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「GOD EATER ONLINE」が帰ってくる!
ストーリーノベル 序章・第一章
「GOD EATER ONLINE」 STORY NOVEL ~序章~
ヘリが着陸すると、車輪から伝わる衝撃がわずかに俺の身体を揺さぶった。
建付けの悪いドアを力任せに開くと、雪に彩られた広大が山々が目に入る。
だがそこに、かつて世界最高峰と謳われたヒマラヤの壮大な景色はない。あるのはただ、“何者かに喰い散らされた痕が残る山脈”だけだった。
「八神セイさんですね。お待ちしてました。ゴドー隊長が中でお待ちです」
近づいてきた兵士の一人が、プロペラの風圧に目を細めながらも姿勢を正し敬礼を向けてくる。
ヘリの風音に遮られながら届いた兵士の声と、砂塵を含んだヒマラヤの風が俺を出迎えた。
案内を受け応接室に入ると、そこには二人の男女が俺の到着を待っていた。
あでやかな黒髪をなびかせる若い女性と、大きなサングラスをかけた長身の男。
二人の前に立って姿勢を正すと、女性の方と目が合った。小さく笑みを送ってきたが、俺は応えず見送った。
今の俺はこのフェンリルヒマラヤ支部に着任したての新人だ。立場を弁える必要がある。
視線を外して男の方を注視すると、視界の端で女性が少し不満そうにしたのが見えた。
「君が今日付けで着任した新人だな?」
「はっ。八神セイです」
「ここは何もない僻地だ。ま、リラックスしてくれ。俺からは以上だ」
「以上……?」
以上も何も、「リラックスしてくれ」としか言われていないのだが……。
「あとは、彼女に任せてある……マリア!」
男が傍らの女性に声をかける。
女性……マリアは肩を震わせながら、口火を切る。
「何が彼女に任せてある、ですか! せめて自分で名乗ってください、ゴドー隊長!」
「見たか? 名乗る必要、なかっただろ?」
「そのようですね、ゴドー隊長」
俺がゴドーの皮肉に同意すると、マリアは赤面しながら眉を吊り上げた。
「二人して……! もういいです! あとは私がやりますから!」
「ふふ……そうしてくれ。俺の長話なんか聞くより、二人で楽しくやるといい。念願の「再会」だ、邪魔者は消えるさ」
ゴドーは軽く手を振りながら部屋から出ていった。
「もう、めんどくさがってちゃんとやらないんだから……!」
「あの人、いつもあんな感じなのか?」
「困ったものよね。……それはそうと、改めて、フェンリル・ヒマラヤ支部へようこそ。歓迎するわ!」
そう言ってマリアは、屈託のない華やかな笑みを浮かべた。
「3年ぶりになるね……あなたも無事、ゴッドイーターになれてよかった。私の、ただひとり生き残ってくれた……弟」
そう言いながらマリアは、こちらに手を差し出してきた。
その表情からは、数年ぶりに再会した家族に対する無条件の信頼が覗える。
とはいえ、ここでの俺は彼女の弟である前に、新任の神機使いのはずだ。
握手ではなく、敬礼で応対すべきところだが……マリアはその手を差し出したまま譲らない。
「…………」
観念して差し出した俺の手のひらを、マリアが慈しむように優しく両手で包み込む。
いっそう笑みを深めるマリアに気恥ずかしさを感じ、俺は早々に手を離した。
「……生き残ったのはマリアも同じだろ。俺もマリアと同じゴッドイーターなんだ、いつまでも弟扱いはやめてくれ」
弟といっても、俺達は血が繋がっているわけではない。
マリアは俺と同じ極東支部の施設で育った幼馴染だ。
施設でのマリアは皆のお姉さんとして振舞っていたし、
俺も彼女を本当の姉同然に思ってきた。
とはいえ、俺とマリアの年齢は一つしか違わないし、いつまでも子供扱いされ続けるのは、どうにもむず痒いものがある。
「ふふ、そんなに照れなくてもいいのに」
視線をそらした俺に対し、すべて見透かしたようにマリアが笑う。
「誰がだ。いいから、さっさと任務の話に移ってくれ」
「そうね……それじゃあ早速だけど、事情説明とあなたの能力査定も兼ねて、私の任務に同行してもらってもいい? ……ごめんね」
「気にするな。それで、ヒマラヤ支部はどんな状況なんだ?」
「ゴドー隊長が言っていた通り、ここは僻地で危険レベルが低いのだけど、そのぶん人員も最小限しか配備されていないから、深刻な人手不足なの」
「なるほど。人手不足はどこも酷いらしいが、マリアがそう言うってことはここも相当なんだろうな」
「そうなの……単独行動も多くなるから、生きていくには個の力が問われる……あなたなら大丈夫よ、私もついているから」
……私がついてるから大丈夫、か。
懐かしい台詞だ。子供の頃からマリアは何度も俺達にそう言ってきたし、俺はその言葉にいつも支えられてきた。
――だが、今の俺はあの頃とは違う。今度は俺がマリアを支えてみせる。
ヒマラヤ支部を出て東に進んだ所にあるダム湖。その湖畔に建設されている研究所が、今回の初任務地になる。
フェンリルが抱えていた研究所ではなく、特に有益な情報も得られないだろうとの判断で長らく放置していた研究所のはずだった。
今回改めて調査に出てきたのは、ここ最近になって複数の小型アラガミの活発な反応が確認されたためらしい。
「私とあなたでツーマンセルよ。私はサポートに回るから、前衛をお願い」
「了解だ」
「……ふふっ。素っ気ないのは相変わらずね。なんだか安心したわ」
何が可笑しいのか、笑みを浮かべるマリアと共に、研究所内を進んでいく。
「かなり広いな。何の研究所だったんだ?」
「さあね……随分前に放棄されて以降、フェンリルもこの研究所は重要視してなかったみたい。ここ数年、調査任務が決行された記録もなかったわ」
「なるほどな……それで今は、アラガミの住処に貸してるわけか」
「仕方ないわよ、本当に人手が足りないんだもの」
