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「GOD EATER ONLINE」が帰ってくる!
ストーリーノベル 第三章
「GOD EATER ONLINE」 STORY NOVEL ~3章-5話~
駆け出すような足取りで、リュウが広場を進んでいく。
「今回はチェルノボグの討伐ですね。早く行きましょう!」
子供のような笑みを浮かべて、リュウが俺たちを先導していく。
その後に続いて発着場へと向かっていると、レイラが小声で語りかけてくる。
「ねえ、あなたは最近のリュウを、どう見ます?」
レイラの言葉を聞いたうえで、もう一度前を歩いていくリュウの背中を見る。
何の問題も抱えていなさそうな、明るい調子でヘリに向かっている。本人に直接尋ねれば、絶好調と返されるかもしれないが……
「……正直、心配だな」
「やはりそうですか」
彼女も同じ気持ちなのだろう、頷いてからため息をつく。
「未知のアラガミと戦い、アラガミ素材を手に入れる――確かに彼は、それを本心から望んでいるように見えます」
「ああ」
アラガミ素材を得るため……リュウはそのために戦っているのだと言う。
実際、神機の強化や、支部の防壁のためにもアラガミ素材は必要だし、俺たちも可能な限り、素材を狙って戦うべきなのも間違いない。
「だとしても、リュウはアラガミに対して恐怖心すら持っていない印象です……そんな人、いるのでしょうか?」
レイラの言葉を受けて、俺はその場に立ち止まる。
「……確かにな」
頷きながら、俺は少し戸惑っていた。
俺も昔は、アラガミに対して恐怖を感じていなかった。
この劣悪な世界では、少しくらい『欠けた』人間が生まれることも、そう珍しくはないのではないか。他人の考えは分からないが、俺個人はそう考えている。
しかし、リュウには家族もいるし、大会社の社長の息子として、将来を期待されながら育てられているはずだ。
生まれついての孤児だった俺とは違う……『欠けた』理由が分からない。
「ただの想像ですが……リュウにもわたくしたちが知らない、秘めたる何かがあるのでは?」
「……リュウの秘密、か」
よくよく考えてみれば、俺はリュウのことをほとんど知らない。
実家が神機のメーカーであることは聞いたが、逆に言えば知っていることはそれくらいだ。
(将来を期待されるリュウが、自分の身を危険に晒してまで戦う理由……)
自己犠牲を厭わず突撃していくという意味では、レイラの戦い方も似ているが……彼女には、『人を守るため』という目的意識がある。
『素材を得るため』という理由だけで、レイラと同じだけ真剣に戦うことができるだろうか。
(本当に、恐れを知らないだけなのか? それとも……)
やはり他にも理由があるのか。
二人して頭を悩ませるが、それらしい答えは見つけられない。
「んー、リュウの秘密かぁ……なんだろうなー」
俺たちが考え込んでいると、傍らの露店からそんな言葉が聞こえてきた。
「ドロシー、聞いていたのですか?」
「いやいや、店の前で話しはじめたのはあんたたちだろー?」
ドロシーは快活に笑って答えてみせる。
「……何か、思い当たることが?」
「まあね。けど、秘密ってほどのもんじゃないよ?」
ドロシーはそう言ってから、わざとらしい仕草で天井を仰ぎ見る。
「えーっと、確かリュウの家は商売やってんだよな」
「その話は、わたくしも知っていますが……」
「あたしんちも同じで、両親は商人だった。意外とな、商家って大変なんだよ。従業員の生活なんかも背負ってるしさ」
ドロシーは言葉を探すように、宙に視線を彷徨わせる。
「なんていうか、自分一人の命じゃないっての?」
(自分一人の命じゃない……)
どうやらドロシーは、リュウはリュウなりに、誰かのために戦っているのではないかと言いたいらしい。
想像もしていなかったその言葉に、俺とレイラは顔をしばし見合わせる。
「……ドロシーもそうだったのですか?」
「うちは両親がアラガミに殺されて、取引がぶっとんで大借金地獄さ。おかげでもう地元にゃ帰れない」
「……」
ドロシーはなんともないように話しているが、軽く聞き流せるような話ではない。
かといって、深く追求することもためらわれ、俺とレイラは口を閉じた。
この状況でも彼女がヒマラヤ支部を離れないのには、そういう事情があったらしい。
ドロシーの場合は、支部やカリーナたちへの愛着などもありそうだが……
「リュウのとこは、ホーオーカンパニーだっけ? 神機を作ってるらしいが、けっこうでかい企業なんだろ?」
「……はい」
ホーオーカンパニーは、神機使いなら一度は聞いたことがある大企業だ。
つまり、それだけ背負っている命が多い……ドロシーはそう言いたいらしい。
「経営状況は知らんけどさ、傾いたら大変なんだろうな」
あっけらかんとした表情でドロシーは言うが、その口調にはどこか真剣味がある。
「……だからって、次期社長がゴッドイーターに、ねぇ?」
ドロシーの話を聞いても、レイラは腑に落ちない様子だった。
それは俺も同じだ。
大勢の命を預かる立場だからこそ、リュウは自分を犠牲にして戦っているのだろうか。
だとすれば大した正義漢だが……これまで見てきたリュウのイメージとは一致しない。
ドロシーをちらりと見たが、分かりやすく視線を逸らされた。
(……これ以上、話すつもりはないということか)
商売人のドロシーが、大手メーカーの情報を全く把握していないとも考えづらい。
