ゴッドイーター オフィシャルウェブ

CONTENTS

「GOD EATER ONLINE」が帰ってくる!
ストーリーノベル 第四章


「GOD EATER ONLINE」 STORY NOVEL ~4章-2話~

度重なる出撃で、回復錠など消耗品の減りが早まっていた。
 支部からの支給がなくなった訳ではないが、追いついていないのが実情だ。
 となれば、向かう場所は一つしかない。
 俺はドロシーのショップへと足を運んでいた。

 産業棟にある彼女のショップに着くとすぐに、大きな背中が視界に入った。
 その筋肉質な背中がJJのものであることは、顔を見なくても分かる。
 その背中越しに店内を覗き込むと、JJの影から顔を出す人物がいた。
 このショップの主、ドロシーがちょうど良かったとでも言いたげに笑みを浮かべる。
「よお、隊長代理……じゃなくて隊長補佐の人!」
 もしかしなくても俺のことだ。
 店の外まで響く大声を受け、周囲から俺に視線が集まる。
 俺は慌ててドロシーのショップの中に逃げ込んだ。
「……何の用ですか?」
 用があったのは俺のはずなのだが、そんなことはこの場の誰も気にしていない。
「決まってるだろ。話、聞かせておくれよ!」
「話……?」
 なんのことか分からず首をひねると、これにJJが付け加えた。
「新しい支部長さんは何者だって、こっちでもその話ばかりだぜ」
「ああ、なるほど」
 統治者の交代は人々の生活に直結する問題だ。
 直接話した者もまだ少ないはずだし、俺から情報を聞きたくなるのも頷ける。
 とはいえ彼らの場合、なんとなく野次馬的興味のほうが強い気がするが……
 ドロシーとJJは、好奇心を隠そうともせず俺に詰め寄ってくる。
「ポルトロンのおっさんよりは仕事ができそうかい?」
「誰が来てもゼロよりはマシだろうよ。そもそもセイは、ポルトロンとはろくに関わってなかっただろ」
 前支部長のことはもちろん覚えている。クベーラ初出現の際に姿をくらませた男だ。
 被害の大きさを考えても、忘れようにも忘れられない。
 ゼロというのは結構な言われ方だが、それだけのことをやってきたのだろう。
 ……いや、やってこなかったからゼロなのか。
「…………」
 正直、俺は彼のことも、新しい支部長のこともまだほとんど知らない。
 それでも、これについては断言できる。
「ポルトロン支部長より、実力は上です」
「あはは、さすがにアレ以下はないか」
 ……俺としては、単純に新支部長の実力の高さを示したつもりだったが、ポルトロンの評価はどこまでも低いものらしい。比較対象としては不適切だ。
「前支部長はさておき、新しい支部長は金髪のべっぴんさんなんだろう? あと、ロシア支部から来たのも伝わってるぞ」
 JJは、ニヤリと笑って知っている情報を話す。
 なるほど……どうやらこちらで考えている以上に、クロエの情報は出回っていないらしい。
「ロシア支部がどういう状況か知らんけどさ、よくここに来る気になったよな?」
「そうだな。何か特別な理由がありそうだが……」
 そう言ってJJとドロシーは、揃って俺に視線を投げかける。
 期待されているところ申し訳ないが、そういうのは俺も知りたいくらいだった。
 聞いて答えてくれそうな相手ではない、ということも伝わっていないはずだ。
 とりあえず、俺は本人から聞いた通りのことを二人に伝えた。
「人を助けるために来た、と言っていました」
「へえ……まあ、まずウソだな」
 諸手を挙げて称賛されてもいい理由だが、ドロシーはあっけらかんと言い捨てた。
「だが、支部長の肩書き以外に、ここに来るメリットなんてあるか?」
 JJの言う通り、ヒマラヤ支部は本部から見捨てられ、アラガミも増加している危険な支部だ。そこへやってくる人がいるとしたら、よほどの慈善家かそれだけのメリットがあるのか……
「考えられるとしたら……」
「ん? 何か思い当たることでもあんの?」
「……はい」
 俺は二人に、クロエの計画について説明した。
 まずアラガミ増加を解決し、サテライト拠点を建設する。大型のサテライト拠点を作ることで、他の支部から移民を受け入れられるようになり、各支部に恩を売る形となる。
 そうして他支部とつながっていくというのが、クロエが提示した計画だ。
 この計画を聞いたドロシーは、懐疑的な眼差しを見せた。
「それが上手くいけば見返りはでかいかもしれんけどさ……本当にできると思うかい?」
 普段は楽観的な彼女だが、生活に直結することとなれば、考えもシビアになるのだろう。
 対してJJは、肯定とも否定とも取れない曖昧な反応を示す。
「賭けろと言われたら成功しないに賭けたくなるが……ま、ノープランよりは生きた心地がするな」
 何もしなければ死ぬだけだ。
 それが分かっているから皆慎重にもなるし、同時に希望にすがりたくもなる。
 はたして、クロエ・グレースという女性がもたらすものは希望なのか。それとも……



