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「GOD EATER ONLINE」が帰ってくる!
ストーリーノベル 第四章
「GOD EATER ONLINE」 STORY NOVEL ~4章-4話~
「クロエ支部長をどう思う、ですか……?」
リュウと別れ、ドロシーの店の前からUターンを決めた後。
散々歩き回った俺とJJは、支部の受付カウンターでようやくカリーナの姿を見つけた。
「ああ、そうだ。現在、情報収集中でな。カリーナが一番接している時間が長いそうじゃあないか」
JJが無邪気に語りかける隣で、俺としては少し肩身が狭い。
ほぼ面識のないJJとは違い、俺はある程度クロエ支部長と会っている。
そんな俺が情報を聞いて回っていたら、不要な疑いを持たれかねない。
特に、クロエに惚れ込むカリーナなどからは、不審に思われてもおかしくないが……
「そうですね、その私から見てのクロエ支部長は、これぞ支部長! って感じですね」
そう思ったが、カリーナは特に疑う様子もなく、明け透けな笑みを浮かべて答えてくれた。
彼女の反応に、人知れずほっとため息を吐く。
「ほほう。これぞっつーのは、どれぞのことだ?」
「落ち着きがあり、決断が早く、かといって思慮が浅い訳でもない……無理かどうかのギリギリのラインを見極めるというこの能力、この姿勢……まさに支部長!」
カリーナは胸に手を当てて、堂々と言う。
大きな瞳の中に、キラキラと星が瞬いてみえるのは錯覚だろうか。
「買収でもされたのかってぐらいの高評価だな」
「比較対象がポルトロン支部長とゴドーさんですからねえ」
苦笑いを浮かべたJJに、カリーナは遠い目をしてしみじみと言った。
……これまで彼女がどれだけ苦労をしてきたのか、その一端が垣間見えるようだ。
そんなカリーナに同情を寄せつつも、JJの興味は他に有るらしい。
「しかしな、オレが知りたいのはもっと個人的な面だな」
「個人的というと?」
「趣味だとか、クセだとか、こういう時に機嫌が悪くなるとかな。支部長としてではない部分が気になるのさ」
前のめりになるJJに対し、カリーナはやや引いてみせる。
「そこまではまだ私も……友達じゃないんですから。ねえ、隊長補佐?」
同意を求めるように、カリーナが俺に話を振った。
彼女の言う通り、クロエ支部長のプライベートなど俺が知る由もない。
もともと仕事上の関係なのだから知らなくて普通だし、詮索するのもおかしいだろう。
……だが、JJの言うような部分が、気にならないと言えば嘘になる。
彼女が何者で、何の目的で動いているのか……
それを知るには、むしろ日常的な彼女の姿に触れることのほうが重要かもしれない。
「……親睦を深めてみたいな」
そんな気持ちが、ふと言葉になって漏れ出ていたらしい。
「ええっ……!?」
俺の言葉にカリーナが驚き、JJが好色な笑みを浮かべる。
しかし彼女たちが二の句を継ぐ前に、その場に新たな訪問者が現れた。
「ふむ、君はそう思うか」
コツ、コツ、とリズムよく足音を刻みながら近づいてきた相手の顔を見て、俺はしまったと顔を歪めた。
「クロエ支部長!」
「噂をすればってやつか?」
癖の強い人物は、神出鬼没という決まりでもあるのだろうか。
現れたクロエが、俺をちらりと一瞥する。
先の言葉は、彼女にどう捉えられたのだろうか……気にはなったが、クロエの視線はすぐに俺から外された。
「私に関心があるようだな。ジェイデン・ジミー・ジャクソン君」
聞きなれない言葉の羅列を、クロエはJJに向けている。
その言葉を受けて、JJはニヤリと口元を歪める。
JJの笑顔は見慣れているが、いつもの冗談や軽口と言う時とは少し雰囲気が違った。
「オレの本名なんてどこにもデータがないはずなんだが、よく調べたな? ロシア支部じゃあ、諜報部にでもいたのかい?」
「気になることは知りたい性分でな。君の経歴についてはいずれ深く話してみたいところだが、今は忙しい」
わざとらしく肩をすくめて、冗談っぽい仕草をするJJに対し、クロエは厳しい態度を緩めない。
そのまま彼女は、視線をJJから俺とカリーナのほうへ移動させる。
「隊長補佐、カリーナ、クベーラに関する調査に手を貸してもらいたい。時間はあるな?」
「……あ、はい!」
「分かりました」
先のやり取り……どう見てもJJに対する牽制だった。
そちらも気になるが、仕事となればそちらを優先すべきだろう。
俺とカリーナの返事を聞くと、クロエは一度小さく頷いた。
「助かる。じゃあ行こうか」
クロエは言うと同時に、こちらに背を向けて歩き出す。
続いて歩き出した俺の耳元に、JJが近寄ってきて小声を漏らす。
「危ねえ……ありゃあ、ヘタにつつくと蛇どころかヴァジュラぐらいは出てくるぜ……」
冗談めかして言ってはいるが、口ぶりは本気だ。
しかし一方で……俺が親睦を深めたいと言った時のことを思い出す。
(……クロエ支部長は、俺の発言に抵抗感を持っていなかった)
腹を探られることへの不快感や、警戒心は見えなかった。
どちらかといえば俺の発言を、部下からの一つの意見として受け入れていたように感じる。
JJに見せた油断ならない人物としての姿と、俺やカリーナに見せる上司として完璧な姿……
そのどちらがクロエの本性なのか。
俺はますます、彼女のことが分からなくなってきていた。
「私が調査した、現在判明しているクベーラについての情報を伝える」
俺とカリーナが作戦司令室に入るや否や、クロエは本題を切り出した。
「クベーラの最大の特徴は、あの規格外のサイズを抜きにしても、神機による攻撃が効きにくい、ということだ」
