は、以前にも私と親睦を深めたいと口にしていたな?」
 俺の不躾な発言に対し、クロエはくすりと笑みを浮かべてみせる。
「分かった。君の進言については少しこちらでも考えておこう」
「……おお~」
 クロエが俺の意見を呑むと思わなかったのだろう。ドロシーがこっそり肘で小突いてくる。一人品定めに戻っていたリュウも、安心するように小さくため息を吐いたのが分かった。
 ただ、俺としては、そこまで意外な展開という訳でもなかった。クロエは必要であれば、積極的に周囲の意見を取り入れる度量を持つ人物だ。
 もっとも、他人から意見を取り入れる前に、自分の中で最適解を導き出していることのほうが多いようだが……
「思いのほか話し込んでしまったな……レイラが待ちわびているはずだ」
 クロエに言われて思い出した。
 あの不機嫌なレイラがヘリポートでどんな表情をしているのか……想像するのも恐ろしい。
「あはは。結局支部長が一枚上手って訳だ」
「邪魔をしたな。……また話をしよう、隊長補佐、ドロレス」
 そう言って立ち去ろうとしたクロエをドロシーが呼び止める。
「あ、ちょっと待った!」
「どうした、まだ納得がいかないか?」
「いや、それはそれとして……その、ドロシーと呼んでもらってもいいかね? 部外者扱いされてるみたいで居心地が悪いや」
 そう言ってドロシーは、頭の後ろで腕を組み、照れくさそうに笑みを浮かべた。
 そんな彼女を見て、クロエは静かに目を閉じる。
「了解だ、ドロシー」



  俺がレイラとやってきたのは、港に浮かぶ廃棄された軍艦の上だった。
 かつてこの一帯は、辺境のヒマラヤ支部に物資を運ぶ、貴重な補給線として機能していたらしいが、現在は他のほとんどの施設と同じように、放棄されアラガミの巣窟となっている。
 そんななかでも水上に有り、十分な広さの甲板も備えるその軍艦は、周辺地域捜索の際に現在も拠点として活用されている。
「……」
 ヘリからデッキに降りたレイラは、こちらを一瞥することもなく、ただ佇んでいる。
「その……さっきは待たせてすまなかった」
「……」
「クロエ支部長と少し話をしていたんだ。それで……」
「……行きます」
 レイラは小さな声でそう言うと、俺には目もくれず港へと向かう。
(……不味いな)
 ここに至っても、レイラの態度に軟化の気配は見られなかった。
 ドロシーは以前の彼女に戻ったようだと言っていたが、それ以上に感じる。
 少なくとも、初めて出会った頃の彼女は任務中の会話の必要性については認めてくれていた。
 しかしこれでは……連携どころの話ではない。コミュニケーションの取れない相手は障害物と同じだ。一対一で戦うよりも余程戦いにくくなるだろう。
 このまま交戦になれば、苦戦は必至だ。どうにかいつものレイラに戻ってもらいたいが……
 そんなことを考えていると、視界の隅で何かがせり上がったように感じた。
 同時に船体が揺れ、俺たちは立っていられなくなる。
(あれは……!)
