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「GOD EATER ONLINE」が帰ってくる!
ストーリーノベル 第五章
「GOD EATER ONLINE」 STORY NOVEL ~5章-2話~
神機のメンテナンスを終え、支部の広場を歩く。
支部長が代わってしばらく経ったが、周囲の様子に大きな変化はない。
いや、それどころか一帯は穏やかな雰囲気に包まれていると言っていいだろう。
クロエ支部長は相当上手くやっているらしい。サテライト拠点建設の方針を大々的に打ち出し、同時にそのための的確な方策を各部署に指示した。
過干渉を避け、しかしきっちりと手綱は握り、それぞれの担当者に対し均等に一定の負担を課している。
ゴドーも匙を投げた、ポルトロンが支部長だった頃からの不満解消にも取り組んでいるそうだ。
おかげで支部の人々の顔色は、アラガミ増加が深刻化する前と同じか、その頃よりも明るくなっているように感じる。
そんな周囲を眺めつつ、自室に向かおうとしていると、見知った女性がこちらにやってくる。
「こんにちは、隊長補佐! あの、ちょっとよろしいでしょうか?」
カリーナに軽く手招きされて、疑問に思いつつその後に続いていく。
そのまま彼女は、支部の一室へと俺を導いた。
「お休み中に呼び出してしまって、すみません」
部屋の扉が完全に閉ざされるのを確認してから、カリーナは俺に視線を向けた。
「隊長やレイラたちはいいんですか?」
「ええ。実は、あなたに折り入ってお願いがありまして……」
また何かトラブルが発生したのだろうか。そう思って姿勢を正す。
カリーナは真剣な表情で言葉を続ける。
「ゴドーさんの趣味について、知りたくないですか?」
「隊長の趣味を……?」
その言葉を聞いた途端、少し肩の力が抜ける。
とりあえず、大きなトラブルが起きた訳ではなさそうだ。
俺の脱力に気がついたのか、カリーナは慌てて説明を続ける。
「ゴドーさんは『趣味の時間』と言って、仕事を終えるとすぐ部屋に戻っちゃうじゃないですか」
「……確かにそうですが」
「その趣味がなんなのか、知りたくありませんか?」
カリーナはそう言って、期待を込めた表情を俺に向ける。
つまるところ、俺にゴドーの趣味を探る協力をして欲しいようだ。
いつもキッチリと任務を片付けるゴドーが傾倒する趣味。気にならないとは言えないが……
「プライベートなことでは?」
「じゃあ、セイさんはゴドーさんが仕事の終わりに何をしているのか、聞いたことがありますか?」
「……いえ」
思い出すまでもなく、ゴドーのプライベートについては何も知らない。
俺の返事を聞くと、カリーナはニヤリと目を細める。
「ここまで完璧に隠すということは、心にやましいものがあるかもしれませんよ?」
ゴドーに限って、そんなことはないと思うが……
無茶を言っているという自覚はあるのだろう。その目は泳ぎ気味だったが、それでも引かない辺り、カリーナはどうしてもゴドーの趣味が気になるらしい。
彼女の好奇心を無碍にもできず言い及んでいると、部屋の扉が静かに開いた。
「探偵さんの集まりはここかい?」
声に振り向くと、ドロシーが悪い笑みを浮かべつつ入ってくる。
「もしかして、彼女も趣味の調査に?」
「はい! ドロシーにも声をかけておきました」
カリーナは笑顔で頷く。
さすがヒマラヤ支部が誇るオペレーターだ。根回しが行き届いている。
「物資や携行品売買を行っているドロシーなら、個人がどんな物を買うか把握しています。その記録を探ってですね……」
「購入の記録から趣味を探ろうと?」
「ええ! その通りです!」
自棄だ。彼女は常識や良識を分かったうえで、敢えて無視する人の顔をしている。
以前、カリーナはゴドーの不真面目さに腹を立て、喧嘩をしていたことがあったが……今回もそれに似たことがあったのかもしれない。
「…………」
目的を持った人間を止めることは容易ではない。下手に逆らえばその刃をこちらに向けられる可能性もある。……ここは素直に従っておいた方がよさそうだ。
「早速ですが、最近、ゴドーさんは妙な物を買ったりしていませんか?」
ドロシーに向き直ったカリーナが、話を切り出す。
「んー……、隊長さんはたまに回復錠とか、仕事で使う物を買うくらいだな」
「他には覚えていませんか? 例えば、取り寄せをお願いされたとか……」
「そういうのも、特には……あ、一度だけあったな」
顎に手を当てていたドロシーが、ポンと手を打つ。
「な、何を取り寄せたんですか!」
距離を詰めるカリーナに向け、確か、と一言置き、ドロシーが言葉を続ける。
「コーヒー豆が手に入らないかって、それも東南アジア産の」
「……そんな物を?」
思わず声が漏れる。
コーヒーといえば、過去に世界中で広まった嗜好飲料のことだろう。今では愛好家も少ないが、ある種の中毒性があったと聞いている。
そういえばこの間、ゴドーが産業棟をふらついていたことがあったが……彼の用件はそれだったのだろうか。
「コーヒーとは、またずいぶん高級……というかレアなものですね。もう栽培している場所がなくて、ほとんど手に入らないとか」
「ああ、だから結局豆は手に入らなかったんだよ。ま、こんなろくに草も生えない壁の中じゃあ、当たり前だよな」
そう言ってドロシーは、暗く狭い部屋の中を見渡し、一つため息を吐いた。
嗜好品が手に入りにくいのはヒマラヤ支部だけではない。
食糧事情は地方ごとに多少差があれど、余裕がある場所はほとんどない。
支部の地下にある食料生産設備は、食料優先で嗜好品は二の次。一度備蓄が枯渇しかけたヒマラヤ支部では、嗜好品は皆無に近い。
「でも、なんでコーヒーなんでしょうね? ゴドーさん、コーヒーなんて飲める環境で育ったんでしょうか」
確かに、常に無駄を嫌って行動するゴドーが、高級な嗜好品を欲しがる姿は少々想像しづらい。
「さあな? それくらいは直接訊いてみたらどうだい」
ドロシーの言葉を聞くと、カリーナは一度唸りながら視線を下げる。
やはり、喧嘩をしているのだろうか。あまり気乗りはしないようだったが……
「……分かりました」
少しの沈黙の後、彼女は顔を上げて観念するようにそう言った。
「では、みんなでゴドーさんのところに行ってみましょうか」
「みんなって……」
(……俺たちも行くのか?)
