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「GOD EATER ONLINE」が帰ってくる!
ストーリーノベル 第四章


「GOD EATER ONLINE」 STORY NOVEL ~4章-5話~

 俺が指定時間に支部の広場に訪れると、すでにゴドーとJJの姿があった。
「隊長より、隊長補佐殿に仕事を頼みたいが、いいか?」
 ゴドーは格式ばった言い方をしたが、口調自体は柔らかい。
「構いませんが、仕事というのは?」
「無論、ネブカドネザルの件だ」
 その名を聞いた途端、俺の脳裏にヤツの姿がはっきりと浮かぶ。
 目の色を変えた俺を見て、ゴドーがニヤリと口元を歪めた。
「支部にあるネブカドネザルに関するデータを再確認し、過去の出現地点からヤツの行動範囲を予測し、調査を行った」
 そこまで言うとゴドーは一度、俺とJJに目をやった。
「それで、何か掴めたのですか?」
「いや……リュウを襲ったあの日以来、ネブカドネザルは一度も支部の観測範囲内に現れた形跡がない」
「形跡がない……ここを離れたということですか?」
「状況を見て素直に判断すれば、その可能性が一番高い」
 ゴドーは首肯する。しかし、その表情はなんとも険しい。
「支部が最も混乱していた時に、ヤツはいなかった。好都合だったともいえるが、不気味だ」
 彼の言う通りだ。
 俺とマリアが初めて襲われたあの時から、ネブカドネザルは何度も何度も、俺たち第一部隊を襲撃してきた。
 そんなヤツが、俺たちが大事の時に限って姿を現さなかった。……こんな偶然があるのだろうか。
「これまでの出撃記録を見ても、レーダーで探知できず、奇襲を好み、奇襲が失敗したとみるとすぐに逃げ去る……ヤツはまるで、知性があるような動きをする」
「知性ねぇ……」
 JJが自身の口髭を掴み、ピンとはじきながら俺に話す。
「アラガミってヤツは見た目はああだが、オラクル細胞の塊でしかない。単細胞生物と同じ……それぐらいは座学で学んだろ?」
「ええ、それはもちろん」
 何でも食べる『捕喰』を行う単細胞生物が『オラクル細胞』であり、そのオラクル細胞が群体となり、形を成した生物が『アラガミ』と呼ばれる。
 だから、ヤツらは基本的に知性を持たない。ただ捕喰行為を繰り返すだけなのだ。
「ひたすら喰うだけの、オラクル細胞の塊……シンプルだからこそ、アラガミは恐ろしく、そして絶滅させられない厄介なものなんだよな」
「しかし、ネブカドネザルは一般的なアラガミの単純な行動パターンとは違う。それを念頭に置いて対策を考えねばならない」
 ゴドーは慎重な口ぶりで言った。
 ネブカドネザルが本当に知性を持っているのかどうかは分からない。
 しかし、そうでなければ説明のつかない動きを何度も見せている以上、常識でヤツを測るのは危険だ。
 その行動の全てに、何らかの意味があると考えておいたほうが安全だろう。
「……と、いうことが分かったところで、俺個人で対応できる限界がきてしまった訳だ」
 そこまで語ったところでゴドーは、お手上げとばかりに肩をすくめた。
「そりゃあ、一人じゃなあ?」
 JJの言葉に俺も頷く。
 相手は神出鬼没。行動パターンも読み取れない、おまけに近くにいる形跡すらないとなれば、ゴドーも対処しようがないだろう。
「それで、ここからはネブカドネザルの出現を感知できたという、セイとその神機の出番、ということになる」
「分かりました。もちろん協力します」
 俺の返事を聞き、ゴドーは小さな笑みを浮かべてみせた。
「すまんな。よろしく頼むぞ」

 本格的な話し合いに移るため、俺たちは椅子に腰を下ろす。
 そうして向かい合ったところで、JJが俺に話しかけてくる。