「神機による攻撃が効きにくい、ですか」
クロエの言葉を、カリーナが反芻する。
「これまでの戦闘データを見ても、クベーラに叩き込んだ攻撃の総数はこれで倒れないアラガミがいるのか、と疑うレベルだ」
彼女の言葉を受けて、ヤツと対峙した時のことが脳裏に浮かぶ。
「しかし、クベーラは倒れなかった。強靭な耐性を備えていると思われる」
クロエの言う通りだ。
一度目の戦いでは、どれだけ斬ってもまったく太刀打ちできなかった。
二度目の時には、仲間たちだけでなく神機兵の援護もあったが、それでも有効打といえるものは、指の数ほどあったかどうか……
「ですが、アラガミには必ず弱点があるはずでは?」
カリーナは同意を求めてそう言った。
「そう、本来アラガミは偏食という性質上、万能はありえない」
「嫌いなものは食べないんですよね。だから耐性にも偏りが出るって、習いました」
「ああ。その偏食傾向を利用してアラガミの侵入を防ぐのが、支部を囲む対アラガミ装甲壁だ」
アラガミの偏食傾向が確かであることは、俺たちを守るあの巨大な壁が証明している。
そこまで聞いて、ようやくカリーナはほっとため息を吐いた。
座学のうえでは知っていても、誰かの同意が欲しかったのだろう。
「……しかし、クベーラはあらゆる攻撃に耐性を持っているように感じました」
俺の言葉に、カリーナが表情を強張らせる。
「クベーラには、あるはずの弱点が見当たらない……?」
俺たちの視線を受けて、クロエは静かに頷いた。
「……前回の戦闘でクベーラの体表片を入手し、分析したところ、多種多様なアラガミのオラクル細胞が混在していることが判明した」
クロエの発言に、俺は一瞬自分の耳を疑った。
多種多様なオラクル細胞が、一体のアラガミの中に混在している……?
横に視線を向けると、それはカリーナも同様のようだった。
彼女は動揺した表情で言葉を紡ぐ。
「それって、つまり……」
俺はカリーナの呟きに言葉を重ねる。
「クベーラには、偏食傾向がないってことですか?」
「恐らく、そうだ」
クロエは表情を変えずにそう言い放った。
「偏食傾向がない……つまりなんでも捕喰するアラガミ、ですか」
カリーナは苦笑いを浮かべている。
想像がつかないのか、想像したくないのか……いずれにせよ、その気持ちはよく分かる。
偏食傾向を持たないアラガミの存在など、これまで聞いたこともなかった。
「そう考えるとあの巨体と強い耐性の説明がつく。本当に弱点がない、とは考えたくないがな」
クロエは澄ましたまま言うが、その話は常軌を逸していた。
同時に単純明快な話でもある。なんでも食べるから、クベーラは他のどんなアラガミよりも大きい。そして大きいからこそ、どんなものでも飲み込んでしまえる。
喰われる側としては、とても受け入れられない話だ。
だからこそ、どうにか立ち向かわなければならない。喰うか喰われるか、結局は二つに一つだ。
「なんでも捕喰する……偏食傾向がない……となると、どんな攻撃にも耐性があるんでしょうか?」
「神機による攻撃も完全に無効化していた訳ではない。つけ入る隙はあるはずだ」
クロエはもちろん、カリーナも絶望してはいなかった。
こんな時だが、そのことが少し頼もしい。
しかし、神機の攻撃をほとんど受け付けない相手に対し、俺たちはどう戦うべきなのだろう……
「なんでも食べるからあんなに大きくなったんですね。……でも、すぐにお腹が空いちゃいそう」
「……」
「あ、同情してる訳じゃないですよ! いっそ飢え死にしてくれればいいですよね!?」
俺の視線を受けて、カリーナが言い訳するようにまくし立てる。
別に咎めたつもりはなかったのだが……単純に、面白い発想だと思っただけだ。
アラガミのお腹事情など、戦闘のことだけ考えていてはなかなか思い至らない。
「飢え死に、か……」
口元に手を当てていたクロエが、不意にカリーナに向けて礼を言った。
「ありがとう、参考になった。常識にとらわれない発想は大事だな」
「えっ? 私?」
何のことか分からない様子で、カリーナがきょとんと自分を指差す。
場を和ませたことを評価した訳でもないだろう。クロエは何か、カリーナの発言に取っ掛かりを得た様子だったが……
「一旦、ここまでにしよう。二人はレイラのサポートを頼む」
「あ、そろそろレイラが巡回討伐に出る時間でしたね」
深く考える暇も与えず、クロエは会話を打ち切った。
時間を確認するカリーナに背を向け、クロエは颯爽と司令室の入口へ向かう。
「隊長補佐もレイラに同行してくれ」
「了解しました」
去っていくクロエの背中に対し、俺は自然と敬礼していた。
そんな自分に少し驚く。ヒマラヤ支部に来るまでは、こうした動作は当たり前のようにしていたのだが……
その習慣を忘れさせたゴドーたちがすごいのか、思い出させたクロエがすごいのか……
とりあえず、心はともかく俺の身体は、敬意を払うべき相手としてクロエを認識しているらしかった。
「…………はぁ」
ブリーフィングを終え、市街地に出撃して。
それから何度目かの深いため息を、レイラが漏らす。
何度か話しかけているが、ここまで返事らしい返事もない。
「……まただんまりか?」
「今のわたくしが、そんなことをするとでも……?」
初めて会った頃を思い出し、そう尋ねると、レイラは恨みがましく視線を向けてきた。
「ただ……」
「ただ?」
ようやく口を開いてくれたレイラだったが、その後の言葉が続かない。
「……なんでもありません」
詮索を避けるように、低い声色でレイラは答える。
その目つきはどんよりと暗く、薄っすらとクマも浮かんでいる。
(……十分に眠れていないのか?)