ドロシーと顔を見合わせたが、すでに決めてしまった様子のカリーナの手前、はっきりとは言い出せなかった。
まあ、俺の仕事は周囲のフォローなので、これも例外ではない……かもしれない。
翌日。
俺はカリーナとドロシーとともに、とある部屋の前に来ていた。
閉ざされた扉に一歩近づくと、静かに入り口が開かれる。
そこは、簡素な資材置き場だった。司令室などの主要な施設から遠いため誰にも利用されないその場所を、ゴドーは自分の研究施設のようにして私的に利用しているらしい。
打ちっぱなしの壁に囲まれたガランとした部屋の中に、ゴドーの背中が見える。
後ろからでは分からないが、カチャカチャと何か実験器具のようなものを弄っているらしかった。
「ほら、声をかけるんだろ?」
隣でドロシーが、尻込みするカリーナの背中を押す。
「あの……失礼しますっ」
戸惑いながらもカリーナが言って、部屋に足を踏み入れる。
その後に続くと、慣れない香りが俺の鼻腔をくすぐった。
香ばしいような、酸っぱいような、不可思議なその匂いは、ゴドーが手に持つティーカップから漂ってきているらしい。
「ん……」
ティーカップを傾け、それに口をつけながら、ゴドーが俺たちのほうへ視線を向ける。
カップと、机に置かれた実験器具からは、温かな湯気がゆらゆらと漂っていた。
「えっと……ゴドーさん、それは?」
カリーナが戸惑いながら、ゴドーのほうへと指をさす。
ゴドーの視線がその指先を辿り、カップに行き着く。
彼がサングラスを外している姿は初めて見る。鋭く理知的な目つきは見慣れたものだが、その瞳の色は普段より穏やかなものに感じられる。
「これか? これはコーヒーだ」
「ええっ?」
ゴドーの言葉に俺たちは戸惑い、顔を見合わせた。
ドロシーの話では、ゴドーはコーヒー豆を求めていたが、結局手に入らなかったはずだ。
「飲んでみるか?」
ゴドーは机に置かれた白いカップに軽く視線を向ける。
カップの中には、温かそうな黒い液体が注がれている。
その見た目から味は想像できない。夜の闇よりよほど深く、濁りのない黒色。吸い込まれそうなその深淵にどんなものが眠っているのか、興味が湧かないと言えば嘘になるだろう。
ゴドーの誘いに、カリーナが恐る恐る答えた。
「……いいんですか?」
ここに来るまでゴドーへのフラストレーションを抱えていたらしいカリーナも、好奇心をくすぐられたらしい。毒気の抜けた、あどけない視線をゴドーに向ける。
「ああ。気になるんだろう?」
ゴドーは手際良く三人分のティーカップを用意すると、その中に黒い液体を注いでいく。
よく熱された湯がフラスコから注がれるたびに、カップから熱気がふわりと立ち昇る。
ゴドーは全員分のコーヒーを用意すると、カップをそれぞれに差し出した。
さぁ、飲んでみろ、ということだ。
「では……」
「ごちになるぜ」
カリーナとドロシーは、コーヒーに口をつけた。
それを確認してから、俺も倣ってカップの中の液体を飲んでみる。
(……!)
「うぇー……なんか、にがくないですか?」
「コーヒーってのはその酸味やコクを楽しむもんなのさ」
舌を出したカリーナを見て、ドロシーが笑いながら答える。
しかし、それだけだ。
どうして二人ともその程度で済んでいるのだろう。こんなものが高級嗜好品だということも、とても信じられない。この世のものと思えない熾烈な苦さだ。
苦みに耐え切れず、口元を押さえる。
人から勧められたものでなければ今すぐ吐き出したいところだ。
「ほら、隊長補佐を見てみなよ。あれはテイスティングって言って、じっくり香りを楽しんでるのさ」
「へぇ~……さすが八神さん、博識ですね」
……違う。そう否定することも敵わず、目を深く閉じ押し黙る。
「あとは啜るようにして口に含んだら、舌の上で転がしてたっぷりと味わう。口の中全体にコーヒーが広がるようにね」
「……!」
気づけばカリーナが期待するように、ドロシーが見てごらんという流し目で俺を見ていた。
まさか、今言っていたようにやれと言うのだろうか。
苦い液体を口に含んで、飲み込むことも許されないままその苦行に耐え続けろと……
しかし、ここで飲まなければゴドーの面目を潰すことになる。
仲間の期待にはなるべく応えたいというのも心情だ。
(やってやれないことはない、か……!)
覚悟を決めた俺は、勢いよくカップを傾けた。直後、形容しがたい熱さと苦みで、胸が灼かれる。
「へぇー。昔の人たちはこうして楽しんでいたんですね」
「ま、こんなに迫力は必要ないと思うけどね」
「どうだ? コーヒーっぽい味がするだろ?」
俺が苦みと格闘していると、サングラスをかけ直したゴドーが、そんな風に声をかけてくる。
「コーヒーっぽい? って、ことはこれ、本物じゃないのかい?」
「ああ、まがい物だ。豆が手に入らないから、違う素材で味を再現しているのさ」
そう言いながら、ゴドーは机を軽くノックした。
その振動で、机に置かれた実験器具がかすかに揺れる。
「じゃあ、その実験器具はコーヒーを作るためのものなんですか?」
「そういうことだ。コーヒーとしては未完成で調整中だが……飲めはするだろう?」
「ええ……」
無理矢理飲み込み、辛うじて答えた。
胸の奥から迫るものがあり、それ以上の言葉は紡げない。
「ふむ……もう少し改良は必要そうだな」
俺の微妙な表情をどう受け取ったのか、ゴドーは神妙な面持ちになる。
「私は本来の味を知らないので、これが美味しいのか分かりませんけど……とにかく、苦いです」
「それがコーヒーだ。ミルクと砂糖を入れてもいいが、そんな貴重品は手元にないな」
「そうですか……」
そこでカリーナは一息ついて、恐る恐るという様子でゴドーに尋ねる。
「あの、これがゴドーさんの趣味なんですか?」
「趣味? ああ、そうだ。限りなくコーヒーに近いコーヒーを追求している」
軽く頷き、ゴドーは話を続ける。
「これが実に奥深いものでな、凝り出すとやめられなくなるんだ。色、艶、香り、舌触り……そして味の調和に無数の正解があってな」
「……」
いつもより饒舌なゴドーを見て、カリーナは二の句を告げずに黙っていた。
苦言を呈するつもりで来たら、思いのほか楽しそうで言えなくなった……というところか。
そんなカリーナの様子を見て、ドロシーが代わりに口を開く。
「……で、そのコーヒーっぽいものの材料は何なのさ? 全然違う食材とか、生えてる草とか?」
「身近な物から、君の想像できない物まで微量に入っている。だが、現在の素材だけでは、今一つ完成度が高くない」
ゴドーはゆっくり立ち上がり、サングラスの位置を直す。
「今以上のものを目指すとしたら、一つ決断を下さねばならない」
「……決断とは、なんでしょうか?」
「このコーヒーに足りない物を入れるんだ。……君にも味の感想を訊けるようになった訳だし、いい機会だ。ちょっと付き合ってくれ」
(俺に感想を……?)