 そこからもドロシーの質問攻めが続いたが、あまり話せることは多くない。
 これまでのことをある程度話すと、すぐに言うことがなくなってしまった。
 大体のことを聞き出して満足したのか、ドロシーが同情するように何度も頷いている。
「理想は高く、仕事はできそう、性格はキツいっぽい、となるとゴッドイーターさんたちは苦労しそうだね」
 なるほど、完全に他人事として楽しむスタンスを決め込んだようだ。
 隊長補佐としてすでに大量の仕事を振られている身としては、あまり笑えない。
 自然とため息が漏れたところで、不意に陽気なリズムが耳朶を打つ。
「ふふふん♪ ふふん♪ ふふんふふん~♪」
 聞き覚えのある声だと思っていたら、予想通りの小柄な影が視界の端に映る。
 見れば、カリーナが鼻歌交じりに店の前を歩いていた。
 その足取りは軽く、なんだかスキップでもしているかのようだ。
「カリーナのやつ、ずいぶんとご機嫌じゃないか。……おーい、カリーナ!」
 ドロシーの声で、カリーナがこちらに気がついた。そのまま小走りで近寄ってくる。
「三人とも、集まって何の相談ですか?」
「決まってるじゃないのさ。あんたらのボスだよ、ボス!」
「あーはいはい、クロエ支部長のことですね!」
 待ってましたとばかりに、カリーナは満面の笑みで受け答える。
 そんな様子に首をかしげつつ、ドロシーは俺を指し示した。
「そう、そのクロエ支部長について、隊長補佐から話を聞いてたのさ。カリーナは……」
「いやー、一言で申せば『マーヴェラス!』かな! もうね、仕事が捗って捗ってどうしましょうって感じです!」
 ドロシーが言い終わる前に、カリーナのほうから話しはじめた。
 上機嫌でハイテンションなカリーナに、JJも面食らっている。
「そこまですごいのか? ……こっちはまだ、『何者だ?』ってな感じだが」
「えぇ、すごいですよ。ポルトロン支部長は論外として、ゴドーさんも仕事を溜めこんで一気に処理するタイプでしょう?」
(論外……。カリーナにそこまで思われるとは、前支部長はすごかったんだな……)
 それはさておき、ゴドーの仕事を溜め込む癖についてはよく分かる。
「クロエ支部長は先に片づけるべき案件からトントントーンと! すぐですよ、すぐ! 積んであった仕事の山が溶けていくんですから!」
 よほど嬉しいのか、ますますテンションを上げていくカリーナに、ドロシーが苦笑を漏らす。
「そ、そんなにデキる人が来たのかい」
「はい! 二十二年生きてきて、一番仕事をしていて気持ちいいです!」
 喜びを通り越して、いっそ恍惚と呼んだほうがいい表情で断言される。
「まあ、早速プラスの影響が出始めてるってとこか……こんなご機嫌なカリーナ、見たことないぜ」
 目を輝かせるカリーナに面食らいつつも、JJがなんとかその場をまとめる。
 なんにせよ、カリーナがこれほど手放しに褒めるということは、クロエの能力は俺の想像以上に高そうだ。
 そんな風に考えていると、カリーナが何かを思い出したように手を打った。
「そうだ、ドロシーとJJさんに訊きたかったんですけど、サテライト拠点て、どんなものか知ってます?」
「そうだな……サテライト拠点ってのは、簡単に言えば小さな支部だ。支部と比べたら狭っ苦しくて、住める人間の数も少ないがな」
 カリーナに答えていたJJの表情に、わずかに影が差す。
「まあ、支部に入れなかった連中はアラガミから身を守るすべもなく暮らしていた……それと比べれば、どれだけマシかってな」
「守りに不安があるってのが玉に瑕だけどね。支部だって、アラガミの攻撃で壁を破られたりするだろ? 支部より強度が低いってことを考えると、安全とは言えないさ」
「なるほど……」
 JJとドロシーの考えは、世間一般のサテライト拠点に対する評価そのものだろう。
 良いところもあるし、悪いところもある。
 何でも大体、そんなもののような気もするが、カリーナはなんとなく納得いかなさそうだ。
「それでも、多くの人々がサテライト拠点を必要としているんですよね……」
 カリーナはそう呟くことで、クロエの正統性を高めようと、自分を鼓舞しているようにも見えた。
 まあ、ヒマラヤ支部の多くの実務を先陣切ってこなすのが彼女だ。クロエがどうという以上に、自分の仕事が正しいものだと信じたいのだろう。
「そうだな。けど、人口もアラガミも少なかったヒマラヤで暮らしていると、壁の外で生活するなんて想像もつかんだろうな」
 JJはそう言って、店の外を行き来する人たちの姿をゆっくりと眺めていった。
 この先どうなろうと、彼らの生活は大きく変わることになるだろう。
 そのことに対する責任と自覚は、ここで戦う俺たち全員が持っておく必要がある。
「ん……なんだか店の外がざわついてねぇか?」
 ふと、JJが何かに気がついたように外に身を乗り出す。
 俺もつられて店の前に顔を出すと、そこに渦中の人物、クロエがいた。
「隊長補佐、ここにいたか」
 俺に気がついたクロエは、まっすぐこちらに近づいてくる。
 ドロシーとJJが背後で色めき立つのが気になったが、クロエは構わず用件を言った。
「これより、レイラの警戒区域巡回討伐に同行してもらいたい」
「今から……?」
「急ですね? 私も聞いてませんが……」
「少しでも早くはじめたいという、レイラの希望でな。彼女のやる気を重視したい。私はそういう性分でな」
 人道的な発言だったが、その表情と口ぶりからは、優しさを感じられない。
 そういえば、彼女が支部に来てから笑い顔一つ見たことがない。
 出られるか? と視線だけで問われる。
「了解、出られます」
「よし。詳細はレイラから聞くように」
 出撃が決まって、真っ先に動いたのはカリーナだ。
「ではオペレートの準備に向かいます!」
「よろしく頼む」
 クロエは、活き活きした様子で駆けていく彼女の背中を見送ってから、JJとドロシーに視線を移した。
「ジェイデン、ドロレスも持ち場に戻り待機を」
 聞きなれぬ呼び名に対して、二人の反応は同時だった。
「本名かよ!?」
「本名かい!?」
 初対面の相手から、まさか本名を呼ばれるとは思っていなかったのだろう。
 初めて聞く名に、俺もつられて驚いた。
 用件を済ませると、クロエはさっさとその場を離れていった。
 その後ろ姿を見つめながらJJが呟く。
「なるほど、確かに優秀みたいだな」
 彼の言う通りだ。改めて、クロエという人物は底が知れない。
「けど、あたしの持ち場ってどこさ? ここ、あたしの店なんだけど」
「そりゃ……フェンリルの職員として数えられてんじゃねぇか? 普段からいろいろ手伝いしてんだろ」
「便利屋扱いかよ!」
 ドロシーたちが冗談を飛ばしはじめたところで、俺は出撃準備のためにその場を後にした。
 物資の買い忘れに気がついたのは、それからしばらく経ってからだった。