 鈍色の巨体の正体は、鈍色の盾と尾針が特徴的な、サソリ型の大型種だ。
 そいつが海の中から、甲板によじ登ってきたらしい。
 水上では仕掛けられないと油断していた訳でもないが……想像以上の大物だ。
『ボルグ・カムラン出現! ふたりとも、気を付けてください!』
 通信機の向こうから、カリーナが注意を呼び掛けてくる。潮の飛沫が俺の頬を濡らす。
 足場が悪い中、ヘリを守りつつ、レイラとそれぞれに戦わなくてはならない。
 久しく感じていなかった、ひりひりとした緊迫感を肌身に感じる。
 まさに最悪の状況だった。



「……終了です」
『「はや……っ!」』
 通信機越しのカリーナの言葉と、俺の呟きが見事に重なる。
 基本的には、戦闘終了直後、即座にヘリへ向かったレイラに対する反応だが、それだけでもない。
 相当手こずると思われたボルグ・カムランとの戦闘を、レイラはかなり短い時間の中で終わらせていた。
『被った、のはいいとして……隊長補佐、どうしましょう? ここ最近のレイラは心配です……』
「……そうですね」
 カリーナの言う通りだ。
 手早く、確実にアラガミを片付けていくことが、レイラに課せられたミッションだ。
 しかし、短時間でアラガミを倒した代償は、そのままレイラの身体へと還ってきていた。
「はぁ……っ、はぁ……っ」
 レイラは見るからにボロボロだった。
 それも当然だろう。あの巨体を相手にほとんど距離を取ることもなく、ひたすらに距離を詰め戦い続けていたのだ。
 おかげでこちらとしては戦いやすかったが……全ての負担がレイラに向かっているのでは、本末転倒だ。
 このままではレイラは、自分を追い込み過ぎて壊れてしまうのではないか。
 そういう展開だけは避けなくてはならない。
 支部に戻ったらもう一度、クロエとしっかり話す時間を設ける必要がありそうだ。



「だめ……全然分からない」
 支部へと戻るヘリの中で、レイラが不意にそう漏らした。
 しぼり出すような声からは、彼女が感じる焦燥の強さがありありと感じられる。
「レイラ……」
「もっと早くアラガミを倒し、回避とガードの精度を上げ、味方が戦いやすいように動く……」
 レイラは俺のほうを見ず、自分に言い聞かせるように戦闘の手順を反芻している。
 苦しそうな表情は変わらない。考えれば考える程に思考が絡まっていくのだろう。
 余裕なく、ぶつぶつと呟きながら、彼女の視線が宙を泳ぐ。
 その虚ろさは、まるで出口のない迷路を延々とさまよう亡者のようだ。
「分かっているわ。ええ、分かっているの……だけどそれは、どうすればできるの?」
「考え過ぎるな。レイラは充分……」
 充分成長し続けている……そう伝えようとすると、レイラはキッと俺を睨みつけた。
「隊長補佐、あなたにはできるのでしょうね」
 嫌味っぽく言い放ったその言葉のなかには、苛立ちと悔しさ、自身への怒りなど、様々な感情が入り混じっているように感じた。
 そうして分析されることを恐れるように、レイラはいっそう語気を強める。
「なぜあなたにできて、わたくしにはできないの!?」
 怒りの矛先を求めるように、レイラが叫ぶ。
「レイラ、一旦落ち着こう」
「落ち着きがないのが原因だと……っ?」
 レイラは苦し紛れに俺に噛みついた。
 彼女は明らかに冷静さを欠いている。
 そしてそれはまた、彼女が並々ならぬ重圧を抱えていることの裏返しでもあるようだった。

 気がつけば、ヘリはヒマラヤ支部に到着していた。
 そのことに気づいたレイラが、気まずそうにヘリを降りる。
「……以前、わたくしはマリアの代わりになれていない、それでもあがくと言いました。そしてその後も、わたくしなりに自分を曲げずにやってきたつもりです」
 そうしながらも、彼女はなおも吐き出した。
「ですがわたくしは……あの時から全く進歩できていません」
 こらえきれない感情によって、レイラの腕がわなわなと震えている。
「大役を任され、うまくやれないでいることが、余計に腹立たしいのです!」