気になる言葉が飛び出した気がしたが、俺が声をあげる前にカリーナが先に口を開いた。
「付き合うって、どこにいくんです?」
「素材を獲りに行く。カリーナ、オペレートを頼む」
「オペレートって、まさかゴドーさん!?」
作戦中のように淡々と言ったゴドーに、カリーナが呆れと疑いの交じり合った声をあげる。
しかしそれには構わず、ゴドーはさっさと歩いていく。
「あくまでもネブカドネザルの調査、そのついでだ」
乾いた大地を歩きながら、ゴドーの後ろをついていく。
ゴドーは一言も語らず、周囲には俺とゴドーの足音だけが響いていた。
しばらく歩いたところで、目の前の影が立ち止まる。
「付き合わせてすまんな」
振り向きながら、ゴドーはそう言った。
佇まいは普段と変わらないが、言葉の端々が少し柔らかいように感じる。
素材探しに付き合わせたことを、申し訳なく思っているのだろうか。
「構いません。いきなり隊長を訪ねたのは、俺たちのほうですし」
「そうか。では、存分にこき使っても問題ないな」
ゴドーはそう言って表情を緩めた。
口角を上げただけのようにも見えたが、サングラスに隠された瞳も柔和に微笑んでいる。
(珍しい……)
そう思った時には、ゴドーは普段の冷静な顔つきに戻っていた。
それから彼は軽く周囲を見渡すと、淡々と言葉を紡ぎ出す。
「君はこの一帯にいるアラガミを倒しておいてくれ。俺は少しばかり素材探しをさせてもらう」
「それはつまり……隊長は戦闘に参加しない、ということですか?」
視界の端で、ゆっくりと細い影が蠢いている。一体、いや最低でも三体か。
影の形から察するに、恐らくシユウの群れだろう。
大した相手でないと言えばそうなのだが……
「必要最低限の戦闘行動は行うが、あの程度の掃討なら君だけで十分だ」
そう言って、ゴドーは神機を構える。
「アラガミを舐めている訳じゃない。ちと考えがあってのことでな」
「……やはりそうでしたか」
無駄なことをする男ではない。彼の補佐に就いてからの期間はまだ短いが、ゴドーと共に戦ってきた経験から確信できる。
その目的は定かではないが……彼が話さない以上は、現状俺が知る必要のないことなのだろう。
俺は自身の神機を構え、一番近くにいるアラガミに標準を定める。
「任せたぞ。彼女にもそう伝えてくれ」
「はい、お任せください」
「……」
ゴドーの言葉に、現れた白い髪の少女が答えた。
それを見た俺の心が一瞬、揺らぐ。
「どうかされましたか?」
「いや……なんでもない」
彼女が俺のほうをじっと見つめてくる。
しかし、この感情について、彼女に説明することはできない。
俺は気を取り直してゴドーに向き直った。
今の間に、彼に話しておかなければならないことがある。
「それで、ゴドー隊長。取りに行く素材についてですが……」
「詳しく話すつもりはない……いずれ、意味が分かる時が来る。それは約束しよう」
「いえ、その……」
どうもゴドーは、コーヒー素材の収集を建前に、何か重要な素材を収集しに来たという様子だ。
だが、今の俺にとって重要なのはむしろ、彼が建前に用意するコーヒー素材のほうだった。
先ほどは話す機会を逃したが、どうも周囲からコーヒー通だと誤解されている気がしてならない。
今のうちに否定しておかないと、またアレを飲まされることになりそうなのだが……
目の前でじりじりと、アラガミの影が蠢いた。
(……! こちらに気づいたか)
こうなるともう、無駄話をしている時間はなかった。
「では、頼むぞ」
その声とともにゴドーが勢いづけて飛び出す。そのまま例の素材を収集に行くのだろう。
それを止めるべきか否か……一瞬躊躇したが、アラガミに背を向ける訳にもいかない。
結局その場に踏み止まった俺は、アラガミの注意を引くべく駆け出した。
「ガァアアアアアッ!!」
雄叫びを上げ、最後のシユウが倒れる。
そのアラガミが大地に伏せたまま動かなくなるのを確認すると、俺は軽く息をついた。
(隊長のほうはどうなったんだ……?)
まだ収集を終えていないなら、今からでもコーヒーが苦手だと打ち明けにいくべきだろう。
幸いシユウの討伐に時間はほとんどかからなかった。今ならまだ、ゴドーも素材を集めきっていないだろう。
そう考えて駆け出そうとした時だった。
「こっちの作業も終わった。帰るか」
「はやっ……!?」
背後から涼しい顔をしたゴドーが声をかけてくる。
『隊長補佐のリアクションも速いですよ。さすが、ゴッドイーターですねえ……』
カリーナが通信機越しに呑気に言ったが、俺の関心は他にある。
ゴドーが脇に抱えたアレ、アラガミの部位らしき奇妙な翼手は、一体何なのだろう。
まさかとは思うが、コーヒーの素材……
いや。きっともう一つの目的のためのものだろう。そう信じたい。
信じたいが……いずれにせよ、俺は間に合わなかったようだ。
「さぁ、支部に戻ろうか。付き合わせた礼だ、一杯奢ろう」
「……はい」
厚意を無碍にすることはできない。俺は死地に赴くような心地で、ゴドーの後に続いて歩いた。
その間も、あの奇妙な翼手が目の前にちらついている。
今度のコーヒーは更に強烈なものになりそうだが……俺は耐えられるのだろうか。
香ばしい香りが部屋の中いっぱいに広がっていた。
その香りは、俺の目の前にある、一杯のティーカップから湧き立っている。
「手に入れた素材で味を調整してみた。飲んでみてくれ」
そう言いながら、ゴドーはこちらにカップを差し出す。
その振動で、中に入っている黒々とした液体がわずかに揺れた。
コーヒーの完成を見届けていた俺とカリーナ、ドロシーは香り立つ液体をじっと見つめる。
この香り自体は嫌いではない。が、肝心なのはその味だ。
あの苦みが、調整によって更に進化を遂げているかと思うと、どうしても尻込みしてしまう。
すると俺の隣から、ドロシーがごくりと喉を鳴らしてカップを覗き込んだ。
「どれどれ? 味は変わったかな……」
そう言って彼女は、ティーカップの持ち手に触れようとする。
このまま彼女に飲んでもらえるなら好都合だと思ったが、そこでゴドーがその手を遮る。
「カリーナとドロシーはダメだ」
「えーっ、だいぶ待ったのに、あたしたちはお預けかい?」
「やっぱり、危険物が入ってるんですね!?」
ゴドーの言葉にドロシーが不満を、カリーナは不安を爆発させる。