「……ん? あれは……」
視線を上げると、研究所内の壁に大きな垂れ幕がかけられていた。
そこに記された見慣れたデザインに、俺たちは顔を見合わせた。
「フェンリルのエンブレム……?」
「これって、どういうことなのかしら?」
「……やっぱりここは、元々フェンリルの抱えていた研究所だったんじゃないか?」
フェンリルは別に、俺達ゴッドイーターがアラガミと戦うためだけにある組織ではない。
もともとは生体武器「神機」を研究する生化学企業だ。無限に進化していくアラガミに対抗するべく、ゴッドイーター、神機のさらなる研究、開発のために様々な施設を各地に設けている。
「そんな話は聞いていないけど……とにかく一度、詳しく調べる必要がありそうね……」
マリアはレーダーを確認すると、通路の奥を向いた。
「こっちの通路からアラガミの反応があるわね。進んでみましょう」
俺はマリアの問いかけに応えるように、神機を近接武器形態へと切り替える。まるですべてを喰らい尽くす捕食者のように唸り声をあげながら、神機がその形態を変えていく。
そうしてやがて、人の身など軽く超えた、アラガミをも屠る巨大な剣が姿を露わにした。
この禍々しい光景こそ、神機が世界で唯一、神に対抗できる武器であることを物語っていた。
先導するマリアについていくと、彼女の言う通り数体のアラガミの姿があった。
「ドレッドパイク、小型種のアラガミね。攻撃して!」
マリアの合図と共に俺はアラガミに向けて突撃した。
背後からの一撃。硬質な外皮を、神機の刃が叩き潰すように両断する。
近くにいた別のアラガミが俺に気付き威嚇の咆哮を放つが、それも一秒と続かなかった。同じく背後から接近したマリアの一撃がアラガミの頭部を斬り飛ばす。
それが開戦の合図となり、通路の奥から数体のアラガミが接近してくる。
「来るわよ、セイ!」
「分かっている……!」
神機を構えて応戦。アラガミの体当たりを神機で受け止め、逆に弾き飛ばす。
体勢を崩したアラガミに追撃しようとすると、そのときには既にマリアがそのアラガミに神機を突き立てていた。
別のアラガミがマリアに襲い掛かるが、マリアはそれを苦も無く防いだ。
「ハァッ!」
マリアがアラガミを弾き飛ばすと、まるで誂えたかのようにそのアラガミが俺の目の前に飛ばされてきた。俺とマリアの視線が一瞬、交差する。
同じことをしてみろと言わんばかりの視線。俺は眼前で体勢を崩しているアラガミに神機を勢いよく振り下ろした。
鮮血が飛び散り、断末魔もなく絶命するアラガミ。マリアの方を見ると、彼女は満足そうに笑みを浮かべながら小さくウインクを飛ばした。
「強くなったわね、セイ!」
「別に……このくらいはやれて当然だ」
「そんなことないわ。アラガミの恐ろしさに、心が折れてしまうゴッドイーターも大勢いるんだから。でも、あなたにはその心配はいらないみたいね」
マリアはそう言って笑みを浮かべるが、俺はもともと、アラガミを恐れる気持ちなんて持ち合わせていない。……大体、そういうマリアはどうなのだという話だ。
「それよりマリア、怪我はなかったか?」
「ふふっ、私の心配なんて百年早いわよ? 私との訓練の戦績、覚えてるでしょう」
「……さあな」
話しているうちに、新たなアラガミの気配が近づいてくる。
「さあ。この調子で残りも片づけてしまいましょうか」
「……ああ!」
「――レーダーに反応なし。終わったわね」
周囲に脅威がなくなったことを確認したマリアは、幾体ものアラガミの命を喰い散らかした神機を血振りして一息ついた。
「凄いじゃない! もう十分に一人前のゴッドイーターね。能力査定も満点をつけておくわ」
「身内贔屓はよくないんじゃないのか?」
「贔屓なんてしてないわよ、本当に強かったわ。私、驚いちゃったもの」
「……まあいい、さっさと捕喰しよう」
神機に力を籠めると、神機を黒い影が覆い始める。
その黒い影は急速に形を成していき、やがて生き物の頭を彷彿とさせた姿を現す。
黒い影は飢えた獣のようにアラガミの死体に食らいつく。数回噛み砕くと、そのままアラガミを嚥下した。
空腹を満たした黒い影は神機の中へと帰っていき、数秒もすれば完全に消滅した。
これが捕喰。俺達が『神を喰らう者(ゴッドイーター)』と呼称される所以だ。
「……」
施設でマリアの世話になりっぱなしだった頃に比べたら、こうして喰われる側から喰らう側になっただけでも大出世かもしれない。
だが、まだ足りない。
マリアは俺のことを十分な実力だと言ったが、俺はそんな風に思ったことはない。
力はどれだけあってもいい。いや、なくてはならない。なくては……守れない。
「……またその顔」
不意にマリアが声をかけてきた。彼女の方を向くと、マリアは悲しそうな瞳で俺を見つめていた。
「なにを考えてたのか当てましょうか。自分が強くなって皆を守らないと、でしょう?」
「……」
気まずさから視線を逸らす。マリアは昔からよく、こうやって俺の心を読んでみせた。
3年も離れていたというのに、その腕前は今でも衰えていないらしい。
「変わらないね、なんでも自分一人で背負いこもうとするの」
「それはマリアも同じだろ」
「そうかもね……でも、だからこそ心配になるの。セイにはもっと、私のことを頼ってほしいな」
「……俺はゴッドイーターだ。戦うためにここにいる」
マリアの言葉を遮るようにして、断固とした声音でそう言い放った。
俺はマリアとは違う。戦うことでしか人を守れない。その戦いの腕でさえ、マリアにはいつも後れを取ってきた。……しかし、それももう過去の話だ。
俺はマリアを守るためにこの支部に来た。
強くなって、彼女を守る。それが俺の家族になってくれた彼女に報いる、ただ一つの方法だった。
「セイ……」
何かを続けようとしたマリアの言葉が、そこでぴたりと止まった。