巡回討伐の重荷と疲労。
それに先日のクロエへの直談判が、尾を引いているのだろうか。
肉体的にも精神的にも、好調からは程遠く見えるが……
「グルルルル……」
辺りを跋扈していたアラガミたちがこちらに気がつき近寄ってくると、レイラは素早く神機を構えた。
「レイラ……」
「巡回討伐、始めましょう!」
有無を言わせず、レイラは勢いづけて気を吐いた。
しかし気合を入れたその言葉さえ、今日はどこか弱弱しい。
そんなレイラの様子が気になりつつも、俺はアラガミとの戦闘を開始した。
「シャアアア……ッ!」
レイラの一撃を受けて、チェルノボグが苦しそうに奇声をあげた。
そのままもんどり打って、その場に崩れる。
「……完了です」
乱れた息を徐々に落ち着かせながら、彼女は小さく呟いた。
チェルノボグ……そもそも初めて出現した時には、リュウが相当の珍種だと興奮していた。
アラガミ増加の続くヒマラヤ支部では、若干見慣れてきた感もあるが、れっきとした中型種であり、データの少ない相手でもある。
それをレイラは、俺が他のアラガミを相手する間に、ほとんど一人で倒していた。
少し前には、中型種を一人で倒すことに拘っていた時期もある。その頃の目標を達成できた訳だが、その表情は明るくない。
「レイラ、大丈夫か?」
「何がです?」
俺の言葉に、レイラはそっけなく返した。
声色こそ平静を保っているが、それが強がりであることは明らかだ。
「…………」
レイラは俺に背を向けていたが、俺の視線を無視し続けられず口を開く。
「効率重視ですから、戦闘内容に一喜一憂するべきではなく、必要な結果を得たら、次に備える……おかしいですか?」
巡回討伐の任務に合わせて、戦い方を変えたと言いたいらしい。
しかし俺には、やはりそれだけではないように思える。
「やっぱり、辛いんじゃないか?」
「……殴られたいのですか?」
俺の言葉に、レイラは目を細めてこちらを睨みつけてきた。
しかし、疲労からかその反応も力なく見えてしまう。
小さく息をつきながら、レイラは再度口を開く。
「あなたの言いたいことぐらい、百も承知です。わたくしがこれを続けていけるのか、でしょう?」
「ああ」
今の任務は、明らかにレイラを疲弊させている。
このままでは、近いうちに彼女は限界を迎えるだろう。
「……戻ったらクロエ支部長に話をしに行きますが、あなたも証言者として同行してください」
「証言?」
「ええ。巡回討伐を毎日続けていけるのかどうかを、あなたの目から見てどう判断するかを言ってもらいたいのです」
「…………」
ようするに、レイラは俺にクロエの説得を手伝ってもらいたいらしい。
レイラが巡回討伐から外れたがっていることは知っている。以前にもクロエに掛け合って、要望を突っぱねられたことも。
しかしだからと言って、俺に協力を頼むのは彼女らしくない。
普段の彼女なら、俺に弱みは見せなかっただろう。強情と思われても自分を貫き通しているほうが、よっぽど彼女らしい。
「いいですね」
俺の困惑を見ない振りしてか、レイラは俯きがちに言った。その口元は固く結ばれ、拳は強く握られている。
「……分かった」
巡回討伐の適正があるかどうかは別にしても、今の彼女は明らかに普通じゃなかった。
そのことは、クロエに伝えておくべきだろう。
「巡回討伐はこのまま継続する」
「なっ!?」
クロエの言葉が余程信じられなかったのか、レイラは驚き言葉を失う。
そんな反応を目の前で見せられても、支部長室の椅子に腰かけるクロエの姿勢は変わらない。
レイラを任務から外すべき……そう進言したのは彼女だけではない。
客観的な俺の報告があってもなお、クロエの考えは変わらなかった。
「レイラはよくやっている。問題はない」
「何を言っているの!? 巡回スケジュールの過密さと戦闘内容をちゃんと見ていないわけ!?」
まともに相手をされていないと感じたのか、レイラは語気を荒げてそう言った。
そこで初めて、クロエは少し表情を変えた。
「……どういう意味だ?」
クロエの鋭い視線が、レイラを射貫く。
レイラは一瞬息を呑みながらも、声色そのままに言葉を続ける。
「最低限こなしてはいるけど! このまま続けたらその最低限さえクリアできなくなるわ!」
「それで?」
「あなたもゴッドイーターでしょう? 無理を続ければどうなるか、分からないの!?」
「君は私の期待に応えてくれている。それでいい」
何を話しても、どれだけ怒鳴っても、クロエは眉一つ動かさない。
レイラも異様に感じたのか、一歩後退る。
「それでいいって……隊長補佐、あなたの意見を言って!」
怒るように、あるいは縋るようにして、レイラはこちらに視線を寄越す。
「……支部長、レイラは苦しんでいます。彼女の言う通りこれ以上続けたら――」
「ふふっ、そうだな!」
俺は思わず目を疑った。
俺の言葉を遮るように、クロエの口から笑い声がこぼれた。
口角をあげて、目尻を下げて。クロエは愉快そうに笑っていた。
彼女がこの支部に来てから、初めて見る笑み。邪気もない明け透けな笑い。
それをまさか、こんな場面で見ることになるとは……
「何がおかしいの!!」
レイラの悲痛な叫びを前にしても、クロエに動じた様子はない。
彼女は再びレイラを見据えると、落ち着いた声色で語って聞かせる。
「継続は力なり、という言葉を知っているか? たとえ成長の実感がなくとも、今は構わない」
クロエの口から、成長という言葉が漏れる。
そこでふと、俺は先ほどの報告を思い返す。レイラはチェルノボグをほぼ一人の力で討伐した。
(クロエの目的は、レイラを成長させることなのか……?)