そんなカリーナの反応を見て、ゴドーは呆れたように溜息をつく。
「おいおい、俺が飲むために作っているんだぞ。危険なものではないさ……俺たちゴッドイーターにとってはな」
「それって、どう考えてもアラガミ由来の何かなんじゃ……」
ぼそりと言ったゴドーの言葉に、カリーナが肩を震わせる。
そこでゴドーは、改めてティーカップを俺の前に差し出した。
「セイ、君がこれを飲むんだ」
「俺、ですか……?」
その言葉を受け、身体の芯が冷えるように感じた。
恐る恐るティーカップを受け取ると、改めて間近から匂いを嗅いでみる。
俺の疑り深い様子が気になったのか、ゴドーは口を開いた。
「そもそも、コーヒーの成分調整はごく微量な隠し味の調整程度だ。健康に影響が出ることはない」
「…………」
そう言われても、帰り際に見た鋼のような光沢を持つ翼手が脳裏にちらつく。
どうして健康の心配をしなくてはならないものを、飲む必要があるのかも不明だ。
「さ、味わって感想を聞かせてくれ」
しかしゴドーは厚意から引かず、ここに至っては今さら飲めないとも言う訳にもいかない。
覚悟を決めるしかないだろう……俺はこれまで乗り越えてきた、苦しい場面を脳裏に描く。
食事についても、子供の頃は好き嫌いがたくさんあった。それをマリアと共に、乗り越えてきた経験がある。
マリアはもういないが……だからこそコーヒーとは、俺の手で決着をつけなければならない。
俺は覚悟を決めると、思い切りティーカップに口をつけた。
「……!」
そのまま天を仰いで一気に飲み干す。
口の中一杯に苦みが広がり、熱によって胸の奥から喉まで焼ける……そうしたことを想像した。
だが……
「どうだ?」
「……美味い」
眉を寄せつつも、そう漏らしていた。
悪く想像し過ぎていたせいだろうか……
確かに苦みはある。が、我慢できないものではない。
いや、それどころか……
「前回の物より、まろみと香ばしさが出たはずだろう?」
ゴドーが口元を歪めて言った。
彼の言う通りだ。苦みだけではない確かな味わいが、この一杯の中には込められている。
その苦みさえ、慣らせば癖になるかもしれない。
これで隣に、マリアの作ったクッキーでもあれば理想的な間食と言えるだろう。
「うぇー……あんな得体の知れないもの、八神さんはよくおいしそうに飲めますね」
一気に飲んだせいか、酔いのようなものも感じるが、しかし全体としては悪くない。
ゴドーも俺の反応を見てから、満足そうに自身のティーカップにコーヒーを注いでいく。
そんな俺たちの様子についていけない様子のカリーナが、拗ねるようにして尋ねてくる。
「……その、肝心なことを訊きますけど、この趣味ってそんなに大切なものなんですか?」
「ゴッドイーターは偏食因子を投与することで、アラガミを倒せる唯一の武器、神機を身体に適合させている」
手を動かしながら、ゴドーは淡々と答えた。
「しかし、偏食因子の投与を続けることで、ゴッドイーターの身体は次第にオラクル細胞を抑えきれなくなり、最終的にはアラガミ化する」
「知っています。だから、アラガミになってしまう前に、引退するんですよね?」
カリーナの瞳からは、まだ疑問の色が消えない。
「ああ……。だが、無事に引退できたゴッドイーターは少ない。戦いの中で死ぬか、アラガミ化の末路を辿る者がほとんどだ」
「引退、できないんだってな。どこも戦力不足でさ、少しでも長く続けざるを得ないって聞くよ」
幾ばくか声のトーンを落としつつ、ドロシーは話す。
だが、こればかりは仕方がない。
戦いの中で生きるゴッドイーターの未来は、明るいものではない。それが現実だ。
「ああ。そこで俺は考えた……ゴッドイーターを長く続ける秘訣は何か? 神機の適合率が高いほうがいいらしいが、他にはないのかとな」
「ゴドーさんが趣味を大事にするのは、それが理由ですか……?」
寂しげに目を伏せるカリーナに対し、ゴドーはどこまでも表情を崩さない。
「ゴッドイーターがアラガミを倒し、捕喰するだけの存在になったら、もはやアラガミと同じだ……。それは、アラガミ化を早める、と俺は考える」
だから、ゴッドイーターが『人』であるために、趣味を大切にする。
ゴドーはそう言いたいらしい。
あらかた言い終えると、ゴドーは顔を上げ、俺たちのほうへ向き直った。
彼は俺たちを安心させるように、ニヤリと口角を引き上げる。
「まぁ、科学的な根拠も証拠もない、ただの個人的な感覚だがな」
その言葉を聞き、カリーナは深い溜息をつく。
「なるほど……。趣味には、そんな意味があったんですね」
「そうかい? あたしには、ただの言い訳にも聞こえるけどな……」
ドロシーはそう言って胡乱げにゴドーを見るが、カリーナのほうはある程度納得したらしい。
「とにかく、趣味のことは分かりました。……でも、不真面目な態度は程々にしておいてくださいね? ただでさえゴドーさんは、あの優秀なクロエ支部長さんと比べられやすいんですから」
「そうそう。可愛い部下を心配させちゃ駄目だぞ?」
「……心配なんてしてません」
ドロシーに茶化され、カリーナがむくれてみせる。……なるほど、ゴドーの趣味を知りたがっていたのは、カリーナなりの心配と気遣いだったらしい。
最近はクロエに心酔する印象が強かったカリーナだったが、前支部長のことも変わらず気にかけていたらしい。
ゴドーにもそれが伝わったらしく、彼はいつもの皮肉げな笑みで答えてみせた。
「一応考慮しておこう」
「上手くやったようだな」
灰色の壁にもたれかかりながら、JJはそう笑った。
「なあに、嘘は一つもないさ。コーヒーは俺の趣味だ」
「ハハッ、違いない……」
JJの笑い声を聞きながら、俺は机の上に広げたティーカップと実験器具を片付けにかかる。
今日はコーヒーの精製に長く時間を割いてしまった。
それも、珍しい客が部屋を訪れていたからなのだが。
「それにしても多趣味ってのは、いいもんだなあ? タバコと酒もやっとくか?」
「遠慮させてもらおう。コーヒーの香りが台無しになる」
JJがタバコを吸うようなジェスチャーをするが、手で振り払い、嫌悪の姿勢を見せる。
コーヒーはカモフラージュ用の趣味に過ぎないが、それでも楽しみの一つには違いない。
(それに、タバコや酒で前頭葉を刺激されては、もう一つの趣味に支障が出る)
あらかた机が片付くと、JJが卓上に頼んでおいた物をそっと置いた。