 「では、支部警戒区域の巡回討伐を始めます」
 俺を連れて近辺の地下坑道にやってきたレイラが、高らかに宣言する。
 しかし、ちょっと待ってもらいたい。
「先に説明を頼む」
 俺はレイラのサポートは任されているが、彼女がどんな指示を受けているかまでは知らない。
「そ、そうですね……初めてなので、少し焦り過ぎました」
 恥ずかしそうに視線をそらしてから、彼女は気を取り直すように咳払いをした。
「巡回討伐についてですが、所定区域内にいるアラガミを討伐する、という意味では普段の討伐任務とやることは同じです」
 ただし、とレイラは注意するように付け加える。
「この巡回討伐は少しでも戦力の消耗を抑えつつ、戦果をあげていく……つまり戦闘の効率化が重要なの」
「体力の温存が鍵、ということか」
「ええ。……クロエ支部長が組んだ巡回スケジュールはかなりタイトです。それを安定して継続する……そこが難しいと、わたくしは考えています」
 そう言って彼女がスケジュール表をこちらに差し出す。
「これは……確かにきついな」
 長時間、長距離の巡回をほとんど休みなく行うスケジュールが組まれている。
 一つ一つの工程が分刻みで設定されているため、少しでも遅れが出たら全ての計画が瓦解するだろう。
 しかし、これを達成できれば支部周辺のアラガミは確実に減少していくだろう。
 やる価値はある。だがそのためには、レイラの言う通り消耗を押さえることが大事だ。
「……」
 俺の視線を受けて、レイラはバツが悪そうな顔を浮かべる。
「ええ、言われなくても分かります。効率よく、というのはわたくしの最も苦手なことよ」
「……レイラはいつも全力だからな」
 責めたつもりはなかったが、レイラはますます表情を険しくした。
「予定を繰り上げて巡回を始めることにしたのも、それが理由です。少しでも早く慣れるため。……それと」
 不意に彼女の言葉が途切れ、こちらに視線が送られる。
 その瞳は、どこか不安そうに揺らいでいた。
「――っ」
 けれど、俺と目が合うと、視線はすぐに逸らされた。
「どうかしたか?」
「いえ、何でもありません」
 そっぽを向いたレイラは、そのまま気を引き締めるように神機を構える。……これ以上は聞いても無駄だろう。
「やりましょう!」
「了解。フォローは任せてくれ」
「ええ、頼りにしています」
 そうしてお互いの役割を確認してから、俺たちは初めての巡回討伐を開始した。