俺も同じように異常に気付き、俺とマリアは弾かれるように周囲を見回した。
「ねえ……なにか聞こえなかった?」
「……ああ、たしかに聞こえたな」
かすかにアラガミの唸り声のようなものが聞こえた。
レーダーを確認する。先ほど確認した時と同様、そこには何の反応もない。
マリアも同じくレーダーを確認するが、やはり周囲にアラガミの反応は確認できないようだった。
「気のせい――」
だったのか、と俺が言おうとした時には既に、マリアの背後に一体のアラガミが出現していた。
「ッ!?」
「グアアアアアッ!」
マリアが背後を振り向くのと、そのアラガミが咆哮するのは同時だった。
先ほどの小型種よりも更に大きな、四つ足の獣。綺麗な白毛に覆われたそいつの纏う妖しげな美しさに、俺は全身の毛が逆立っていくように感じた。
生まれて初めて感じる、アラガミに対する純然な恐怖。こんな姿をしたアラガミは見た事がない。その姿が幻想的で蠱惑に映るほどに、マリアに襲い掛かる姿はより獰猛なものに見えた。
「……!?」
息をつく暇すらないままに、砲弾のような体当たりがマリアを襲う。
「きゃあああああっ!」
マリアの身体が後方に吹き飛ばされる。
そのまま壁に激突したマリアは僅かに呻くと、壁に背を預けたまま地面に倒れ込んだ。
「マリア……ッ!」
頭から流れた血液が、だらんと投げ出された手先にまで伝わっていた。呼吸こそしているようだが、気絶しており起き上がる気配はなかった。
再びアラガミの咆哮。マリアを打ち倒した白毛のアラガミが、そのままこちらに向かってくる。
「くっ……!」
マリアが頭から血を流して倒れている……その動揺から、神機を握る手が震えるのがわかった。
それでも何とか力を込めて、アラガミの頭部めがけて神機を振り抜く。
両手に確かな手応え。仕留めたかと思ったのも束の間。それは直後に絶望へと変わった。
俺の神機は、アラガミの牙によって軽々と受け止められていた。
「なっ!?」
そのままアラガミは乱暴に身をよじる。抵抗する間もなく、俺の体が宙に投げ出された。
俺にできることといえば、唯一の抵抗手段である神機を奪われないよう、必死につかみ続けることだけだったが……
次の瞬間、嫌な音が鳴り響いた。
「グアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
それが何の音だったのか理解したのは、白毛のアラガミの咆哮の後。
天敵を噛み砕いたアラガミの、勝利を確信した雄叫びを聞いた時だった。
「嘘、だろ……!?」
砕け散った神機が地面に転がる。神機という対抗手段を失えば、人とアラガミは対等ではない。喰われる……そう考えた直後、目の前にさらに信じられない光景が広がった。
白毛のアラガミは俺の神機を捕喰していた。
「有り得ない……!」
奴は俺の武器を破壊するために奪ったのではない。喰らうために奪ったのだ。
硬質な神機を易々と噛み砕き捕食するその異様(・・)に、俺は本能的な恐怖を覚える。
死ぬ……その瞬間を、容易く想像できた。
すると、体を支配していた恐怖がすっと引きはじめる。
死んでしまうなら、仕方がない。戦うために育てられた俺が、戦いの中で死ぬことは道理だ。
神機を貪っていたアラガミが、ゆっくりと首を起こし、こちらを見た。
抵抗は無意味だ。俺はもう、終わったのだ。
「……ふぅ」
深くため息を吐くと、体の緊張が解けていく。抵抗する気配をなくした俺に、ゆっくりと白毛が近づいてくる。……あとはもう、施設の兄弟たちと同じところに行くだけらしい。
(……マリアは)
何か思い出しそうになる。だがそれも、すぐに無意味なものになるはずだ。俺はここで、死ぬのだから。白毛のアラガミが後ろ脚に溜めを作るのが見えた。俺はゆっくりと目を閉じていく。
そのまま白毛が、一気にとびかかってくる。その瞬間、視界の隅にそれが見えた。
「――……っ!」
眼前に迫るアラガミに向けて、俺はそれを投げつけた。
いざという時のために携行していたスタングレネードが、炸裂する。
「グ……ッ!?」
激しい閃光と音にアラガミが怯んだのは一瞬。しかしそれは俺の命を繋ぐ一瞬だった。俺はその隙にマリアの元に駆け出して、その体を乱暴に抱き上げた。
俺は死んだって構わない。戦うのも逃げるのも、諦めるのも勝手だ。
だが、そこにマリアを巻き込むわけにはいかない。
マリアは俺の唯一の家族で、ひとりだった俺を救ってくれた恩人だ。
失ってはいけない。救わなくてはならない。彼女を守れないなんて、そんな身勝手は許されない。
マリアを抱きしめ、そのまま駆け出す。
スタングレネードの子供だましが、あと何度通用するか……わからないが、何もないよりはずっと頼もしい。
マリアを守らなくてはならない。そのために、生き残らなくてはならない。
その使命感が今、俺を突き動かしていた。
「はぁ……はぁ……っ!」
マリアを担いだまま、俺は近くの扉に体当たりし、そのまま中に侵入した。
薄暗い個室のなかには、俺には用途も想像できない機材が所狭しと並んでいた。……物が多いのは、隠れるのに好都合だ。扉を塞ぎ、俺は部屋の奥へと進んだ。
そのまま物陰に身を潜め、マリアの様子を確認する。頭部の出血は止まりつつあり、呼吸も安定してきている。依然として意識は戻っていないが、今は彼女が目を覚ますのを待つしかない。
マリアを地面に寝かせ、ゆっくりと息を整える。どうやらアラガミは俺達を見失ったようだが、その気配は遠ざかることなく、むしろ不気味な唸り声はゆっくりと近づいてきている。
運よく撒けたが、ここが発見されるのも時間の問題だろう。
(どうする……)
神機もなく、スタングレネードもここまでで使い尽くし、マリアは気を失ったままだ。
この状況を覆す手段が思いつかず、救いを求めるように俺の視線は部屋の中を彷徨った。
(――ん、あれは……?)