しかし、それにしてもやり方が常軌を逸している。その最中にレイラが命を落としたらどうするつもりなのか。
(それとも……使えないと判断したら、死んでしまっていいとでも……?)
「見込みがなければ変更を検討するが、今は必要ない」
「変更の必要がない根拠は!!」
レイラは食い下がるようにクロエに感情をぶつける。
「君に足りないものは何か、私は理解している。巡回討伐への配置は間違っていない……続けてくれ」
「私の何が分かるというのですか!」
「そうだな……」
レイラの激しい怒りを受けても、クロエは冷や汗一つかいていない。
そうしてゆっくりと視線を動かし、俺に目を留める。
「隊長補佐、調子が出てきたと思わないか?」
「調子、ですか……?」
クロエは小さく笑みを浮かべながら口を開いた。
「淡々と仕事をこなすレイラ・テレジアに魅力は感じない。違うか?」
「……!」
言われて気がつく。
ここに来るまで、レイラは明らかに疲弊していた。
それがどうだろう。いまやその頬は朱に染まり、大きな瞳はギラギラと輝いている。
何故そうなったのかは分かり切っている。
強い怒りが、逆境に折れそうだったレイラを奮い立たせていた。
(……クロエはそのために、あえてレイラを怒らせたのか?)
「わたくしを騒がしい人間だと? 心外な!」
怒りに視野を狭くしたレイラは、クロエの表情に気づかず吐き捨てる。
クロエは明らかに期待していた。レイラが怒ることを求めているのだ。
「レイラ、君ならやり抜ける。……その心の高まりを忘れるな」
「ああ、もうっ! 隊長補佐!!」
話にならないとばかりに、レイラが助けを求めてくる。
「…………」
クロエを見ると、目を閉じていた。……自分で判断しろということか。
とはいえ、ここまで見せつけられれば、俺が出せる答えは決まっている。
「……サポートは任せておけ」
「そう言ってくれるのはありがたいですけれど……!」
「レイラならいける」
「バカッ!!」
無責任に思われたのか、思い切り頬を叩かれた。
実際、気持ちとしては降参だった。俺はクロエに負けたのだ。
レイラには巡回討伐を続けてもらうしかない。それがレイラの成長のためであり、そのためにクロエは悪役を買っており、そのサポートのために俺は隊長補佐を任されている。
ここまでの全てを、クロエは予め見通していたのだろう。……まさに完敗だ。
叩かれた頬がじんじんと痛む。レイラが俺を置いて部屋を出ていく。
その場に残された俺は、恨みがましくクロエを見た。
「…………」
クロエは目を閉じてその視線を躱す。その口元にはまだ、小さく微笑が残されている。
……苦手だ。
この人の本性が意地悪な悪人なのか、部下にあえて厳しく当たる善人なのか。そういうことを考えるのが億劫になってくる。
俺がどう考えてどう行動しても、結局は彼女の手のひらの上で転がされているのではないか……そう感じるほどに、彼女は統率者として格上だった。
ついに……ついに回復錠を購入できた。
クロエとの話し合いの後、俺はハッとしてレイラの後を追いかけた。
彼女が向かったのは、やはり産業棟のドロシーの店。
ストレス発散に回復錠を買い込むつもりだったのだろうが、俺は全て買い占められる前に、なんとか目的のものを得ることができたのだった。
……レイラに睨まれつつ。
割り込むようにしてレジに並んだ俺の行動は、やはり不快なものだったらしい。
おまけにレイラは、今日は別の品物を大量購入していた。
(……どうしてあんなにムキになっていたんだろう)
考えてみても、答えは出ない。
「はーん、クロエ支部長に丸め込まれてきたって訳かい」
会計を済ませる間、レイラはドロシーに先ほどの話を愚痴っていた。
その話を聞きながら、ドロシーが可笑しそうに目を細める。
「隊長補佐は頼りになりません。期待外れです」
レイラは冷ややかな視線をこちらに向けつつ、そう言って吐き捨てた。
「……結果は悪くなかった」
「これまで通りで何も変わっていないでしょう!」
控えめな俺の言葉を、レイラが思い切り怒鳴りつける。
この怒りを、熱量を取り戻せたことが何よりの成果なのだが、そう言ってもレイラは納得しないだろう。
なんにしても、俺がクロエにやり込められた事実は変わらない。
「商売の値段交渉もそうだけど、ネゴシエイションてのは技術と経験だからねぇ……若い二人じゃ支部長に敵わんだろうさ」
ドロシーは俺たちを慰めるように優しく言った。
「でも、リュウはうまくやったのでしょう?」
「リュウも別に仕事が楽になった訳じゃなさそうだがね? 戦うだけじゃなく、計画書みたいなのを作らされたりしてさ」
「そうなのですか?」
ドロシーの言葉を受け、レイラは意外そうな表情を見せる。
「商品の仕入れみたいなことをやってるから、少し手伝ったんだよ。実家が企業だけに、リュウはああいう素養もあるんだな」
ドロシーは素直に感心している様子だったが、今のレイラは気が立っている。
「わたくしは計算ができないからダメだと?」
口をへの字に曲げるレイラに対し、ドロシーは苦笑いを浮かべつつ優しく諭す。
「支部長がレイラに求めているのは計算じゃないだろう。何が求められているのか、まずはそこじゃないか?」
「何が求められているか……?」
ドロシーの言葉を受けて、レイラは口元に手を当てた。
そのまま黙り込んで、じっと考え込むような仕草を見せる。
その姿を見ていると、つい先ほどのクロエの言葉を思い出してしまう。
(淡々と仕事をこなすレイラに魅力は感じない……か)
俺もそう思う。レイラの魅力は、どれだけ悩み苦しんでも、自分の力で立ち上がっていくところだ。