 その叫喚には、悲痛な想いがこもっていた。
 自分が成長できないことに対する屈辱や怒り、口惜しさ……そうしたものが痛いほど伝わってくる。
(レイラ……)
「私がお役に立てることはありますか?」
 気がつくと、俺の側に彼女が立っていた。
 神機から現れた白い髪の女性……マリアによく似た彼女が、俺の指示を仰ぎ、こちらをじっと見つめてくる。
 彼女なりに、レイラに対し何か思うところがあったのだろうか。
 しかし、今はあまりに間が悪い。
 ここでマリアそっくりの彼女が何かを口にしても、きっとレイラは余計に混乱するだけだろう。
「……清聴を」
「はい」
 小声で頼むと、彼女は短く応答し、静かに口を固く閉ざした。そしてそのままレイラを見つめる。
「レイラ。改めてクロエに話しに行こう。……約束する、今度は俺も途中で引いたりしない」
「そんなことをしても、根本的な解決にはなりません……!」
「……」
「だってこれは……わたくしが弱いからいけないのです」
 レイラはそう言って、崩れるような表情で笑った。
 ……痛々しいが、目を背けても仕方がない。結局のところ、レイラが追い込まれていく原因はそこなのだ。
 任された役割をこなしたい。だけど弱い。強くなれない。
 ……逃げるという選択肢を持たない気高さを持つ彼女だからこそ、その焦燥がいつまでも彼女の心を炙り続けていくのだろう。
「クロエ支部長はわたくしの成長に期待すると言いましたが、とてもじゃありません! わたくしは弱い、弱すぎる……!」
 振り上げた拳に、行き先はない。だから自分を傷つける。
「彼女は、一体わたくしの何を見て……!」
「…………」
 彼女がそこに現れたことで、その場の空気が一変する。
 クロエはいつも通りの悠々とした足並みで、俺たちのほうへと歩み寄ってくる。
 言い知れぬ緊張感のなか、クロエはつかつかと歩みを進め、そのままレイラの前で立ち止まった。
 レイラはきっと、激しい瞳をクロエに向けたが、それが無意味なことだと分かっているのだろう。弱弱しく視線を背けた。
 そんなレイラを、クロエはじっと見下ろしていた。
 それからゆっくりと口を開く。
「ご苦労」
 クロエは短く言ってレイラを労う。
 だが、その言葉を素直に受け取れるレイラではない。
「……隊長補佐がよく働いてくれました、それだけです」
 レイラは吐き捨てるようにして返した。
 憮然とした表情のなかには不満の色がありありと浮かんでいるが、クロエにとっては想定内だ。
「当然だろう、そのための補佐だ」
 そう口にしてから、クロエはそのままレイラに言った。
「だが、レイラの働きにも私は満足している」
 クロエの言葉に、レイラは驚きの表情を見せる。
「この程度で……?」
「そうだ」
「……ふざけないでっ!」
 レイラの悲痛な叫びは、曇り空の下どこまでも虚しく響き渡った。
 彼女は何も納得できていないのだろう。彼女の理想は遥か高いところにあるのだろう。
 しかし、現実の彼女はここにしかいない。
 誰も一言も発さないまま、レイラの言葉が遠くへ響いて消える。
 そんななか、クロエはただ黙ってレイラを見つめていた。
「あ……」
 その視線に気づいたレイラは、我に返ったように姿勢を正した。
「ん……熱くなり過ぎたようです。失礼」
「気にするな……それより、自分自身に不満があるのだな?」
 クロエの言葉を挑発と受け取ってか、再びレイラの表情が険しくなる。
 クロエはそれに構わず続けた。
「ならば、受けてみるか?」
「……受ける? 何を?」
 想定外の言葉だったのだろう。怪訝な表情を浮かべるレイラに、クロエはしっかりした口調で告げる。
「私の個人的な指導をだ」
「指導……!?」
 クロエからの突然の申し出を受けて、レイラは驚きを隠せない様子だった。
 当然だろう。これまではレイラが何を言っても受け入れなかったクロエが、はじめて彼女に歩み寄って見せたのだ。
 いや……彼女からの指導では、生半可なものとも思えない。それが譲歩と呼べるものかどうかは分からないが……とにかくクロエはレイラと真っ直ぐに向き合っていた。