それは神機のパーツと、それを構成する部品の数々。
俺はパーツを手に取り、じっと外装や内部を見渡した。
精密機器に触れていると、コーヒーを摂取した時とはまた別の刺激がある。
「……では、もう一つの趣味の時間といこうか」
神機のメンテナンスを終え、支部の広場を歩く。
支部長が代わってしばらく経ったが、周囲の様子に大きな変化はない。
いや、それどころか一帯は穏やかな雰囲気に包まれていると言っていいだろう。
クロエ支部長は相当上手くやっているらしい。サテライト拠点建設の方針を大々的に打ち出し、同時にそのための的確な方策を各部署に指示した。
過干渉を避け、しかしきっちりと手綱は握り、それぞれの担当者に対し均等に一定の負担を課している。
ゴドーも匙を投げた、ポルトロンが支部長だった頃からの不満解消にも取り組んでいるそうだ。
おかげで支部の人々の顔色は、アラガミ増加が深刻化する前と同じか、その頃よりも明るくなっているように感じる。
そんな周囲を眺めつつ、自室に向かおうとしていると、見知った女性がこちらにやってくる。
「こんにちは、隊長補佐! あの、ちょっとよろしいでしょうか?」
カリーナに軽く手招きされて、疑問に思いつつその後に続いていく。
そのまま彼女は、支部の一室へと俺を導いた。
「お休み中に呼び出してしまって、すみません」
部屋の扉が完全に閉ざされるのを確認してから、カリーナは俺に視線を向けた。
「隊長やレイラたちはいいんですか?」
「ええ。実は、あなたに折り入ってお願いがありまして……」
また何かトラブルが発生したのだろうか。そう思って姿勢を正す。
カリーナは真剣な表情で言葉を続ける。
「ゴドーさんの趣味について、知りたくないですか?」
「隊長の趣味を……?」
その言葉を聞いた途端、少し肩の力が抜ける。
とりあえず、大きなトラブルが起きた訳ではなさそうだ。
俺の脱力に気がついたのか、カリーナは慌てて説明を続ける。
「ゴドーさんは『趣味の時間』と言って、仕事を終えるとすぐ部屋に戻っちゃうじゃないですか」
「……確かにそうですが」
「その趣味がなんなのか、知りたくありませんか?」
カリーナはそう言って、期待を込めた表情を俺に向ける。
つまるところ、俺にゴドーの趣味を探る協力をして欲しいようだ。
いつもキッチリと任務を片付けるゴドーが傾倒する趣味。気にならないとは言えないが……
「プライベートなことでは?」
「じゃあ、セイさんはゴドーさんが仕事の終わりに何をしているのか、聞いたことがありますか?」
「……いえ」
思い出すまでもなく、ゴドーのプライベートについては何も知らない。
俺の返事を聞くと、カリーナはニヤリと目を細める。
「ここまで完璧に隠すということは、心にやましいものがあるかもしれませんよ?」
ゴドーに限って、そんなことはないと思うが……
無茶を言っているという自覚はあるのだろう。その目は泳ぎ気味だったが、それでも引かない辺り、カリーナはどうしてもゴドーの趣味が気になるらしい。
彼女の好奇心を無碍にもできず言い及んでいると、部屋の扉が静かに開いた。
「探偵さんの集まりはここかい?」
声に振り向くと、ドロシーが悪い笑みを浮かべつつ入ってくる。
「もしかして、彼女も趣味の調査に?」
「はい! ドロシーにも声をかけておきました」
カリーナは笑顔で頷く。
さすがヒマラヤ支部が誇るオペレーターだ。根回しが行き届いている。
「物資や携行品売買を行っているドロシーなら、個人がどんな物を買うか把握しています。その記録を探ってですね……」
「購入の記録から趣味を探ろうと?」
「ええ! その通りです!」
自棄だ。彼女は常識や良識を分かったうえで、敢えて無視する人の顔をしている。
以前、カリーナはゴドーの不真面目さに腹を立て、喧嘩をしていたことがあったが……今回もそれに似たことがあったのかもしれない。
「…………」
目的を持った人間を止めることは容易ではない。下手に逆らえばその刃をこちらに向けられる可能性もある。……ここは素直に従っておいた方がよさそうだ。
「早速ですが、最近、ゴドーさんは妙な物を買ったりしていませんか?」
ドロシーに向き直ったカリーナが、話を切り出す。
「んー……、隊長さんはたまに回復錠とか、仕事で使う物を買うくらいだな」
「他には覚えていませんか? 例えば、取り寄せをお願いされたとか……」
「そういうのも、特には……あ、一度だけあったな」
顎に手を当てていたドロシーが、ポンと手を打つ。
「な、何を取り寄せたんですか!」
距離を詰めるカリーナに向け、確か、と一言置き、ドロシーが言葉を続ける。
「コーヒー豆が手に入らないかって、それも東南アジア産の」
「……そんな物を?」
思わず声が漏れる。
コーヒーといえば、過去に世界中で広まった嗜好飲料のことだろう。今では愛好家も少ないが、ある種の中毒性があったと聞いている。
そういえばこの間、ゴドーが産業棟をふらついていたことがあったが……彼の用件はそれだったのだろうか。
「コーヒーとは、またずいぶん高級……というかレアなものですね。もう栽培している場所がなくて、ほとんど手に入らないとか」
「ああ、だから結局豆は手に入らなかったんだよ。ま、こんなろくに草も生えない壁の中じゃあ、当たり前だよな」
そう言ってドロシーは、暗く狭い部屋の中を見渡し、一つため息を吐いた。
嗜好品が手に入りにくいのはヒマラヤ支部だけではない。
食糧事情は地方ごとに多少差があれど、余裕がある場所はほとんどない。
支部の地下にある食料生産設備は、食料優先で嗜好品は二の次。一度備蓄が枯渇しかけたヒマラヤ支部では、嗜好品は皆無に近い。
「でも、なんでコーヒーなんでしょうね? ゴドーさん、コーヒーなんて飲める環境で育ったんでしょうか」
確かに、常に無駄を嫌って行動するゴドーが、高級な嗜好品を欲しがる姿は少々想像しづらい。
「さあな? それくらいは直接訊いてみたらどうだい」
ドロシーの言葉を聞くと、カリーナは一度唸りながら視線を下げる。
やはり、喧嘩をしているのだろうか。あまり気乗りはしないようだったが……
「……分かりました」
少しの沈黙の後、彼女は顔を上げて観念するようにそう言った。
「では、みんなでゴドーさんのところに行ってみましょうか」
「みんなって……」
(……俺たちも行くのか?)