 「はぁ……はぁ……」
 レイラが熱い息を漏らす。
 激しい運動で荒くなった呼吸を徐々に落ち着かせていくと、彼女は頬を上気させたまま状況を確認する。
「これで、所定区域のアラガミ討伐は完了です」
「ああ、お疲れ様」
 呼吸を整えながら労いの言葉をかけると、彼女はどこか落ち込んだ様子で項垂れた。
「全然……うまくいきませんでした。余計なことばかり考えて集中できないし、周りを見ることも……」
 レイラが悔しそうに自身の神機を見つめる。
「主戦力と期待されていながら、これでは……ッ!!」
「最初は上手くいかないものだ」
 本心から出た言葉だったが、レイラは悲しそうに首を振る。
「何を言われても、気休めにもなりません」
 彼女の瞳には、再び不安の色が現れていて。
「期待されている戦果をあげられないことで、もし犠牲が出たら……」
 誰に言うでもなく、小さな呟きが漏れる。
「そうなる前に……!」
 彼女は何かを決意するように、あるいは何かを拒むように拳を握っていた。



 「配置転換を希望すると?」
「はい」
 わたくしの言葉を受けて、クロエがじっとこちらを見つめる。
 その鋭い視線に射貫かれようとも、臆しはしない。
 巡回討伐には自分に適した任務ではない。
 それが、今日の戦いでわたくしが導き出した結論……
「いや、このままでいい」
 けれどクロエは、いともたやすくその結論を跳ねのけた。
「よくありません! わたくしには適正がないのです!」
「そう言ってくることも想定済みだ。思っていたよりも早かったがな……」
 クロエは何もかも見通したような顔でため息を吐く。
 そんな態度が癪に障った。
「想定していたのなら、やはりわたくしには――」
「まず私の話を聞け」
 詰め寄ろうとしたところで、クロエが席から立ち上がった。
「うっ……」
 その背後から、山麓に沈みかける夕日の鋭い光が差し込んできて、彼女の表情を深い影の中に隠している。
 けれど、その深い闇の中でも、彼女が強いまなざしを向けていることは、はっきりと分かった。
 思わず気圧されてしまったわたくしに対し、クロエはゆっくり口を開いた。
「レイラ、君に巡回討伐を任せたのは、これまでの戦闘データを見て最適と判断したからだ」
「そんなバカな!!」
 彼女の言葉は、とても信じられるものではなかった。
 リュウや八神さんの戦闘データと見間違えているんじゃないの? そうでなければ、嫌がらせとしか思えない。
 だけれどクロエは、眉一つ動かさずわたくしを見つめ続けている。
「やはり、君は分かっていないらしいな」
「何のことです!」
「最も今後の成長が期待できるのはレイラ、君だ」
「え……?」
 思わぬ言葉に、聞き違いかと我が身を疑う。
 そんなわたくしに対し、クロエは構わず話を続ける。
「確かに、今は技量も判断力も低いが、必ず伸びる。能力を伸ばすには経験が必要……それが巡回討伐に配置した理由だ」
 ここまで一度として視線を外すこともなく、クロエは淡々と言葉を紡いでいく。
 誤魔化しやご機嫌取りの言葉を並べる者たちとは、明らかに違う真剣なまなざし。
 けれども、そんな評価を素直に呑めるほど、わたくしは子供でいられない。
「期待していただくのは光栄ですが、しかし……」