ただ、そのことを支部に来たばかりのクロエから教えられたことは、なんとなく悔しい。
なんとか一矢報いてみたいが……クロエと俺の能力を比較するに、しばらく先の話になりそうだ。
「クロエ支部長をどう思う、ですか……?」
リュウと別れ、ドロシーの店の前からUターンを決めた後。
散々歩き回った俺とJJは、支部の受付カウンターでようやくカリーナの姿を見つけた。
「ああ、そうだ。現在、情報収集中でな。カリーナが一番接している時間が長いそうじゃあないか」
JJが無邪気に語りかける隣で、俺としては少し肩身が狭い。
ほぼ面識のないJJとは違い、俺はある程度クロエ支部長と会っている。
そんな俺が情報を聞いて回っていたら、不要な疑いを持たれかねない。
特に、クロエに惚れ込むカリーナなどからは、不審に思われてもおかしくないが……
「そうですね、その私から見てのクロエ支部長は、これぞ支部長! って感じですね」
そう思ったが、カリーナは特に疑う様子もなく、明け透けな笑みを浮かべて答えてくれた。
彼女の反応に、人知れずほっとため息を吐く。
「ほほう。これぞっつーのは、どれぞのことだ?」
「落ち着きがあり、決断が早く、かといって思慮が浅い訳でもない……無理かどうかのギリギリのラインを見極めるというこの能力、この姿勢……まさに支部長!」
カリーナは胸に手を当てて、堂々と言う。
大きな瞳の中に、キラキラと星が瞬いてみえるのは錯覚だろうか。
「買収でもされたのかってぐらいの高評価だな」
「比較対象がポルトロン支部長とゴドーさんですからねえ」
苦笑いを浮かべたJJに、カリーナは遠い目をしてしみじみと言った。
……これまで彼女がどれだけ苦労をしてきたのか、その一端が垣間見えるようだ。
そんなカリーナに同情を寄せつつも、JJの興味は他に有るらしい。
「しかしな、オレが知りたいのはもっと個人的な面だな」
「個人的というと?」
「趣味だとか、クセだとか、こういう時に機嫌が悪くなるとかな。支部長としてではない部分が気になるのさ」
前のめりになるJJに対し、カリーナはやや引いてみせる。
「そこまではまだ私も……友達じゃないんですから。ねえ、隊長補佐?」
同意を求めるように、カリーナが俺に話を振った。
彼女の言う通り、クロエ支部長のプライベートなど俺が知る由もない。
もともと仕事上の関係なのだから知らなくて普通だし、詮索するのもおかしいだろう。
……だが、JJの言うような部分が、気にならないと言えば嘘になる。
彼女が何者で、何の目的で動いているのか……
それを知るには、むしろ日常的な彼女の姿に触れることのほうが重要かもしれない。
「……親睦を深めてみたいな」
そんな気持ちが、ふと言葉になって漏れ出ていたらしい。
「ええっ……!?」
俺の言葉にカリーナが驚き、JJが好色な笑みを浮かべる。
しかし彼女たちが二の句を継ぐ前に、その場に新たな訪問者が現れた。
「ふむ、君はそう思うか」
コツ、コツ、とリズムよく足音を刻みながら近づいてきた相手の顔を見て、俺はしまったと顔を歪めた。
「クロエ支部長!」
「噂をすればってやつか?」
癖の強い人物は、神出鬼没という決まりでもあるのだろうか。
現れたクロエが、俺をちらりと一瞥する。
先の言葉は、彼女にどう捉えられたのだろうか……気にはなったが、クロエの視線はすぐに俺から外された。
「私に関心があるようだな。ジェイデン・ジミー・ジャクソン君」
聞きなれない言葉の羅列を、クロエはJJに向けている。
その言葉を受けて、JJはニヤリと口元を歪める。
JJの笑顔は見慣れているが、いつもの冗談や軽口と言う時とは少し雰囲気が違った。
「オレの本名なんてどこにもデータがないはずなんだが、よく調べたな? ロシア支部じゃあ、諜報部にでもいたのかい?」
「気になることは知りたい性分でな。君の経歴についてはいずれ深く話してみたいところだが、今は忙しい」
わざとらしく肩をすくめて、冗談っぽい仕草をするJJに対し、クロエは厳しい態度を緩めない。
そのまま彼女は、視線をJJから俺とカリーナのほうへ移動させる。
「隊長補佐、カリーナ、クベーラに関する調査に手を貸してもらいたい。時間はあるな?」
「……あ、はい!」
「分かりました」
先のやり取り……どう見てもJJに対する牽制だった。
そちらも気になるが、仕事となればそちらを優先すべきだろう。
俺とカリーナの返事を聞くと、クロエは一度小さく頷いた。
「助かる。じゃあ行こうか」
クロエは言うと同時に、こちらに背を向けて歩き出す。
続いて歩き出した俺の耳元に、JJが近寄ってきて小声を漏らす。
「危ねえ……ありゃあ、ヘタにつつくと蛇どころかヴァジュラぐらいは出てくるぜ……」
冗談めかして言ってはいるが、口ぶりは本気だ。
しかし一方で……俺が親睦を深めたいと言った時のことを思い出す。
(……クロエ支部長は、俺の発言に抵抗感を持っていなかった)
腹を探られることへの不快感や、警戒心は見えなかった。
どちらかといえば俺の発言を、部下からの一つの意見として受け入れていたように感じる。
JJに見せた油断ならない人物としての姿と、俺やカリーナに見せる上司として完璧な姿……
そのどちらがクロエの本性なのか。
俺はますます、彼女のことが分からなくなってきていた。
「私が調査した、現在判明しているクベーラについての情報を伝える」
俺とカリーナが作戦司令室に入るや否や、クロエは本題を切り出した。
「クベーラの最大の特徴は、あの規格外のサイズを抜きにしても、神機による攻撃が効きにくい、ということだ」
「神機による攻撃が効きにくい、ですか」