ドロシーと顔を見合わせたが、すでに決めてしまった様子のカリーナの手前、はっきりとは言い出せなかった。
まあ、俺の仕事は周囲のフォローなので、これも例外ではない……かもしれない。
翌日。
俺はカリーナとドロシーとともに、とある部屋の前に来ていた。
閉ざされた扉に一歩近づくと、静かに入り口が開かれる。
そこは、簡素な資材置き場だった。司令室などの主要な施設から遠いため誰にも利用されないその場所を、ゴドーは自分の研究施設のようにして私的に利用しているらしい。
打ちっぱなしの壁に囲まれたガランとした部屋の中に、ゴドーの背中が見える。
後ろからでは分からないが、カチャカチャと何か実験器具のようなものを弄っているらしかった。
「ほら、声をかけるんだろ?」
隣でドロシーが、尻込みするカリーナの背中を押す。
「あの……失礼しますっ」
戸惑いながらもカリーナが言って、部屋に足を踏み入れる。
その後に続くと、慣れない香りが俺の鼻腔をくすぐった。
香ばしいような、酸っぱいような、不可思議なその匂いは、ゴドーが手に持つティーカップから漂ってきているらしい。
「ん……」
ティーカップを傾け、それに口をつけながら、ゴドーが俺たちのほうへ視線を向ける。
カップと、机に置かれた実験器具からは、温かな湯気がゆらゆらと漂っていた。
「えっと……ゴドーさん、それは?」
カリーナが戸惑いながら、ゴドーのほうへと指をさす。
ゴドーの視線がその指先を辿り、カップに行き着く。
彼がサングラスを外している姿は初めて見る。鋭く理知的な目つきは見慣れたものだが、その瞳の色は普段より穏やかなものに感じられる。
「これか? これはコーヒーだ」
「ええっ?」
ゴドーの言葉に俺たちは戸惑い、顔を見合わせた。
ドロシーの話では、ゴドーはコーヒー豆を求めていたが、結局手に入らなかったはずだ。
「飲んでみるか?」
ゴドーは机に置かれた白いカップに軽く視線を向ける。
カップの中には、温かそうな黒い液体が注がれている。
その見た目から味は想像できない。夜の闇よりよほど深く、濁りのない黒色。吸い込まれそうなその深淵にどんなものが眠っているのか、興味が湧かないと言えば嘘になるだろう。
ゴドーの誘いに、カリーナが恐る恐る答えた。
「……いいんですか?」
ここに来るまでゴドーへのフラストレーションを抱えていたらしいカリーナも、好奇心をくすぐられたらしい。毒気の抜けた、あどけない視線をゴドーに向ける。
「ああ。気になるんだろう?」
ゴドーは手際良く三人分のティーカップを用意すると、その中に黒い液体を注いでいく。
よく熱された湯がフラスコから注がれるたびに、カップから熱気がふわりと立ち昇る。
ゴドーは全員分のコーヒーを用意すると、カップをそれぞれに差し出した。
さぁ、飲んでみろ、ということだ。
「では……」
「ごちになるぜ」
カリーナとドロシーは、コーヒーに口をつけた。
それを確認してから、俺も倣ってカップの中の液体を飲んでみる。
(……!)
「うぇー……なんか、にがくないですか?」
「コーヒーってのはその酸味やコクを楽しむもんなのさ」
舌を出したカリーナを見て、ドロシーが笑いながら答える。
しかし、それだけだ。
どうして二人ともその程度で済んでいるのだろう。こんなものが高級嗜好品だということも、とても信じられない。この世のものと思えない熾烈な苦さだ。
苦みに耐え切れず、口元を押さえる。
人から勧められたものでなければ今すぐ吐き出したいところだ。
「ほら、隊長補佐を見てみなよ。あれはテイスティングって言って、じっくり香りを楽しんでるのさ」
「へぇ~……さすが八神さん、博識ですね」
……違う。そう否定することも敵わず、目を深く閉じ押し黙る。
「あとは啜るようにして口に含んだら、舌の上で転がしてたっぷりと味わう。口の中全体にコーヒーが広がるようにね」
「……!」
気づけばカリーナが期待するように、ドロシーが見てごらんという流し目で俺を見ていた。
まさか、今言っていたようにやれと言うのだろうか。
苦い液体を口に含んで、飲み込むことも許されないままその苦行に耐え続けろと……
しかし、ここで飲まなければゴドーの面目を潰すことになる。
仲間の期待にはなるべく応えたいというのも心情だ。
(やってやれないことはない、か……!)
覚悟を決めた俺は、勢いよくカップを傾けた。直後、形容しがたい熱さと苦みで、胸が灼かれる。
「へぇー。昔の人たちはこうして楽しんでいたんですね」
「ま、こんなに迫力は必要ないと思うけどね」
「どうだ? コーヒーっぽい味がするだろ?」
俺が苦みと格闘していると、サングラスをかけ直したゴドーが、そんな風に声をかけてくる。
「コーヒーっぽい? って、ことはこれ、本物じゃないのかい?」
「ああ、まがい物だ。豆が手に入らないから、違う素材で味を再現しているのさ」
そう言いながら、ゴドーは机を軽くノックした。
その振動で、机に置かれた実験器具がかすかに揺れる。
「じゃあ、その実験器具はコーヒーを作るためのものなんですか?」
「そういうことだ。コーヒーとしては未完成で調整中だが……飲めはするだろう?」
「ええ……」
無理矢理飲み込み、辛うじて答えた。
胸の奥から迫るものがあり、それ以上の言葉は紡げない。
「ふむ……もう少し改良は必要そうだな」
俺の微妙な表情をどう受け取ったのか、ゴドーは神妙な面持ちになる。
「私は本来の味を知らないので、これが美味しいのか分かりませんけど……とにかく、苦いです」
「それがコーヒーだ。ミルクと砂糖を入れてもいいが、そんな貴重品は手元にないな」
「そうですか……」
そこでカリーナは一息ついて、恐る恐るという様子でゴドーに尋ねる。
「あの、これがゴドーさんの趣味なんですか?」
「趣味? ああ、そうだ。限りなくコーヒーに近いコーヒーを追求している」
軽く頷き、ゴドーは話を続ける。
「これが実に奥深いものでな、凝り出すとやめられなくなるんだ。色、艶、香り、舌触り……そして味の調和に無数の正解があってな」
「……」
いつもより饒舌なゴドーを見て、カリーナは二の句を告げずに黙っていた。
苦言を呈するつもりで来たら、思いのほか楽しそうで言えなくなった……というところか。
そんなカリーナの様子を見て、ドロシーが代わりに口を開く。
「……で、そのコーヒーっぽいものの材料は何なのさ? 全然違う食材とか、生えてる草とか?」
「身近な物から、君の想像できない物まで微量に入っている。だが、現在の素材だけでは、今一つ完成度が高くない」
ゴドーはゆっくり立ち上がり、サングラスの位置を直す。
「今以上のものを目指すとしたら、一つ決断を下さねばならない」
「……決断とは、なんでしょうか?」
「このコーヒーに足りない物を入れるんだ。……君にも味の感想を訊けるようになった訳だし、いい機会だ。ちょっと付き合ってくれ」
(俺に感想を……?)