あとは自分たちで考えろと言うことのようだ。
そこでレイラが、気持ちを切り替えるように短く息をついた。
「ともあれ、今はチェルノボグ討伐です」
任務に意識を戻したレイラは、ヘリの発着場へ歩みを進める。
けれど、数歩ほどで足を止めると、横目にこちらを確認してきた。
「ところで……余裕があればでいいのですが、わたくしの戦いを見ていただける? わたくしなりに研ぎ澄ましてみたの」
レイラの言葉に、俺は少し驚いた。
ひたすら前に出る戦い方を、『熟慮の上で続けることにした』と言ったレイラだ。
そのために特訓を重ねるのは彼女らしいが、その成果を俺に見て欲しいというのは……
「……」
とはいえ、頼ってもらえることはありがたい。
俺たちは互いに背中を預ける仲間なのだから。
「あぁ、楽しみにしておく」
「……そう」
背を向けられているから、レイラがどんな表情をしているのかは分からない。
けれど、再び動き出した彼女の足取りは、少し軽やかなものに思えた。
「――ッッ!」
カマキリのような、あるいは蜘蛛のような巨体から、空気を引き裂くような断末魔が上がる。
中型のアラガミ、チェルノボグが旧市街地の車道に倒れ、そのまま動かなくなる。
最後の一撃を与えたレイラは、安堵するとともに構えを解いた。
「なんとか終わりましたね……」
彼女は息を弾ませながらそう言った。疲労はあるようだが、その体に大きな傷は見られない。
「良い立ち回りだったな」
「ありがとう。ですが、まだまだです……」
俺の言葉に、レイラは首を振って遠くを見つめた。
その表情に驕りはないが、焦りもない。レイラはこれから、まだまだ強くなっていくのだろう。
そんな彼女を少し羨ましく思っていたところで、辺りにリュウの歓喜の声が響き渡った。
「よしっ……チェルノボグをやったぞ!! はははっ、アラガミ素材もいただきだ!!」
見ればチェルノボグの亡骸の傍に立ったリュウが、捕喰形態の神機を片手に笑っていた。
嬉しそうなリュウの様子に、レイラが呆れた様子でため息をつく。
「昔は貴族が野にいる獣を狩るのを娯楽としたといいますが、リュウはまるでその気分ね……」
「確かにな」
リュウの楽しそうな姿を見ていると、その危機意識の低さを指摘する気も失せてしまう。
しかし、だからと言ってこれ以上看過しておく訳にはいかない。
(今の戦い方を続けていれば、恐らくリュウは……)
『ヒマラヤ支部より第一部隊へ、聞こえますか』
リュウに声をかけようとしたところで、カリーナからの通信が入る。
その声には、少なからず緊張の色が含まれていた。
『チェルノボグのアラガミ反応消失を確認しました。ですが、別のアラガミがエリアに接近しています! 帰還準備を急いでください!』
「そんな、今討伐を終えたばかりですのに……」
「とにかく、ヘリまで退避しよう」
レイラが頭を抱える気持ちもよく分かるが、あまり猶予もない状況だ。
カリーナが言うように、他のアラガミが来る前に帰還の準備を進めるべきだろう。
足早にその場を離れはじめた俺とレイラ。しかし、彼の足音が続かない。
「帰るなんてもったいない、まだまだ狩ってやりますよ!」
振り返ると、リュウはチェルノボグの亡骸の上で、俺たちに背中を向けて立っていた。
『リュウ? 任務はすでに完了済みですよ! これ以上の戦闘は必要ありません!』
「もう少し早く現れていれば、どうせ戦うことになっていたでしょう? タイミングがずれてくれて、好都合じゃないですか!」
カリーナの注意も気に留めず、リュウは自信に溢れた笑みをこちらに向ける。
「僕は東へ行きますから、隊長代理とレイラは別方向へ! あとで合流しましょう、それじゃ!」
『リュウ? ちょっと、リュウ!?』
言うが早いか、止める間もなくリュウはそのまま駆け出していってしまう。
レイラがため息をつきながら、カリーナからの通信を取り次いだ。
「まったく……カリーナ、接近するアラガミの位置情報を」
『西からシユウ、南からはオウガテイルとコンゴウが接近中です。リュウが向かった東は……ザイゴート一体しかいませんね』
「思いっきりどうでもいいほうへ行ってるじゃない! あの慌て者は!!」
声を荒げるレイラの気持ちもよく分かるが、頭を抱えていられる暇はなさそうだ。
「それで、わたくしたちはどうします?」
「そうだな……」
リュウだけを残して帰還する訳にはいかない。そのうえで、俺たちはどちらに向かうべきだろうか。
リュウとの合流を目指すなら東だが、その間に他方のアラガミが集まってしまうかもしれない。
その前に、俺とレイラだけでも他のアラガミを退治しておいたほうがいいかもしれない。
(まずは西のシユウを片付けて、南でリュウと合流できれば理想的だが……)
俺がそうして考えを巡らせていた、その時だった。
「東へ! 急いでください!」
緊迫感のある声が、耳元に響いた。
「――ッ!」
その言葉の意味を理解した瞬間、俺はその場から駆け出していた。
「ちょっと、どうするつもり……!?」
「東だッ! リュウの後を追う……!」
「東へ……っ? そちらにはザイゴートしかいないのでしょう!?」
レイラは困惑しながらも、俺の様子から深刻さを察したのか後に続いてくれた。
ゆっくり説明している暇はないので、その対応はありがたい。
視界の隅に、純白の髪の女性がちらりと映る。
唐突に彼女が現れ、俺に危機を告げた時……その度に俺は、ヤツと対峙してきた。
もし俺の予感が当たっていれば……最悪の事態も考えられる。
(リュウ……無事でいてくれ……!)