「ゴドーはかなり広い範囲を現地調査したが、ネブカドネザルの足跡一つ発見できなかったんだ、多少は努力を認めてやってくれよ」
 そう言いながら、JJは肘でゴドーを小突いて笑う。
 フォローしているようにも、茶化しているようにも見える。
「分かっているつもりです」
「ホントか? 本当は仕事を最小限で済まして、残りを丸投げされたって思ってんじゃねぇのか?」
 ……その可能性も否めない。ゴドーは不要なことはやらない性質だ。
 しかし同時に、必要なことはやる男でもある。
「収穫はゼロだが、調査は無駄ではなかった。何も発見できなかった理由として考えられるのは三つだ」
 ゴドーはJJの冗談を無視して、右手を人差し指から順に立てていく。
「まず、俺が調査した範囲にネブカドネザルは一度も現れなかったというケースだが、これは可能性が低い」
「……と言うと?」
「理由は不明だが、ネブカドネザルはセイ、レイラ、リュウと、明確に人間、ゴッドイーターを狙ってきたからだ」
 アラガミが何かを狙う理由は決まっている。
 対象を捕喰するためだ。つまりヤツは、本能に従って俺たちを喰いたがっているのだろう。
「それを急に諦めて、他の土地へ移動するとは考えにくい」
 ゴドーの言う通り、ネブカドネザルは執拗に俺たちを襲ってきていた。
 何度も二の足を踏みながら、それでも俺たちを追い狙うのは、ヤツが偏食という性質によって、俺たちを喰いたがっているからだと推測できる。
 そんなヤツにとって、この近辺にヒラヤマ支部以上の狩場はないはずだ。
 つまり、ヤツは未だ支部からそう遠くない場所に息を潜めている可能性が高い。
「次に……アラガミは普通、足跡や捕喰の痕跡を消したりはしないが、ネブカドネザルはそれができる、という可能性だ」
「人間だって痕跡を消すのは難しいのに、どうやってやるんだって疑問はあるな」
 ゴドーの仮定を聞いて、JJが静かに唸り声をあげる。
 方法に疑問は残りつつも、可能性としては低くない。先ほども話に出た通り、ネブカドネザルがヒマラヤ支部から離れる理由を探すほうが難しいからだ。
 しかし仮に痕跡を消すことができるのなら、普通の方法で探し当てるのは相当困難だろう。
「最後、三つ目はどこかに潜伏している可能性、だ」
 確かに……動かなければ、痕跡を隠す必要もない。
「アラガミってのはとにかくよく喰うもんだが、例外的に小食だったりするかもしれん」
 JJは冗談めかして言ったが、二つ目の仮説よりは現実的に感じる。
 俺たちのすぐ傍で、虎視眈々とその時を待っていると考えると、ぞっとするが……
「セイ。君はどう思う?」
 ゴドーが俺に話を振ってくる。
 確かに三つ。どの可能性も、ありえないとは一蹴できない。
 しかし今聞いた三つの話から、あえて一つを上げるとすれば……
「痕跡を消しているのでは……?」
 考えられるなかで、最も悪い可能性がこれだ。
 しかしだからこそ、目を背けておく訳にはいかない。
「隠密能力の高さがヤツの特性だとするなら、あり得るな」
 実際ヤツは、これまで何度もレーダーを掻い潜り、気配もなしに俺たちの前に現れている。
 その痕跡を消す術を持っていたとしても不思議ではない。
「しかし、どの説も証拠を得るのは難しい。そこで君の神機だ。ネブカドネザルの探知ができ、範囲も少し広がったと聞いている」
 ゴドーはそこまで言ってから、確かめるように問いかけてくる。
「捕喰により進化成長することは、アビスファクターという能力で証明されているが、探知能力も向上するものなのか?」
 ゴドーの問いに呼応するように、目の前に彼女が姿を現す。
「はい。現在も捕喰により探知範囲は広くなっています」
「……事実だそうです。現在も広くなっている、と」
 白髪の女性の言葉を伝えると、JJは彼女の姿を探すようにキョロキョロ周りを見渡した。