気になる言葉が飛び出した気がしたが、俺が声をあげる前にカリーナが先に口を開いた。
「付き合うって、どこにいくんです?」
「素材を獲りに行く。カリーナ、オペレートを頼む」
「オペレートって、まさかゴドーさん!?」
作戦中のように淡々と言ったゴドーに、カリーナが呆れと疑いの交じり合った声をあげる。
しかしそれには構わず、ゴドーはさっさと歩いていく。
「あくまでもネブカドネザルの調査、そのついでだ」
乾いた大地を歩きながら、ゴドーの後ろをついていく。
ゴドーは一言も語らず、周囲には俺とゴドーの足音だけが響いていた。
しばらく歩いたところで、目の前の影が立ち止まる。
「付き合わせてすまんな」
振り向きながら、ゴドーはそう言った。
佇まいは普段と変わらないが、言葉の端々が少し柔らかいように感じる。
素材探しに付き合わせたことを、申し訳なく思っているのだろうか。
「構いません。いきなり隊長を訪ねたのは、俺たちのほうですし」
「そうか。では、存分にこき使っても問題ないな」
ゴドーはそう言って表情を緩めた。
口角を上げただけのようにも見えたが、サングラスに隠された瞳も柔和に微笑んでいる。
(珍しい……)
そう思った時には、ゴドーは普段の冷静な顔つきに戻っていた。
それから彼は軽く周囲を見渡すと、淡々と言葉を紡ぎ出す。
「君はこの一帯にいるアラガミを倒しておいてくれ。俺は少しばかり素材探しをさせてもらう」
「それはつまり……隊長は戦闘に参加しない、ということですか?」
視界の端で、ゆっくりと細い影が蠢いている。一体、いや最低でも三体か。
影の形から察するに、恐らくシユウの群れだろう。
大した相手でないと言えばそうなのだが……
「必要最低限の戦闘行動は行うが、あの程度の掃討なら君だけで十分だ」
そう言って、ゴドーは神機を構える。
「アラガミを舐めている訳じゃない。ちと考えがあってのことでな」
「……やはりそうでしたか」
無駄なことをする男ではない。彼の補佐に就いてからの期間はまだ短いが、ゴドーと共に戦ってきた経験から確信できる。
その目的は定かではないが……彼が話さない以上は、現状俺が知る必要のないことなのだろう。
俺は自身の神機を構え、一番近くにいるアラガミに標準を定める。
「任せたぞ。彼女にもそう伝えてくれ」
「はい、お任せください」
「……」
ゴドーの言葉に、現れた白い髪の少女が答えた。
それを見た俺の心が一瞬、揺らぐ。
「どうかされましたか?」
「いや……なんでもない」
彼女が俺のほうをじっと見つめてくる。
しかし、この感情について、彼女に説明することはできない。
俺は気を取り直してゴドーに向き直った。
今の間に、彼に話しておかなければならないことがある。
「それで、ゴドー隊長。取りに行く素材についてですが……」
「詳しく話すつもりはない……いずれ、意味が分かる時が来る。それは約束しよう」
「いえ、その……」
どうもゴドーは、コーヒー素材の収集を建前に、何か重要な素材を収集しに来たという様子だ。
だが、今の俺にとって重要なのはむしろ、彼が建前に用意するコーヒー素材のほうだった。
先ほどは話す機会を逃したが、どうも周囲からコーヒー通だと誤解されている気がしてならない。
今のうちに否定しておかないと、またアレを飲まされることになりそうなのだが……
目の前でじりじりと、アラガミの影が蠢いた。
(……! こちらに気づいたか)
こうなるともう、無駄話をしている時間はなかった。
「では、頼むぞ」
その声とともにゴドーが勢いづけて飛び出す。そのまま例の素材を収集に行くのだろう。
それを止めるべきか否か……一瞬躊躇したが、アラガミに背を向ける訳にもいかない。
結局その場に踏み止まった俺は、アラガミの注意を引くべく駆け出した。
「ガァアアアアアッ!!」
雄叫びを上げ、最後のシユウが倒れる。
そのアラガミが大地に伏せたまま動かなくなるのを確認すると、俺は軽く息をついた。
(隊長のほうはどうなったんだ……?)
まだ収集を終えていないなら、今からでもコーヒーが苦手だと打ち明けにいくべきだろう。
幸いシユウの討伐に時間はほとんどかからなかった。今ならまだ、ゴドーも素材を集めきっていないだろう。
そう考えて駆け出そうとした時だった。
「こっちの作業も終わった。帰るか」
「はやっ……!?」
背後から涼しい顔をしたゴドーが声をかけてくる。
『隊長補佐のリアクションも速いですよ。さすが、ゴッドイーターですねえ……』
カリーナが通信機越しに呑気に言ったが、俺の関心は他にある。
ゴドーが脇に抱えたアレ、アラガミの部位らしき奇妙な翼手は、一体何なのだろう。
まさかとは思うが、コーヒーの素材……
いや。きっともう一つの目的のためのものだろう。そう信じたい。
信じたいが……いずれにせよ、俺は間に合わなかったようだ。
「さぁ、支部に戻ろうか。付き合わせた礼だ、一杯奢ろう」
「……はい」
厚意を無碍にすることはできない。俺は死地に赴くような心地で、ゴドーの後に続いて歩いた。
その間も、あの奇妙な翼手が目の前にちらついている。
今度のコーヒーは更に強烈なものになりそうだが……俺は耐えられるのだろうか。
香ばしい香りが部屋の中いっぱいに広がっていた。
その香りは、俺の目の前にある、一杯のティーカップから湧き立っている。
「手に入れた素材で味を調整してみた。飲んでみてくれ」
そう言いながら、ゴドーはこちらにカップを差し出す。
その振動で、中に入っている黒々とした液体がわずかに揺れた。
コーヒーの完成を見届けていた俺とカリーナ、ドロシーは香り立つ液体をじっと見つめる。
この香り自体は嫌いではない。が、肝心なのはその味だ。
あの苦みが、調整によって更に進化を遂げているかと思うと、どうしても尻込みしてしまう。
すると俺の隣から、ドロシーがごくりと喉を鳴らしてカップを覗き込んだ。
「どれどれ? 味は変わったかな……」
そう言って彼女は、ティーカップの持ち手に触れようとする。
このまま彼女に飲んでもらえるなら好都合だと思ったが、そこでゴドーがその手を遮る。
「カリーナとドロシーはダメだ」
「えーっ、だいぶ待ったのに、あたしたちはお預けかい?」
「やっぱり、危険物が入ってるんですね!?」
ゴドーの言葉にドロシーが不満を、カリーナは不安を爆発させる。
そんなカリーナの反応を見て、ゴドーは呆れたように溜息をつく。
「おいおい、俺が飲むために作っているんだぞ。危険なものではないさ……俺たちゴッドイーターにとってはな」