「――ッ!」
神機から放たれたバレットが、寸分違わず狙ったところに着弾する。
苦しそうに雄叫びを上げるザイゴートのその頭部……大きく開かれた満月型の目玉の中央、スリット状に開かれた縦長の瞳孔に向けて、僕は神機を差し込んだ。
喘ぐような高い声が響いてザイゴートは身悶えするが、こちらに逃がすつもりはない。
地面に押し倒し、両羽根を足で抑えてその場に組み敷く。そうしながら、僕はその眼を抉るようにして引き裂いた。
夕日のような赤く大きな眼の中に、僕の姿が歪な形で映り込んだ。
「…………」
そのままザイゴートが動かなくなるのを確認してから、僕は神機を抜いて立ち上がった。
「ザイゴートだけだったか……大物が来るとしたら東だと思ったのに」
統計データも、肝心なところで当てにならない。どうやら僕は、外れを引いてしまったらしい。
(レイラや隊長代理は、今頃アラガミをたくさん相手してるのかな)
市街地の外れはひどく静かだ。ずいぶんと遠くまで来てしまったらしい。
(二人とも、やっぱり怒ってるかな……)
命令違反も独断専行も、今日に始まったことじゃない。
今さら反省なんてしないけど、そろそろ本気で謹慎や処分を検討されてもおかしくないだろう。
我ながら、ずいぶんと危ない橋を渡っていると思う。
それでも、やるだけの価値はある。ゴッドイーターは軍人じゃないし、この支部に僕の代わりを務められる人材もいない。
ゴドー隊長だって、それが分かっているから僕を本気で止めたりはしない。
他支部と連絡がつかないことも、アラガミ増加も、僕にとって都合がいいように状況は動いている。だったらこの状況を見過ごす手はない。
いい子ちゃんの振りを続けていても、アラガミ素材は得られない。周りからどう思われようと、僕はやるべきことをやるだけだ。
(八神セイ……怒ってたよな)
あの男の、まっすぐな眼差しを思い出す。こちらが笑ってすましていても、せせら笑いを浮かべても、目をそらさずに僕を見ていた。
何故か、そのことが気にかかる。
与しやすい相手だ。
確かに強いが、ゴドーほど圧倒的なものではない。隊長としての威厳も感じられない。
無口で威圧的に見えることもあるが、あの人は多分……ただの善人だ。
あの神機のことさえなければ、礼儀正しく接する必要もない、平凡な相手だと思う。
そんな相手に見られたことが、なんだって言うのか。
「馬鹿馬鹿しい……」
あいつはきっと、背負っているものが何もないんだ。
だから、あんな目ができる。裏表のない、人を信用しきったようなまっすぐな目が。
……澱みのないあの、静かな眼差しが。
「……」
背後から、からりと何かが落ちた音がした。
僕は少し苛立ちながら、振り返る。
そしてそこに、そいつはいた。
ぞっとするほどに美しい白毛の獣が、僕を間近で見つめていた。
「グァアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
目が合った瞬間、そいつは咆哮と共に飛び掛ってきた。
「――っ!?」
首筋を狙い、獣はかぶりつこうとするように口を広げる。
慌てて構えたシールドに、途方もない力が圧し掛かる。
重く激しい一撃。腕がへし折れるような痛みが走ると同時、僕の目の前から盾の影が消え、代わりにもっと大きな影が被さる。
「ガァアアアアアアアア!!」
荒れ狂う獣の絶叫。
皮膚を引き裂かれる激しい痛みと、鈍くて重たい痛み。
それが一気に身体を巡り、視界がぐりんと一転する。地上から空へ、そのまま一気にアスファルトへ。
激痛が走る。
ああ、身体ごと吹き飛ばされていたのだと。ようやく理解が追い付いた時には、白毛のアラガミはさらに腕を振り抜いている。
「……っ」
胸を打つ激しい痛み。叫び声をあげたくなるが、肺の奥からは空気が少し漏れただけだった。
灰色の大地の上を身体が転がり、跳ねて、廃墟の壁にぶつかった。
不思議と痛みは感じなかった。いや、感じているのかもしれないが……意識を繋ぎ止めるのがやっとだ。
肺に空気は戻らない。音が聞こえない。視界はぼやけていて、よく見えない。
ざらざらと、耳の中に砂を入れられたような嫌な感覚だけがある。
寒い……震えるほどに冷たい吐息が口から漏れる。
少しずつ、五感が取り戻されていく。身体は動かない。壁と瓦礫の間に、埋め込まれているらしかった。
少しずつ、目がはっきりと見えるようになってくる。肺に空気が入るようになってくる。必死に息継ぎをして、身体に空気を送り込む。
「はっ……はっ……」
少しずつ、目がはっきりと見えるようになってくる。
風の音や温度、濁った空気まで感じられるようになってくる。
「はぁ……はっ……あぁ……っ」
僕の目の前には、そいつがいる。
白毛の獣……ネブカドネザルが、僕の顔を覗き込んでくる。
間近に鼻を寄せて、ゆらゆらと首を動かしている。低く唸りながら、僕を見る。
その口が、ぱっくりと二つに分かれていく。
鋭い牙の奥から、腐臭が漂う。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」
呼吸が荒くなっていくのを感じる。他にはできることなど何一つなかった。
戦うことも逃げることもできなければ、叫ぶことも泣くこともできない。
(殺られ、る……ッ!)
死ぬこと以外、選べない……その事実をはっきりと理解した。
「グァアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
咆哮と共に、ネブカドネザルは僕の頭に向けて首を下した。
その瞬間だった。
辺りに銃声が鳴り響き、獣が不意に僕の目の前から姿を消す。
そして代わりに、その男が僕の前に立った。
「リュウ……っ!」
その男は、あの透き通るような眼差しで、僕をまっすぐに見つめていた。
「そこです!」
俺は神機の声に従って、バレットを撃ち込んだ。
標的はリュウに覆いかぶさる白毛のアラガミ。
放たれた弾丸は、狙い通りの軌道を描き飛んでいく。