その求めに神が応じたのか、一振りのロングブレードタイプの神機がそこに安置されていた。
近づいて確認してみると、破損も見られず、まだ武器として十分に機能しそうだった。
(どうして、こんなところに神機が……?)
困惑は一瞬。それよりもアラガミに対抗する手段を見つけたという希望が上回る。
「……!」
だが、神機に伸ばしたところで手が止まる。教練時代に教官から「他人の神機は絶対に使おうとするな」と何度も言われていたことを思い出したからだ。
(神機はアラガミと同じオラクル細胞でできている。適合できなかったゴッドイーターは、神機に捕喰され、死ぬ……か)
この神機を手に取ることは、さながら神の法を破るに等しい。その恐れが、躊躇を生む。
「うっ……く…………」
そこで背中を押したのは、苦悶に呻くマリアの声だった。
彼女は意識を取り戻しつつあるようだった。ここで俺が白毛のアラガミを食い止めれば、マリア一人はここから逃げ出せるかもしれない。
(マリア……)
このままではふたりともあのアラガミの餌食になるだけ……ならせめてマリアだけでも救いたい。
俺は意を決し、安置されている神機を掴んだ。
「ぐっ――!?」
直後、俺の全身を悪寒が駆け巡り、強烈な拒絶反応が四肢の自由を奪った。
それはやがて、体内からを何者かに喰い荒らされるような耐え難い激痛に変わっていく。
「ぐあああああああああああ!?」
(適合、できないのか……!)
次の瞬間には、神機は独りでに変型を開始し、禍々しい捕喰口を形成していく。
そのターゲットは、間違いなく俺だった。
(動けない……喰われる!)
俺がそう直感した、そのとき。
「……セイ!」
神機から伸びた捕喰口が、俺の前に身を投げ出したマリアの身体に喰らいついた。
「――え?」
時が止まったかのような錯覚。目の前の光景の意味を、脳が理解することを拒む。
「――マリ、ア」
しかし俺の頬に飛び散った鮮血が、そんな逃避を許さなかった。
傷口から、大量の血が溢れ出ていた。ゆっくりと崩れ落ちていくマリアの身体。
その最中、マリアと視線が合った。
マリアは笑っていた。苦痛に顔を歪めるでもなく、死の恐怖に怯えるでもなく……ただ俺を助けられてよかったと安堵して――力尽きるように地面に倒れ伏した。
「うわああああああああああっ!!」
俺の絶叫を掻き消すように、部屋の扉が突き破られる。
この騒ぎを聞きつけたのだろう。動けない俺に、容赦なく白毛のアラガミが迫ってくる。
だが、そんなことどうだってよかった。マリアのことを確認したかった。マリアに謝りたかった。首を垂れて許しを請いたかった。叱りたかった。無茶をするなと怒りたかった。素直な気持ちが知りたかった。等身大の俺と接してほしかった。
頼れる存在になりたかった。守れる存在になりたかった。
様々な感情が溢れ出して止まらない。
だけど、もう……
「攻撃可能」
その声が聞こえるのと同時に、俺は目の前に向けて走り出していた。
先程まで動かなかった身体が嘘のように動いていた。捕喰口を展開していた神機は元の姿に戻っており、俺を拒むことなく手の中にある。
何故……そんなことはどうだっていい。
ただ、深い悲しみが、強い怒りが、俺を突き動かしていた。
まさか自分から向かってくるなど想像もしてなかったのだろう……虚を突かれ後ろに跳んだ白毛のアラガミに対し、俺はさらに踏み込み、神機を振りぬく。
「おおおおおおおおおおッ!!」
眼前まで迫っていたアラガミに刃が食い込み、そのまま白毛のアラガミの身体を喰い裂いた。
アラガミはすぐに身をよじり抵抗した。腹部を切り裂かれ、鋭い痛みが全身を突き抜ける。周囲に飛び散る鮮血を浴びながら、俺とアラガミの咆哮がぶつかり合う。
「うあああああああああああああああああッ!!」
残る全ての力を絞り出しての決死の一撃に、アラガミはたたらを踏んで後退した。
その姿を最後まで見送る前に、俺はその場に足をついた。
消耗し切った俺の全身から力が抜け、ゆっくりと地面に吸い込まれていく。
急速に意識が混濁していく。視界がちかちかと明転し、何もかもが遠くに感じる。
地面に倒れ込むまでの間、俺はただ……先程聞こえた声の主を探し続けていた。
(マリ、ア……?)