「レイラの肉体は疲弊しています。これ以上負荷を増すのは得策ではないのでは?」
 神機から現れた彼女が、俺の傍に現れそう言った。
 表情には出ないが、レイラを心配しているのだろう。
 俺がそれに答える前に、クロエがすっと俺のほうへと目を向ける。
「私は甘いな? 隊長補佐殿?」
 薄笑いを浮かべたクロエの発言は、出撃前の俺との会話を意識してのものだろう。
「……ええ、俺が考えていた以上に、甘いようです」
「甘い……?」
 俺の言葉の意味を理解しかねたらしく、白髪の女性が小首をかしげるようにする。
 確かに直近の行動だけを見れば、クロエがやっていることはスパルタだ。
 だが……クロエは常に長期的な視点で、レイラに必要なことを選んでいる。
 結局のところ、成長できないことに苦しむレイラを救うためには、どんな手を使ってでも成長させるしかない。クロエははじめからそう確信していたのだろう。
「その返事が軽はずみなものではなく、熟慮のうえで出たものだと嬉しいのだがな」
 俺の発言を聞いたクロエが、機嫌良さそうにそう言った。
 それから彼女は、再びレイラに視線を移す。
 そのまましっかりと確認するように問いかけた。
「で、どうする? レイラ・テレジア」
 クロエはそうして、レイラの覚悟の程を問う。
 当然、レイラにしてみればこれまで以上の苦境に立たされ、辛酸を舐めていくことになるだろう。
 心身ともに傷つき、挫折し、さらに打ちのめされていく。
 レイラは下唇を堅く噛んで、一度大きく俯いた。
 それから息を吐き出し、はっきりと正面を向く。
 そうしてレイラは、クロエとまっすぐに対峙した。
 そして答える。
 その瞳の中に、強い決意の光を湛えながら。
「答えは……決まっています!!」



  クロエとレイラのやり取りを見た後。あたしたちは一足先に受付カウンターまで戻ってきていた。
 そうして現場を離れつつ、先ほどの場面を思い返す。
「なあ、ドロシー……見たか……」
「ああ……おっちゃん……」
 傍に寄ったJJのおっちゃんが、声を潜めながら話しかけてくる。
 たぶんだけど、あたしもおんなじことを考えてた。
「あの言い方……姫様の性格的に絶対断れないヤツだよな……」
「おお、まんまとハメられちまったなあ」
 おっちゃんはそう言って、大袈裟に腕で肩を抱き震わせた。
 実際、身震いするような場面だった。
 選択肢なんてはじめからなかった……というより、レイラがああ言わなきゃいけないように、クロエに仕組まれていた、って感じかもしれない。
 レイラは、一度こうと決めたら何があっても突き進むっていう強情な性格だ。
 押されたら絶対はね返ってくるような、そういう強さを持ってる。
 だからクロエは、ああやって提案したんだろう。
「おっそろしいねぇ」
「ああ、マジで……」
 そう言い合ったところで、またその場から会話がなくなる。
 クロエってのは、ほんとに何者なんだろう。あたしがレイラの立場だったら今頃どうしてるだろう。
 いや……もしかしたら、もう気づかないうちに、あたしもクロエに動かされてるのかもしれない。
 そういう底知れない怖さを感じてる。
 でも、それだけって訳でもなかった。
 レイラが落ち込んでることは、あたしもずっと気にしてた。
 でもあたしにはどうしようもなくって……レイラはどんどん沈み続けていくように見えた。
 それをクロエは、あのおっそろしい手で立ち直らせたんだ。
 きっとあたしにはできなかったことだ。それどころか、あの人にしかできないようなやり方だった。
 だから……怖いってのは嫌な意味だけじゃない。クロエはおんなじくらい、すごかった。
「クロエ……あれはハンパない鬼だねえ……!」
 胸の奥から湧いてくる妙な高揚感をごまかすように、あたしはそう言って息を吐いた。


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