「――ガァッ!」
しかし、ネブカドネザルが回避するほうが早かった。
「そこを離れろ……!」
立て続けにトリガーを引く。牽制のため、足元に向けてバレットを放っていく。
「――――」
ネブカドネザルは、しばらく警戒するようにこちらを見つめていたが、やがて一歩後退すると、そのまま踵を返して、その場を立ち去っていく。
「逃げた……のか?」
確信が得られず、周囲への警戒を続ける俺に、マリアに似た声が告げる。
「離脱を確認」
その声から、さきほどのような緊迫感は感じない。もう安全と思ってもよさそうだ。
「リュウ……っ!」
肩の力を抜いて振り返ると、リュウは呆然としたような表情でこちらを見ていた。
「無事か?」
「は……はい……」
肩を貸そうと近付くと、リュウは思いのほか素直に従った。
しかし足に力が入らないのか、リュウは立ち上がれずにその場にへたり込んだ。
「あれが……あの……」
「ネブカドネザルよ。やっと、リュウもあれの何たるかを理解したようですね」
合流したレイラが、言い淀むリュウの言葉を引継いだ。
レーダーにも映らず、気配もほとんど感じさせない……
確かにその目で見なければ、あの獣の異質さは理解しにくいものだ。
「それにしても、こんな長距離でよくあれがいるって気付いたわね? 以前はせいぜい二、三十メートルが限度じゃなかった?」
それについては、俺も疑問に思っていた。
自然と、白髪の女性に疑問の眼差しを向ける。
「アビスファクター解放により、探知可能距離が伸びました」
返事は期待していなかったが、彼女は淡々と答えてくれる。
この返事をそのままレイラに伝えると、彼女は目を見開いて驚いてみせた。
「ユニットやモジュールを追加した訳でもないのに? そんなことって、あるのかしら」
そのまま俺の神機に疑惑の眼差しを向けるが、俺には答えようもない。
勿論、普通であればアラガミ素材などを使って、パーツを足したり改良でもしなければ神機の機能が増えることはない。
それでも俺があまり驚いていないのは、彼女の存在が見え、声が聞こえているからだろう。
この神機に慣れてしまうというのも、あまり良くないことかもしれないが……
「くそっ! あと一瞬早く気付いていれば……!」
そうして叫んだのはリュウだ。
時間が経って、ようやく状況を呑み込めたらしい。
握りこぶしを地面に叩きつけ、悔しそうに肩を震わせている。
……震えているのは、悔しいからだけではないだろう。挫折感、敗北感――死の恐怖。
彼が感じたそうしたものが、まざまざと俺にも伝わってくる。
そんな彼を見下ろすようにして、レイラが彼の前に立った。
睨め上げるようなリュウの視線を真っ向から受け、レイラはゆっくりと口を開く。
「単独行動中に遭遇して、生き残っただけでも上出来だわ……悔しいけど、これ本気で褒めてるから」
レイラはそれだけ言って、気まずそうにリュウから視線を逸らした。
てっきり俺は、リュウを責めるつもりかと思ったが……
意表を突かれたのは、リュウも同じらしい。彼は静かに地面を見つめた後、大きく息を吐き、手足に力を込めて立ち上がる。
「褒めるなら、あれを仕留めた時にしてくれ」
埃を払って、レイラの後姿に向けて言い放つ。
「次はしくじったりしない……!」
そうしたリュウは、いつも通りの彼に思えた。
宣言の後、リュウはそのまま俺たちから距離を取るように歩を進めた。
「死にかけたというのに、まだあんなことが言えるなんて……」
呆れた様子のレイラと二人で、彼に視線を向ける。
リュウは近くの瓦礫に背中を預け、静かに呼吸を整えはじめている。
その足元は、今も小さく震えていた。強気な態度が、強がりであることは隠せていない。
それでも、リュウはプライドを持って立ち続けている。
「ただの格好つけなら折れると思いましたが、違うみたいね。何がリュウをそうさせるのか、分かりませんけど……」
「……そうだな」
その身に受けた恐怖や苦痛を考えれば、泣き叫んでいてもおかしくない場面だ。
俺たちに向けて、言い訳や謝罪をしたっていい。多少惨めに思われようとも、生きるためには周囲に頼ることのほうが簡単なのだから。
しかし、リュウは敢えてそうしない。
利益や効率以外の何かが、彼を支えているのだろう。
「…………」
リュウがちらりと、こちらを見る。不意に視線が交差する。
肩で息を吐きながら、目を逸らさずに俺を見つめ続けている。
(……強いんだな)
リュウがどういう人間なのか、不思議と少し、分かった気がした。
そこで改めて、カリーナから通信が入る。
『第一部隊へ、そちらにシユウとコンゴウが向かっています! 迎撃するか、離脱を!』
リュウに視線を送る。
今の通信は聞こえていたはずだが、先ほどのように飛び出す様子はない。
流石の彼も、これ以上の戦闘は難しいと自覚しているのだろう。
「了解。すぐに帰還する」
手短に答えて、俺たちは離脱を開始した。
支部に帰還しヘリを下りたところで、俺たちをゴドーが出迎えてくれる。
今回の戦闘について、すでにカリーナから聞き及んでいるのだろう。
彼は俺たちには目をくれず、まっすぐリュウを見つめていた。
「ネブカドネザルに遭遇しながらも、よく戻った」
「仲間には感謝しています」
リュウは俺たちには視線を向けず、毅然とした態度でそう答えた。
「戦ってみた印象はどうだ?」
ゴドーの言葉を予想していたのか、リュウは詰まることなく言葉を返す。
「ネブカドネザルは手強いアラガミでした。しかし、放置する訳にはいきません」
背筋を正し、決意表明をするように、真剣な眼差しで言葉を続ける。
「僕はあれを倒したい……その気持ちは変わりませんよ」
あれだけのことがあったというのに、彼の意思は頑なだった。
それに対して、意外な人物が賛同を示す。
「わたくしも同意します。ネブカドネザルは必ず仕留めなくてはなりません」
「レイラ……」
「むやみに仕掛けるつもりはありませんよ。あくまでも慎重かつ確実に、です」