やがて意識が途絶える間際……美しい純白の女性が俺を見下ろしている姿が見えた気がした。
ヘリが着陸すると、車輪から伝わる衝撃がわずかに俺の身体を揺さぶった。
建付けの悪いドアを力任せに開くと、雪に彩られた広大が山々が目に入る。
だがそこに、かつて世界最高峰と謳われたヒマラヤの壮大な景色はない。あるのはただ、“何者かに喰い散らされた痕が残る山脈”だけだった。
「八神セイさんですね。お待ちしてました。ゴドー隊長が中でお待ちです」
近づいてきた兵士の一人が、プロペラの風圧に目を細めながらも姿勢を正し敬礼を向けてくる。
ヘリの風音に遮られながら届いた兵士の声と、砂塵を含んだヒマラヤの風が俺を出迎えた。
案内を受け応接室に入ると、そこには二人の男女が俺の到着を待っていた。
あでやかな黒髪をなびかせる若い女性と、大きなサングラスをかけた長身の男。
二人の前に立って姿勢を正すと、女性の方と目が合った。小さく笑みを送ってきたが、俺は応えず見送った。
今の俺はこのフェンリルヒマラヤ支部に着任したての新人だ。立場を弁える必要がある。
視線を外して男の方を注視すると、視界の端で女性が少し不満そうにしたのが見えた。
「君が今日付けで着任した新人だな?」
「はっ。八神セイです」
「ここは何もない僻地だ。ま、リラックスしてくれ。俺からは以上だ」
「以上……?」
以上も何も、「リラックスしてくれ」としか言われていないのだが……。
「あとは、彼女に任せてある……マリア!」
男が傍らの女性に声をかける。
女性……マリアは肩を震わせながら、口火を切る。
「何が彼女に任せてある、ですか! せめて自分で名乗ってください、ゴドー隊長!」
「見たか? 名乗る必要、なかっただろ?」
「そのようですね、ゴドー隊長」
俺がゴドーの皮肉に同意すると、マリアは赤面しながら眉を吊り上げた。
「二人して……! もういいです! あとは私がやりますから!」
「ふふ……そうしてくれ。俺の長話なんか聞くより、二人で楽しくやるといい。念願の「再会」だ、邪魔者は消えるさ」
ゴドーは軽く手を振りながら部屋から出ていった。
「もう、めんどくさがってちゃんとやらないんだから……!」
「あの人、いつもあんな感じなのか?」
「困ったものよね。……それはそうと、改めて、フェンリル・ヒマラヤ支部へようこそ。歓迎するわ!」
そう言ってマリアは、屈託のない華やかな笑みを浮かべた。
「3年ぶりになるね……あなたも無事、ゴッドイーターになれてよかった。私の、ただひとり生き残ってくれた……弟」
そう言いながらマリアは、こちらに手を差し出してきた。
その表情からは、数年ぶりに再会した家族に対する無条件の信頼が覗える。
とはいえ、ここでの俺は彼女の弟である前に、新任の神機使いのはずだ。
握手ではなく、敬礼で応対すべきところだが……マリアはその手を差し出したまま譲らない。
「…………」
観念して差し出した俺の手のひらを、マリアが慈しむように優しく両手で包み込む。
いっそう笑みを深めるマリアに気恥ずかしさを感じ、俺は早々に手を離した。
「……生き残ったのはマリアも同じだろ。俺もマリアと同じゴッドイーターなんだ、いつまでも弟扱いはやめてくれ」
弟といっても、俺達は血が繋がっているわけではない。
マリアは俺と同じ極東支部の施設で育った幼馴染だ。
施設でのマリアは皆のお姉さんとして振舞っていたし、
俺も彼女を本当の姉同然に思ってきた。
とはいえ、俺とマリアの年齢は一つしか違わないし、いつまでも子供扱いされ続けるのは、どうにもむず痒いものがある。
「ふふ、そんなに照れなくてもいいのに」
視線をそらした俺に対し、すべて見透かしたようにマリアが笑う。
「誰がだ。いいから、さっさと任務の話に移ってくれ」
「そうね……それじゃあ早速だけど、事情説明とあなたの能力査定も兼ねて、私の任務に同行してもらってもいい? ……ごめんね」
「気にするな。それで、ヒマラヤ支部はどんな状況なんだ?」
「ゴドー隊長が言っていた通り、ここは僻地で危険レベルが低いのだけど、そのぶん人員も最小限しか配備されていないから、深刻な人手不足なの」
「なるほど。人手不足はどこも酷いらしいが、マリアがそう言うってことはここも相当なんだろうな」
「そうなの……単独行動も多くなるから、生きていくには個の力が問われる……あなたなら大丈夫よ、私もついているから」
……私がついてるから大丈夫、か。
懐かしい台詞だ。子供の頃からマリアは何度も俺達にそう言ってきたし、俺はその言葉にいつも支えられてきた。
――だが、今の俺はあの頃とは違う。今度は俺がマリアを支えてみせる。
ヒマラヤ支部を出て東に進んだ所にあるダム湖。その湖畔に建設されている研究所が、今回の初任務地になる。
フェンリルが抱えていた研究所ではなく、特に有益な情報も得られないだろうとの判断で長らく放置していた研究所のはずだった。
今回改めて調査に出てきたのは、ここ最近になって複数の小型アラガミの活発な反応が確認されたためらしい。
「私とあなたでツーマンセルよ。私はサポートに回るから、前衛をお願い」
「了解だ」
「……ふふっ。素っ気ないのは相変わらずね。なんだか安心したわ」
何が可笑しいのか、笑みを浮かべるマリアと共に、研究所内を進んでいく。
「かなり広いな。何の研究所だったんだ?」
「さあね……随分前に放棄されて以降、フェンリルもこの研究所は重要視してなかったみたい。ここ数年、調査任務が決行された記録もなかったわ」
「なるほどな……それで今は、アラガミの住処に貸してるわけか」
「仕方ないわよ、本当に人手が足りないんだもの」
「……ん? あれは……」
視線を上げると、研究所内の壁に大きな垂れ幕がかけられていた。