「そうか……セイに頼みたいのは、その神機を使って今挙げた三つの可能性を一つずつ潰していくことだ」
 一方のゴドーはゆっくりと頷き、何事もなかったように本題に戻った。
「警戒区域内をくまなく探知すれば、潜伏説は潰せるはずだ。痕跡を消す能力があっても神機の探知には引っかかるだろうしな。……その二つが可能性として消えれば、ネブカドネザルは支部周辺の警戒区域に現れなかったってことになる」
 話しながら、先ほど立てた三本の指を薬指から順に握り直していき、最後に人差し指だけが残される。
「そうやって確定情報を少しずつ増やしていくつもりだ」
 警戒区域をくまなく探知する……単純かつ効果も見込める作戦だ。
 もちろん口で言うほど簡単ではないが……向こうが姿を現さない以上、こちらから接近するというのは妥当な案だ。
 彼はサングラスの位置を指で直すと、声色そのままに言葉を繋げる。
「調査中、不意にネブカドネザルと遭遇する可能性もあるが、そうなるとありがたい……俺はまだ顔合わせをしていないからな」
「私にできることであれば、協力します」
 ゴドーの言葉に呼応するように、彼女が言う。
 口調そのものは淡々としているが、ずいぶん積極的な姿勢に思える。
「彼女もできることであれば、協力すると言っています。……もちろん俺も」
 俺の代弁を聞いて、ゴドーは満足そうな表情を見せた。
 そうして俺とゴドーは、支部周辺全域を対象にした調査活動に向かうこととなった。



 ヘリから先に降りていたゴドーが、俺のほうを振り返る。
「調査を開始するが、神機の準備はどうだ?」
「問題ありません。ネブカドネザルの探知、可能」
「……」
 間髪を入れずに純白の女性がそう答えた。ゴドーに聞こえている訳でもないが……
 ここ最近、彼女が俺以外に話そうとするケースが格段に増えているように感じる。
 単に機能が解放されていった結果なのか。それとも、何か他の要因……たとえば探索相手がネブカドネザルだからそうなのか。
 判断材料はそう多くない。
「どうかしたか?」
「いえ……」
 ゴドーからの問いかけを受けて我に返る。
 必要以上に彼女から人間らしさを見出そうとするのは、感傷だろう。
「ゴドー隊長、背後に注意してください」
「ヤツが視覚からの奇襲を得意としていることは把握済みだ。むしろ正面からは来ないと考えて、背後ばかりを見ている」
 取り繕うようにして言った俺の言葉に、ゴドーは肩をすくめて答えた。
「それに長年の癖でな、見通しのいい場所か丈夫な遮蔽物に背を向けるようにしている……楽に後ろは取らせんさ」
 ゴドーはそう言って悠々と歩きはじめた。
 その足取りには覇気がなく、背中は一見、隙だらけに見える。
 しかしそれこそが、彼が只者ではない証明だった。
 これだけ自然体のまま、気配を消してアラガミに向かっていけるゴッドイーターが、この世界にどれだけいるだろう。
「では、探知を行いつつ、レイラの仕事を減らすためにアラガミを叩くとしよう」
「はい」
 俺と彼女の返事が重なる。
 それに気づいた訳でもないだろうが、ゴドーはニヤリと笑ってみせた。



 「このエリアにネブカドネザルはいなかったか」
 市街地の調査を終えたところで、ゴドーが声をかけてきた。
 それに反応するように、彼女が俺の隣に現れる。
「感知することはできませんでした」
「この辺りにはいないようです」
「そうか……もしヤツに高い知能があり、危険を回避する思考があるなら、発見されないようセイには近寄らないだろうな」
 向こうに警戒されているなら、そうかもしれない。
 俺はすでに何度もネブカドネザルに遭遇している。ヤツに知性があるとすれば、覚えられている可能性は高い。
「避けられているとなると、捜索は難航しそうですね」
「そうだな……」