「……」
リュウは一瞬だけ言葉を詰まらせたが、すぐに持ち直して言葉を紡ぐ。
「レイラはそれでいい。僕はヤツを発見したら、迷わず仕掛ける」
いつも通りの挑発的な口ぶりだ。それでいて、少し意地も張っているようだ。
そのことを察したレイラが、くすりと笑みを浮かべる。
「もうちょっと恐がってもいいのよ? さっきみたいに」
「誰がいつ恐がったって? それは、お姫様の役割だろ」
「あら、守ってくださるわけ?」
「君のためには死ねないな」
「話になりません」
「ああ、話にならない」
二人は軽い調子で言い合って、静かに互いを睨みつけた。
相変わらずのやり取りに、リュウも少しだけ調子を取り戻してきたように感じる。
「あー。支部長代理からの命令だ」
そうして見えない火花を散らすレイラとリュウを見て、ゴドーが面倒そうに手を上げる。
「主張をぶつけ合うのはいいが、俺を挟んでやるな」
ゴドーの口ぶりは、困った子供に接するような、少し優しいものだったが……
なんにせよ、二人の間に挟まれていては俺も身動きも取れない。
「……支部長代理の意見に同意します」
両者一歩も引かない睨み合いのなか、俺はゴドーに賛同の意を示した。
駆け出すような足取りで、リュウが広場を進んでいく。
「今回はチェルノボグの討伐ですね。早く行きましょう!」
子供のような笑みを浮かべて、リュウが俺たちを先導していく。
その後に続いて発着場へと向かっていると、レイラが小声で語りかけてくる。
「ねえ、あなたは最近のリュウを、どう見ます?」
レイラの言葉を聞いたうえで、もう一度前を歩いていくリュウの背中を見る。
何の問題も抱えていなさそうな、明るい調子でヘリに向かっている。本人に直接尋ねれば、絶好調と返されるかもしれないが……
「……正直、心配だな」
「やはりそうですか」
彼女も同じ気持ちなのだろう、頷いてからため息をつく。
「未知のアラガミと戦い、アラガミ素材を手に入れる――確かに彼は、それを本心から望んでいるように見えます」
「ああ」
アラガミ素材を得るため……リュウはそのために戦っているのだと言う。
実際、神機の強化や、支部の防壁のためにもアラガミ素材は必要だし、俺たちも可能な限り、素材を狙って戦うべきなのも間違いない。
「だとしても、リュウはアラガミに対して恐怖心すら持っていない印象です……そんな人、いるのでしょうか?」
レイラの言葉を受けて、俺はその場に立ち止まる。
「……確かにな」
頷きながら、俺は少し戸惑っていた。
俺も昔は、アラガミに対して恐怖を感じていなかった。
この劣悪な世界では、少しくらい『欠けた』人間が生まれることも、そう珍しくはないのではないか。他人の考えは分からないが、俺個人はそう考えている。
しかし、リュウには家族もいるし、大会社の社長の息子として、将来を期待されながら育てられているはずだ。
生まれついての孤児だった俺とは違う……『欠けた』理由が分からない。
「ただの想像ですが……リュウにもわたくしたちが知らない、秘めたる何かがあるのでは?」
「……リュウの秘密、か」
よくよく考えてみれば、俺はリュウのことをほとんど知らない。
実家が神機のメーカーであることは聞いたが、逆に言えば知っていることはそれくらいだ。
(将来を期待されるリュウが、自分の身を危険に晒してまで戦う理由……)
自己犠牲を厭わず突撃していくという意味では、レイラの戦い方も似ているが……彼女には、『人を守るため』という目的意識がある。
『素材を得るため』という理由だけで、レイラと同じだけ真剣に戦うことができるだろうか。
(本当に、恐れを知らないだけなのか? それとも……)
やはり他にも理由があるのか。
二人して頭を悩ませるが、それらしい答えは見つけられない。
「んー、リュウの秘密かぁ……なんだろうなー」
俺たちが考え込んでいると、傍らの露店からそんな言葉が聞こえてきた。
「ドロシー、聞いていたのですか?」
「いやいや、店の前で話しはじめたのはあんたたちだろー?」
ドロシーは快活に笑って答えてみせる。
「……何か、思い当たることが?」
「まあね。けど、秘密ってほどのもんじゃないよ?」
ドロシーはそう言ってから、わざとらしい仕草で天井を仰ぎ見る。
「えーっと、確かリュウの家は商売やってんだよな」
「その話は、わたくしも知っていますが……」
「あたしんちも同じで、両親は商人だった。意外とな、商家って大変なんだよ。従業員の生活なんかも背負ってるしさ」
ドロシーは言葉を探すように、宙に視線を彷徨わせる。
「なんていうか、自分一人の命じゃないっての?」
(自分一人の命じゃない……)
どうやらドロシーは、リュウはリュウなりに、誰かのために戦っているのではないかと言いたいらしい。
想像もしていなかったその言葉に、俺とレイラは顔をしばし見合わせる。
「……ドロシーもそうだったのですか?」
「うちは両親がアラガミに殺されて、取引がぶっとんで大借金地獄さ。おかげでもう地元にゃ帰れない」
「……」
ドロシーはなんともないように話しているが、軽く聞き流せるような話ではない。
かといって、深く追求することもためらわれ、俺とレイラは口を閉じた。
この状況でも彼女がヒマラヤ支部を離れないのには、そういう事情があったらしい。
ドロシーの場合は、支部やカリーナたちへの愛着などもありそうだが……
「リュウのとこは、ホーオーカンパニーだっけ? 神機を作ってるらしいが、けっこうでかい企業なんだろ?」
「……はい」
ホーオーカンパニーは、神機使いなら一度は聞いたことがある大企業だ。
つまり、それだけ背負っている命が多い……ドロシーはそう言いたいらしい。
「経営状況は知らんけどさ、傾いたら大変なんだろうな」
あっけらかんとした表情でドロシーは言うが、その口調にはどこか真剣味がある。
「……だからって、次期社長がゴッドイーターに、ねぇ?」
ドロシーの話を聞いても、レイラは腑に落ちない様子だった。