そこに記された見慣れたデザインに、俺たちは顔を見合わせた。
「フェンリルのエンブレム……?」
「これって、どういうことなのかしら?」
「……やっぱりここは、元々フェンリルの抱えていた研究所だったんじゃないか?」
フェンリルは別に、俺達ゴッドイーターがアラガミと戦うためだけにある組織ではない。
もともとは生体武器「神機」を研究する生化学企業だ。無限に進化していくアラガミに対抗するべく、ゴッドイーター、神機のさらなる研究、開発のために様々な施設を各地に設けている。
「そんな話は聞いていないけど……とにかく一度、詳しく調べる必要がありそうね……」
マリアはレーダーを確認すると、通路の奥を向いた。
「こっちの通路からアラガミの反応があるわね。進んでみましょう」
俺はマリアの問いかけに応えるように、神機を近接武器形態へと切り替える。まるですべてを喰らい尽くす捕食者のように唸り声をあげながら、神機がその形態を変えていく。
そうしてやがて、人の身など軽く超えた、アラガミをも屠る巨大な剣が姿を露わにした。
この禍々しい光景こそ、神機が世界で唯一、神に対抗できる武器であることを物語っていた。
先導するマリアについていくと、彼女の言う通り数体のアラガミの姿があった。
「ドレッドパイク、小型種のアラガミね。攻撃して!」
マリアの合図と共に俺はアラガミに向けて突撃した。
背後からの一撃。硬質な外皮を、神機の刃が叩き潰すように両断する。
近くにいた別のアラガミが俺に気付き威嚇の咆哮を放つが、それも一秒と続かなかった。同じく背後から接近したマリアの一撃がアラガミの頭部を斬り飛ばす。
それが開戦の合図となり、通路の奥から数体のアラガミが接近してくる。
「来るわよ、セイ!」
「分かっている……!」
神機を構えて応戦。アラガミの体当たりを神機で受け止め、逆に弾き飛ばす。
体勢を崩したアラガミに追撃しようとすると、そのときには既にマリアがそのアラガミに神機を突き立てていた。
別のアラガミがマリアに襲い掛かるが、マリアはそれを苦も無く防いだ。
「ハァッ!」
マリアがアラガミを弾き飛ばすと、まるで誂えたかのようにそのアラガミが俺の目の前に飛ばされてきた。俺とマリアの視線が一瞬、交差する。
同じことをしてみろと言わんばかりの視線。俺は眼前で体勢を崩しているアラガミに神機を勢いよく振り下ろした。
鮮血が飛び散り、断末魔もなく絶命するアラガミ。マリアの方を見ると、彼女は満足そうに笑みを浮かべながら小さくウインクを飛ばした。
「強くなったわね、セイ!」
「別に……このくらいはやれて当然だ」
「そんなことないわ。アラガミの恐ろしさに、心が折れてしまうゴッドイーターも大勢いるんだから。でも、あなたにはその心配はいらないみたいね」
マリアはそう言って笑みを浮かべるが、俺はもともと、アラガミを恐れる気持ちなんて持ち合わせていない。……大体、そういうマリアはどうなのだという話だ。
「それよりマリア、怪我はなかったか?」
「ふふっ、私の心配なんて百年早いわよ? 私との訓練の戦績、覚えてるでしょう」
「……さあな」
話しているうちに、新たなアラガミの気配が近づいてくる。
「さあ。この調子で残りも片づけてしまいましょうか」
「……ああ!」
「――レーダーに反応なし。終わったわね」
周囲に脅威がなくなったことを確認したマリアは、幾体ものアラガミの命を喰い散らかした神機を血振りして一息ついた。
「凄いじゃない! もう十分に一人前のゴッドイーターね。能力査定も満点をつけておくわ」
「身内贔屓はよくないんじゃないのか?」
「贔屓なんてしてないわよ、本当に強かったわ。私、驚いちゃったもの」
「……まあいい、さっさと捕喰しよう」
神機に力を籠めると、神機を黒い影が覆い始める。
その黒い影は急速に形を成していき、やがて生き物の頭を彷彿とさせた姿を現す。
黒い影は飢えた獣のようにアラガミの死体に食らいつく。数回噛み砕くと、そのままアラガミを嚥下した。
空腹を満たした黒い影は神機の中へと帰っていき、数秒もすれば完全に消滅した。
これが捕喰。俺達が『神を喰らう者(ゴッドイーター)』と呼称される所以だ。
「……」
施設でマリアの世話になりっぱなしだった頃に比べたら、こうして喰われる側から喰らう側になっただけでも大出世かもしれない。
だが、まだ足りない。
マリアは俺のことを十分な実力だと言ったが、俺はそんな風に思ったことはない。
力はどれだけあってもいい。いや、なくてはならない。なくては……守れない。
「……またその顔」
不意にマリアが声をかけてきた。彼女の方を向くと、マリアは悲しそうな瞳で俺を見つめていた。
「なにを考えてたのか当てましょうか。自分が強くなって皆を守らないと、でしょう?」
「……」
気まずさから視線を逸らす。マリアは昔からよく、こうやって俺の心を読んでみせた。
3年も離れていたというのに、その腕前は今でも衰えていないらしい。
「変わらないね、なんでも自分一人で背負いこもうとするの」
「それはマリアも同じだろ」
「そうかもね……でも、だからこそ心配になるの。セイにはもっと、私のことを頼ってほしいな」
「……俺はゴッドイーターだ。戦うためにここにいる」
マリアの言葉を遮るようにして、断固とした声音でそう言い放った。
俺はマリアとは違う。戦うことでしか人を守れない。その戦いの腕でさえ、マリアにはいつも後れを取ってきた。……しかし、それももう過去の話だ。
俺はマリアを守るためにこの支部に来た。
強くなって、彼女を守る。それが俺の家族になってくれた彼女に報いる、ただ一つの方法だった。
「セイ……」
何かを続けようとしたマリアの言葉が、そこでぴたりと止まった。
俺も同じように異常に気付き、俺とマリアは弾かれるように周囲を見回した。