クロエの言葉を、カリーナが反芻する。
「これまでの戦闘データを見ても、クベーラに叩き込んだ攻撃の総数はこれで倒れないアラガミがいるのか、と疑うレベルだ」
彼女の言葉を受けて、ヤツと対峙した時のことが脳裏に浮かぶ。
「しかし、クベーラは倒れなかった。強靭な耐性を備えていると思われる」
クロエの言う通りだ。
一度目の戦いでは、どれだけ斬ってもまったく太刀打ちできなかった。
二度目の時には、仲間たちだけでなく神機兵の援護もあったが、それでも有効打といえるものは、指の数ほどあったかどうか……
「ですが、アラガミには必ず弱点があるはずでは?」
カリーナは同意を求めてそう言った。
「そう、本来アラガミは偏食という性質上、万能はありえない」
「嫌いなものは食べないんですよね。だから耐性にも偏りが出るって、習いました」
「ああ。その偏食傾向を利用してアラガミの侵入を防ぐのが、支部を囲む対アラガミ装甲壁だ」
アラガミの偏食傾向が確かであることは、俺たちを守るあの巨大な壁が証明している。
そこまで聞いて、ようやくカリーナはほっとため息を吐いた。
座学のうえでは知っていても、誰かの同意が欲しかったのだろう。
「……しかし、クベーラはあらゆる攻撃に耐性を持っているように感じました」
俺の言葉に、カリーナが表情を強張らせる。
「クベーラには、あるはずの弱点が見当たらない……?」
俺たちの視線を受けて、クロエは静かに頷いた。
「……前回の戦闘でクベーラの体表片を入手し、分析したところ、多種多様なアラガミのオラクル細胞が混在していることが判明した」
クロエの発言に、俺は一瞬自分の耳を疑った。
多種多様なオラクル細胞が、一体のアラガミの中に混在している……?
横に視線を向けると、それはカリーナも同様のようだった。
彼女は動揺した表情で言葉を紡ぐ。
「それって、つまり……」
俺はカリーナの呟きに言葉を重ねる。
「クベーラには、偏食傾向がないってことですか?」
「恐らく、そうだ」
クロエは表情を変えずにそう言い放った。
「偏食傾向がない……つまりなんでも捕喰するアラガミ、ですか」
カリーナは苦笑いを浮かべている。
想像がつかないのか、想像したくないのか……いずれにせよ、その気持ちはよく分かる。
偏食傾向を持たないアラガミの存在など、これまで聞いたこともなかった。
「そう考えるとあの巨体と強い耐性の説明がつく。本当に弱点がない、とは考えたくないがな」
クロエは澄ましたまま言うが、その話は常軌を逸していた。
同時に単純明快な話でもある。なんでも食べるから、クベーラは他のどんなアラガミよりも大きい。そして大きいからこそ、どんなものでも飲み込んでしまえる。
喰われる側としては、とても受け入れられない話だ。
だからこそ、どうにか立ち向かわなければならない。喰うか喰われるか、結局は二つに一つだ。
「なんでも捕喰する……偏食傾向がない……となると、どんな攻撃にも耐性があるんでしょうか?」
「神機による攻撃も完全に無効化していた訳ではない。つけ入る隙はあるはずだ」
クロエはもちろん、カリーナも絶望してはいなかった。
こんな時だが、そのことが少し頼もしい。
しかし、神機の攻撃をほとんど受け付けない相手に対し、俺たちはどう戦うべきなのだろう……
「なんでも食べるからあんなに大きくなったんですね。……でも、すぐにお腹が空いちゃいそう」
「……」
「あ、同情してる訳じゃないですよ! いっそ飢え死にしてくれればいいですよね!?」
俺の視線を受けて、カリーナが言い訳するようにまくし立てる。
別に咎めたつもりはなかったのだが……単純に、面白い発想だと思っただけだ。
アラガミのお腹事情など、戦闘のことだけ考えていてはなかなか思い至らない。
「飢え死に、か……」
口元に手を当てていたクロエが、不意にカリーナに向けて礼を言った。
「ありがとう、参考になった。常識にとらわれない発想は大事だな」
「えっ? 私?」
何のことか分からない様子で、カリーナがきょとんと自分を指差す。
場を和ませたことを評価した訳でもないだろう。クロエは何か、カリーナの発言に取っ掛かりを得た様子だったが……
「一旦、ここまでにしよう。二人はレイラのサポートを頼む」
「あ、そろそろレイラが巡回討伐に出る時間でしたね」
深く考える暇も与えず、クロエは会話を打ち切った。
時間を確認するカリーナに背を向け、クロエは颯爽と司令室の入口へ向かう。
「隊長補佐もレイラに同行してくれ」
「了解しました」
去っていくクロエの背中に対し、俺は自然と敬礼していた。
そんな自分に少し驚く。ヒマラヤ支部に来るまでは、こうした動作は当たり前のようにしていたのだが……
その習慣を忘れさせたゴドーたちがすごいのか、思い出させたクロエがすごいのか……
とりあえず、心はともかく俺の身体は、敬意を払うべき相手としてクロエを認識しているらしかった。
「…………はぁ」
ブリーフィングを終え、市街地に出撃して。
それから何度目かの深いため息を、レイラが漏らす。
何度か話しかけているが、ここまで返事らしい返事もない。
「……まただんまりか?」
「今のわたくしが、そんなことをするとでも……?」
初めて会った頃を思い出し、そう尋ねると、レイラは恨みがましく視線を向けてきた。
「ただ……」
「ただ?」
ようやく口を開いてくれたレイラだったが、その後の言葉が続かない。
「……なんでもありません」
詮索を避けるように、低い声色でレイラは答える。
その目つきはどんよりと暗く、薄っすらとクマも浮かんでいる。
(……十分に眠れていないのか?)