それは俺も同じだ。
大勢の命を預かる立場だからこそ、リュウは自分を犠牲にして戦っているのだろうか。
だとすれば大した正義漢だが……これまで見てきたリュウのイメージとは一致しない。
ドロシーをちらりと見たが、分かりやすく視線を逸らされた。
(……これ以上、話すつもりはないということか)
商売人のドロシーが、大手メーカーの情報を全く把握していないとも考えづらい。
あとは自分たちで考えろと言うことのようだ。
そこでレイラが、気持ちを切り替えるように短く息をついた。
「ともあれ、今はチェルノボグ討伐です」
任務に意識を戻したレイラは、ヘリの発着場へ歩みを進める。
けれど、数歩ほどで足を止めると、横目にこちらを確認してきた。
「ところで……余裕があればでいいのですが、わたくしの戦いを見ていただける? わたくしなりに研ぎ澄ましてみたの」
レイラの言葉に、俺は少し驚いた。
ひたすら前に出る戦い方を、『熟慮の上で続けることにした』と言ったレイラだ。
そのために特訓を重ねるのは彼女らしいが、その成果を俺に見て欲しいというのは……
「……」
とはいえ、頼ってもらえることはありがたい。
俺たちは互いに背中を預ける仲間なのだから。
「あぁ、楽しみにしておく」
「……そう」
背を向けられているから、レイラがどんな表情をしているのかは分からない。
けれど、再び動き出した彼女の足取りは、少し軽やかなものに思えた。
「――ッッ!」
カマキリのような、あるいは蜘蛛のような巨体から、空気を引き裂くような断末魔が上がる。
中型のアラガミ、チェルノボグが旧市街地の車道に倒れ、そのまま動かなくなる。
最後の一撃を与えたレイラは、安堵するとともに構えを解いた。
「なんとか終わりましたね……」
彼女は息を弾ませながらそう言った。疲労はあるようだが、その体に大きな傷は見られない。
「良い立ち回りだったな」
「ありがとう。ですが、まだまだです……」
俺の言葉に、レイラは首を振って遠くを見つめた。
その表情に驕りはないが、焦りもない。レイラはこれから、まだまだ強くなっていくのだろう。
そんな彼女を少し羨ましく思っていたところで、辺りにリュウの歓喜の声が響き渡った。
「よしっ……チェルノボグをやったぞ!! はははっ、アラガミ素材もいただきだ!!」
見ればチェルノボグの亡骸の傍に立ったリュウが、捕喰形態の神機を片手に笑っていた。
嬉しそうなリュウの様子に、レイラが呆れた様子でため息をつく。
「昔は貴族が野にいる獣を狩るのを娯楽としたといいますが、リュウはまるでその気分ね……」
「確かにな」
リュウの楽しそうな姿を見ていると、その危機意識の低さを指摘する気も失せてしまう。
しかし、だからと言ってこれ以上看過しておく訳にはいかない。
(今の戦い方を続けていれば、恐らくリュウは……)
『ヒマラヤ支部より第一部隊へ、聞こえますか』
リュウに声をかけようとしたところで、カリーナからの通信が入る。
その声には、少なからず緊張の色が含まれていた。
『チェルノボグのアラガミ反応消失を確認しました。ですが、別のアラガミがエリアに接近しています! 帰還準備を急いでください!』
「そんな、今討伐を終えたばかりですのに……」
「とにかく、ヘリまで退避しよう」
レイラが頭を抱える気持ちもよく分かるが、あまり猶予もない状況だ。
カリーナが言うように、他のアラガミが来る前に帰還の準備を進めるべきだろう。
足早にその場を離れはじめた俺とレイラ。しかし、彼の足音が続かない。
「帰るなんてもったいない、まだまだ狩ってやりますよ!」
振り返ると、リュウはチェルノボグの亡骸の上で、俺たちに背中を向けて立っていた。
『リュウ? 任務はすでに完了済みですよ! これ以上の戦闘は必要ありません!』
「もう少し早く現れていれば、どうせ戦うことになっていたでしょう? タイミングがずれてくれて、好都合じゃないですか!」
カリーナの注意も気に留めず、リュウは自信に溢れた笑みをこちらに向ける。
「僕は東へ行きますから、隊長代理とレイラは別方向へ! あとで合流しましょう、それじゃ!」
『リュウ? ちょっと、リュウ!?』
言うが早いか、止める間もなくリュウはそのまま駆け出していってしまう。
レイラがため息をつきながら、カリーナからの通信を取り次いだ。
「まったく……カリーナ、接近するアラガミの位置情報を」
『西からシユウ、南からはオウガテイルとコンゴウが接近中です。リュウが向かった東は……ザイゴート一体しかいませんね』
「思いっきりどうでもいいほうへ行ってるじゃない! あの慌て者は!!」
声を荒げるレイラの気持ちもよく分かるが、頭を抱えていられる暇はなさそうだ。
「それで、わたくしたちはどうします?」
「そうだな……」
リュウだけを残して帰還する訳にはいかない。そのうえで、俺たちはどちらに向かうべきだろうか。
リュウとの合流を目指すなら東だが、その間に他方のアラガミが集まってしまうかもしれない。
その前に、俺とレイラだけでも他のアラガミを退治しておいたほうがいいかもしれない。
(まずは西のシユウを片付けて、南でリュウと合流できれば理想的だが……)
俺がそうして考えを巡らせていた、その時だった。
「東へ! 急いでください!」
緊迫感のある声が、耳元に響いた。
「――ッ!」
その言葉の意味を理解した瞬間、俺はその場から駆け出していた。
「ちょっと、どうするつもり……!?」
「東だッ! リュウの後を追う……!」
「東へ……っ? そちらにはザイゴートしかいないのでしょう!?」
レイラは困惑しながらも、俺の様子から深刻さを察したのか後に続いてくれた。
ゆっくり説明している暇はないので、その対応はありがたい。
視界の隅に、純白の髪の女性がちらりと映る。
唐突に彼女が現れ、俺に危機を告げた時……その度に俺は、ヤツと対峙してきた。
もし俺の予感が当たっていれば……最悪の事態も考えられる。
(リュウ……無事でいてくれ……!)