「それって、どう考えてもアラガミ由来の何かなんじゃ……」
ぼそりと言ったゴドーの言葉に、カリーナが肩を震わせる。
そこでゴドーは、改めてティーカップを俺の前に差し出した。
「セイ、君がこれを飲むんだ」
「俺、ですか……?」
その言葉を受け、身体の芯が冷えるように感じた。
恐る恐るティーカップを受け取ると、改めて間近から匂いを嗅いでみる。
俺の疑り深い様子が気になったのか、ゴドーは口を開いた。
「そもそも、コーヒーの成分調整はごく微量な隠し味の調整程度だ。健康に影響が出ることはない」
「…………」
そう言われても、帰り際に見た鋼のような光沢を持つ翼手が脳裏にちらつく。
どうして健康の心配をしなくてはならないものを、飲む必要があるのかも不明だ。
「さ、味わって感想を聞かせてくれ」
しかしゴドーは厚意から引かず、ここに至っては今さら飲めないとも言う訳にもいかない。
覚悟を決めるしかないだろう……俺はこれまで乗り越えてきた、苦しい場面を脳裏に描く。
食事についても、子供の頃は好き嫌いがたくさんあった。それをマリアと共に、乗り越えてきた経験がある。
マリアはもういないが……だからこそコーヒーとは、俺の手で決着をつけなければならない。
俺は覚悟を決めると、思い切りティーカップに口をつけた。
「……!」
そのまま天を仰いで一気に飲み干す。
口の中一杯に苦みが広がり、熱によって胸の奥から喉まで焼ける……そうしたことを想像した。
だが……
「どうだ?」
「……美味い」
眉を寄せつつも、そう漏らしていた。
悪く想像し過ぎていたせいだろうか……
確かに苦みはある。が、我慢できないものではない。
いや、それどころか……
「前回の物より、まろみと香ばしさが出たはずだろう?」
ゴドーが口元を歪めて言った。
彼の言う通りだ。苦みだけではない確かな味わいが、この一杯の中には込められている。
その苦みさえ、慣らせば癖になるかもしれない。
これで隣に、マリアの作ったクッキーでもあれば理想的な間食と言えるだろう。
「うぇー……あんな得体の知れないもの、八神さんはよくおいしそうに飲めますね」
一気に飲んだせいか、酔いのようなものも感じるが、しかし全体としては悪くない。
ゴドーも俺の反応を見てから、満足そうに自身のティーカップにコーヒーを注いでいく。
そんな俺たちの様子についていけない様子のカリーナが、拗ねるようにして尋ねてくる。
「……その、肝心なことを訊きますけど、この趣味ってそんなに大切なものなんですか?」
「ゴッドイーターは偏食因子を投与することで、アラガミを倒せる唯一の武器、神機を身体に適合させている」
手を動かしながら、ゴドーは淡々と答えた。
「しかし、偏食因子の投与を続けることで、ゴッドイーターの身体は次第にオラクル細胞を抑えきれなくなり、最終的にはアラガミ化する」
「知っています。だから、アラガミになってしまう前に、引退するんですよね?」
カリーナの瞳からは、まだ疑問の色が消えない。
「ああ……。だが、無事に引退できたゴッドイーターは少ない。戦いの中で死ぬか、アラガミ化の末路を辿る者がほとんどだ」
「引退、できないんだってな。どこも戦力不足でさ、少しでも長く続けざるを得ないって聞くよ」
幾ばくか声のトーンを落としつつ、ドロシーは話す。
だが、こればかりは仕方がない。
戦いの中で生きるゴッドイーターの未来は、明るいものではない。それが現実だ。
「ああ。そこで俺は考えた……ゴッドイーターを長く続ける秘訣は何か? 神機の適合率が高いほうがいいらしいが、他にはないのかとな」
「ゴドーさんが趣味を大事にするのは、それが理由ですか……?」
寂しげに目を伏せるカリーナに対し、ゴドーはどこまでも表情を崩さない。
「ゴッドイーターがアラガミを倒し、捕喰するだけの存在になったら、もはやアラガミと同じだ……。それは、アラガミ化を早める、と俺は考える」
だから、ゴッドイーターが『人』であるために、趣味を大切にする。
ゴドーはそう言いたいらしい。
あらかた言い終えると、ゴドーは顔を上げ、俺たちのほうへ向き直った。
彼は俺たちを安心させるように、ニヤリと口角を引き上げる。
「まぁ、科学的な根拠も証拠もない、ただの個人的な感覚だがな」
その言葉を聞き、カリーナは深い溜息をつく。
「なるほど……。趣味には、そんな意味があったんですね」
「そうかい? あたしには、ただの言い訳にも聞こえるけどな……」
ドロシーはそう言って胡乱げにゴドーを見るが、カリーナのほうはある程度納得したらしい。
「とにかく、趣味のことは分かりました。……でも、不真面目な態度は程々にしておいてくださいね? ただでさえゴドーさんは、あの優秀なクロエ支部長さんと比べられやすいんですから」
「そうそう。可愛い部下を心配させちゃ駄目だぞ?」
「……心配なんてしてません」
ドロシーに茶化され、カリーナがむくれてみせる。……なるほど、ゴドーの趣味を知りたがっていたのは、カリーナなりの心配と気遣いだったらしい。
最近はクロエに心酔する印象が強かったカリーナだったが、前支部長のことも変わらず気にかけていたらしい。
ゴドーにもそれが伝わったらしく、彼はいつもの皮肉げな笑みで答えてみせた。
「一応考慮しておこう」
「上手くやったようだな」
灰色の壁にもたれかかりながら、JJはそう笑った。
「なあに、嘘は一つもないさ。コーヒーは俺の趣味だ」
「ハハッ、違いない……」
JJの笑い声を聞きながら、俺は机の上に広げたティーカップと実験器具を片付けにかかる。
今日はコーヒーの精製に長く時間を割いてしまった。
それも、珍しい客が部屋を訪れていたからなのだが。
「それにしても多趣味ってのは、いいもんだなあ? タバコと酒もやっとくか?」
「遠慮させてもらおう。コーヒーの香りが台無しになる」
JJがタバコを吸うようなジェスチャーをするが、手で振り払い、嫌悪の姿勢を見せる。
コーヒーはカモフラージュ用の趣味に過ぎないが、それでも楽しみの一つには違いない。
(それに、タバコや酒で前頭葉を刺激されては、もう一つの趣味に支障が出る)
あらかた机が片付くと、JJが卓上に頼んでおいた物をそっと置いた。
それは神機のパーツと、それを構成する部品の数々。
俺はパーツを手に取り、じっと外装や内部を見渡した。
精密機器に触れていると、コーヒーを摂取した時とはまた別の刺激がある。
「……では、もう一つの趣味の時間といこうか」