巡回討伐の重荷と疲労。
それに先日のクロエへの直談判が、尾を引いているのだろうか。
肉体的にも精神的にも、好調からは程遠く見えるが……
「グルルルル……」
辺りを跋扈していたアラガミたちがこちらに気がつき近寄ってくると、レイラは素早く神機を構えた。
「レイラ……」
「巡回討伐、始めましょう!」
有無を言わせず、レイラは勢いづけて気を吐いた。
しかし気合を入れたその言葉さえ、今日はどこか弱弱しい。
そんなレイラの様子が気になりつつも、俺はアラガミとの戦闘を開始した。
「シャアアア……ッ!」
レイラの一撃を受けて、チェルノボグが苦しそうに奇声をあげた。
そのままもんどり打って、その場に崩れる。
「……完了です」
乱れた息を徐々に落ち着かせながら、彼女は小さく呟いた。
チェルノボグ……そもそも初めて出現した時には、リュウが相当の珍種だと興奮していた。
アラガミ増加の続くヒマラヤ支部では、若干見慣れてきた感もあるが、れっきとした中型種であり、データの少ない相手でもある。
それをレイラは、俺が他のアラガミを相手する間に、ほとんど一人で倒していた。
少し前には、中型種を一人で倒すことに拘っていた時期もある。その頃の目標を達成できた訳だが、その表情は明るくない。
「レイラ、大丈夫か?」
「何がです?」
俺の言葉に、レイラはそっけなく返した。
声色こそ平静を保っているが、それが強がりであることは明らかだ。
「…………」
レイラは俺に背を向けていたが、俺の視線を無視し続けられず口を開く。
「効率重視ですから、戦闘内容に一喜一憂するべきではなく、必要な結果を得たら、次に備える……おかしいですか?」
巡回討伐の任務に合わせて、戦い方を変えたと言いたいらしい。
しかし俺には、やはりそれだけではないように思える。
「やっぱり、辛いんじゃないか?」
「……殴られたいのですか?」
俺の言葉に、レイラは目を細めてこちらを睨みつけてきた。
しかし、疲労からかその反応も力なく見えてしまう。
小さく息をつきながら、レイラは再度口を開く。
「あなたの言いたいことぐらい、百も承知です。わたくしがこれを続けていけるのか、でしょう?」
「ああ」
今の任務は、明らかにレイラを疲弊させている。
このままでは、近いうちに彼女は限界を迎えるだろう。
「……戻ったらクロエ支部長に話をしに行きますが、あなたも証言者として同行してください」
「証言?」
「ええ。巡回討伐を毎日続けていけるのかどうかを、あなたの目から見てどう判断するかを言ってもらいたいのです」
「…………」
ようするに、レイラは俺にクロエの説得を手伝ってもらいたいらしい。
レイラが巡回討伐から外れたがっていることは知っている。以前にもクロエに掛け合って、要望を突っぱねられたことも。
しかしだからと言って、俺に協力を頼むのは彼女らしくない。
普段の彼女なら、俺に弱みは見せなかっただろう。強情と思われても自分を貫き通しているほうが、よっぽど彼女らしい。
「いいですね」
俺の困惑を見ない振りしてか、レイラは俯きがちに言った。その口元は固く結ばれ、拳は強く握られている。
「……分かった」
巡回討伐の適正があるかどうかは別にしても、今の彼女は明らかに普通じゃなかった。
そのことは、クロエに伝えておくべきだろう。
「巡回討伐はこのまま継続する」
「なっ!?」
クロエの言葉が余程信じられなかったのか、レイラは驚き言葉を失う。
そんな反応を目の前で見せられても、支部長室の椅子に腰かけるクロエの姿勢は変わらない。
レイラを任務から外すべき……そう進言したのは彼女だけではない。
客観的な俺の報告があってもなお、クロエの考えは変わらなかった。
「レイラはよくやっている。問題はない」
「何を言っているの!? 巡回スケジュールの過密さと戦闘内容をちゃんと見ていないわけ!?」
まともに相手をされていないと感じたのか、レイラは語気を荒げてそう言った。
そこで初めて、クロエは少し表情を変えた。
「……どういう意味だ?」
クロエの鋭い視線が、レイラを射貫く。
レイラは一瞬息を呑みながらも、声色そのままに言葉を続ける。
「最低限こなしてはいるけど! このまま続けたらその最低限さえクリアできなくなるわ!」
「それで?」
「あなたもゴッドイーターでしょう? 無理を続ければどうなるか、分からないの!?」
「君は私の期待に応えてくれている。それでいい」
何を話しても、どれだけ怒鳴っても、クロエは眉一つ動かさない。
レイラも異様に感じたのか、一歩後退る。
「それでいいって……隊長補佐、あなたの意見を言って!」
怒るように、あるいは縋るようにして、レイラはこちらに視線を寄越す。
「……支部長、レイラは苦しんでいます。彼女の言う通りこれ以上続けたら――」
「ふふっ、そうだな!」
俺は思わず目を疑った。
俺の言葉を遮るように、クロエの口から笑い声がこぼれた。
口角をあげて、目尻を下げて。クロエは愉快そうに笑っていた。
彼女がこの支部に来てから、初めて見る笑み。邪気もない明け透けな笑い。
それをまさか、こんな場面で見ることになるとは……
「何がおかしいの!!」
レイラの悲痛な叫びを前にしても、クロエに動じた様子はない。
彼女は再びレイラを見据えると、落ち着いた声色で語って聞かせる。
「継続は力なり、という言葉を知っているか? たとえ成長の実感がなくとも、今は構わない」
クロエの口から、成長という言葉が漏れる。
そこでふと、俺は先ほどの報告を思い返す。レイラはチェルノボグをほぼ一人の力で討伐した。
(クロエの目的は、レイラを成長させることなのか……?)
しかし、それにしてもやり方が常軌を逸している。その最中にレイラが命を落としたらどうするつもりなのか。
(それとも……使えないと判断したら、死んでしまっていいとでも……?)