「――ッ!」
神機から放たれたバレットが、寸分違わず狙ったところに着弾する。
苦しそうに雄叫びを上げるザイゴートのその頭部……大きく開かれた満月型の目玉の中央、スリット状に開かれた縦長の瞳孔に向けて、僕は神機を差し込んだ。
喘ぐような高い声が響いてザイゴートは身悶えするが、こちらに逃がすつもりはない。
地面に押し倒し、両羽根を足で抑えてその場に組み敷く。そうしながら、僕はその眼を抉るようにして引き裂いた。
夕日のような赤く大きな眼の中に、僕の姿が歪な形で映り込んだ。
「…………」
そのままザイゴートが動かなくなるのを確認してから、僕は神機を抜いて立ち上がった。
「ザイゴートだけだったか……大物が来るとしたら東だと思ったのに」
統計データも、肝心なところで当てにならない。どうやら僕は、外れを引いてしまったらしい。
(レイラや隊長代理は、今頃アラガミをたくさん相手してるのかな)
市街地の外れはひどく静かだ。ずいぶんと遠くまで来てしまったらしい。
(二人とも、やっぱり怒ってるかな……)
命令違反も独断専行も、今日に始まったことじゃない。
今さら反省なんてしないけど、そろそろ本気で謹慎や処分を検討されてもおかしくないだろう。
我ながら、ずいぶんと危ない橋を渡っていると思う。
それでも、やるだけの価値はある。ゴッドイーターは軍人じゃないし、この支部に僕の代わりを務められる人材もいない。
ゴドー隊長だって、それが分かっているから僕を本気で止めたりはしない。
他支部と連絡がつかないことも、アラガミ増加も、僕にとって都合がいいように状況は動いている。だったらこの状況を見過ごす手はない。
いい子ちゃんの振りを続けていても、アラガミ素材は得られない。周りからどう思われようと、僕はやるべきことをやるだけだ。
(八神セイ……怒ってたよな)
あの男の、まっすぐな眼差しを思い出す。こちらが笑ってすましていても、せせら笑いを浮かべても、目をそらさずに僕を見ていた。
何故か、そのことが気にかかる。
与しやすい相手だ。
確かに強いが、ゴドーほど圧倒的なものではない。隊長としての威厳も感じられない。
無口で威圧的に見えることもあるが、あの人は多分……ただの善人だ。
あの神機のことさえなければ、礼儀正しく接する必要もない、平凡な相手だと思う。
そんな相手に見られたことが、なんだって言うのか。
「馬鹿馬鹿しい……」
あいつはきっと、背負っているものが何もないんだ。
だから、あんな目ができる。裏表のない、人を信用しきったようなまっすぐな目が。
……澱みのないあの、静かな眼差しが。
「……」
背後から、からりと何かが落ちた音がした。
僕は少し苛立ちながら、振り返る。
そしてそこに、そいつはいた。
ぞっとするほどに美しい白毛の獣が、僕を間近で見つめていた。
「グァアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
目が合った瞬間、そいつは咆哮と共に飛び掛ってきた。
「――っ!?」
首筋を狙い、獣はかぶりつこうとするように口を広げる。
慌てて構えたシールドに、途方もない力が圧し掛かる。
重く激しい一撃。腕がへし折れるような痛みが走ると同時、僕の目の前から盾の影が消え、代わりにもっと大きな影が被さる。
「ガァアアアアアアアア!!」
荒れ狂う獣の絶叫。
皮膚を引き裂かれる激しい痛みと、鈍くて重たい痛み。
それが一気に身体を巡り、視界がぐりんと一転する。地上から空へ、そのまま一気にアスファルトへ。
激痛が走る。
ああ、身体ごと吹き飛ばされていたのだと。ようやく理解が追い付いた時には、白毛のアラガミはさらに腕を振り抜いている。
「……っ」
胸を打つ激しい痛み。叫び声をあげたくなるが、肺の奥からは空気が少し漏れただけだった。
灰色の大地の上を身体が転がり、跳ねて、廃墟の壁にぶつかった。
不思議と痛みは感じなかった。いや、感じているのかもしれないが……意識を繋ぎ止めるのがやっとだ。
肺に空気は戻らない。音が聞こえない。視界はぼやけていて、よく見えない。
ざらざらと、耳の中に砂を入れられたような嫌な感覚だけがある。
寒い……震えるほどに冷たい吐息が口から漏れる。
少しずつ、五感が取り戻されていく。身体は動かない。壁と瓦礫の間に、埋め込まれているらしかった。
少しずつ、目がはっきりと見えるようになってくる。肺に空気が入るようになってくる。必死に息継ぎをして、身体に空気を送り込む。
「はっ……はっ……」
少しずつ、目がはっきりと見えるようになってくる。
風の音や温度、濁った空気まで感じられるようになってくる。
「はぁ……はっ……あぁ……っ」
僕の目の前には、そいつがいる。
白毛の獣……ネブカドネザルが、僕の顔を覗き込んでくる。
間近に鼻を寄せて、ゆらゆらと首を動かしている。低く唸りながら、僕を見る。
その口が、ぱっくりと二つに分かれていく。
鋭い牙の奥から、腐臭が漂う。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」
呼吸が荒くなっていくのを感じる。他にはできることなど何一つなかった。
戦うことも逃げることもできなければ、叫ぶことも泣くこともできない。
(殺られ、る……ッ!)
死ぬこと以外、選べない……その事実をはっきりと理解した。
「グァアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
咆哮と共に、ネブカドネザルは僕の頭に向けて首を下した。
その瞬間だった。
辺りに銃声が鳴り響き、獣が不意に僕の目の前から姿を消す。
そして代わりに、その男が僕の前に立った。
「リュウ……っ!」
その男は、あの透き通るような眼差しで、僕をまっすぐに見つめていた。
「そこです!」
俺は神機の声に従って、バレットを撃ち込んだ。
標的はリュウに覆いかぶさる白毛のアラガミ。
放たれた弾丸は、狙い通りの軌道を描き飛んでいく。
「――ガァッ!」
しかし、ネブカドネザルが回避するほうが早かった。
「そこを離れろ……!」
立て続けにトリガーを引く。牽制のため、足元に向けてバレットを放っていく。
「――――」
ネブカドネザルは、しばらく警戒するようにこちらを見つめていたが、やがて一歩後退すると、そのまま踵を返して、その場を立ち去っていく。
「逃げた……のか?」
確信が得られず、周囲への警戒を続ける俺に、マリアに似た声が告げる。
「離脱を確認」
その声から、さきほどのような緊迫感は感じない。もう安全と思ってもよさそうだ。