 ヒマラヤ地区はとにかく入り組んでいる。
 山脈の麓に広がる平野から始まり、湿地帯に広がる大草原、森林は山脈中腹まで至るところに見られるし、その上は万年雪と氷河の世界だ。
 もちろん、ヒマラヤ支部周辺エリアと限定すれば、捜索範囲は大きく狭まる。
 が、それで捜査が楽になるという訳でもない。
 こんな場所で、逃げる獣と追いかけっこをするというのは非現実的だろう。
「一つ確認したいのだが、ヘリで空中からの探索は可能か?」
「現在の探知可能距離であれば、空中からでも問題ありません」
 抑揚のない彼女からの言葉を、そのまま伝える。
「分かった。ではヘリで支部周辺エリアをまとめて調べたいが、いいか?」
 ゴドーは譲歩するように口にする。
 俺に対してではなく、彼女に対して話すような口ぶりだ。
「はい」
 それを受けて、女性のほうもしっかりと返事をする。
 女性の通訳に入りながら、俺は奇妙な感覚に陥っていた。
 ゴドーは姿も見えない相手を、本当の人間のようにして扱っている。それに対して女性もまた、当たり前のようにして答えている。
 それを俯瞰して眺めていると、俺はゴドーとマリアが、隊長と隊長補佐として会話しているように錯覚した。
「……行きましょう」
 妙に心がざわついていた。
 俺は、彼女が頷いたことをゴドーに伝えず、ヘリに向かっていた。
 そんな自分に少し驚く。
 子供じみた真似だ。どうしてそんなことをしたのか……なんとなくだが、それも分かる。
「どうかしたのか?」
「……」
 ヘリに戻ったゴドーが、俺に尋ねてくる。その隣には彼女もいて、無表情にこちらを見つめている。
「……いえ」
 短く答えると、ゴドーがそれ以上言及して来ることはなかった。
 そのまま俺たちは作戦を変え、ヘリからネブカドネザルを探索していくことになった。



 「支部周辺エリアをヘリで一通り巡ってみても、ネブカドネザルの反応、および痕跡は無しだ」
 探索を終え広場に戻ると、俺たちをJJが出迎えた。
「良かったじゃねえか。これでいくつかの可能性は消せそうだな」
「ああ、支部周辺にネブカドネザルはいない。もっと探索範囲を広げる必要があるが……危険も伴う」
 捜査範囲を広げれば、補給や情報も不鮮明になるし、何よりそれだけ支部を空けることにもなる。
 急襲があった場合、二人のゴッドイーターが支部を守れないのは大きな痛手だ。
 特に、ゴドーはヒマラヤ支部の最大戦力とも言える。
 クロエもかつてはゴッドイーターだったと聞いているが、戦場においてゴドークラスの活躍を期待できるかは分からない。
(……まあ、並みの実力者ではなさそうだがな)
 彼女の戦闘を見たことがある訳ではないが、普段の立ち振る舞いや姿勢、挙動の一つ一つから、油断のなさ、隙のなさが垣間見える。
 もしかすると、ゴドーが口にした『危険』という言葉の中には、彼女のことも含まれているのではないだろうか。……何の確証もないが、そう思う。
「クロエ支部長と協議するか。セイの神機についても説明したいので、同行してくれ」
 少し悩んだ様子を見せた後、ゴドーがその名を口にした。
 思わず俺は、ゴドーの顔を見る。
「……いいのですか?」
「何のことだ?」
「俺の神機についてです」
 以前、クロエから俺の神機について聞かれた場合には、返答をゴドーに一任するという約束をしたことがある。
 ゴドーから話すというなら異論はないが……俺は彼が、あの神機のことをクロエに隠したがっているのかと考えていた。
 クロエを信用したから話すのか、それとも他にまだ考えがあるのか……
 いずれにせよ、素直に尋ねてもゴドーから本心は聞けないだろう。
「支部長は、信じてくれるでしょうか?」
 神機や純白の女性についての話は、信憑性が低く、物証がない。