「自分の未熟さで仲間が犠牲になってからでは遅い、か?」
「――っ!?」
「何故分かった? という顔をしているが、分かるさ。ゴッドイーターをやっていれば、何度も聞くことになるのでな」
 わたくしの内心を読み取って、なおも表情を崩さず朗々と続ける。
 それが彼女の言うように、当たり前のことだとは思えない。
 彼女は……いったい何者なの?
 そのまっすぐな強い瞳に、いつしかわたくしは、自分が飲み込まれていくような不安を感じはじめていた。
 そこで一度、クロエは瞼を閉じる。
 それからゆっくりと薄く目を開き、覗き込むようにしてこちらを見る。
「だが、それは正当な理由ではなく、ただの言い訳に過ぎない」
 わたくしの全てを知っているような口ぶりで、わたくしの在り方を否定する。
「そ、そんなことは……」
「あるさ。君が本当に恐れているのは『仲間が犠牲になる』ことではなく、『仲間を死なせてしまった重さに耐えられない自分』だ」
「…………」
 もう、言葉を返すことさえできなかった。
 クロエの言っていることは、きっと正しい。そのことが、わたくしにもはっきりと分かってしまったから……
「自分の力不足で誰かが死ぬ……残念ながらそれは我々の日常だ。未熟であろうとなかろうと、全ての命を救うことなどできない」
 クロエの視線が、机に置かれた彼女の指先へと向かい、そのまま舐めるようにわたくしの足先へと向かう。そこから少しずつ首を持ち上げ、わたくしの身体を辿っていく。
「全てを救えない現実は君も認識できているだろう。だが、悔いや悲しみは残る……それを背負った自分が怖い、そうだな?」
「……っ!」
 最後に彼女は、わたくしの瞳の奥をじっと見つめながらそう尋ねた。
 いえ、尋ねているのではない……彼女はわたくしの真実をただ、あるがまま口にしただけ。
 わたくしがこれまで目を背けてきたその事実を、まっすぐに見据えて言っているだけ。
(わたくしに全ては救えない。その犠牲を、責任を……全てを背負うことは……恐ろしい)
 お父様はわたくしに、王族として生きろと口にした。その教えは、幼いわたくしにはとても気持ちが良くて、とても崇高なものに思えた……
 その教えを守って生きるため、わたくしは誰よりも前に出て戦っている。背後に人を庇って、守るために。ずっとそう思っていた。
 だけれどわたくしは……本当は、背後の人たちがどうなっていくのか、見たくないからそうしていたのではないの……?
そんなことない。そう思いたいけど……自信はない。
 わたくしはずっと、自信がなかった。王族としても、ゴッドイーターとしても未熟な自分が……
「悪いが、それぐらいは乗り越えてもらう」
 自分の弱さに気がつき、打ちのめされるわたくしに向けて、クロエが冷たく宣告する。
「私がゴッドイーターになってから救えなかった命はいくつあると思う?」
「それは……」
 クロエの口ぶりは冷たい。機械的で、冷めている。
 ゴドーの飾らない言葉とも違う。八神さんのまっすぐな言葉とも違う。
 彼女の声色は、ぞっとするほど冷たい。
 喜びも、悲しみも。全てを鈍らせ、凍りつかせてしまっているかのようだった。
 そうなるまでに、何を経験してきたのか……なんとなく想像はできてしまう。
「…………」
 だからこそ、わたくしは彼女のようにはなれないと思った。
 犠牲を前提に戦うなど、恐ろし過ぎる。
「もう一度言う……君の成長に期待している。そのために巡回討伐の主力に配置した」
 言うべきことは話した、というようにクロエは目を伏せ、椅子に腰かけた。
「変更はない。以上だ」
「……分かりました」
 彼女の配置を、受け入れられた訳ではない。だけれど、クロエはわたくしの甘えを許さない。
 だからわたくしは頷いた。
 逃げ道はない……強くなっていく必要があった。

1 2 3 4 5 6
CONTENTS TOP