「ねえ……なにか聞こえなかった?」
「……ああ、たしかに聞こえたな」
かすかにアラガミの唸り声のようなものが聞こえた。
レーダーを確認する。先ほど確認した時と同様、そこには何の反応もない。
マリアも同じくレーダーを確認するが、やはり周囲にアラガミの反応は確認できないようだった。
「気のせい――」
だったのか、と俺が言おうとした時には既に、マリアの背後に一体のアラガミが出現していた。
「ッ!?」
「グアアアアアッ!」
マリアが背後を振り向くのと、そのアラガミが咆哮するのは同時だった。
先ほどの小型種よりも更に大きな、四つ足の獣。綺麗な白毛に覆われたそいつの纏う妖しげな美しさに、俺は全身の毛が逆立っていくように感じた。
生まれて初めて感じる、アラガミに対する純然な恐怖。こんな姿をしたアラガミは見た事がない。その姿が幻想的で蠱惑に映るほどに、マリアに襲い掛かる姿はより獰猛なものに見えた。
「……!?」
息をつく暇すらないままに、砲弾のような体当たりがマリアを襲う。
「きゃあああああっ!」
マリアの身体が後方に吹き飛ばされる。
そのまま壁に激突したマリアは僅かに呻くと、壁に背を預けたまま地面に倒れ込んだ。
「マリア……ッ!」
頭から流れた血液が、だらんと投げ出された手先にまで伝わっていた。呼吸こそしているようだが、気絶しており起き上がる気配はなかった。
再びアラガミの咆哮。マリアを打ち倒した白毛のアラガミが、そのままこちらに向かってくる。
「くっ……!」
マリアが頭から血を流して倒れている……その動揺から、神機を握る手が震えるのがわかった。
それでも何とか力を込めて、アラガミの頭部めがけて神機を振り抜く。
両手に確かな手応え。仕留めたかと思ったのも束の間。それは直後に絶望へと変わった。
俺の神機は、アラガミの牙によって軽々と受け止められていた。
「なっ!?」
そのままアラガミは乱暴に身をよじる。抵抗する間もなく、俺の体が宙に投げ出された。
俺にできることといえば、唯一の抵抗手段である神機を奪われないよう、必死につかみ続けることだけだったが……
次の瞬間、嫌な音が鳴り響いた。
「グアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
それが何の音だったのか理解したのは、白毛のアラガミの咆哮の後。
天敵を噛み砕いたアラガミの、勝利を確信した雄叫びを聞いた時だった。
「嘘、だろ……!?」
砕け散った神機が地面に転がる。神機という対抗手段を失えば、人とアラガミは対等ではない。喰われる……そう考えた直後、目の前にさらに信じられない光景が広がった。
白毛のアラガミは俺の神機を捕喰していた。
「有り得ない……!」
奴は俺の武器を破壊するために奪ったのではない。喰らうために奪ったのだ。
硬質な神機を易々と噛み砕き捕食するその異様(・・)に、俺は本能的な恐怖を覚える。
死ぬ……その瞬間を、容易く想像できた。
すると、体を支配していた恐怖がすっと引きはじめる。
死んでしまうなら、仕方がない。戦うために育てられた俺が、戦いの中で死ぬことは道理だ。
神機を貪っていたアラガミが、ゆっくりと首を起こし、こちらを見た。
抵抗は無意味だ。俺はもう、終わったのだ。
「……ふぅ」
深くため息を吐くと、体の緊張が解けていく。抵抗する気配をなくした俺に、ゆっくりと白毛が近づいてくる。……あとはもう、施設の兄弟たちと同じところに行くだけらしい。
(……マリアは)
何か思い出しそうになる。だがそれも、すぐに無意味なものになるはずだ。俺はここで、死ぬのだから。白毛のアラガミが後ろ脚に溜めを作るのが見えた。俺はゆっくりと目を閉じていく。
そのまま白毛が、一気にとびかかってくる。その瞬間、視界の隅にそれが見えた。
「――……っ!」
眼前に迫るアラガミに向けて、俺はそれを投げつけた。
いざという時のために携行していたスタングレネードが、炸裂する。
「グ……ッ!?」
激しい閃光と音にアラガミが怯んだのは一瞬。しかしそれは俺の命を繋ぐ一瞬だった。俺はその隙にマリアの元に駆け出して、その体を乱暴に抱き上げた。
俺は死んだって構わない。戦うのも逃げるのも、諦めるのも勝手だ。
だが、そこにマリアを巻き込むわけにはいかない。
マリアは俺の唯一の家族で、ひとりだった俺を救ってくれた恩人だ。
失ってはいけない。救わなくてはならない。彼女を守れないなんて、そんな身勝手は許されない。
マリアを抱きしめ、そのまま駆け出す。
スタングレネードの子供だましが、あと何度通用するか……わからないが、何もないよりはずっと頼もしい。
マリアを守らなくてはならない。そのために、生き残らなくてはならない。
その使命感が今、俺を突き動かしていた。
「はぁ……はぁ……っ!」
マリアを担いだまま、俺は近くの扉に体当たりし、そのまま中に侵入した。
薄暗い個室のなかには、俺には用途も想像できない機材が所狭しと並んでいた。……物が多いのは、隠れるのに好都合だ。扉を塞ぎ、俺は部屋の奥へと進んだ。
そのまま物陰に身を潜め、マリアの様子を確認する。頭部の出血は止まりつつあり、呼吸も安定してきている。依然として意識は戻っていないが、今は彼女が目を覚ますのを待つしかない。
マリアを地面に寝かせ、ゆっくりと息を整える。どうやらアラガミは俺達を見失ったようだが、その気配は遠ざかることなく、むしろ不気味な唸り声はゆっくりと近づいてきている。
運よく撒けたが、ここが発見されるのも時間の問題だろう。
(どうする……)
神機もなく、スタングレネードもここまでで使い尽くし、マリアは気を失ったままだ。
この状況を覆す手段が思いつかず、救いを求めるように俺の視線は部屋の中を彷徨った。
(――ん、あれは……?)