 だからこそクロエにその話をすべきではない、というのが以前にゴドーから聞いた話だ。
「さあな」
 ゴドーははぐらかして答えなかった。
「説明は俺からする。では、行くとしよう」
 ゴドーは淡々とそう言ってから、支部長室に向けて歩き出す。
 俺も黙って、彼の背中を追っていった。



 どこまで話すのかと思っていたら、ゴドーは支部長室に入るなり、俺が知る限りほとんど全ての情報を、洗いざらいクロエに開示してしまった。
 おかげで支部長と元支部長との会話とも思えない、実に不明瞭で具体性に欠いた……有り体に言えばオカルトな報告が、笑顔の一つもなしに展開されることになった。
「……ふむ、成長する神機、か」
 ゴドーの説明を聞き終えると、クロエの視線が一度こちらに向けられた。
 しかし、それもすぐにゴドーのほうへと戻される。
「戦闘記録を見ていて、妙だと思ってはいたがそんな経緯で使っているものだったとはな……」
 目を閉じ、嘆息しながらクロエが言う。
 その表情も口調も、ほとんど普段と変わらない。黙っていたことを責めるようでもないし、報告の信憑性を疑うようでもない。かといって驚いているようですらないのだから恐ろしい。
 まさに完璧なポーカーフェイスだ。
 ゴドーと併せて、その名手が場に二人も揃って淡々と話しているのだから、間に立つ俺としては、息が詰まって仕方がない。
「本人の証言以外に証拠はないが、ネブカドネザルに襲われた際にその非正規品の神機を手にし、捕喰されるところで……」
「八神マリアが身代わりとなって捕喰されたところ、神機に適合し、以後本人だけにマリアの声と姿が認識できるようになった、か」
 ゴドーとクロエが答え合わせをするように、報告の内容を諳んじる。
 それからクロエは、わずかに眉をひそめて俺に目を向けた。
「物的証拠も無くそれを信じろと言われても難しいな。姿も見せるそうだが、マリアとは違う何かだというのは本当か?」
「はい」
 クロエが疑うように、前のめりの姿勢で俺の目をじっと見つめてくる。
 威圧されているような窮屈な気分だが、正直に話しているので答えを変えようもない。
 そのまま俺が黙っていると、クロエはやや乱暴に背もたれに背中を預けた。
「だが、声はほぼ同じ……よく分からんな」
 クロエは珍しく、険のある表情を浮かべていた。思考を放棄しているというよりは、頭の中で検討を重ねているという雰囲気だ。
 考えられる可能性はいくつもあるだろう。
「ご存知の通り、隊長補佐は支部に不可欠な戦力であり、またクベーラやネブカドネザルに対して有用な戦力を持っている」
 その一つ……精神疾患の可能性をつぶすべく、ゴドーは淡々と口にした。
 終わらない戦いを続けている以上、ゴッドイーターが幻覚や幻聴に悩まされる例は少なくない。そして錯乱した味方の存在は、時にアラガミ以上の脅威だ。周囲の士気を下げ、混乱と対立を生み、自傷や暴行を起こした例もある。
 俺だけが例外という話でもない。それどころか俺は、正体不明の神機を操りながら、何度か命令違反も犯している。客観的にどう見られているか、突き止めるのは容易だろう。
 ようするにゴドーは、俺をこの支部に残すため、守るために話しているようだ。
 彼も口にしていた通り、それがこの支部にとって必要なことと考えているのだろう。
 とはいえ、確証のない話を信じる相手とも思えないし、クロエが規範を大事にしているなら、同情を買える相手でもなさそうだが……
「心配しなくていい。隊長補佐を戦力から外すことも、本部へ報告するつもりもない」
 しかし、どうやらそういう考えは杞憂だったようだ。
 クロエは表情を緩めることなく、デスクの上の書類を手に取る。
「報告書にある『アビスファクター』という能力も興味深いな。神機がオラクル流量を増大させ、様々な機能を発現させる、か」