「見込みがなければ変更を検討するが、今は必要ない」
「変更の必要がない根拠は!!」
レイラは食い下がるようにクロエに感情をぶつける。
「君に足りないものは何か、私は理解している。巡回討伐への配置は間違っていない……続けてくれ」
「私の何が分かるというのですか!」
「そうだな……」
レイラの激しい怒りを受けても、クロエは冷や汗一つかいていない。
そうしてゆっくりと視線を動かし、俺に目を留める。
「隊長補佐、調子が出てきたと思わないか?」
「調子、ですか……?」
クロエは小さく笑みを浮かべながら口を開いた。
「淡々と仕事をこなすレイラ・テレジアに魅力は感じない。違うか?」
「……!」
言われて気がつく。
ここに来るまで、レイラは明らかに疲弊していた。
それがどうだろう。いまやその頬は朱に染まり、大きな瞳はギラギラと輝いている。
何故そうなったのかは分かり切っている。
強い怒りが、逆境に折れそうだったレイラを奮い立たせていた。
(……クロエはそのために、あえてレイラを怒らせたのか?)
「わたくしを騒がしい人間だと? 心外な!」
怒りに視野を狭くしたレイラは、クロエの表情に気づかず吐き捨てる。
クロエは明らかに期待していた。レイラが怒ることを求めているのだ。
「レイラ、君ならやり抜ける。……その心の高まりを忘れるな」
「ああ、もうっ! 隊長補佐!!」
話にならないとばかりに、レイラが助けを求めてくる。
「…………」
クロエを見ると、目を閉じていた。……自分で判断しろということか。
とはいえ、ここまで見せつけられれば、俺が出せる答えは決まっている。
「……サポートは任せておけ」
「そう言ってくれるのはありがたいですけれど……!」
「レイラならいける」
「バカッ!!」
無責任に思われたのか、思い切り頬を叩かれた。
実際、気持ちとしては降参だった。俺はクロエに負けたのだ。
レイラには巡回討伐を続けてもらうしかない。それがレイラの成長のためであり、そのためにクロエは悪役を買っており、そのサポートのために俺は隊長補佐を任されている。
ここまでの全てを、クロエは予め見通していたのだろう。……まさに完敗だ。
叩かれた頬がじんじんと痛む。レイラが俺を置いて部屋を出ていく。
その場に残された俺は、恨みがましくクロエを見た。
「…………」
クロエは目を閉じてその視線を躱す。その口元にはまだ、小さく微笑が残されている。
……苦手だ。
この人の本性が意地悪な悪人なのか、部下にあえて厳しく当たる善人なのか。そういうことを考えるのが億劫になってくる。
俺がどう考えてどう行動しても、結局は彼女の手のひらの上で転がされているのではないか……そう感じるほどに、彼女は統率者として格上だった。
ついに……ついに回復錠を購入できた。
クロエとの話し合いの後、俺はハッとしてレイラの後を追いかけた。
彼女が向かったのは、やはり産業棟のドロシーの店。
ストレス発散に回復錠を買い込むつもりだったのだろうが、俺は全て買い占められる前に、なんとか目的のものを得ることができたのだった。
……レイラに睨まれつつ。
割り込むようにしてレジに並んだ俺の行動は、やはり不快なものだったらしい。
おまけにレイラは、今日は別の品物を大量購入していた。
(……どうしてあんなにムキになっていたんだろう)
考えてみても、答えは出ない。
「はーん、クロエ支部長に丸め込まれてきたって訳かい」
会計を済ませる間、レイラはドロシーに先ほどの話を愚痴っていた。
その話を聞きながら、ドロシーが可笑しそうに目を細める。
「隊長補佐は頼りになりません。期待外れです」
レイラは冷ややかな視線をこちらに向けつつ、そう言って吐き捨てた。
「……結果は悪くなかった」
「これまで通りで何も変わっていないでしょう!」
控えめな俺の言葉を、レイラが思い切り怒鳴りつける。
この怒りを、熱量を取り戻せたことが何よりの成果なのだが、そう言ってもレイラは納得しないだろう。
なんにしても、俺がクロエにやり込められた事実は変わらない。
「商売の値段交渉もそうだけど、ネゴシエイションてのは技術と経験だからねぇ……若い二人じゃ支部長に敵わんだろうさ」
ドロシーは俺たちを慰めるように優しく言った。
「でも、リュウはうまくやったのでしょう?」
「リュウも別に仕事が楽になった訳じゃなさそうだがね? 戦うだけじゃなく、計画書みたいなのを作らされたりしてさ」
「そうなのですか?」
ドロシーの言葉を受け、レイラは意外そうな表情を見せる。
「商品の仕入れみたいなことをやってるから、少し手伝ったんだよ。実家が企業だけに、リュウはああいう素養もあるんだな」
ドロシーは素直に感心している様子だったが、今のレイラは気が立っている。
「わたくしは計算ができないからダメだと?」
口をへの字に曲げるレイラに対し、ドロシーは苦笑いを浮かべつつ優しく諭す。
「支部長がレイラに求めているのは計算じゃないだろう。何が求められているのか、まずはそこじゃないか?」
「何が求められているか……?」
ドロシーの言葉を受けて、レイラは口元に手を当てた。
そのまま黙り込んで、じっと考え込むような仕草を見せる。
その姿を見ていると、つい先ほどのクロエの言葉を思い出してしまう。
(淡々と仕事をこなすレイラに魅力は感じない……か)
俺もそう思う。レイラの魅力は、どれだけ悩み苦しんでも、自分の力で立ち上がっていくところだ。
ただ、そのことを支部に来たばかりのクロエから教えられたことは、なんとなく悔しい。
なんとか一矢報いてみたいが……クロエと俺の能力を比較するに、しばらく先の話になりそうだ。