その求めに神が応じたのか、一振りのロングブレードタイプの神機がそこに安置されていた。
近づいて確認してみると、破損も見られず、まだ武器として十分に機能しそうだった。
(どうして、こんなところに神機が……?)
困惑は一瞬。それよりもアラガミに対抗する手段を見つけたという希望が上回る。
「……!」
だが、神機に伸ばしたところで手が止まる。教練時代に教官から「他人の神機は絶対に使おうとするな」と何度も言われていたことを思い出したからだ。
(神機はアラガミと同じオラクル細胞でできている。適合できなかったゴッドイーターは、神機に捕喰され、死ぬ……か)
この神機を手に取ることは、さながら神の法を破るに等しい。その恐れが、躊躇を生む。
「うっ……く…………」
そこで背中を押したのは、苦悶に呻くマリアの声だった。
彼女は意識を取り戻しつつあるようだった。ここで俺が白毛のアラガミを食い止めれば、マリア一人はここから逃げ出せるかもしれない。
(マリア……)
このままではふたりともあのアラガミの餌食になるだけ……ならせめてマリアだけでも救いたい。
俺は意を決し、安置されている神機を掴んだ。
「ぐっ――!?」
直後、俺の全身を悪寒が駆け巡り、強烈な拒絶反応が四肢の自由を奪った。
それはやがて、体内からを何者かに喰い荒らされるような耐え難い激痛に変わっていく。
「ぐあああああああああああ!?」
(適合、できないのか……!)
次の瞬間には、神機は独りでに変型を開始し、禍々しい捕喰口を形成していく。
そのターゲットは、間違いなく俺だった。
(動けない……喰われる!)
俺がそう直感した、そのとき。
「……セイ!」
神機から伸びた捕喰口が、俺の前に身を投げ出したマリアの身体に喰らいついた。
「――え?」
時が止まったかのような錯覚。目の前の光景の意味を、脳が理解することを拒む。
「――マリ、ア」
しかし俺の頬に飛び散った鮮血が、そんな逃避を許さなかった。
傷口から、大量の血が溢れ出ていた。ゆっくりと崩れ落ちていくマリアの身体。
その最中、マリアと視線が合った。
マリアは笑っていた。苦痛に顔を歪めるでもなく、死の恐怖に怯えるでもなく……ただ俺を助けられてよかったと安堵して――力尽きるように地面に倒れ伏した。
「うわああああああああああっ!!」
俺の絶叫を掻き消すように、部屋の扉が突き破られる。
この騒ぎを聞きつけたのだろう。動けない俺に、容赦なく白毛のアラガミが迫ってくる。
だが、そんなことどうだってよかった。マリアのことを確認したかった。マリアに謝りたかった。首を垂れて許しを請いたかった。叱りたかった。無茶をするなと怒りたかった。素直な気持ちが知りたかった。等身大の俺と接してほしかった。
頼れる存在になりたかった。守れる存在になりたかった。
様々な感情が溢れ出して止まらない。
だけど、もう……
「攻撃可能」
その声が聞こえるのと同時に、俺は目の前に向けて走り出していた。
先程まで動かなかった身体が嘘のように動いていた。捕喰口を展開していた神機は元の姿に戻っており、俺を拒むことなく手の中にある。
何故……そんなことはどうだっていい。
ただ、深い悲しみが、強い怒りが、俺を突き動かしていた。
まさか自分から向かってくるなど想像もしてなかったのだろう……虚を突かれ後ろに跳んだ白毛のアラガミに対し、俺はさらに踏み込み、神機を振りぬく。
「おおおおおおおおおおッ!!」
眼前まで迫っていたアラガミに刃が食い込み、そのまま白毛のアラガミの身体を喰い裂いた。
アラガミはすぐに身をよじり抵抗した。腹部を切り裂かれ、鋭い痛みが全身を突き抜ける。周囲に飛び散る鮮血を浴びながら、俺とアラガミの咆哮がぶつかり合う。
「うあああああああああああああああああッ!!」
残る全ての力を絞り出しての決死の一撃に、アラガミはたたらを踏んで後退した。
その姿を最後まで見送る前に、俺はその場に足をついた。
消耗し切った俺の全身から力が抜け、ゆっくりと地面に吸い込まれていく。
急速に意識が混濁していく。視界がちかちかと明転し、何もかもが遠くに感じる。
地面に倒れ込むまでの間、俺はただ……先程聞こえた声の主を探し続けていた。
(マリ、ア……?)
やがて意識が途絶える間際……美しい純白の女性が俺を見下ろしている姿が見えた気がした。