 クロエは顔を上げ、居住まいを正すと新たな話題を口にした。
「君たちは『ブラッド』という、特別な能力を持つゴッドイーターを知っているか?」
 その単語には聞き覚えがある。極東支部に所属する有名な部隊の名前のはずだ。
「『ブラッド』は一般的なゴッドイーターとは異なる。超常的な力によって、極東支部で数々の難敵を討伐したという」
 クロエは淡々と言葉を続ける。
 しかし、その表情はどこか楽しげにも見えた。
「その『ブラッド』が使う『ブラッドアーツ』に、『アビスファクター』は似ているようだ。……その辺りも調べてみたいが、今は支部長の業務で手一杯だな」
 俺も『ブラッド』についての詳細は知らない。同じ極東支部にいたと言っても、一緒に仕事をしたことはないし、あの頃は今以上に、自分のことで精一杯だった。
 俺の視野がもっと広ければ、今頃何かのヒントを得られていたかもしれないが……今さら考えても仕方がないか。
 そこでクロエは席を立ちあがり、俺たちの前まで移動してくる。
「隊長補佐とその神機については当面、ゴドー隊長に一任する。問題があれば報告してくれ」
「承知した」
 ゴドーは淡々と答えたが、今回の話し合いで彼が引き出したかったのは、どうやらこの言葉だったようだ。
 これでゴドーはクロエの承認を得たうえで周辺地域の探索に注力できるし、俺の神機について不必要に疑いを持たれる可能性も摘める。
 思わず感心していると、クロエは俺に顔を向けてきた。
「隊長補佐、君は私の着任後から仕事の量が更に増えているが、好調を維持し、疲れ知らずで任務の成果も安定している。……正直、褒めるところしかない。新人でありながらゴドー隊長が隊長代理に指名したのも頷ける。」
「……ありがとうございます」
 手放しの評価を受けて、戸惑いながら礼を言う。
「ヒマラヤ支部がこれから成し遂げねばならないことは多い。君の働きが成否のカギを握ることとなるだろう」
「…………」
 ずいぶんな評価を受けたものだが……クロエがニコリとも笑わないため、本気か社交辞令か判断しづらい。
 見てきた通りに判断すれば、クロエ支部長は嘘やごまかしを嫌い、堂々と思ったことを実行するようなやり方を好む。
 しかし、嘘をつかない相手というのが、本当のことを口にしているとは限らない。
 相手の美点を褒めながら、欠点については口にしない。そうして本心を隠した相手を、誰が嘘つきと呼べるだろう。
 その後ろめたさをおくびにも出さないところが、クロエの恐ろしいところだ。
「よろしく頼む」
 そんなことを考えていると、不意にクロエが俺の前に手を差し出してくる。
「……もちろんです」
 戸惑いながらも、俺はその手を握り返した。
「頼もしい限りだ」
 俺の手を優しく握ったまま、クロエは薄っすらと笑みを浮かべてきた。
 そうしていると、どうしてここまでクロエを警戒してしまうのか、自分でもよく分からなくなる。
「ゴドー隊長、彼に何か一言を」
「そうだな……」
 クロエに振られたゴドーは、頭を二、三度掻いてから、ぼそりと呟いた。
「ま、なんとかなるだろ」
 いつも通りの楽観的な言葉だ。
 クロエとゴドー……どちらが理想的な上司かという話をするならば、その結果は火を見るよりも明らかだろう。
「……ああ、そうだ。隊長補佐」
 ゴドーと共に、支部長室を出ていこうとしたところで、クロエから不意に呼び止められる。
「君のことはゴドー隊長に一任すると言ったが、支部長として一つだけ指示したいことがある」
「何でしょう?」
 さして疑問にも思わず、振り返って尋ね返す。
 するとクロエは、いつもの堂々とした口調で、彼女の名前を口にした。

「八神マリアのことだ」

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