「リュウ……っ!」
肩の力を抜いて振り返ると、リュウは呆然としたような表情でこちらを見ていた。
「無事か?」
「は……はい……」
肩を貸そうと近付くと、リュウは思いのほか素直に従った。
しかし足に力が入らないのか、リュウは立ち上がれずにその場にへたり込んだ。
「あれが……あの……」
「ネブカドネザルよ。やっと、リュウもあれの何たるかを理解したようですね」
合流したレイラが、言い淀むリュウの言葉を引継いだ。
レーダーにも映らず、気配もほとんど感じさせない……
確かにその目で見なければ、あの獣の異質さは理解しにくいものだ。
「それにしても、こんな長距離でよくあれがいるって気付いたわね? 以前はせいぜい二、三十メートルが限度じゃなかった?」
それについては、俺も疑問に思っていた。
自然と、白髪の女性に疑問の眼差しを向ける。
「アビスファクター解放により、探知可能距離が伸びました」
返事は期待していなかったが、彼女は淡々と答えてくれる。
この返事をそのままレイラに伝えると、彼女は目を見開いて驚いてみせた。
「ユニットやモジュールを追加した訳でもないのに? そんなことって、あるのかしら」
そのまま俺の神機に疑惑の眼差しを向けるが、俺には答えようもない。
勿論、普通であればアラガミ素材などを使って、パーツを足したり改良でもしなければ神機の機能が増えることはない。
それでも俺があまり驚いていないのは、彼女の存在が見え、声が聞こえているからだろう。
この神機に慣れてしまうというのも、あまり良くないことかもしれないが……
「くそっ! あと一瞬早く気付いていれば……!」
そうして叫んだのはリュウだ。
時間が経って、ようやく状況を呑み込めたらしい。
握りこぶしを地面に叩きつけ、悔しそうに肩を震わせている。
……震えているのは、悔しいからだけではないだろう。挫折感、敗北感――死の恐怖。
彼が感じたそうしたものが、まざまざと俺にも伝わってくる。
そんな彼を見下ろすようにして、レイラが彼の前に立った。
睨め上げるようなリュウの視線を真っ向から受け、レイラはゆっくりと口を開く。
「単独行動中に遭遇して、生き残っただけでも上出来だわ……悔しいけど、これ本気で褒めてるから」
レイラはそれだけ言って、気まずそうにリュウから視線を逸らした。
てっきり俺は、リュウを責めるつもりかと思ったが……
意表を突かれたのは、リュウも同じらしい。彼は静かに地面を見つめた後、大きく息を吐き、手足に力を込めて立ち上がる。
「褒めるなら、あれを仕留めた時にしてくれ」
埃を払って、レイラの後姿に向けて言い放つ。
「次はしくじったりしない……!」
そうしたリュウは、いつも通りの彼に思えた。
宣言の後、リュウはそのまま俺たちから距離を取るように歩を進めた。
「死にかけたというのに、まだあんなことが言えるなんて……」
呆れた様子のレイラと二人で、彼に視線を向ける。
リュウは近くの瓦礫に背中を預け、静かに呼吸を整えはじめている。
その足元は、今も小さく震えていた。強気な態度が、強がりであることは隠せていない。
それでも、リュウはプライドを持って立ち続けている。
「ただの格好つけなら折れると思いましたが、違うみたいね。何がリュウをそうさせるのか、分かりませんけど……」
「……そうだな」
その身に受けた恐怖や苦痛を考えれば、泣き叫んでいてもおかしくない場面だ。
俺たちに向けて、言い訳や謝罪をしたっていい。多少惨めに思われようとも、生きるためには周囲に頼ることのほうが簡単なのだから。
しかし、リュウは敢えてそうしない。
利益や効率以外の何かが、彼を支えているのだろう。
「…………」
リュウがちらりと、こちらを見る。不意に視線が交差する。
肩で息を吐きながら、目を逸らさずに俺を見つめ続けている。
(……強いんだな)
リュウがどういう人間なのか、不思議と少し、分かった気がした。
そこで改めて、カリーナから通信が入る。
『第一部隊へ、そちらにシユウとコンゴウが向かっています! 迎撃するか、離脱を!』
リュウに視線を送る。
今の通信は聞こえていたはずだが、先ほどのように飛び出す様子はない。
流石の彼も、これ以上の戦闘は難しいと自覚しているのだろう。
「了解。すぐに帰還する」
手短に答えて、俺たちは離脱を開始した。
支部に帰還しヘリを下りたところで、俺たちをゴドーが出迎えてくれる。
今回の戦闘について、すでにカリーナから聞き及んでいるのだろう。
彼は俺たちには目をくれず、まっすぐリュウを見つめていた。
「ネブカドネザルに遭遇しながらも、よく戻った」
「仲間には感謝しています」
リュウは俺たちには視線を向けず、毅然とした態度でそう答えた。
「戦ってみた印象はどうだ?」
ゴドーの言葉を予想していたのか、リュウは詰まることなく言葉を返す。
「ネブカドネザルは手強いアラガミでした。しかし、放置する訳にはいきません」
背筋を正し、決意表明をするように、真剣な眼差しで言葉を続ける。
「僕はあれを倒したい……その気持ちは変わりませんよ」
あれだけのことがあったというのに、彼の意思は頑なだった。
それに対して、意外な人物が賛同を示す。
「わたくしも同意します。ネブカドネザルは必ず仕留めなくてはなりません」
「レイラ……」
「むやみに仕掛けるつもりはありませんよ。あくまでも慎重かつ確実に、です」
「……」
リュウは一瞬だけ言葉を詰まらせたが、すぐに持ち直して言葉を紡ぐ。
「レイラはそれでいい。僕はヤツを発見したら、迷わず仕掛ける」
いつも通りの挑発的な口ぶりだ。それでいて、少し意地も張っているようだ。
そのことを察したレイラが、くすりと笑みを浮かべる。
「もうちょっと恐がってもいいのよ? さっきみたいに」
「誰がいつ恐がったって? それは、お姫様の役割だろ」
「あら、守ってくださるわけ?」
「君のためには死ねないな」
「話になりません」
「ああ、話にならない」
二人は軽い調子で言い合って、静かに互いを睨みつけた。
相変わらずのやり取りに、リュウも少しだけ調子を取り戻してきたように感じる。
「あー。支部長代理からの命令だ」
そうして見えない火花を散らすレイラとリュウを見て、ゴドーが面倒そうに手を上げる。
「主張をぶつけ合うのはいいが、俺を挟んでやるな」
ゴドーの口ぶりは、困った子供に接するような、少し優しいものだったが……
なんにせよ、二人の間に挟まれていては俺も身動きも取れない。
「……支部長代理の意見に同意します」
両者一歩も引かない睨み合いのなか、俺はゴドーに賛同の意を示した。